ワイバーン
ジェイクは隊長室を出て歩き続け、それから上へ上へと階段を上がっていく。どこまで行くのかとアビーはついていくと、東にある一番高く大きい円筒形の城塔の屋上へとたどり着いた。二人の兵士が見張りをしていたので、ジェイクは人払いをする。
「隊長、ギデオンがいないようですが……」
「すぐに来るさ……ほら、来た」
「すんません、遅れました。通りがかりに素敵なご婦人がいたもんで……」
「御託はいい。すぐにワイバーンを呼び出すぞ。俺のゴウテンからでいいか?」
はい、とギデオンがうなづく。そうか、とアビーは今さらながら自分のワイバーンだけでなく、他の二人のワイバーンとも顔合わせをすることに気づいた。
「あの……。話の腰を折るようで申し訳ないんですが、人払いまでせずにそのまま彼らを呼んでも構わないと思うんですが……」
「んー、アビーのワイバーンはいい子なのか?」
「は、はあ……。他の個体のことはわからないので何とも言えませんが、おとなしい子だと思います」
ギデオンは隙あらばアビーにアピールするつもりのようで、笑みを絶やさずまるで口説くかのような声音で訊いてくる。
「オレのスイーツはまだしも、隊長のゴウテンはかなり凶暴なんだよ。人気のないところで呼ばないと、いつ誰かに危害を加えるかわからないんだ。だからこの場所で顔合わせすることにしたんだよ。面倒だとは思うけどな」
「そうだ、だが仕方のないことだ。俺のゴウテンは気性が荒い。以前、呼んだときにたまたま通りがかった男に危うく怪我をさせるところだったからな」
「そうなんですか……。個体差がずいぶんとある感じなんですね」
「……というわけで、ゴウテンを呼ぶ。来い! ゴウテン!!」
ジェイクは大声で自身のワイバーンの名を呼ぶ。すると、塔の近くにあるワイバーン用の厩舎から大きく地に響くような轟音が聴こえた。少しするとジェイクのワイバーンが現れて、塔のへりに鋭い爪でずしりと足をかけた。
「大きい……。それに黒いわ……」
羽を閉じ、鋭い目つきで三人を見つめる漆黒のワイバーン。アビーの知っているそれに比べるとずいぶんと大きく、それにいかめしい顔つき。個体差があることは知っていたが、ここまで差があるとは全く思っていなかった。竜騎士になることによって他のワイバーンにも会えることがわかっていたので、大なり小なりの期待はしていたのだが、想像以上のものだった。
「どうだ、俺のゴウテンは。すごいだろう? ギデオンのスイーツと模擬戦をしたときはかなりの活躍だったぞ」
「一方的な攻撃でしたからね。おかげでスイーツの鱗が数枚はがれてしまいましたよ。まったく……」
「お前が防御ばかり取るからだろうが。名誉の負傷だと思えばいいんだ」
「オレは名誉の負傷よりも不名誉な無傷を選びますよ。彼女はデリケートですし、あのあと手当てに苦労しました」
「そうか、すまなかったな。だが、戦のときにはそんなこと言ってられないのはわかっているだろうが」
「もちろんわかってますって。できればあんな思いはもう二度としたくありませんね。でも、また起こるんでしょうね、あのときのようなことは」
二人が何のことを話しているのかわからないアビーは、会話に入ることなくただ耳を傾けるだけ。彼らは戦の経験があることはわかっている。初めて隊長と会ったときに、話で聞いたのだ。ジェイクは十数回、ギデオンは八回ほどの経験を。なので、思い出したくないようなことの一つや二つはあるということだろう。
ふー、ふーっ、とゴウテンの鼻の穴から荒い息が漏れ、次は何をするんだと命令を待っているようだ。
「食事中だったのか? ゴウテン。すまなかったな、もう帰ってもいいぞ」
ぽん、とゴウテンの鼻先をジェイクが撫でると、また地に響くような声で鳴き、ゴウテンは厩舎へと戻っていく。その際、羽の風圧で三人ともその場から吹き飛ばされそうになりながら。
「うっ、あいつの息って結構臭いんで、あんまり近くに来てほしくないんですよね。おまけに大雑把だし……。わかるだろう? アビー」
「は、はあ……。確かに……」
飼い主の目の前でそんなことを言うのははばかられたが、確かにゴウテンの息は生臭く、きついものがあった。食事中だということで、たぶん生肉か何か食べていたんだろう。
「ギデオン、お前は本当に口の減らないやつだな。もう少し男にも優しくしたらどうだ」
「野郎に優しくしても何もありませんからね。オレは女性だけに優しくしたいんですよ」
「冗談は休み休み言え。次はギデオン、お前の番だ」
「はいはい、オレの可愛いスイーツを呼びますよ。スイーツ!!」
ギデオンがワイバーンの名前とともにピーッと指笛を吹くと、今度は厩舎の方から銀色の物体が飛んできた。
「わあ……。きれいなワイバーン!」
銀色の美しい鱗を持ち、全体的にほっそりとした外見のワイバーン。アビーは素直にそれを美しいと感嘆の言葉を漏らした。
「素敵だろう、オレのスイーツは。アビーにそう言ってもらえて嬉しいね」
ふふんとギデオンは得意げな様子で、胸を張っている。
「見た目の美しさでは、悔しいがゴウテンは負けるな……。くそぅ」
「こいつは手塩にかけて育てたんだ。きれいに決まってますよ」
「何か特別な育て方でもしたんですか? 鱗のつやもいいし、目もきれいだし……」
「愛情を注げばこうなるさ。で? アビーのワイバーンはどうなんだ?」
「私のココットもきれいだと自分では思っています。ただ、あなたのよりは劣るかもしれませんが……」
「そうか。じゃあスイーツは帰すから。そのココットとやらを呼んでくれ」
ギデオンは自分のワイバーンのくちばしを撫で、それから小さな声でありがとうなスイーツ、と労いの言葉をかけてから合図を出して帰す。さっきのゴウテンのときとは違い、軽やかに羽を羽ばたかせるとすっと消えるようにして飛び去っていく。同じ生き物なのにここまで動作が違うんだ、とアビーは改めて思い、一人で納得していた。
「では私のワイバーンを呼びます。……ココット! 来て!!」
アビーは名前を呼び、口笛を吹く。しばらくすると、甲高い鳴き声が響いてふわりと塔のへりに爪をかけて現れた。
「ココット!!」
アビーはココットに近づき、目の下あたりを優しく撫でる。するとその大きな目を細め、喉の奥からゴロゴロと音が聴こえる。猫のように喉で鳴いて機嫌の良さを伝えているようだ。そのことはアビーが幼い頃から認識していることだった。
「ほう……。叙任式のときはもっと遠くから見たからよくわからなかったが、近くで見れば見るほど見事だとわかる赤いワイバーンだな」
「アビーの髪と同じ色、か。いいね」
アビーのワイバーンは燃えるような、あるいは血の色のような赤の鱗を持ち、年若いこともあるせいかやや小さめの身体。しかし、吐く炎の威力は絶大で、一吹きであっという間に周りのものを燃やし尽くしてしまうほどのものだった。
「ありがとうございます。この子はまだ十歳で若いワイバーンですが、しっかり躾けてあります」
ワイバーンは人間と同等かそれより長生きする生き物で、ココットはその中でもまだまだ若い部類に入る。
「若いワイバーンは気性が荒いからな。それを躾けるのはかなり大変なことだが、アビーはそれをよくやれているようだな」
「十歳か、だいぶ若いな。オレのスイーツは二十一歳だから、十以上も下ってことか」
「私は他のワイバーンを知りませんが、ココットはおとなしい子だと思います。昔からあまり手のかからない子でしたし」
「そうか、それはいいことだな。俺のゴウテンは今でも手のかかる奴だからな、羨ましいことだ」
「それではこの子を帰しても問題はありませんか? 名残惜しいですが、いつまでもここにいさせてもどうしようもないと思うので」
「そうだな。本当であれば飼い主が面倒を見るのが一番だが、ここではそうもいかんしな」
ワイバーンたちの面倒は専門の飼育員がみている。飼い主以外に懐きはしないが、慎重に、そして生態を理解していれば怪我をすることもないからだ。
「ココット、じゃあね。また明日顔を見せるから。戻って?」
ココットのくちばしに軽く頬ずりをしたアビーは、厩舎に戻るよう合図を出す。すると、それを理解したココットは羽を広げ、厩舎へと戻っていった。
「今日はこれくらいにしておこうか。アビー、俺とギデオンのことを少しはわかったか?」
「はい、お二人の人となりが少しだけですが、わかりました」
「オレとしては個人的にもっと知ってほしいと思うけどな」
ギデオンの積極的なアピールに、アビーははあ、と気の抜けた返事を一つ返すだけ。それが気に入らないのか、ギデオンは意外そうに言葉を返す。
「なんだなんだ、ずいぶんと反応の悪いお嬢さんだな。オレの魅力をわかってもらえないだなんてさみしいもんだな……」
「そう言われましても……」
この気取ったスレイプニル家の男子の自信たっぷりな様を見せつけられても、アビーにはピンと来るものがなかった。彼女はまだ恋をしたことがなく、森の中で義理の兄と育ったせいか男性とのそういった事柄には疎かった。
「ギデオン、ご婦人ならみんなお前になびくと思ったら大間違いだぞ?」
「手厳しいですね……」
また頭を掻いて悔しそうにしているギデオン。彼はこうやっていろんな女性を口説いてきたんだろう。確かに人好きする見た目の人間ではあるけれど、疎いアビーからすれば特に何か感じるものがないのだ。なので、誰にでもこういった態度をとるんだろうなと感じた彼女は、ギデオンのすることが少し迷惑だと感じた。
「ということで、解散だな。模擬戦などは後日行う。明日からは隊長室でこの国の歴史や竜騎士隊の心得などを教える予定だ。アビー、覚悟しておけ」
ということはあの長ったらしいお説教にも似た話がまたあるのか、と思うと、アビーは気が重かった。
「ギデオン、くれぐれも逃げるなよ。逃げたら数日は厩舎の掃除係をしてもらう」
「わかりましたよ、なるべく逃げないよう努めます。なるべく」
「そういう態度がいけないとわかってるのか? まったく……。まあいい。俺は帰るからな」
そう言ってジェイクは立ち去り、あとにはアビーとギデオンの二人が残される。アビーは自分も宿舎へ戻ろうとギデオンに軽く挨拶をしようと思うと、向こうは彼女の手を取り、甘い声で囁いてきた。
「なあアビー、このあと軽く食事でもどうだ? 隊長の長話で腹が空いただろう?」
「申し訳ありませんが、今日のところは一人になりたいのでお断りさせていただきたいのですが……」
「城下町でうまい飯でも、と言いたいところだが、無理そうだな。わかった、今日は誘うのはやめておくわ」
「すみません……」
「謝るなって。でもまた誘わせてもらうから、じゃあな」
「はい……」
てっきりしつこく誘ってくるのかと思いきや、すんなりと引き下がったギデオンに、アビーはほっと胸をなでおろした。




