稽古その二
「もうこんな時間か……。アビー、いったん昼飯にしよう」
太陽はすっかりてっぺんへと昇り、昼食の時間となっている。アビーは今までずっとギデオンに稽古をつけてもらっており、息を切らしながらはい、と一言だけ答える。向こうはというと呼吸を乱すことなく、平然としている。これが一流の騎士というものなんだろうか。彼女は彼に対して尊敬の眼差しを向ける。
「なんだ? オレに惚れたか?」
「いいえ……、そういうわけでは。あなたを尊敬します、稽古をつけてもらって光栄です」
「はっきりと男としての興味がないと拒絶されるのは悲しいけど、でも尊敬されるってのは嬉しいね」
「二人とも。早いところ食堂へ向かわんと食べるものがなくなるぞ。すっかり腹が減ったな」
「ですね。じゃあ行こう。剣はあとでまた使うから、そこら辺へ置いておけばいい」
「まだ稽古を続けるんですか? 少しきつすぎると思うんですが……。うっ」
これくらいで弱音を吐くな、とギデオンは視線だけでアビーを非難する。言葉に詰まった彼女はうつむき、申し訳ありませんと小さな声で謝る。
「アビー、お前さんは女性ということを考慮しても少し体力がないようだ。そのためにも昼を食ったあともまた稽古をするんだ。まあ腹ごなしの軽い運動くらいだがな」
「オレは軽い運動をするつもりはありませんよ。きっちりとやります。それと、隊長。口で指導するだけじゃなくて、オレたちの稽古に交じってください。次は乱戦の稽古をします」
「初日にそこまでするつもりなのか? いくらなんでも早すぎやしないか?」
「いいんですよ、早すぎることはありません。就任初日から稽古をするんだったらまだしも、数日経ってから始めるだなんてむしろ遅いくらいです」
「こと剣に関しては厳しいやつだな……。普段の言動からすると想像のできない男だな、お前さんというやつは」
「確かにオレは普段は馬鹿な人間だと思います。しかし、戦が絡めば真剣にならざるを得ないですよ。足を引っ張られたくないんでね」
私はお荷物なんだ、という現実を突きつけられ、アビーはひどく悔しい気持ちになる。
「ギデオン、隊長。昼食のあとも今以上に稽古をつけてください。私はもっと強くならなければいけないと、今回のことを通して実感しました」
「よし、その意気だ、アビー。そうでなくっちゃな」
「俺としては無理をしない方がいいと思うが……。まあ、アビーがいいと思うなら反対はせんが」
「と、いうことで飯にしましょう。今日も同じような献立でしょうが……」
三人は食事を摂りに食堂へと向かい、ちょっとした談笑をしたあとまた訓練場へと戻る。アビーへの剣の稽古は今度はジェイクも含めた乱戦の訓練。
「アビー! そこで怯むな!! 目をしっかりと開けて相手を見ろ!! それと、後ろにも目をやれ! いつ攻撃が来るかわからない状況でそんなふうにいたらあっという間に死ぬぞ!!」
「前も後ろも見ろだなんて無理です! どちらかにしか集中できません!!」
「馬鹿野郎!! 甘ったれたことを言うな!! ほら、今死んだ!! 隊長の攻撃に気を取られてオレの方への意識が疎かになったからだ!」
ギデオンはアビーに厳しい言葉を浴びせ、稽古をつけていく。ジェイクはというと、彼女を一人前の騎士へ育てるためだと自身に言い聞かせ、彼もまた厳しい態度を取る。
「アビー! 目だけで見るんじゃない! 敵の気配や殺気を感知しろ!」
そんな難しいことをしろだなんて無理だと弱音をまた吐きそうになるが、そんなことを言ってしまえばまたギデオンの罵声が飛んでくる。それを回避しようと、そしてこれは自分を生かそうとする二人の気遣いだと感じたアビーは、周りの気配を読み、殺気を感じ、そうやって少しずつではあるがコツをつかんでいく。
「よし! いいぞ、その調子だ! アビー! 今はオレと隊長の二人だけの攻撃だが、実戦ではもっと多いんだ! そのことを忘れるなよ!」
「ギデオン、そろそろ終わりにしないか……!? アビーはかなり息が上がっている。もう体力の限界のようだ」
「……そうですね。オレもちょっとだけ疲れました。終わりにしますか」
そう言いながらもギデオンは相変わらず呼吸が乱れていない。この人はどれだけの体力を持っているんだろうか、とアビーはぜいぜいと息を切らしながらも不思議に思っていた。
「お疲れさん、アビー。少し厳しくやりすぎたかもしれないが、これも君のためなんだ。わかってくれるだろう?」
「はい……。しかし、私たちは竜騎士隊なのですから、こういった人対人の訓練は必要なのでしょうか……」
散々戦ったあとに、こんなことを言うのはおかしいとは思いつつも、アビーは疑問に思ったことを素直に口にする。
「……はあ、わかってないな、君は」
がっくりと肩を落とし、呆れた様子のギデオン。それを見たジェイクは彼の言いたいことを代弁するように口を開いた。
「あのな、アビー。我々は確かにワイバーンを操って戦うことが主だ。しかし、そのワイバーンが落とされた場合やそれが使えないときのことを考えろ。持っている剣はただの飾りか? 違うだろう。騎士たるもの、どんな状況でも戦えないといけないんだ」
「戦は生半可なものじゃないんだ。君が想像している以上のものだと考えた方がいい。ワイバーンは無敵じゃないし、火を吐くことだって永遠にできるわけじゃない。おまけに羽の被膜を矢で破かれたら一巻の終わりだ」
ワイバーンが火を吐く仕組みは、体内に溜めた空気よりも軽い可燃性のガスを吐き、くちばし奥の火打ち石のようなものを使うことによってできる。なので、あまり大量に火を吐くと重い身体を空中で留めることが困難になってくるので、一度の浮遊につきせいぜい数回吐けばいい方なのだ。
「ワイバーンがそんなに火を吐けないのは理解していましたが、空を飛べる兵器ということでほぼ無敵だと勘違いしていました……」
「ワイバーンの生態のことを一度勉強した方がよさそうだな……。よし、明後日は他の隊との合同訓練だが、明日は隊長室で勉強会としよう。それでいいか? ギデオン」
「いいですよ。オレは抜きにしておいてください」
「いや、お前さんも参加しないと意味がないだろうが。そうやって都合よく顔を出したり引っ込めたりするのはもうやめたらどうだ」
「……今までだったら隊長と二人きりってのがいやだったんで顔を出しませんでしたが、まあアビーがいるんだったらいてもいいですかね」
「偉そうな態度を取りおって……。本当にお前さんはやる気があるのかないのかよくわからん」
「やる気はありますよ。ただ、ご婦人と戯れる方を優先しているだけです」
自分の欲望を素直に認めるギデオンに、ジェイクは呆れつつもそれがお前らしいと言う。アビーからすればギデオンの気持ちがさっぱり理解できないので、この場をどう動けばいいのかよくわからなかった。
「アビー、君は愚かな部分も多いし未熟だけど、でもいい女だと思うよ。これからもよろしくな」
「よ、よろしくお願いします……、でいいんでしょうか。褒められているのか貶されているのかよくわかりません……」
「褒めてるんだよ。オレがいいというんだから、誇ってもいい」
「は、はあ……。それではそう思わせていただきます」
「素直なのはいいことだ。よしよし、もっと褒めてやるよ」
ギデオンはアビーの頭をくしゃくしゃと撫で、楽しそうにしている。兄に頭を撫でられ慣れているアビーは、そんな彼の態度を嬉しく思い、まるでワイバーンが撫でられているときのように目を細めておとなしくしていた。
「こっ、こらっ! 俺の存在を忘れるなよ!? 二人の世界に入ってるんじゃないっ!!」
「隊長もアビーを褒めてやったらどうですか?」
「う、うむ……。アビー、今日はお前さんはよくやったと思う。あれだけ動ければ大したもんだ。これからの騎士としての成長が楽しみだな」
こほんと一度咳をし、ジェイクはアビーを褒める。その間、まだギデオンは彼女の頭を撫で続けており、にこにこと笑っている。アビーは思った。こんなふうによくしてもらえるなんて、夢にも思わなかった。貴族社会に入ってつらいこともあるけれど、でも私は幸せ者だと。




