手紙と侮蔑
アビーは誰もいなくなった屋上で空を見上げる。雲一つないこの大空に輝く太陽。そして、そよそよと優しく吹く風。彼女にとっては最高のごちそうだ。
すぐに宿舎に戻る気分になれなかったのでじっと空を見続けていると、太陽の中に黒い点が現れる。何かが飛んできたのかと思うとそれはだんだん大きくなり、こちらへと向かってきた。
「カラス……。兄さんの使い魔ね」
塔のへりに降り立つと翼を広げて一鳴きし、足に括りつけられたものを取れと言っている様子だ。アビーはカラスに近づき、足についている容器を取ると中身を取り出す。入っていた紙をガサガサと音を立てて広げると、見慣れた兄の筆記で書かれた手紙だった。それを見たアビーは別れてからそう経ってもいないのに懐かしさを感じ、兄のラトに会いたいと強く感じた。
『アビーへ。君が騎士になってから少しの時間が経ったね。もう慣れたかい? 僕は独りになってしまったことを時折さみしく思うけれど、でも君が望んだ道なのだからこちらは何も言うことはないよ。騎士になっていろいろつらいことがあると思う。でも平民出の僕たちには逃れられない問題なんだ。隊の人たちと上手くやれることを祈るよ。
追伸 逃げたくなったときはうちへ帰っておいで、いつでも待っているよ。愛するラトより』
「ラト兄……」
アビーはぽつりと兄の名前をこぼし、目尻からはじわりと涙が浮かぶ。兄はいつだって私の心配をしてくれるんだ、そう思うだけでとても嬉しい気持ちになった。
彼女が兄からの愛情の余韻に浸っていると、もう用は済んだかと言わんばかりにまた一鳴きするカラス。
「もう……せっかちね。兄さんの使い魔ならもう少しのんびりしてもいいんじゃないかしら? ……手紙は受け取ったわ。さあ、ラト兄のところへお帰り」
帰れと命じると、カラスは最後にまた鳴き、さっさと飛んで行ってしまう。彼の使い魔は何の感情もなく、ただ与えられた仕事をこなすだけの存在。
「兄さんったらもうちょっと使い魔に温かみを持たせてもいいと思うのに……。ほんと道具としてしか使ってないのね」
アビーの兄のラトは魔術師。それも並みの者ではなく、千人に一人いるかいないかと言われるほどの魔術の使い手だ。あらゆる術を使いこなし、動物を使役し、薬や呪符などを作る。彼女からすれば優しく懐の深い人物ではあるが、人見知りと人嫌いのせいもあってか滅多に人里に降りることはなく、普段はハードウィックの町外れにある入れずの森に住んでいる。森は結界が張られており、普通の人間であれば入り込んでも迷って入口に戻ってしまう仕掛けが施してある。なので入れずの森と呼ばれている。アビーは騎士になる前はココット一頭と彼女とラトの二人で住んでいたが、騎士となった今ではラトは独り暮らしである。それを彼女はいつもちゃんと生活できているのか心配しているが、向こうは向こうでこちらのことを心配しているので、お互いのことを想い合っていることがいやでも理解できた。
ふわりと強い風が吹く。アビーの長い髪がなびき、遠くでトビの鳴き声が聞こえた。ふ、と彼女は優しく微笑むと、宿舎へと帰ろうと考え、もう一度だけ空を仰いでからその場を立ち去った。
*
女性たちの楽しげな声が扉の奥から漏れていた。アビーは一瞬ひるんでから扉を開けると、途端にその声は止んでしまった。自分が部屋に入って来たからだ、と彼女は目を伏せながら何も言わずに自分のベッドへと座る。すると、今度は打って変わってひそひそと声が聞こえてくる。彼女らはアビーの方をちらちらと見、それからくすくすと笑い合って楽しそうにしている。こちらから声をかけようと思う気すら起きない、とアビーはそばにある枕の位置を意味もなく直し、きゅっと唇を噛んでいた。三人の女性たちはアビーを馬鹿にし、見下している。その様子を隠そうともせずに、こうやって同室の彼女を嗤っては話のネタにしているのだ。
なぜそういった状況になっているのかというと、アビーはこの場においては平民出という場違いの扱いであり、そして蔑まれる人物なのだ。貴族連中からすればそれは当たり前のことで、まるで自分たちが特別な存在であるという振舞いであり、実際にそうなのである。このラーン王国は階級社会。王族、上級貴族、下級貴族、平民と階級があり、アビーは一番下の存在。騎士になったので平民と下級貴族の間に入ったようなものだが、彼女らからすればあまり変わらない。アビーを嗤う三人は下級貴族ではあるが、彼女よりは上の存在であるので、こうやって侮蔑の眼差しと好奇の目で見ては楽しそうにしている。
このことがアビーにとってつらいことであるのだが、だからといって個室にしてもらうことほどいい身分ではないし、武勲など立ててもいないので、相部屋で生活するしかないのだ。彼女にはワイバーンという大きな後ろ盾がいるので、まだ嗤われているだけマシだとアビーは自分に言い聞かせているが、しかしワイバーンという後ろ盾がいるせいでこういった目に遭っているとも言える。ココットに罪はない。自分が彼女を育ててしまったから、そして騎士になると決めてしまったからこの場にいるのだ。そう思うことで、自身が崩れ落ちないように気を張っているしかなかった。
食事が終わったらすぐに寝よう――
アビーはそろそろ夕食の時間だということに気づき、彼女らの視線に耐えながら部屋をあとにした。




