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「何故そんな方向への展開……」

 小塚さんが頭を抱える月曜日。不出来な後輩は面目ない気持ちでいっぱいだ。


 カフェを出た後、どうにも雰囲気が落ちてその場で別れた。というか、私が立て直せなくなった。ウンザリ気分を払拭するためにデパ地下に寄って買った華やかなスイーツは、味が好みじゃなくてしょんぼりした。不機嫌だとロクなことがない。


「突発的に思春期にでもなった?」

 そうだったかも。なんと情けない。その後のフォローも互いに無い。後で落ち込むのも仕方無い。

「……だって向こうが急に機嫌が悪くなって、妙にからまれて」

「あらやだ」

「私もちゃんとかわせなくて、怒れなくて」

「そういうのは場数を踏まないと難しいわよねえ」

 今まであんな状況になったことはなかった。サクトはどうして苛々していたんだろう?

 暗い表情を隠せない若輩者に、小塚さんは今日も優しかった。

「余裕のない時とか、思ってもいないことが口から出てしまうことってあるよね。ヒサキさんも最近はお祝い事の連投でしょ。疲れが溜まっていたのよ」

「ああそんな、その程度のことで疲れるだなんて」

 甘やかさないでくださいよう。至らなさに突っ伏してしまう。突っ伏していたらお昼休みなんて直ぐに溶けて、就業時間になってしまう。フロアがビジネスモードに戻る。


 その日はノー残業デーで定時に電気が消され、小塚さんはじめご家庭持ちの皆さんが駅に激走した。

 つられて私も早足になったので、随分早い快速電車に乗れた。車窓からは綺麗な夕焼けが見える。母に買い物はないかとメッセージを送り、返事を待ちながら、端末で可愛いネコ画像をぼんやり眺めていた。

 眺めながら、心は氷結していた。

 友人関係でのモヤモヤだなんて何時ぶりだろう。そもそもプライベートでの深いやり取り自体が、歳を重ねるごとに激減中。私的時間は希少だし、友人達だって大事なひとが出来れば誰もがそちらが優先になる。サクトにだってそういう事象はあるだろうし……きっとあるだろうし。



 そもそも昨日は自分のテンションも落ち気味だったのだ。小塚さんのご指摘通り、前日が友人の披露宴で多忙だったのを抜きにしても。

 ウインドウショッピング中に垣間見た一団が、あまりにも眩し過ぎたから。


 サクトと店舗を梯子している時に、特選フロアのセレクトショップで居合わせたひと達がいた。高校か大学の同窓らしい男女ふたりずつのグループだ。

 交わす会話の内容が、聞くつもりもなく耳に入った。

 張りのあるリネンシャツの手触りを確かめながら、お互いの近況報告。希少綿のタオルを見て思い出したらしい、最近出掛けたラグジュアリーホテルのアメニティの話。次の長期休暇の予定。共通の知人の噂。まとう服や小物も上質で、嫌でもアッパークラス感が滲んでいる。


 私は店内の鏡に映る自身の、その場のそぐわなさに衝撃を受けていた。大好きな白スニーカーに合わせた大好きなワンピースも、上質を照らすライトがカジュアルな質を容赦なくバラす。

 でもサクトは負けていなかった。私は見分けがつかないけれど、シャツやパンツが量販店だったとしても、上背と姿勢の良さで見栄えが良い。今の勤務先も大都市のど真ん中にある立派な商業ビル内だからか、堂々とした場慣れぶりだ。

 それで滅入ってしまったんだ。私のホームグラウンドなんて、せいぜい勤務地の駅ビルや地元のモールだもの。一緒に出掛けたのが気のおけない同性の友人だったらきっと、「場違いだね」ってコソコソして、それから笑って終わらせる。高級フロアって残酷だ。


 そうだった、サクトとは大学から歩く道が違えていたんだった。でもずっといい友達でいられた。上手く距離を保っていられたから。

(保てていたのになあ)

 気付いてしまったなあ。そもそもウインドウショッピング自体が暇つぶしだったのかも。だからサクトも迷ってばかりで、何も買わなかったのかも。

 すごーく失敗した。気付かなきゃよかった。今の私、即物的でホントよくない。



 端末が小さく動き、母からの返信が届く。ドラッグストアで買い物を頼まれたので、駅ビルの店舗に寄ってみる。

「あ、この間はどうも」

 通路で市役所勤務の田中さんに再会したのが、きっと本日のハイライト。

 メッセージのやり取りは細々と続いていたから、知人枠は継続中だ。彼も仕事帰りで、御自宅は徒歩通勤可能な駅近と伺い、また羨ましくなってしまう。市内でもめっちゃ評判の良い地域だ。「ただの地元民だよ」と謙遜されても、余裕を感じてしまう。マイ自尊心のなんと低さよ。




 バスの時間もあったので、ふたこと三言交わして直ぐ別れた。買い物を済ませ、狭い県道をバスに二十分揺られて帰途についた。

 降りたバス停から東に少し登り坂を歩くと、玄関灯のついた我が家がある。ただいまと言ったのに返事がなくて、居間では母はソファーで寝落ちをしていた。誰も観ていないテレビが勝手に騒いでいて、台所のカウンターにはラップに包まれた私の夕食があった。

 主菜をレンジで温めながら、お弁当箱と水筒を洗ってカゴに伏せ、明日のお米の支度も終わらせた。お風呂のスイッチを入れ、母の耳元で「おかーさんただいま」と大きめに言ってみた。お帰り、とモゴモゴ声がした。

「こんなとこで風邪ひくよ、起きて」「うーん」

「ほら、起きて、お風呂いれてるよ」「うーん。明日の朝入る」

 こういうやり取り、親子の立場が逆のような気がする。

「今すぐ起きて入ったら、私がお風呂掃除してあげる!」

 母の目が開く。「うん、入ります」とモゾモゾ動く。間違いなく立場が逆だ。更年期もあるだろうけど、色んな疲れが垣間見える。


 乾燥機が苦手な母の発案で、二階の日当たりの良い空き部屋を、防犯を兼ねた部屋干しコーナーにしてあった。自室に戻りがてら今夜分の着替えを収穫する。

「お母さん、タオルとパジャマ持ってきたよ。お風呂場に置いておくからね」

 上半身を起こしたのに再びソファーに突っ伏してしまった母に、もう一度大きく声を掛ける。




 父がなくなったのは、高校の卒業式の次の日だ。

 発病が高二の秋だったから、闘病期間は一年半。卒業式のあと、制服の胸にコサージュを付けたまま、後輩から貰った花束を持ったまま、病室まで卒業証書を見せに行った。

 父はもう起き上がれなくなっていたけれど、嬉しそうに目を細めた。これからクラスの打ち上げだと報告すると、細い声で「遅くなるんじゃないよ」と返してくれたのが、最後の会話になった。


 その後の事は慌ただし過ぎてよく憶えていない。とにかく一番悲しみたい人が、全く悲しむ暇がなかった。いろんな手続きがめちゃくちゃ面倒くさいらしくて、姉が母と常に走り回っていた。現実をおざなりにしたまま、私は大学生に。一番辛いのは母だからと、隣県にいる姉といつも連携して、七周忌が終わったのが昨年。



 テレビをゆるい番組に変えて温めた夕食をとっていると、母のお風呂場を使う音が聞こえてくる。お茶を淹れかえ室内を見回しながら、父の場所がぽっかり空いたあの時を思い出す。


 父が階段の昇降が辛くなった時から、リビング横の和室が両親の部屋になった。横になりながらも父は手の届く範囲の掃除を怠らなかったので、和室の畳の角や窓のサッシはいつも綺麗だった。

 お骨を置く為に備えた白木の簡易祭壇。四十九日に間に合うよう、慌てて買いに走った小さな洋風仏壇。和室はそのまま母の部屋になり、空いた二階の夫婦部屋が今、ランドリー専用になっている。

 何年もかけてゆっくり片付けた家のなか。DIYが得意なお義兄さんが、家じゅうの壁紙を貼り直してくれて、4LDKの中古住宅の内装は見事に美しくなった。


 そうだ思い出した。あの時、父がなくなる直前の、クラス打ち上げ会のあの夜。貸切のカラオケルームから病院まで、サクトに付き添ってもらっていたんだった。

 姉からの、声をひそめた緊迫感のある電話に動揺して、でも盛り上がる皆に迷惑を掛けたくなくて、幹事だけにそっと打ち明けて退室しようとしたら、サクトがもう自転車置き場にいた。

「夜道は危ないから」と、それだけ言って、後は何も聞かないで、入院病棟の夜間口に入るまで、ずっと見守っていてくれた。

(そうだそうだ、忘れてた! あの時サクトには随分お世話になってたじゃない!)

 そうだそうだそうだ、私、こんな風に怒っていたらダメじゃない。

 大事なことを思い出せて良かった。お世話になっていたのに、時間潰し要員にされて怒るのは良くない。おおいに反省した。サクトにアクションを起こさなきゃ。

 なんて連絡しようかな。

 悩みつつ小塚さんに頂いたチョコをお供にお茶を飲んでいたら、端末にメッセージが入った。さっき別れた田中さんだ。


 『聞こうと思って忘れてた

 ヒサキさんのお父さんって

 前に市役所にいらした方?』

 『そうだったら僕、

 中学の地域学習でお会いしてたかも』


 世間は狭くてこの街は小さいから、少し周りを見渡せば、何処とも何なり繋がるらしい。





 田中さんと予定が合った仕事帰り、駅ビルのコーヒーショップで待ち合わせをする。

 広くないフロアは、勉学に励む学生と仕事帰りの軽食組でそこそこ埋まっている。「何かお腹に入れる?」と聞かれ、うっかりいつもの調子で「家に支度があるので」と返し、オイロケの気配を消してしまった。

 また小塚さんを苦笑させそうと内省していたら、田中さんは嫌な顔もせず「そうだね、明日も仕事だ」と流してくれた。そして空いた席に座るや否や、紙袋から薄茶の封筒と、青いファイルを取り出した。

 封筒には何枚かの写真が入っている。

「中二の時の僕の担任はすごく熱心な人で、学年末に学級通信を編集したCD-ROMをクラス全員に配ってくれていたんだ。このあいだ整理していたら、地域学習の映像に、当時の文化財保護課の職員さん達も写っていて」

 景色に見覚えがある。市内のこども達が必ず校外学習で出向く城山公園だ。グループ学習に勤しむ中学生と一緒に、首からネームプレートを掛けた職員らしき人たちも写っている。

「職員のなかに僕の知らない方が写っていたから、当時を知る人たちに聞いてみたんだよ。そしたらこの方、」

 田中さんが指を指す。

「ヒサキさんのお父さんかな、と思って」

 目が釘付けになった。何人かの中のひとりに見覚えがありすぎる。痩せ型で少し撫で肩の、のんびりした顔付きの、自分の記憶の中より少し若い、病気になる前の父親だ。

 お父さん、こんな風にお仕事してたんだ。


 用紙が沢山挟まれた青いファイルは、当時の班レポートだった。丁寧にファイリングされた用紙には、その頃中学生だった田中さんの文字が几帳面に並んでいる。あまりの優秀さに感心していたら、田中さんは有名な歴史ゲームの名を挙げた。

「あのゲームが流行ってる時、城山公園の発掘作業で新しい発見があったの覚えてる? 僕の中学、教育指定校だったせいか無駄に盛り上がって、文化祭発表のレポート指導も熱量スゴくて。謝辞にはお世話になった方全員の記名をしなさいって言われて、みんな生真面目に書いたんだよね。それでここに」

 めくる最後のページに、父の名前があった。

 思いがけなくて、嬉しいような懐かしいような恥ずかしいような。

 言葉がうまく出なくなって、うつむくだけの私の様子を見て、

「この写真、お邪魔でなければ差し上げます。ご家族の皆さんでご覧になってください」

 田中さんは写真を封筒に入れ直し、私の前に差し出した。それから「御免、遅くなってしまうね」とファイルをパタパタと片付け、冷めてしまったコーヒーをそそくさと飲んだ。私も慌ててアイスティーのストローをくわえた。飲み終えてからやっと、

「不意打ちで父に逢えて、驚いてしまって。今日はどうも、有り難う御座いました」

 やっとやっと、御礼が言えた。


 小さい街なりに帰宅を急ぐ人の波はそこそこだ。流れでバス停まで送ってもらう。

「父がなくなって直ぐに、庭に植えてあったコニファーが枯れちゃったんです。関連つけて考えたらいけないと思うんだけど、あの時は悲しかったなあ」

「そういえばウチも祖父がなくなった時に、何故かポトスがダメになったなあ。ああいうのってへこむよね」

 じゃあまた、と、田中さんは帰っていった。


 バスに乗って呆けて外を眺めていたら、携帯が控えめに震えた。サクトからのメッセージだった。

 しまった。サクトにアクションを起こすの忘れてた。


『この間は変な空気にして御免な

 またなんか食べに行こう』


 控えめでなく申し訳ない気分になる。直ぐ「うん、私こそ無愛想だったよね。御免ね。また行こうね」と、可愛いスタンプと一緒に返す。

(よかった……なんとかサクトと仲直りできた?)

 こちらもホッとした。肩の荷が降りて、胃も軽くなった。それに今は、久しぶりに会えた父のことでも胸が一杯だ。帰ったらすぐ母に写真を見せよう。

 再び携帯にポコリと、サクトからのメッセージが入る。


 『ところで今どこにいるの』


「いま帰る途中、バスのなか」と打ち返しながら、今度は唐突に、来週いっぱいで任期が終わる小塚さんのことを思い出した。途端に寂しくなった。なんて乱高下なんだろう。情緒不安定すぎて、胸がざわざわ騒がしい。


 メッセージにはすぐ既読がついたけれど、サクトからの次の返信は来なかった。



 

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