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階級差

 あのあと、ジェイクはアビーにいくつかの話をした。ラーン王国の歴史、竜騎士としての心得、そして戦術など……。ギデオンは耳にタコができるくらいそれを聞いているので、すっかり聞き飽きている。そのせいか時折あくびをしたり、席を外したりしていた。アビーも眠たくなることがあったが、ちゃんと聞いていないとこれから先困るのは自分だということを胸に刻んでいたので、目が閉じかけてもぴしゃりと頬を叩いて眠気を吹き飛ばしたりしていた。


 そんな二人の態度にもかかわらずジェイクは延々と話を続けていると、数刻どころか日が傾き始めるほどの時間が経っていた。


「隊長……、オレ、いい加減腹が空きました。一体どれくらい話せば気が済むんですか?」


「おお、そうだな、少し話過ぎたかもしれん。すまんな」


「すまないじゃないですよ……。昼飯食い損ねた、クソッ……」


 不機嫌な様子のギデオンだが、アビーは腹が空いたということよりもすっかり眠くなってしまい、舟を漕いでいる状態。


「ほら、彼女も疲れ切ってますよ。隊長ってばもうちょっと話を短くするようにしてくれればいい人だと思うんですけどね」


「むぅ……。話が長いのは性格だ。こればかりは直しようがない……」


 しょんぼりとした様子のジェイクに、やっと話が終わったことを喜ぶように、ギデオンはにかっと無邪気に笑って言葉を返す。


「そんなに落ち込まないでくださいよ。それも隊長のいいところと受け取っておきます。……アビー、起きろよ。話は終わったぞ」


 ギデオンに肘で腕のところを突かれると、ようやくアビーははっと目を覚ます。そして、キョロキョロを辺りを見回してからしまったという表情をして大きな声で謝る。


「す、すみませんでした! 隊長の貴重なお話を聞いている最中に居眠りだなんて……。お許しください!」


「そこまで謝らなくても大丈夫だ。つい俺の悪い癖が出てしまったようだな、こちらの方が謝りたいくらいだ」


「い、いえ……、隊長が悪いのではなく、私が悪いのです……」


「お互い謝り合っても隊長の長話がなくならないことには変わりませんよ。……それではそろそろお(いとま)させていただきます」


「ああ、時間を取りすぎて悪かったな、ギデオン。明日はどうする? 合同訓練は数日後だが、アビーの剣の稽古でもするか?」


「そうですね、じゃあ、明日は稽古ってことで、訓練場を使いましょう。それじゃ」


 ギデオンはアビーにウインクをして、さっさとその場を立ち去っていく。扉の蝶番(ちょうつがい)は相変わらず外れたままで。


「アビーも帰って飯にでもするんだな。俺も気がついたら腹が減ってきた」


「はい、そうさせていただきます。あの、それと剣の稽古はどういったふうにやるんでしょうか?」


「どういったといっても普通に稽古用の木剣でやるだけだぞ? 何か問題があるのか?」


「いえ、特にありません。私は人間と剣を交わしたことがないので、どう稽古をするのかわからなかっただけなので……」


「そうか。まあ、特に変わったことはせんよ。お前さんをまったくの初心者として扱うだけのことだ」


「明日もよろしくお願いいたします。それでは失礼いたします」


 おお、とジェイクは言葉を返す。その言葉を受けて、アビーは隊長室を出ていく。


 カツカツと音を立てて薄暗い通路を歩いていくアビー。日はだいぶ傾いており、早く食堂へ行かなければ夕食の時間は終わってしまうだろう。昼を食べ損ねているので、これで夜も食べ損ねてしまっては明日まで持ちそうにないと考えた彼女は、速足で歩いて行った。


「そこの赤い髪の女」


 急に誰かがアビーのことを呼ぶ。髪の赤い女性は滅多に見たことがないので、自分以外いないだろうと確信し、声のする方へと振り向く。


「ふん……、お前が竜騎士隊に入った新人か」


「あの、どちら様で……」


「おれのことを知らないのか? さすが平民()のお嬢さんだ」


 不遜な態度の男。それが全身で物語っており、アビーを見下しきった眼で見ている。おまけに頭のてっぺんから足のつま先まで舐めるような視線も浴びせ続けている。


「満足に上級貴族の人間のことも知らん女が、よくこのヴェシン城に入って来たものだな。ひどく気分が悪いぞ」


 いやらしい目つきと笑い顔でアビーを見つめ、視線は胸の辺りに来ている。彼女はそんな男の態度にぐっと堪えて、名前を聞けと言っているんだろうと思い、口を開こうとすると。


「別に誰が誰だか区別がつかなくてもいいんじゃねえの?」


 急にアビーの後ろから声がし、そして彼女の肩にぽんと手が乗る。誰かと思って振り向こうとすると、小さな声でそのままの体勢でいた方がいいと言ってくるので、振り向くことなく自身を小馬鹿にする男の方を見続けていた。


「彼女からすればここは知らないやつだらけなんだから、自己紹介くらいしてやれよ。ヒートちゃんさぁ」


「ぎ、ギデオン、貴様……!」


 カッと顔が怒りで赤くなる、ヒートと呼ばれた男。ギデオンが軽口を叩いている様子からして、知り合いのようだ。


「ま、偉ぶるのだけ得意なお前のことだから、自分が上級貴族だってことを平民出のアビーに自慢したかっただけなんだろ?」


「ば、馬鹿にしやがって……!! 貴様と顔を合わすのはこれだからいやなんだ! クソッたれが!!」


 ヒートはギデオンに罵声を浴びせると、ガッガッとわざと大きく足音を立てながら立ち去っていく。


「相変わらずだなあ、あいつ。ヒート・アンダーっていうやつなんだよ、オレと同じ階級なんだけど、それを鼻にかけていろいろ面倒くさいお坊ちゃんなんだ。自分ちにこもってればそれでいいんだけど、あいつも一応この城に所属する騎士隊の一員なんだ。……それとアビー、ここにはああいう輩が多いから、注意しろ」


 仕方がない、と諦め気味の様子のギデオンは、アビーの肩から手を放してから忠告する。


「ありがとうございます、ギデオン、様……」


 アビーは今まで彼の名前を呼んだことがなかったので、彼もまた上級貴族ということを鑑みて様づけして礼を述べる。


「様なんてつけなくてもいいって。同じ隊の仲間であるアビーにそう呼ばれると、なんかむず痒くて気持ち悪いな」


「でも、あなたのような方を呼び捨てにするなんて……。私にはとても」


 彼がそれを良しとしたとしても、もし誰かの前で上級貴族を呼び捨てにしたとわかろうものなら、今まで以上に当たりが強くなると考えたアビーは自己保身のために否定した。


「まあ階級差云々のことがあるからなあ、うーん……。それじゃあこういうのはどうだ? 隊長の前か二人きりのときだけなら呼び捨てでも構わないだろ? 隊長も呼び方でどうこう言う人間じゃないしさ」


「は、はあ……」


 それならいいのかもしれない、とアビーは思うものの、この人物と二人きりになることなんてそうそうあるものじゃないと考えた。


「なんだ、あんまりいい返事じゃないな。オレは腹の底から階級のことなんて気にしないんだ。ま、利用できるときはするがな。だからアビー、君に対してはそういったことをしたくないと思ってる。わかってくれるか?」


「は、はい……」


「そんじゃ、そういうことで。明日は初めての剣の稽古だ。身も心も万全にしておけよ」


 ギデオンは笑顔を向けながらそう言い、その場を去っていく。


 彼は女好きと言われ、一見ふざけているような態度を見せてはいるが、実のところはアビーのように下の身分の人間にも優しくしてくれる思いやりのある人間なんだということがよくわかった。でなければただのたわけ者か。彼の本心はわからないことだらけだが、いやな態度を取る男から自分を守ってくれたことは本当なので、最初のときの好ましくない印象が変わり、人としての好意を持つことができた。

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