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 小塚さんが退かれた後、冷たい長雨が一度降った。一段と冷えた秋風は、自身の気分とリンクした。

 次に派遣でいらした方は小塚さんよりやや年嵩の、これまた優秀なお姉さまだ。人当たりよく距離感控えめの大人オブ大人。静謐さに気圧されつられ、黙々と業務に励む。


 お昼休みは応接セットにひとりで座る。母とお揃いに詰めた地味系お弁当を前に、小塚さんがいない寂しさに肩を落とす。

(小塚さんの新しい生活はどんなだろうな、お忙しいんだろうな)

 来年で入社四年、なのに内勤組ではいちばん下っぱ。誰かに寄りかかれない寂しさに揺らぐにしては、年齢的にも恥ずかしいかぎり。


『自分の芯は大切にしたいと思ってるの。世間に流されて大事なものを手放さないように』


 先日のディナータイム。小塚さんは御自身の心情吐露に見せ掛けて、不甲斐ない後進への心構えを説いてくださった。

 事業開拓に燃える社長は、次年度には新規採用を増やしたいと話していた。

 今度こそ後輩が出来るかもしれない。自分もそれなりに進化をしたい。優秀な方と比べて卑屈になっても仕方ない。今更ながら背筋を伸ばす。デザート代わりの乳酸飲料をグイと飲む。

 そして小塚さんに気付かせていただいた、もうひとつの課題も思い出す。





 あの夜の小塚さんは、仕事中には決して出さなかった表情を、うんと拝ませてくれたのだ。

 特にサクトの謎会話について話した時の、薔薇色に染まる頬の愛らしさといったらなかった。

「待って! それってプロポーズじゃない?」

 前のめりの振動で揺れるグラスの水面よ。

「えぇ……そうなのかなあ」

「遅い時間にご自宅まで出向いて来たんでしょう? むしろどうやったら違う捉え方が出来るの? そちらの方が謎だわ」

「でもずっとトモダチだったし。そりゃあ最初はずいぶん刺激のある会話だなって思ったけど」

 いちいち呻いたり天を仰いだり、リアクションの豊かなことよ。

「客観視しようと思って、言われたコトを箇条書きして可視化してみたら、余計混乱して」

 今度は突っ伏し「そこはストレートに取ってあげて」と呟く。グラスの水面がまた揺れる。

「でもその慎重さがヒサキさんかな。じゃあ仮にまんまプロポーズだとしたら、ヒサキさんはどうなりた」石化し息が止まる小娘に気付き、

「御免なさい。最近漏れ伝え聞くなかで一番華やかな話題なものだから」

 人生の先達は深呼吸し、吹きこぼれる高揚を慌てて抑え込んでしまわれた。荒ぶる姿は高校生のようで、年齢差を越えて愛らしい。


 自分も自分で忙しかった。小塚さんに謎会話の愚痴を零す恥ずかしさとくすぐったさ。小塚さんの素の表情を見られるソワソワ感。それから、サクトを過剰に意識する自身の浮遊感。


「実はどうしたいのか、自分もわからないんです。今までの立ち位置がそもそもアレですし」

「彼も不親切だわ。もっと分かり易く言えばいいのに」

 深く頷く。考え過ぎて肩まで下がる。

「彼、モテてたひと?」

「具体的な話は聞いたコト無いけど」

 それでも今までに聞き齧った愚痴から鑑みると、それなりに何なりあった筈。

 考え込んでいると、小塚さんが再びグイグイ攻めてきた。

「画像拝見したいな。一緒に撮ったりしないの?」

「そういえば二人で撮ったコトって無いや」

 ものすごーくガッカリされてしまった。

「ではルッキズムに引っ掛かるけどお許しを。ヒサキさんから見て彼は格好いい?」

 どんな空気を読み取られたのか、勝手に納得されてしまった。


「……そんな訳で今までの軽口の延長の可能性も捨てきれず」

「それでもそのシチュエーションだったら本意しかないわ。コレでヒサキさんの対応次第で『そんなツモリじゃなかった』とか逃げ口上したら、わたしが怒ります」

 小塚さんの口調がオトナに戻り、顔つきが薮睨みになる。

「その時は直ぐ言うのよ。わたし、釘打ちバットを持って馳せ参じます。ずっとヒサキさんの味方よ。だから後日談、宜しくね!」

「釘打ちバット!」

「そうよ。舐めて掛かられたらダメなのよ」

 店内の静けさを忘れて笑ってしまった。普段からは予想もつかない単語。予想もつかない三白眼。

「だって、ストレートに考えたらどう? 悪い気はしないでしょう?」

 そう言われると。

 そういう風に考えたらいけないと、ずっと思っていた。友達カテゴリーだから。

「そっか、気付いてなかったんだね」

 耳元が熱くなってきた。

「いま気付けてよかったね」「考えていいのかな」「いいと思うよ」

 小塚さんの表情がくるくる変わる。ニコニコと笑顔の花が咲く。

「ヒサキさん、いつだったか、モテ期に乗りそこなってココまで来たって言ってたじゃない。今乗らなくてどうするの」

 そうだった、小塚さんと仲良くなって直ぐの頃、そんなボヤキをした覚えがある。

 モテ期というには語弊が有るけれど、大学時代に一瞬、新卒当時にも少々、殿方からのお誘いが重なった時期が、ややあった。

 あの時はどうしていたんだろう。やっぱり生活に追われた記憶しかない。


「踏み込んだ話をしてしまうけど、タイミングは大切にね。分岐点って、通り過ぎた後で初めてソレと気付くから。後悔は先に立たないから」

 いつもより強く響きのある深い声。仕事の真剣さとはまた違う。

「小塚さん、そういう時はどうしたんですか?」

「それが焚き付けておいて何だけど、わたしも良く覚えてないのよ。その都度必死で、今ココって感じで。何ならこれからもそうかも。毎日が綱渡り」

 退職の気安さなのか店内の抑えたライトのせいなのか、小塚さんはとことんニュートラルだった。歳近い出会いだったなら、どんな関わりが持てただろう。


「結婚は共同作業だけど、それぞれ得意不得意は有るし、家庭内外の責任も出てくるし」

「あの、でも私、まだ結婚に向かう訳では」

「うんそうね。それでもそんな事を言われたら、これからの空気はおのずと変わるでしょ」

 そうかなあ。

「ココで無かったことにしたら腐れ縁になるのかな。年の功でそんなヒトも見たの。それが良いのか悪いのかはともかく」

 腐れ縁の価値が自分にはわからない。小塚さんは「やっぱりもう一杯」とグラスワインをオーダーする。

「というか、私、変わるのは悪いことじゃないって思いたいっていうか。これも自分に向かって言ってるんだけど」

 どうしようスイスイ呑めちゃうな、と笑いながら、

「ヒサキさん、ご家族を大切にしてきたんでしょう? お若いのに偉いなあって、いつも感心してたの」

 もう控えなくちゃ、と、お水も飲みながら、

「堅実で誠実な生活は美徳だね。けどお母様もお元気になられたことだし、御自身も大切にしてね。やってみたい事があったら、早いうちに挑戦してみてね。自分で選んで動ける時間って貴重だから」

 ミニデザートと紅茶がサーブされる。小塚さんのお気遣いが身に染みる。


 御会計は奢ると言ってくださるのを「またお誘いしたいので」と強固に言い張って、割り勘にしてもらった。

 駅までの距離が短くて残念過ぎた。小塚さんともっと一緒にいたかった。

「取り敢えず自分のご機嫌は自分で取れるように、周りに惑わされないようにしたいわね。コレも自分に言い聞かせてるんだけど」

 仲の良い先輩と歩く歩幅の心地良さ。

「変化する時って、有無を言わさず動いてゆくから。待ったなしだから」

 最寄り駅の改札手前、小塚さんは初めて今後の予定を教えてくださった。気の利いた相槌も打てず、頑張ってくださいと、月並みな台詞しか言えなかった。




 ふとした仕事の合間、通退勤途中、小塚さんの言葉を思い出す。

 やってみたいことがあったら、早いうちに挑戦してみてね。

(やってみたいこと、あるかな?)

 車窓の枠に囲まれた、流れゆく絵をぼんやり眺める。朝日にひかる川の流れ、雲の動き、通り過ぎる学校の校庭。夜の街の灯り、窓に映る帰宅者のシルエット。大学時代から使っている路線なので、真新しい感動もなく、どれも見慣れた景色ばかり。

 通学に一時間半掛かって、いつも疲れていた大学時代。周囲からは下宿を薦められがちだったけれど、母子家庭だからと説明すると、秒で納得されたものだった。






 その日は三十分の残業をした。地元駅の改札口からバス停に向かって歩いていると、少し先には見たことのある後ろ姿。

 市役所の田中さんだ。そういえば写真のお礼もキチンとしていなかった。

 声を掛けようかと思ったけれど、隣には大きなリュックを背負ったショートカットの、背の高いカジュアルな女性がいらっしゃる。話をしながら歩く様子から、

(お友達……じゃないな、ビジネスっぽい感じ、かな?)

 距離を取りかけたら、田中さんに見つかってしまった。ご無沙汰してしまっていたので、慌てて頭を下げた。

「ちょうど良かった。地元で青春時代を過ごした方に会えた」

 田中さんは隣の女性を私に紹介する。

「ヒサキさんは城山公園前に昔、評判のパン屋さんがあったのを覚えてますか」

「あっ、はい、カレーパンの?」

「そうそう。この方、あのお店のお孫さんにあたる方なんです」

 テンションが上がってしまった。あのパン美味しかったですとか、ついこの間も思い出してたんですとか、思いつくままに発してしまった。

 受け止めるお姉さんの破顔は凛々しく美しかった。


 市では旧街道の再生プロジェクトが進行中なのだとか。昔の商店街に空き家が増えている地区で、昭和レトロな面が注目されている。

「空き家再生には起業者支援がもれなく付いていて、彼女は応募者のひとりなんです」

「ずっと神戸で修行してたんですけど、最近Uターン独立の検討を始めた所だったんで、渡りに舟でした」

「若いひとが入るのは地元の方も嬉しいし、地縁のある方なら尚更です」

「勿論助成金が目当てですよ!」

 お二人はポンポンと事業的な説明をくださった。お祖父さんの元店舗跡はもう使えないそうで、新たな出店費用の捻出が一番の課題だそうだ。

「今も空き家を見てもらったんですけど、大掛かりな手直しが必要でした。でも僕、彼女だったら県の起業支援も申請出来るんじゃないかって思いつきまして」

「併願オッケーだったら助かるなあって、今話してた所だったんです。田中さんに乗っかります」

 お二人揃ってニカニカと笑う。


「やるからには地産地消で街に長く根付きたいです。パン職人を目指したきっかけが祖父ですし、再生プロジェクトの話を聞いた瞬間、今が祖父の店復活の時期だと強く感じ入りました。勿論カレーパンも復刻しますよ」

 地産地消と聞いてピンと来る。

「あ、あの、もう沢山御自身のネットワークをお持ちだろうし、余計な情報かもしれないんですけど。私の先輩で、でも、隣県在住の方なんですけど」

 つい勝手に、小塚さんの話をしてしまう。お姉さんは目を輝かせて「繋がりたいです!」と即答し「是非ご縁をいただければ」と名刺をくださる。

 小さいけれど、何かが流れる感じ。

 田中さんは、やりとりをする私たちをニコニコして見ていた。ううん、お姉さんを、熱く見ていた。


 田中さんを見かけた時、話しかけるのを躊躇した理由が判った。並んで歩く二人を見て、とてもしっくりと感じていたからだった。良きパートナー、という感じだった。お邪魔をしてはいけない気がしたのだった。



 

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