第88話 アンパンボーイ
◇津田朝日
……懐かしい夢を見ていた気がする。
内容はしっかりと思い出せないけど、この胸に残る温かい気持ちは、きっとあの頃私が感じていたもの……
……そういえば、一体私はどうなったのだろうか?
夕日を探して家を飛び出した後の記憶が、かなり朧気であった。
ただ、少なくとも今の状況があまり良くないことは理解できる。
「っ……」
声を出そうとしたけど、口に何か布のようなものを噛まされているようで、満足に声が出せなかった。
やはりあの後、私の身に何かあったことだけは確かなようだ。
(……夕日を攫った奴らに、捕まったってことだよね)
別件の誘拐犯に捕まった、ということは流石にない……、ハズ。
なんとか直前の記憶を思い出そうとするも、どうにも頭が上手く働かず、鈍い痛みだけが走る。
せめてここが何処なのかを確認しようと、頭を動かして周囲を確認する。
しかしその瞬間、凄まじい眠気に襲われ、意識が遠のいていく。
抗えないまどろみに、私は再び夢の中へと沈んでいった……
◇
「おい! いい加減にしろ!」
そんな声が頭上から響いてくる。
恐る恐る顔を上げると、そこには僕を守るように立ちはだかる、男の子の姿があった。
「なんだよ! お前!」
「ふん! 悪党に名乗る名などない!」
男の子は腰に手を当て、ふんぞり返るように言い放つ。
僕はこの男の子の言っていることを全然理解できなかったけど、それはこの場にいる全員がそうだったらしく、みんな不思議そうな顔をしていた。
「何言ってるんだお前!」
言われた側は一瞬呆けていたけど、それが余計腹立たしかったのか顔を真っ赤にして怒っている。
それに対し、男の子は余裕そうな顔で首を振る。
「わからなかったなら別にいい。それより、これはイジメだろ? イジメは良くないぞ」
「イジメじゃない! アンパンボーイがうるさいこと言うからいけないんだ!」
うるさいことというのは、僕が注意した内容のことだろう。
顔を真っ赤にしている少年、飯田君と、坂田君、山本君の三人は、昼ごはんをオモチャにして遊んでいた。
具体的にはロールパンでキャッチボールしていたのだけど、それを注意したら三人が急に怒りだしたのである。
「ふむ、うるさいこと、とは?」
「そ、そいつが、俺達がキャッチボールしていたところに割り込んで来たんだ!」
全く怯まない男の子に対し、坂田君は逆に怯んだ様子だ。
男の子は、さっと周囲を見渡し、すぐにソレを見つけて拾った。
「ボールとは、このパンのことかな?」
「そ、そうだよ!」
「……ふむ、少年よ、君は何と言ってそれを注意したのかな?」
男の子は振り返り、今度は僕に質問をしてくる。
その顔を見て、僕はハッとした。
この男の子は、僕でも知っている有名人『正義君』であったからだ。
「えっと、食べ物は、粗末にしちゃいけないって……」
「……成程ね。実に正しい」
『正義君』は僕の顔をジッと見た後、納得したように頷き、再度飯田君達に向き直る。
「彼が言ったことに、間違いはないかな?」
「……な、なんだよ! お前も悪いって言うのか!?」
「もちろんだ。食べ物を粗末にするなって、お父さんやお母さんにも言われなかったかな?」
「い、言われてない!」
僕は小さい頃から、お父さん達に食べ物を粗末にするなとよく言われていた。
でも、飯田君達は言われていないという。
もしかして、僕の家がパン屋だから厳しいだけなのかな?
「それは君のお母さん達が悪いね。まあ親だって万能ではない……。その分、こういった場所で学ぶべきだろう。ということでだ、君達は己の愚かさを省みて懺悔し、正しき道に導いてくれようとした彼に感謝するといい」
『正義君』は難しい言葉を次々と口にし、飯田君達はワケもわからずオロオロとしている。
でも、それは一瞬のことで、飯田君は赤い顔をさらに真っ赤にして飛び掛かってくる。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
「……所詮は子供か」
『正義君』はヤレヤレと首を振り、サッと飯田君の突撃を躱す。
躱された飯田君はさらに怒ったか顔をして、さらに突撃をしてくる。
その瞬間、
「コラ! 何をやってるの!」
怒鳴り声と共に、先生が教室に入って来る。
しかし、既に突撃を開始している飯田君は止まることができない。
またしても『正義君』にあっさりと避けられると思われたが……
「ふ、ふぇぇぇぇん! 痛いよぉぉぉぉぉ!!!」
『正義君』は飯田君の突撃を躱さず、飯田君と一緒に床に転がっていた。
その瞬間はしっかりと先生に見られており、突撃されて泣いている『正義君』を庇うように先生が駆け寄る。
「飯田君! 駄目じゃない! こんなことしちゃ!」
「え……? だって、え……? ぅぐ、うえぇぇぇぇぇぇん!」
結局、飯田君も他の二人も泣き出してしまい、その場は一旦お開きとなった。
……………………………………………………
……………………………………
……………………
その後、僕と正義君、飯田君達三人は、それぞれ先生に事情を話すことになった。
僕と飯田君達はうまく状況を説明できず、曖昧なことしか言うことができなかった。
それに対し、『正義君』だけはハキハキと先生の質問に答え、少し難しい言葉で説明をしていた。
「成程ね……。とりあえず飯田君達は、本当に食べ物を粗末にしちゃ駄目よ? お弁当だって、みんなが頑張って作ってくれてるんだからね? 飯田君だって、一生懸命作ったブロックを壊されたら嫌でしょ?」
「……はい。ごめんなさい……」
「わかれば良いの。他の二人も、ちゃんと二人に謝ってね」
「「「ごめんなさい!」」」
三人は謝罪した後、職員室を出ていった。
『正義君』は先生に軽く挨拶をしたあと、「行こう」と僕の手を取った。
僕は少しびっくりしたけど、嫌な感じはしなかったのでそのままついていくことにした。
「あ、あの、どこに行くの?」
「秘密基地だよ」
「秘密基地?」
「うん。正義の味方の本拠地さ」
『正義君』はまた難しい言葉を使ったけど、秘密基地ならわかる。
前に友達から聞いて、気になっていたからだ。
「あれだよ」
幼稚園の裏にある林の奥に、木で作られた小さな小屋があった。
「あれが、秘密基地?」
『正義君』は小屋の前まで辿り着くと、振り返って言った。
「ようこそ、我が秘密基地へ。歓迎するよ、アンパンボーイ!」
◇神山良助
アンパンボーイ……
有名な子供向けのアニメのタイトルであり、その主人公でもある。
当時の俺にとって、あの作品はまさに、この世界の教本とも言える存在であった。
あの作品が、今現在の俺に与えた影響は、間違いなく大きい。
そうでなければ、こんな歳になってまで正義の活動をしようなどしなかっただろう。
今でも彼、アンパンボーイのことは尊敬しているし、作品自体にも愛着を持っている。
そんなアンパンボーイと同じ名で呼ばれる彼……
いや――、彼女に興味を持ったのは、必然だったのかもしれない。




