戦略と戦況
次の日、よく眠れなかったアビーはあくびを噛み殺しながら隊長室へと向かっていた。あのあと食事中も好奇の目に晒され、部屋に戻ってからも彼女らにまた同じような態度を取られた。そのことが心の負担で、眠れなかったのだ。しかし、この状況に慣れなければ騎士としてやっていけないのだし、仮に騎士をやめたとしても行く当てはない。いや、兄の元へ帰ればいい話なのだが、そうしたとしても向こうはいい顔をしないだろう。一度決めたことをラトは許さない。優しい反面、厳しい一面も持ち合わせている彼のことだから、追い出されるのは明白だ。だからこそアビーは気を張ってこの生活を続けるしかないのだ。
隊長室へと着き、三度ノックしてから中へと入る。
「おお、来たか。しかし少し寝不足のように見えるが、大丈夫か?」
「問題ありません。少し眠れなかっただけです」
昨日と同じように笑顔で向かい入れてくれるジェイクに、アビーは少しだけ気弱な笑顔で応える。
「いろいろと大変かもしれんが、何かあったら俺かギデオンに言え。……まあ、中途半端な忠告は反って反感を買うかもしれんが」
「その必要はありません。覚悟の上で騎士になったので、このくらい何ともありません。お気遣いありがとうございます」
本音は愚痴を零してしまいたい気持ちのアビーだったが、そんなことをジェイクに言っても何か変わるわけではないので、向こうの気遣いに感謝するだけだった。
「そうか……。期待しているぞ、アビー」
はい、とアビーが答えると、彼女の後ろからすっとギデオンが現れていつものような口調で話し始める。
「馬鹿正直な真面目ちゃんだと苦労するぜ、アビー。もっと肩の力抜いてやった方がいいと思うな、オレは」
労いの言葉をかけてくれるのはありがたいが、距離が近すぎる、とアビーは感じた。
「今日はちゃんと来てくれたか。よしよし、それじゃあ話を始めよう」
ジェイクはギデオンがしていることはいつものことだと気にせずに、そばにあるテーブルに着くよう二人に指示する。そこにはこの城の見取り図が広げられており、チェスの駒がいくつか置いてあった。
「今回はアビーにワイバーンを使った戦闘の仕方を教える。お前さん、まだ一度も戦いの経験はないんだろう?」
「はい、戦闘経験はまだありません。空を好きなように飛ばせたり、野焼きのために火を吐かせたりくらいしかやっていなかったので……」
「わかった。この見取り図を見ろ。これを敵の城と仮定して攻める場合、どこを最初に攻撃する?」
ジェイクはナイトの駒をワイバーンに見立てて、動かしてみろとアビーに渡す。
「私としましては、蛇の頭を叩けばすべてが収まると考えているので、大将のいる場所を把握しておいてそこを重点的に破壊すれば……」
やや迷いながら駒を城の中央に置き、それからアビーは口を開く。
「どうやって大将の居場所を把握する?」
「それは斥候に任せれば……」
「斥候がいない場合は」
「それは……」
駒を持ったまま言葉に詰まるアビー。彼女は戦い方をろくに知らない。兄から教えてもらった方法や、本で見た戦術でしかものを語れなかった。それをジェイクに指摘され、どう答えていいか考えをめぐらす。
「隊長、彼女はまだひよっこなんですから、最初からきちんと教えるべきなんじゃないですか? その方が効率いいと思いますし」
ギデオンが進言すると、ジェイクはごほんと一つ咳をしてからそうだな、と納得した様子で口を開く。
「蛇の頭がどこにあるかなんて最初はわからん。それに、ワイバーン単騎で戦ができるわけじゃない。数十から数千の数のぶつかり合いだということを忘れるな」
自分の言うことがまったく当たっていなかったことに、アビーはしゅんとした様子で目を伏せる。それからどうしたらいいのか、気持ちを切り替えてからジェイクに問いかけた。
「隊長、最初はどうしたらいいのですか? それと、気をつけることを教えてください」
「うむ、いい質問だ。素直なのはいいことだぞ」
ジェイクはナイトの駒をもう一つ取り出し、城壁の辺りに駒を持っていく。
「一番いいのは城門を開けてそこから侵入することなんだが、まあ門が閉まっているのは当たり前のことだな。それはワイバーンを使うより破城槌の方が早い。それと壁に破城槌を……というのも時間がかかる。なので、はしごを城壁にかけて少しずつ兵士を侵入させる方法があるんだが、そこでワイバーンの出番なのだ。城壁の歩廊にはたくさんの敵兵がはしごを登ってくる兵士を落とそうと待ち構えている。それに弓で兵士を射ようとする敵兵もいる。そこに、炎を浴びせれば、どうなるか」
「歩廊は狭いですから逃げ場はほとんどない……。否応なしに火を被ることになりますね」
「そうだ。それらを少しでも排除し、自分たちの兵士を城内へと入りやすいように導くのが我々の最初の任務だ。……どうした、顔色が悪いようだが」
「……そのときのことを考えると少し。……いえ、大丈夫です」
アビーは自分がしたことで人が死ぬということを考えると、胃の奥底からぐっと吐き気がこみ上げてきた。
「最初は人を殺すということに抵抗や罪悪感を覚えるかもしれん。だが、これは避けられないことなのだ、騎士となったからにはな」
「オレも隊長も数えきれないほどの人を殺めている。けどな、戦の駒として動くんだから、もう腹を括るしかないんだ。わかるだろう? アビー」
いつもの猫撫で声とは打って変わって、真面目な口調で話すギデオン。こればかりはふざけてはいられない問題だということが、彼の様子からよくわかった。
「わかっています。そのつもりで騎士になりました」
本当にわかっているんだろうか、とアビーは心の中で自問自答する。実際にその状況になってみないと、わからないことだと彼女は考えていた。戦争なんて今まで町の人からの話や参加した兄からの話でしか知らない、まるで絵空事のように感じていたからだ。だから、いまだにココットを使って――あるいは自分自身の手で――人殺しをするということに対する実感が湧かなかった。
「ならいい。実際問題、戦はいつ起こるか今はわからんが、そろそろ何かあるような気配だ。気を引き締めていくように」
はい、とアビーはジェイクの眼を見て答え、自身を奮い立たせる。
「でだ、敵は誰だということはわかっているか?」
「フヨード公国……ですね。私が幼い頃から領土争いで揉めているということは知っています」
「そうだ。戦力はこっちの方が勝っている……と言いたいところだが、数だけだ。向こうは亜人の傭兵部隊を雇っているせいで、相当な戦力を持っている。かなり厄介な存在だな、亜人どもは」
「ゴブリンやオーク、トロールなんかがいますからね、向こうは。特にトロールなんて一匹で人間百人くらいの戦力がありますし、ほんときついものがありますね。オレたちだけじゃ戦局を変えるのはかなり難しいと思いますよ」
「どうして亜人たちはフヨード側につくんですか? 彼らはお金で動くような人種ではないはず……」
「あいつらは食うもの食って戦いができればそれでいいんだよ。それに、戦となれば女も犯しやすい。亜人は人間の女の腹を使って繁殖するからな。それが狙いなんだ」
「ギデオン、アビーの前でそういうことを言うのはやめた方がいい。彼女にその話は荷が重過ぎるだろう?」
「狙われた場合のことを想定して言ってるんですよ。亜人どもは容赦ない。だから何かあったときはオレがすぐに駆けつけるから」
「……ありがとうございます。そういったことが起きないよう、注意したいと思います」
殺すか殺されるかの問題だけでなく、亜人に犯される、ということを聞いて、アビーは背筋がぞっとした。まだ生娘の彼女ではあるが、そんな形で処女を散らされるのはいやだったし、ましてやあんな醜い亜人の子を孕むなどと考えると、身が凍るような気分だった。
「……戦場に女性を行かせるのは俺としてはあまりよく思わんが、だがアビーは大事な戦力の一つだ。だからこそワイバーンの操作能力だけでなく、剣の腕も磨いておかないといけないな。幸いなことにギデオンは剣の腕も立つ、俺よりもな。他の騎士たちとの合同訓練時は彼に稽古をつけてもらえ」
「そういうことだよ、よろしくな、アビー」
「……よろしくお願いします。私は兄に少し稽古してもらったくらいで、自分の実力がどれくらいなのかわかっていないので、そうしていただけると大変ありがたいです」
「兄貴がいるのか。その人もかなりの腕なのか?」
ギデオンは鋭い目つきでラトのこと訊いてくる。彼はふざけていながらも生粋の騎士。剣の実力者がいれば腕試しをしたいといつも考えているからだ。そのことを知らないアビーにとっては彼の意外な一面が見え、少しだけ楽しいと感じた。
「いえ、兄は使い魔のゴーレムで稽古をしてくれました。魔術師なので……」
「あれ、アビーはハードウィック出身だよな。ということは……、兄はあの稀代の大魔術師のラト……ってことか。そんな人が兄貴だと苦労するだろ?」
「いえ、特には……。知っているんですね、兄のことを」
「ここら辺でラトを知らないやつはいないさ。何せこの城でもかなり世話になっているしな。な、隊長」
「ああ、護符や薬をたくさん卸してもらっているからな。戦のときも力になってもらっていることもあるし、彼一人いれば戦局は大きく変わると言われるくらいだ」
「……そうなんですね、兄はあまり戦のことを話してくれないので。護符や薬はよく頼まれているのは知っています。私が家を出るとき、何かの薬を作っていました」
ラトは以前何度か戦争に赴いており、そのときのことをアビーは訊くと彼は簡潔にしか教えてくれず、うつむいてつらそうな表情をしていたことを彼女は思い出した。彼もまた数えきれないほどの人を殺しているんだ。そのことに気づくことなく、アビーはのんきに兄を慕っていたことを恥ずかしく感じた。
「そうか……。あの魔術師がアビーの兄となれば、また戦場に引っ張り出すこともしやすくなるのかもしれんな。まあ、それは上の人間が決めることだが……」
「あの……、兄は戦場へ出ることをいやがっているようにも感じられました。あまりそのことについて話したがりませんし……」
「そりゃそうだよ、誰だって行きたくないと思ってるさ。何せいつ死ぬかわからないんだ。それに怪我も。オレだって命の危険に晒されながら戦うのは正直言ってごめんだ」
「その割には戦に出るときはずいぶんと張り切っているな」
「あれは戦えることが楽しいだけであって、殺し自体は好きじゃありませんよ。……隊長、彼女の前でそういう話はやめてください。誤解される」
「すまないな、ギデオン。配慮が足りなかった。……大丈夫か? アビー。震えているぞ」
ふと気づくと、アビーはわずかに身体を震わせていた。
「大丈夫……だと思います。聞いた内容のことで、いつ自分が死ぬかもしれないと思うと寒気がしたので……」
「今回はそうならないための話のとっかかりだ。この先も少しずつ話していくから、しっかり頭に叩き込んでおくんだぞ、アビー」
「いざというときはオレが守るよ。約束する」
「格好つけてどうするんだ、ギデオン。彼女はただのお飾りじゃないということを忘れるな」
「わかってますって。ま、オレも隊長ほどではないけど、君を立派な一人前の騎士として育て上げるつもりだよ」
「ありがとうございます……。至らない部分もあると思いますが、しっかりやっていきたいと思います」
アビーはこの先自分がどうなるんだろうかという不安を隠しきれなかったが、それでも二人が自分を鍛え上げてくれることを約束してくれたので、ほんの少しの安心感が湧くのを感じた。戦場というものはどんな感じなんだろうか。想像だけではわからないことだらけ。それでもやるしかないんだ、と彼女は自身をまた奮い立たせることで気持ちを高めていった。




