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 サクトと離れていた時期、私はどうしていたんだろう。

 サクトは大学のある地方都市で下宿していたし、自分も毎日で手一杯。慌ただしく、なんとなく、気付いたら今、ここにいる感じ。お互い何をしていたんだろう。


 コーヒーを所望され、パックコーヒーをぽとぽと淹れる。パックが抽出液に浸らないタイプなので、お湯を淹れすぎないよう気をつける。

「こんな時間に飲んでも大丈夫?」

「うん、オレ、何時に飲んでも寝れるヒト」

 マグカップを出しながら、お茶請けが無いと気付いてうなだれる。

「御免ね、誘っておきながら何のお構いも出来ないや」

「そんなのいいよ。家に夕飯あるし」

 時計を見るともうすぐ八時。異動したばっかりで大変な時なのに。

「あの、明日も早いのに、ホントに考えなしに声掛けて」

「だから良いって。お母さんの事で心細かったんだろ。そんな顔してたら放っとけないぞ」

 そんな顔? 思わず両手のひらで頬を覆うと、

「あーもー気にすんな。それよかこのコーヒー旨いな」

 労働後の社会人に気を遣われてしまったのだった。


 パックコーヒーは先日の披露宴の引き出物で、有名なお店の品らしい。説明しながら携帯に入っていたお式の写真も見せる。華やかな写真が続く。

「祝福の嵐じゃん」「うん、私の周り今ラッシュ」

「ヒサキも結婚したいヒト?」

 小塚さんみたいなコトを聞く。

「オレの周りも御祝儀が増えつつあって、懐が辛くなってきた」

 質問に答える間がなかった。

「今度入る独身寮、三十までに出ないと婚期を逃す呪いが有るんだとさ。実際は三十過ぎから寮費が倍速で跳ね上がる、って意味らしいけど」

「若い子優先なんだね」

「食事が良くて人気なんだと。大学ん時の家電取っとけばひとり暮らしでもいけたかな」


 でも食事付きは魅力だね、そうなんだよな、だよねと頷いた後、妙な沈黙が出来た。テレビの音もない静かなリビングに、コーヒーの香りだけが流れる。

「ヒサキは……家を出るのは心配な立場かな」

「どうだろう? 今のところ予定も無いし」

「そん時はお母さんの心配をするだろうな」

「それはするかも」

「だよな。今日だってオレが同性だったら『このまま泊まろうか』って言いたい感じ。心配でひとりにしとけないって意味だけど」

 と付け加えた後は口をつぐんだので、また不自然な間が空いてしまった。


「そ、っか、今の私はかなり疲れて見えるのか」

 空気を打破するべく、軽い言葉を発してみる。

「お気遣いありがとう。私は良い友人を持ったよ」

「友人と言えば」

 珍しくサクトが食い込む。

「オレは結婚前の恋愛モードってのは重視しない性分で。どっちかって言うと、じいちゃん達世代のお見合い結婚みたいに、時と共にゆっくり仲良くなれるのに憧れていて。でも合コンやマッチングアプリは苦手で」

 うわずった早口で、

「ヒサキはそういうのに興味がないか聞いときたかった、この間」


 この間。

「……って、街なかを歩き回った時?」「そう」

「そういうのって、合コンやマッチングア」「違うそっちじゃない」

 コーヒーをグイと飲み干すと、

「今日もその辺知りたくて寄ったんだけど、ヒサキんちが大変な時だった。御免。でもオレも今言っとかないとヤバい気がして、」

 マグカップを静かに置きながら、

「それで勝手に踏み込んだ。出来たら検討してほしいなと思った。じゃあお邪魔しました」

 立ちながら、

「あ、あと何かあったら連絡して。無理と遠慮はすんなよ」

 サクトは少し猫背になって、玄関を出ていった。




 小さくなるサクトの車の音を聞きながら、私は混乱のさなかにあった。言葉が足りなさ過ぎて、意味がわからなかったのだ。

(聞いときたかった、検討してほしい、とは)

「あ、玄関の戸締まりしないと」

 独り言がブツブツ出る。ロックしてチェーン。がちゃんがちゃん。

(『結婚してから時と共にゆっくり仲良くなれるのに憧れている』件に興味があるか、ってこと?)

「あ、お風呂ためないと」

 身体が鉛のように重いけれど踏ん張って動く。

 合コンやマッチングアプリは苦手で……って、そんな感じの話、前にも聞いたような。ウンザリした顔で、面倒くさいって。いつ聞いたかな。大学の時だったかな、就職してからかな。どこからその流れになったんだったかな。

「結局サクトは何を踏み込んでいったの?」

 独り言が大きくなる。眉間に皺も寄る。取り方を間違えるとトンデモになるようコトだけは判る。今日使った脳とは別の回路が忙しく動く。主語が省かれているせいで、滅多矢鱈に判りづらい。

 それでも身体は正直で、お風呂から出ると直ぐに意識が途絶えた。だのに目覚めて朝一番に浮かんだのが、またもや昨夜のサクトの様子。


 混乱しつつ、でもこの時期に放たれたのはかえってよかったかもと、朝の支度をしながら思いを散らす。

 今回の母の入院は、父の時と季節が重なる。それ故に昨夜は無駄に悪い方に揺れて、余計に落ち込みそうになっていた。

 そこにサクトの放った謎台詞。お陰で頭のなかはハテナでいっぱい。感情の針が真逆に揺れて、気分の上下が忙しい。受験生時代の体育の授業というかリフレッシュ用パズルというか、不意にクチのなかに放り込まれた飴玉というか。とにかく当面の問題が薄まる感じ。

 気が紛れているだけで、解決には繋がらなさげだなのはアレだけど。


 アワアワしながらも、母の手術日に有給休暇を申請し、気忙しくバタバタ過ごす。

「小塚さんから聞いたよ。おうちが大変なんだってね」

 有難いことに周囲の皆さんにもお気遣いをいただき、業務も支障なくこなすことが出来た。入院後の母の経過も悪くなく、父が助けてくれているのかな、なんて殊勝な想いも抱いたり。


 それからの手術日当日、姉の帰省、母の退院までは、怒涛の一週間だ。

 お見舞いがてら帰省した姉は、水回りの掃除をしながら家屋の傷みを案じ、今後の私たちの心配をし、切れかけてきた洗面所の電球を取り替えてくれた。

「お母さん、ヒサキが独立しても独りでココに住むつもりかなあ。私たちの帰省スペースがあるのは有難いけど、お母さんだけだと広過ぎるよね。お庭の管理も大変だし」

 微妙にサクトの台詞と繋がる発言を残し、風のように嫁ぎ先へと戻っていった。母が職場復帰したのはちょうど十日後。






「有難うございます。最後までこんなに良くしていただいて、感無量です」

 その日の会議室の上座では、小塚さんの涼やかな声が響き渡った。

 社長と都合がついた社員達で小塚さんを囲むランチ送別会だ。各々の目の前に置かれた桃色の風呂敷包みは、先代社長から付き合いのある料亭の松花堂弁当。

「綺麗で美味しいお弁当ですね。おかげで午後からのモチベも上がります!」

「午後からと言わず、小塚さんにはずっと居ていただけると私たちも嬉しいんだけどね」

 嘘偽りのない社長の言葉に、誰もがうんうんと頷いた。

 私はペットボトルの緑茶を配りながらずっと「寂しいです〜」とベソベソしていた。


 夕方、小塚さんは社員ひとり一人に有名洋菓子店の小箱を手渡しながら丁寧に挨拶をして回る。代表して一番上のお姐さまからアレンジフラワーを渡され、皆の拍手で見送られ、小塚さんの業務はお仕舞い。

 使われていた机やロッカーは、いつも以上に綺麗に拭き清められていた。


 私が餞別に用意したのは可愛い缶クッキーだ。小さなお子さんがいらっしゃるので添加物の入らない美味しいものをと探していたら、地方の個人店のオンラインにたどり着いた(先日の高級フロアを思い出しつつ、ネットの気楽さに感謝しながらポチった)。

 人けのなくなった廊下でカードと一緒に渡した時、またウルウルしてしまい、

「よかったら今日、お夕飯でも一緒にしようか」

 今日は少々遅くなっても大丈夫なのよと、小塚さんは最後まで気配りをくださる。

 このままヒサキさんを放っておけないわと笑う小塚さんの所作はエレガントだ。やっぱり憧れる。駅から少し離れた女子向けカフェに歩いて向かう。肩を並べて歩く心強さと寂しさが、また一段と胸に響く。




「その大人の余裕と気品を見習いたいですう」

「よして頂戴。私は全然立派じゃないんだから」

 ドライフラワーのスワッグが印象的に飾られた店内は、静かな隠れ家の様相だ。

 お昼が豪華だったからと選んだメインはオープンサンド。手のひらにおさまるカップに入れられた優しいコンソメスープ。北欧メーカーのお皿にはバターを塗られたライ麦パン、スモークサーモンやマッシュポテト、季節のサラダが鮮やかに並ぶ。

 ボリュームを抑えたフュージョンミュージックと、カトラリーの音が控えめに響いている。白ワインが欲しくなって「一杯だけね」と追加する。

「このヒソヒソ話すスタイル、いつものランチの延長ですね」

「私たちらしくていいね」

 顔を見合わせてクスクス笑う。私も余裕がなかったけれど、小塚さんもずっと引継ぎで忙しなくて、最近はランチタイムもずれ込んだりすれ違っていた。

 この小塚さんとの時間がもうおしまいだなんて、やっぱり淋しすぎる。


「そういえばお友達とは仲直りできたのかな?」

「あっ、お騒がせしました」

 サクトのことだ。

「あの後にメッセージ貰ってました。この間はごめんって」「まあ」「そのあと、出張のお土産も貰いました」「まあまあ!」

 思いがけず声が大きかった自分に驚いたのか。小塚さんが口に手を当てた。

「……じゃあ元通りになってるのね。よかった」

「そう、そうですね、うん」

 変に口籠もってしまう。

「私、勝手に想像してたのよ。あの日の彼、買い物は口実で、本当はヒサキさんに会いたかっただけなんじゃないかなって」

「え、なんでですか」

「日常から離れて気分転換したかったんじゃないかなって思ってたの。ヒサキさんとの関係がとても健やかだったから」

「健やかだなんて。ただのドライでアッサリです……」

 俯きながらライ麦パンとスモークサーモンをモグモグする。

「だけど学生時代の友人に会うと、その頃の自分にも戻れるじゃない」

 確かにあの時のサクトは異動の話が出た直後。気持ちが滅入っていたような気配も。

「以前は同じ感覚で話せた友人も、それぞれの生活をこなしているうちに、少しずつ価値観も違ってくるでしょ。歳を重ねるとそれがもっと顕著になるから。お互いリラックス出来る友人って貴重よ。大事にしてね」


 優しい小塚さんのお言葉に、胸の内がモゾモゾしてしまう。グラスワインがオノレの蓋を持ち上げてしまう。

 ここで小塚さんに愚痴らない選択肢を私は持たない。小塚さん、最後まで甘えて御免なさい。




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