稽古
「ココット!!」
早朝。アビーはワイバーン用の厩舎で最愛のココットと再会する。今までは毎日自身で世話をし、彼女の様子を見ていたのだが、騎士となってからは世話係に任せっきりになっていた。ココットの鼻先に手をやると小さく鳴き、すりすりと愛おしそうにじゃれついてくる。アビーはそんな彼女の様子を嬉しく思う。少しの間離れていても、気持ちは通じているんだ、たとえ人間でなくても、と。
「私がいなくてもおとなしくしていてね。世話をしてくれる人に迷惑をかけないようにね」
ワイバーンは人語を理解する。アビーの言葉に反応し、また小さく鳴くココット。
この厩舎は馬用のものよりもかなり広く、ある程度羽を広げても大丈夫な作りになっている。三頭のワイバーンは時折大きな声で鳴いたりするが、基本的にそこにおとなしく収まっており、満足なエサを与えられている。健康状態もよく、係の者が彼らをきちんと世話していることがよくわかった。
急にジェイクのワイバーンのゴウテンが鳴く。それに驚いたアビーは一瞬ひるむが、彼は気性が荒いということをジェイクから聞いていたことを思い出し、あまり気にしないことにした。しかし、世話係の人間は大丈夫なのだろうかと周りを見渡すと、特に気にしていない様子だった。これが日常なんだろう。
「あの、アビー様。そろそろ彼らの食事の時間なので……」
「わかったわ、これ以上お邪魔してはいけないしね。あと、私のことを様づけして呼ばないで。呼び捨てでもいいのだけれど、それが駄目ならせめてさんづけにしてほしいの」
「わたしたちはあくまでワイバーンを世話するだけの存在です。いくらなんでも騎士であるアビー様をそんな呼び方をするなんてできません」
ああ、この人たちは私と同じだ、とアビーは感じた。自身が隊長やギデオンに接するときと同じような態度を取られるのは、ひどくいやな気分だ。今の自分はもう平民ではなく、騎士という微妙な位置であり、彼らからすると上の立場の人間。こうやって下からの目線で見られるのだ。
「お願い。私だって元々は平民なのだし、かしこまった態度を取られるのはなんだか変な気分なの」
「はい……。それではそうさせていただきます」
世話係の女は素直にアビーの言うことを聞き、それからワイバーンのエサやりをすぐにするとのことで離れていった。辺りには何かの動物の生肉の臭いが立ち込め始め、アビーは自分はここを立ち去った方がいいと感じ、最後にココットに挨拶をしてから立ち去った。
*
今日はアビーにとって初めての人間との剣の稽古。ココットと顔を合わせることで気持ちの整理を済ませ、訓練場へと足を向ける。
「まだ誰も……、いないのね」
この広い訓練場の隅には使い古された的や、剣の練習用の木偶人形がずらりと並んでいる。辺りには誰もいない。早く来すぎたか、とは思ったものの、むしろ竜騎士隊の一番下っ端である自分が最初に訓練場に来た方が印象がいいと、アビーは考えた。しかし、支度をしようにもどこに何があるかわからない。木剣を使う、ということだけはわかっていたので、それがどこにしまってあるのかと彼女はあちこちを探しながら時間を潰していった。
「おっと、アビーの方が早く来ていたのか。感心感心」
人一倍大きな声でジェイクはアビーに声をかけ、満足げな様子でうなずいている。
「おはようございます、隊長。木剣はどこにあるんでしょうか」
「それならもう用意してある。ものはここではなく、訓練用の倉庫にしまってあるからな」
ジェイクは二本の木剣を取り出し、一本をアビーに投げてよこす。それを受け取った彼女は剣の手触りを確認し、構えの体勢を取る。
「ははっ、ギデオンはまだ来ていないし、まずは俺とやってみるか? しかし構えがなっていないな、剣はこうやって持て」
こうだ、とジェイクは剣の持ち方を指導してくれる。それから基本的な構え方も。それすら知らなく、完全に我流でやっていたアビーにとって、教えてもらうことはかなり気恥ずかしいものだった。
「す、すみません……。兄も私も剣の扱いをまともに知らないので、ゴーレムとやり合うときもよくわからないままやっていました……」
「別に謝る必要はないぞ? 誰だって最初は初心者だ。とりあえずは素振りを百回ほどしてみよう」
はい、とアビーはうなずき、ジェイクに教えられた通りの型で素振りを始めた。
「あれ、もう始めてるんですか? まだ早いと思ってゆっくり来ちゃいましたよ」
アビーが五十回ほど素振りをしているとき、ギデオンはようやく姿を現す。
「ギデオンにとっては早いかもしれんが、訓練開始時間から一刻は過ぎてるぞ? 寝坊したのか?」
「いえ、のんびりしてただけですよ、昨夜は独りでしたからね」
「……お前さん、本当に火遊びは気をつけた方がいいぞ。何せ女は怖いからな。この先面倒が起こらないよう気をつけろ」
「大丈夫ですよ。オレは面倒が嫌いなんで、そこまで深入りしませんよ。隊長みたいな真似はしません」
「こ、こら……っ!! そのことは口にするな! お、俺はなあ……!」
「はいはい、わかってますよー。隊長がどこぞのご夫人とねんごろになってたなんて、過去のことですしねー」
「こいつ……!!」
(隊長とギデオン、何か訳ありの話をしているようね……。私の知らないことがまだまだ多いけど、でもこの空気なら上手くやっていけそうな気がするわ……)
そうアビーは考えながらも息を切らしながら剣を振り続け、とうとう百回分の素振りを終えて剣を下ろした。
「お疲れ様、アビー。結構きつかったろ」
「はい……。これだけでも息が切れます。体力不足ってことなんでしょうね……、はあ」
「ギデオン! これ以上余計なことは口にするなよ! それと! アビーには絶対に言わないように!!」
「はーい。まったく、隊長ったら自分でバラしているようなもんですよ、その言い方」
「俺は断じて言ってはいないぞ!? お前さんがそうやって俺をからかうような真似をするから問題なんだ!」
「アビー、哀れな男の末路があれだぞ? ああいうのに引っ掛からないよう気をつけろ」
「ギデオン!! 誰が哀れな男だっ!!」
怒り以上に焦りを隠せないジェイクに、楽しそうに笑っているギデオン。二人は何だかんだいって上手くやっているようだ。
「…………話を切り替えるぞ。本格的に稽古を始める。まずは俺とギデオンで剣を交えて、それから二人でやってもらう」
「はい、お二人の戦いをしっかりこの目に焼きつけておきます」
アビーは頑張ってくださいと言葉をつけ加えてから、剣をギデオンに渡す。それを受け取った彼はにっこりと笑顔を浮かべ、勝つのは俺だから、とごく当たり前のように言う。
「勝負は相手の急所に剣を当てたか倒した方が勝ちだ! いつも通りの方法だが、わかっているな!」
「いつも通りに勝たせてもらいますよ! いきます! 隊長!!」
ギデオンが宣言すると同時にシュッと風切り音がし、目にもとまらぬ早業で彼の剣がジェイクの喉を狙う。すると、それを許さないといった感じでジェイクは防御し、受け流してからギデオンの脇腹に剣を振る。
「は、速い……。これが騎士の戦いなの……?」
アビーからすれば見たこともないようなすごい勝負で、お互い剣を交えている二人を固唾を飲んで見守る。視線を二人の動きに集中させ、どこをどう動けば攻撃なのか、防御なのかを理解していく。彼女の頭の中では二人のように自身を動かし、まるで舞うかのように動いていく。
ガキっと音を立てて木剣が空を舞う。ジェイクの剣が跳ね飛ばされたのだ。ギデオンは嬉しそうに剣の切っ先をジェイクの喉元へと突きつけ、それから勝利の宣言をする。
「やっぱりオレの勝ちですね。いやー、隊長弱いですね」
「お前が強すぎるだけだ! 俺は別に弱いわけじゃないっ! まったく、勝ち誇りやがって……」
この様子からして、いつもこんな感じなんだろう。アビーは少しだけ二人の様子をおかしく思い、くすくすとつい笑ってしまう。
「楽しいだろ? アビー。でも今度は君の番だ。ある程度の手加減はするけどな」
「……悔しいが笑われても仕方ないか。アビー、謝るなよ!? 中途半端な哀れみや同情は俺が傷つくだけだから絶対に言うなよ!?」
「はっ、はい! すみま……あっ、いえ、何でもないです」
ジェイクは相当悔しかったらしく、アビーに何としても謝らせないよう口を尖らせて言ってくる。彼のこの様子からして、ギデオンはどれほど強いのか。アビーにとってはなんだか胸がドキドキしてきて、嬉しさのような楽しさのような高揚感が湧き上がっていた。
「それではアビーとギデオン! 勝負開始だ! アビーは剣の軸がぶれないよう努めながら相手の様子をしっかりと見て、防御するように! 隙なんて向こうは見せないのだから、攻撃はほどほどにしろ!」
ギデオンとの勝負が始まる。アビーは気を引き締めてギデオンを見る。さっきのようにそばで見ているのと実際に自分が相手になるのとは大違いだ。向こうは微動だにせず、こちらをじっと見つめており、隙らしい隙も見せない。どこをどう攻撃すればいいのかなんて、彼女にとってはまったくの見当がつかなかった。
ヒュッと音がしたかと思うと、剣が自分の肩口めがけて降りてくる。それを反射的に自身の剣で受け、ガキンと木と木のぶつかる音がした。
「ヒューッ! やるね、初心者のくせしてオレの剣を受けるなんて。もしかしたらアビーは素質があるのかもしれないな」
「そうなんですか……? 何となくですが、動きが見えたので」
「動体視力がいいんだろうな、お前さんは。でなければ普通のやつであればこれで勝負はついている」
「そんじゃ、次はもうちょっとだけ本気でやるよ。あんまり手を抜かない方がアビーにはいいようだしな」
「お願いします……!」
また剣を構え直すアビーとギデオン。二人の間には緊張した空気が流れており、お互い微動だにしない。ほんの一瞬だけアビーが動くと、それに応じるようにしてギデオンが剣を振るう。またさっきのように木のぶつかる音がする。下からすくい上げるようにして攻撃したそれはまたしても彼女によって阻まれ、受け止められる。すると、ギデオンはニヤッと笑ったかと思うと今度は凄みのある真剣な眼差しで彼女を見つめ、そして剣を振るった。その様子にひどく恐怖を感じたアビーは向こうの剣の軌道を見ることができず、胸のギリギリのところで剣の切っ先を突きつけられることとなった。
「ま、こんなもんか。……アビー、確かに君には素質がある。だが、精神面はかなり弱いな。オレがちょっと殺気を出しただけでビビって動けなかった」
「いくらなんでもあれは怖すぎます……。ギデオン、普段のあなたからは想像のできないような恐ろしさを感じました。それで動けなかったんです」
「そんなこと言ってちゃ戦場へ出られないなあ。こんなのごく当たり前のことだぜ?」
「はい……。しかし、今の私には耐えられそうもありません」
「甘ちゃんだな。今まで何を学んできた? ワイバーンを操る者なら大なり小なりの修羅場を潜り抜けてきたんだろ? そんな弱音を聞くためにオレは稽古つけてるわけじゃねえんだよ」
「もっ、申し訳ありません……」
「謝り癖がついてるぜ、アビー。オレはそういうやつが大嫌いだ」
「ギデオン、少し言葉が過ぎるぞ。彼女はまともに剣を扱ったことがないんだ。多少怖がっただけでそこまで言う必要はないだろうが」
「お言葉ですが隊長。今いつ戦が起きるかわからない状況で、のんびり彼女を育てている場合じゃないってことは隊長もわかっていますよね? なので、オレは徹底的にしごきますよ」
ギデオンはこと剣を扱うことに関してはかなり厳しい人間のようだ。アビーは怯みはしたが、これも自分を思ってのこと、国を思ってのことと受け取り、剣を取り直して構え直す。
「稽古の続き、お願いします。騎士になったからには逃げるような真似はしたくありませんので、厳しくご指導ください」
「了解。じゃあ日が昇りきるまでやる。弱気なことは一切言わせないからな。覚悟しておけよ」
「はい……!」
「やれやれ、ギデオンの熱血指導が始まったか……」




