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口先の勇者  作者: 漆黒のマーブル
2/12

イベント1

 虫の鳴き声も車が走る都会の騒音も聞こえない、静寂に満ちた深夜な住宅街に俺は一人で歩いた。

 あたりにはちらほらと灯りが点っているはずなのに、目の前に広がる道は真っ暗でなにも見えない。

 「...」

 だから気づけば俺は前を見ることをやめ、下ばかりを見ていた。

 記憶を頼りに惰性的に動いている足は偶々地面に止まってる汚らしい蚊や蠅を驚かせたかもしれない。あるいは今にも死にかけている蛾やそこらへんで寝そべている虫を無自覚に踏みつぶしたのかもしれない。

 しかしそのことになんの感情も湧くことなく、さほど気にも止めずに俺はただひたすらに足を動かし続けた。

 どれくらい歩いたのだろう。ここまでの道のりにどんなものがあり、なんの景色が広がっているのか。

 わかるさ。俺が歩んでいた道を、今いる現在地を、あたりになにがあるのか全部、まるで手のひらのようにわかる。

 ここ何年もの間、毎日のように歩いた道だから。

 そこには些細な変化や違いがあるだろう、それでも根本的なところはなに一つ変わっていない。建物の立ち位置とはそう簡単に変わるものではないから。

 だから今俺が目指している自分の居場所もきっと昔と同じ、変わらない位置に居るだろう。

 築年数50年のボロマンション。

 この地域は震災などの天災がちょくちょく訪れるのに、このボロい建物は不思議と今になってもなお倒れておらず、直立している。

 しかし盤石な建物とは言え問題がないわけではない。

 壁に亀裂がある。雨の時天井が水漏れする。ゴキブリやネズミと強制同棲させる。など、どれもさしたる支障にならないことばかりだけど、不満の一つとして確実に存在する。

 だから、男なら常に今より良い環境に居られるように色々と頑張ってみたけど、その結果とは言うまでもなければ言いたくもない。

 階段を昇り、3階にある自宅の扉をガチャと鳴らすと、当然のように俺を迎えに来る人も畜生もいない。だからただいまのような挨拶を口にしないまま中に入った。 

 しゅっとネクタイを緩め、ぽいっと鞄を適当に地面に放り投げると俺はすぐ近くにあるベッドにダイブした。

 心も体も疲れているはずなのに、いざベッドの上にいると不思議と眠気は訪れない。

 代わりに思考だけがくるくると巡った。

 社会。

 人は生まれながらにして自由だ。しかし自由とはなんだろう。

 なんの束縛も受けず、誰にも制限されることなく、自分の思うように物事を決めて、行動する。と、誰かがそう答えるだろう。

 しかしそれはただの理想論だ。自分に自由があると同じように、他者にも自由があることを忘れてはいけない。

 そう。本物の自由というのならーそこには暴力を振るう自由も、他者を束縛する自由もなければならない。

 それは倫理的、人道的にアウトなことだ? しかしそれもある種の束縛になるじゃないのか?

 そう。人を殺すのも、女を犯すのも、死より辛い苦痛を誰かに与えるのもそれは一種の自由だ。もちろん反抗するのもね。その結果命を落とすことになるかもしれないが、それもまた自由から生み出した一つの結末だろう。

 そこでもう一度問う。自由とはなんだ?

 答えは無法であり、詰まる所弱肉強食だ。

 そう、自由こそが人類にとって最大の『敵』だー

 元々人間は弱い。単純なパワーなら自然界の最下層にいるだろう。本来であれば弱者(人間)が自然界の中で生き残るには恐怖に怯えながら影あるところに隠れてこそこそと生きなければならない。

 しかし人間には知恵がある。団結力がある。そのお陰でトラップや武器を開発し、戦略と組み合わせることで人は虎、象、蛇など凶暴な動物を相手に生きこらえるどころか圧倒することができた。

 弱肉強食なこの世界に人はさぞかし王様になった気分だろう。しかし人の傲慢さはそれだけに留まらない。

 生物の頂点に立つ人類が次に求めるのは、人間の頂点だ。

 けど忘れてはいけない。人一人ひとりに大した力はない。内輪揉めをし、勝手な行動をとれば人が持ち得る能力が上手く発揮することができず、あっという間に敗者に転び落ちるだろう。

 そう理解してるから人はいつしか享楽することをやめ、自由を放棄した。

 調子に乗ることなく、自分だけの王国を作って極力他の生物を排除した。それに伴い、人間は自らにいくつかの制約を設けることにした。

 その中で一番重要となるのは頭脳と力という役割分担。そして頭脳担当の人には絶対に逆らってはいけない。

 その制限こそが人類に安泰と繁栄をもたらす唯一の方法だ。

 それか社会の原型の基になるルールー暴力による支配じゃなく、知恵によって人を統治するシステム。

 それは人類にとって素晴らしいことだ。必要なことだ。 

 わかっている。わかっているさ。けどこれだけは言わせて。

 完璧なものなんてこの世にいない。所詮このシステムにも抜け道がある。そのせいで俺は...俺は―

 「そうならないよう言葉を使えこなせるように努力したのにな」

 ...過ぎたことだ。今更後悔しても仕方ない。もちろん反省することでこの失敗をいつかの成功の糧にすることも出来るが、それは今すべきことではない。

 「...」

 あれこれと色々考えるうちに気づけば睡魔はすぐそこまでやってきて、俺の意識をこっそり削ぎ取った。

 それを抗えることなく、俺は疲れを癒すために、嫌なことから逃がれるために、せめて束の間の安寧を得るためにただ成すかのままに目を閉じた。

 目に見えるすべてのものの輪郭がぼやいて、それは次第に黒く染まっていく。なにも食べていないのに口の中に鈍い味が広がっていて、それを含味する間に長年住んているこの建物から滲みだした独特の匂いも、僅かに聞こえる風と機械の音も、さっきまで感じたベッドの感触も薄くなり、やがて俺の五感と共に意識も完全に現世と切断した。

 ...のはずなのに、体感的に1分も満たないうちに俺の五感が戻ってきた。

 しかもどういうことだ? 眠りの浅ささもそうだけど、戻って来た感覚は先ほどとなに一つ重ねていない。

 強烈な違和感に襲われた俺はこのままで眠れるはずなく、心にあるそのもやもやについに耐えきれずに俺は瞼を開くことにした。

 「...は?」

 するとそこには視界を埋めつくすほどの、鮮やかな緑が広がっていた。

 そう、気づけば俺は森の中に居た。

 いやどう考えてもおかしいだろう...だってさっきまで俺は薄暗い室内に居るのに、いきなりこんな山奥に居るなんてー

 いや、ありえない話でもないか。 

 まだ意識があって、俺が認識出来る最後の出来事はベッドで寝そべってることだ。人は寝れば夢を見る、そして夢の中ではどんなことが起きても珍しくもなんでもない。ならいきなり野外へと放り出されたこの現状も別になんの不思議もないだろう。

 そう結論を付けたのに、それでもやはりどこか腑に落ちない部分がある。

 それは暇を持て余して周りを探索するに連れてどんどん深まり、やがて一つの疑問として浮かびあげた。

 そう、あまりにもリアル過ぎるんじゃない? 風に揺らされた草や枝葉の細かい動きも、泥土を踏む足の感触ももあまりにもはっきりとしている。

 それにここに来てからそれなりの時間が経ったのに、突拍子のないことも、突然の場面切り替えも、夢らしい理不尽なことなどなに一つ起きていない。

 ここは本当に夢の中なのだろうか?

 いやでも夢以外に突然山奥にいるこの状況を説明できるものなんてあるだろうか。

 俺は騒ぎ立つこの不安の気持ちを抑える意味も込めて、とにかく唸り声を上げながら必死に頭を振り絞った。

 そうだな。例えば俺が寝てる間に誰かに拉致されて、山まで運ばれたのはどうだろう。

 ありえる話だな。けどその場合、犯人は俺のすぐそばで俺のことを監視しないとおかしい。あるいは途中で俺のことを置いてけぼりにするほどトラブルがあれば、乱暴に扱われる俺はきっと無傷ではいられないだろう。

 俺は周りを警戒しつつ辺りを見渡して、ついでに自分の体のあっちこっちをチェックする。しかし俺の予想が何一つ的中することなく、拉致されるという線は極めて低いようだ。

 それに俺の口からあまり言いたくないが、俺ってボロマンションに住んでるほどそこそこ貧乏だ。なら俺を捕えて交渉に使っても大した金にはならない...

 まあそれはともかくとして! ではそれ以外の可能性はなんなのかと、再度頭を捻るとー

 「がう...」

 突然近くの草むらが揺れると思うとぬっと、どこからともなく大熊が姿を現した。

 「...」

 いや...よく見たらあれは熊なんかじゃないー二足歩行で大熊より一回りでかい体躯を持つそいつはゲームの中でよく見かける獣人そのものだ。

 あまりにも予想斜め上にいく登場に流石の俺も面食らって、驚くあまり固まるしかなかった。

 だってえ? 現実離れな姿をしてるのになんだそのまるで本当に実在するかのような滑らかな動きに鳥肌が立つほどの存在感は!

 なんだかよくわからないけど、しかしこんなものが目の前にあったらさーオタクを差別しない、むしろ片足その世界に突っ込んだ俺にとって興奮しないはずないだろう!

 気づけば俺は歳甲斐もなく前のめりになってましましと人狼を頭のてっぺんからつま先までじっくりねっとり観察した。

 「がうがうがう! がうぅぅー!」

 けど俺に視姦されていい気分になるはずなく、人狼は急に吠えだした。

 それは確かに鳴き声だけど何処か違ったように感じる。なんだろう、彼の鳴き声にはしっかりとした音階があって、彼の仕草も心なしか何かを話してるような、そんな気がする。いや...

 意味のないはずの喚きが頭に入ると脳が勝手にそれを解析し、その中にある意味を汲み取る。

 彼は今『おいおいおい! こんなところに人間様がのこのこと出歩いてるぜ!』を言ってるのだ、と。

 なんだ今のは...? あまりにも奇妙な出来事なだけに熱くなった頭がそれに気を取られて、一瞬にして冷静になった俺はその事について考え込んでしまう。

 「...」

 やがて森に来てからの情報と合わせてみると、俺は一つの結論を出した。

 そう、ゲームだ!

 獣人というのはゲームの中でしか存在しない幻想的な生き物。なら彼がいる場所も必然的にゲームの中になる。

 けどそうなるとおかしい。もしここがゲームの中というのならなぜ人狼の上に名前かHP表示されないんだ。それに現実と瓜二つなこの臨場感も、とてもじゃないか俺が生きてる時代の技術力で作り上げられるものとは思えない。

 なにより今の翻訳...俺は彼の言葉が分からない、なのに意味を知っている。もしここがゲームの中のならきっと最初から日本語対応だろう。なのにこのようにややこしいことになっている。

 だからおそらくここはゲームの中ではない。そして夢の中でもない。それを前提に考えるのならー

 本物じゃなくそれに近い、夢のような、ゲームの中のような異世界。そこに俺は迷い込んだ。

 この答えなら突然森の中に居ることも、今の翻訳も異世界召喚された能力の一つだと説明がつく。

 普通ならばふざけるなと怒鳴れそうな答えだけど、しかし考えれば考えるほど理路整然がつき、腑に落ちる。

 なにより正解を教えてくれる存在がいない以上、俺自身が納得できるならそれは答えとなるだろう。

 しかしそうか、異世界かー。そう認識すると今までの黒い気持ちが一気に吹き飛ばされて、次第に沸き上がるほどの興奮と開放感が俺に襲い掛かった。

 「何ぶつぶつ言ってんた? ぶっ殺してやる!」

 感動に浸ろうとする俺だけど、人狼の吠えによって現実に戻された。

 WOW。サイコパス。じゃなくて! 急になに言い出したこいつ? いくらなんでも初対面の相手にこのような物騒な言動はないだろう、俺がなにをしたというの!

 あまりの急展開に困惑する俺。しかし人狼は敵意を抜き出しにした険しい眼光で俺を射貫き、さらにまるで刃物のようなよく磨かれた鋭い爪を持つ逞しい腕を俺の方に大きく振り下ろそうとした。

 あまりにも理不尽な彼の態度に、しかしそこには冗談を感じ取れない。逆に本能が恐怖を感じるから俺は慌てて人狼を制止する。

 「ま、待って!」

 「あ?」

 「俺は別にキミと戦う気はない」

 両手を大きく挙げて、相手に危害を加える武器も、敵意も持っていないのだと弁明する。

 「っは! そんなもん知るかよ! お前にやる気があるかどうかなんてどうでもいいんだよ。ただ人間が目の前に居る。ならぶっ殺すしかないよな!」

 けど元からこちらの意識なんて関係ないらしく人狼は臨戦態勢を崩さなかった。

 っく、そんな横暴な! というかこいつ、人間に対する憎悪深すぎないか? まあファンタジーの世界だし、獣人と人類が敵対するのは必然かもしれない。ならこいつの家族もひょっとすると人類に倒されたのかもしれない。

 けど仕方ないこととはいえそれでも何とかしないといけない。召喚されてそうそうあっさり倒されて元居た世界に送還されたら情けないこの上ないからな。なんとしてもこの逆境を乗り越えないと!

 とはいえ一体どうすればいい? こんな森の中に逃げる場所なんてあるわけないし...

 ...戦ってみるか?

 いやいや自分で言っておいてなんだが冗談じゃない! 相手は俺の体躯より二つも三つも上まわる、しかもめっちゃ筋肉を持ってるザ・野生動物だぞ! そんな相手にー

 いや...戦いというのはなにも暴力を用いるものとは限らない。別の形で相手を攻撃することも可能だ。そう、例えばー

 言葉を武器にする、とか。

 獣人というのは獣でありながら人間と同じ知性を持っている。言葉が通じる。ならばー

 言葉というのは自分の思ってることを相手に伝えるための手段。そして思いの力は強烈だ。使い方によってそれは時にどんな能力さえも勝ることができる。

 とはいえさっき着いたばりである俺がこの世界に思い入れなどあるはずない。一人なので誰かを思い、誰かに向けられる思いに応えることもできない。

 言葉によって俺自身を強化することができないということだ。

 まあ力は弱いけど、相手の思いを利用れば目の前の『敵』を倒すに至らずとも、退くくらいのことは出来るだろう。

 それが俺が思いつく現状を打開できる唯一の手段。それに一縷の望みをかけて俺はすぐさま脳内にこれから『武器』となる最適な言葉を模索した。

 「なら勝手にどうぞ」

 やがて必要な言葉を選び終えると俺はすぐさまそれを口に出した。もちろんそれは単なる言葉じゃない。

 俺の口から出た言葉はまるで魂魄のようにふわふわと空中に漂う、ゆっくりと浮かびあげたそれらはまるで意識を持ってるかのように最終的に俺の手元に集める。

 事前に決めたすべての言葉を言い終えると、手元にある言葉達は集結し、徐々に剣の姿に変えて実体化する。

 しかし剣を生成したのはいいものの、その使い手がこんななにも背負うものを持たない、だらしない体をしてる俺じゃ、斬撃を繰り出しても大した威力を発揮できるとはとても思わない。

 だから代わりに『態度』でそれを補うことにした。

 人狼に敵うわけないと知りながらも逃げることなく、しっかりと相手の目を見つめる視線。非常に落ち着いた、余裕のある口調。そして無防備にも両手を大袈裟に広げた俺の姿勢。

 もちろんそれらすべては自然体のものではなくただの虚勢。だけど俺の言葉に説得力や重みー『力』を与えるには十分だ。

 俺の『態度』はゆらゆらと炎のように言葉の剣を包んで、その輝かしいオーラによってパワーアップ! それを手に俺は俺に牙向く狼に振り下ろした。

 「...なに?」

 もちろん優れた身体能力を持つ人狼にとっては並大抵の攻撃は当たらない。けどー

 燃え盛る『オーラ』の『熱』によって陽炎が立ち、俺の『言葉』への見方が変えることができる。

 『誤解』した人狼の視界は歪め、俺の斬撃の正確な位置を把握できない。そのため俺の攻撃に対して身構えることができず、まだ言葉の剣は『常識』を無視することができるので、俺目掛けて振り下ろそうとした人狼の手をすり抜けて、その体に届くことができた。

 『オーラ』は固くて冷静だった人狼の思想を、心を溶かし、言葉の本体ー剣をより簡単にその心にぶっ刺さることができる。

 結果、あまりにも余裕だった俺の態度を見て、人狼は本当にこの状況を打破できる『何かがある』と、勝手に勘違いして、周りを警戒しはじめた。

 とはいえ今の一撃はダメージを与えられるほどのものではない。

 だから俺は追撃すべく、もう一度斬撃を繰り出そうとした。

 けどできなかったーさっきまで俺の手にある言葉の剣はまるで炎に焼き尽くされた灰のように消えた。

 そう、言葉の剣はある一定の時間を経つと自然に消えるものだ。

 「なに、ここは俺一人しかいない。仲間も護衛も付けていない。そう、獣人が出没すると知りながら俺は『一人』でこんな危険な場所にやってきた。『たった一人』でな」

 当然、その性質を知った俺はすぐにもう一本の言葉の剣を生成し、それを握って遠慮なく人狼に振り下ろした。しかしー

 「っは! 舐められたものだな! まさか人間の分際で、しかもお前一人でこの俺様に勝てるとても思ったのか!」

 もう一本の剣から繰り出した斬撃は、『敵』の『心』に届く前にその太い腕によって弾かれて、軌道が逸らされた。

 人狼の視界は確かに歪んだけど、剣先だけは奇しくも元の位置と重なったー俺がわざわざ強調した言葉の意味を、人狼は思わぬ方向に捉えた。

 どうやら俺は獣人を低く、いや高く見積もっていたのかもしれない。まさかこいつがここまでバカで文面上の意味を受け取るなんて...

 しかし原因が分かれば対策はいくらでも立てられる。

 「さあそれはどうだろう。少なくとも俺がなんの準備も、『仕掛け』もなしにここに来ると思うか? 」

 三本目。新たに作り上げた剣を握って俺はもう一度人狼を攻撃する。今度はもっと分かりやすい言葉を選ぶ上に、更にキーとなるワードを強調する。

 それにより剣を包む炎は更に盛り上がり、周りの景色を歪みさせる。同時に冷静を保とうとする相手の心を完全に溶かして、動揺させることができる。

 そこで更に言葉の本体を叩きつけると、一度俺の攻撃を遮ったこどで慢心したことも相まって、真正面からそれを受けた人狼は今度こそ確実ダメージを負うことになった。

 「まさか...トラップか!」

 するとさっきの威勢はどこへやら、人狼は途端痛みに耐える苦い顔になって、『恐怖』のあまり途端俺とその周りを警戒しはじめた。

 そう、最初にこいつが俺の姿を目にした時、彼は余裕ぶった態度で俺を殺そうとした。けどもし俺のことを脅威だと思っていないのなら、人間が獣人を殺す能力を持ち合わせていないと思っているのなら彼が人間を憎む理由がないはずだ。

 ならどうして彼が人間である俺を潰そうとしてるのか。ゲームのやり過ぎで設定に目をくらませそうになったけど、常識的に考えれば人が獣と対抗できるのは武力ではなく知性があるからだ。

 その知恵による産物の一つで、現状を打破できるのはトラップという存在だ。

 例えこの場にその実物がいなくとも、そのキーワードを使えばきっと俺の剣を更に強靭なものにすることができて、相手への傷害も一気に倍増することができる。

 そして現に俺の推測が当たった。

 一気に余裕がなくなったその姿に俺は好機だと思って、そこで更に新たな剣を生成して、追い打ちをかける。

 トラップというのは予め特定の場所にセッティングしなければならないもだ。常に人間と殺し合いを繰り返したであろう目の前の人狼は、人が戦闘においてよく使用する戦略とアイテムを知り尽くした恐れがある。

 であればその対処方法も。

 例えばトラップが近くに居ると知れば大地を震わせるほどの雄たけびをあげて、それを破壊するとか。仮に破壊できなくても疑問をもたらせたら俺は終わりだ。

 だから『疑問』という『副作用』をうまく取り除き、恐怖というダメージのみを与える必要がある。そしてそれができるのは真の言葉使いのみだ。

 もちろんこの俺にとってそんなのは朝飯前だ。

 「ご名答! 最も、用意したのは落とし穴や網、餌の罠など単純なものじゃないけどな」

 俺は今この近くに仕掛けているトラップは滅多にお目にかからないレアがつ強力なものだと宣言した。それが真実だと勘違いした人狼は流石に気安く動くことができず、疑問、つまり真偽を確かめられる手段が切断されることだろう。

 「っく! 小癪な! 一体何処で何を仕掛けた! この俺様がそのギミックを破壊してやる!」

 「おっとそこから動かない方がいいぜ」

 「なに…?」

 「どうなっても知らないよ」

 「っ...」 

 そうすることで彼の心には未知に対する恐怖という傷跡だけが残される。

 「最もここは既に術の中、キミがここから逃げ出せるとは思わないけどな」

 「くそ! これだから人間は!」

 「さあどうした? 俺を殺すじゃなかったのか?」

 もっとも強靭な肉体を持つこいつは中々しぶとく、治癒能力も早いので倒すのは難しい。しかももしこのまま深追いすれば人狼の中にある恐れという思いが爆発し、なりふり構わず逆上される恐れがある。

 そうなればただでは済まないだろう。だから俺の取るべき行動は最初から決まっている。

 こいつを倒すんじゃなく撃退することだ。

 どうやって? そんなの簡単だ。俺はこいつを倒すことはできない、けどちょっとずつではあるか確実にダメージを与えることが出来た。ならもしこのまま続けたらいずれ体力は尽きて、敗北することになるだろう。と、こいつは思うだろう。

 けど気安く反撃するのはそれはそれでリスクが高い。だからもし俺が『隙』を作ればこいつはきっと反撃じゃなく、撤退することを選ぶだろう。

 「ふはは! ここでずっと怯えるといい。俺はそんなお前を眺めながら撤去するとしよう。キミと違ってあそこの大きな木の周りは安全ということを俺は知ってるからな!」

 その思いを利用して、俺は新たな言葉の剣を生成した。しかし今度作ったのは大剣。

 生成した武器に俺は余裕ぶった態度と適度な圧のある声で力を与えることにした。しかし大剣の体積があまりにも大きく、与えたオーラは剣全体を覆うことこそでき、さほど燃え盛ることができなかった。

 だから人狼の視野にだけ影響を与えて、その心にまで効果がなかった。

 また大剣とは非常に重い武器だ。貧弱である俺がそれを振り下ろすとどうしても遅緩で、分かりやすい軌道になってしまう。

 「なるほど、つまり貴様が今目指そうとしている道は安全ということだな!」

 そんな隙だらけな攻撃は、ずっと劣勢にいる人狼に息が出来る余裕を与えた。

 「な、なぜそれを!? い、いやそんなわけないだろう。あそこも危険だ」

 弱肉強食の世界で生き残った百戦錬磨な獣人に、その一瞬を与えるだけで体制を立て直せる。構えることができれば、今までの経験を活かして俺の攻撃にもある程度対応出来るようになるはずだ。

 「っは! 騙されるものか! どんなものを仕掛けたのか分からないけど、要するにそこが安全ってことだな! ならー」

 それでもやはり優れた生存本能をもつこいつはその隙をついて反撃しにこない。

 人間と死闘を繰り返してるからこそ俺の言ってた『虚構のトラップ』がどれくらい危険なものなのかを理解してるからだ。

 だから疑いを知らない、素直なこいつが次に行着く行動も、狡猾な人類である俺が予想できないはずない。

 「ぎゃはは! 俺様を倒そうとするなんて百年早いんだよ! あばよ!」

 俺の思い描く通りだ。

 しかし相手はそんな事も知らずに、むしろ一枚噛んだとばかりにいい気になって、こちらに警戒しつつも素早く後退することを選んだ。

 そしてあっという間にその姿が見えなくなった。

 どうやら危機は去っていたようだ。しかし慢心になってはならない。

 「お、おい!」

 俺は最後の確認とばかりになんでもない、普通の言葉をかけた。けどその時に『敵』は既に彼方まで消えていき、なにも返されることはなかった。

 そのことを認めると俺はようやく安心できると判断し、ゆっくりと胸を撫でおろした。

 そのまま緊張の糸を切ったように地面に崩れ落ちる。

 あ、危なかった...召喚されて早々なんなのよもう! 死ぬところだよ全く!

 けどその緊張や興奮こそが冒険の醍醐味であり、今俺が何ごともなかったように生きている、その当たり前のことを俺は知らずに心の中で小さな達成感が沸き上がった。

 それは興奮のあまり思わず拳を突きあげても全く収まることなく、気づけば俺は危険を顧みることなく走り出した。


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