第62話 呪い、呪われしもの
◇速水桐花
「速水さん……。俺は、君の世界を否定するよ」
何故……? どうして、こうなったの……?
さっきまでは、ほぼ完璧に私の予定通り事は進んでいた。
神山君を呼び出し、山田さんと距離を離すことにも成功したし、山田さんを学校の外に連れ出すことにも成功した。
ここまでくれば後は私が祈るだけで、山田さんは破滅する。
実際、山田さんは呪いで穢れ、その顔は醜く爛れていた。つまり、私の祈りは神様に届いたのである。
祈りが届いたということは、神様が山田さんを悪だと認めたということだ。
今回もやはり、私は正しかった……
そのハズだった……
「な、なんで……? 私は神山君のために……、神山君が、一番幸せになれるようにって……」
「速水さん、俺は尾田君や如月君のことを大切な仲間だと思っているが、それは君の想像するような恋愛感情じゃないよ」
「嘘だよ……、そうじゃなきゃ、あんなに……」
「あんなに、何かな? 君は、何を見て、俺達をそういう目で見るようになった?」
「………………」
そんなのは、決まっている……
決まって……、あれ……?
あれは……、なんだっけ……?
「……答えられないよね? 君が見たのは、恐らく君自身が生み出した願望、ただの幻なんだから」
神山君は、何を言って……?
そんな、そんなワケない! だってあれは、あれこそが私の世界の……
「正直、少しおかしいとは思っていたんだ。確かに、空想虚言者は想像力が異常に旺盛で、空想を現実より優先する存在だ。作り話を本当に信じ込むという点でも、速水さんは間違いなくその特徴に当てはまっていた。……でも、本来それは、自分を中心に考えた上でという前提があるハズなんだよ。速水さんには、それが欠如していた」
空想、虚言者……?
知らない言葉だ……
神山君は、一体何を言っているのだろう……?
さっきから呪いだとか呪物だとか、それじゃまるで……
「速水さんに空想虚言者の性質があることは、間違いないと思う。ただ、それをより悪化させた原因が存在した。それが、その呪物だ。……呪物は、単純に対象を呪うだけの便利なアイテムじゃない。文字通り呪われた代物なんだよ。だから、なんの耐性も無い人間が扱えば、必ずなんらかの影響を受ける……。速水さん、君は気づかないうちに、自分も呪われていたんだ」
私が……、呪われている……?
「……神山君、私が呪われているって、何……? じゃあ私も、さっきの山田さんや鴫沢さんみたいに、穢れているってこと?」
鏡は毎日見ている。
だから自分の顔が、あんな風に焼け爛れていることはないと思う。
でも、もし、皆にはあんな風に見えていたとしたら……?
「うっ……」
急激にこみ上げてきた吐き気に、思わず口を押さえる。
想像した自分の姿と、他の人にどう見られていたかという意識、そして罪悪感。
それらが混ざった不快な感覚が、一気に押し寄せてきた。
こんなことは今までなかったのに、なんで……
「それが呪いの反動だ。今まで背けていた罪の意識――それを認識した証拠でもある。本来であれば、一度使えばそうなってもおかしくないハズなのに、速水さんはそうならなかった。不幸なことに、君とその呪物は相性が良すぎたんだ」
これが……、呪い……?
じゃあ、本当に、私が、彼女たちを呪ったの……?
「っ! 違う! 私は、呪ってなんかいない! 呪われてなんかいない!」
そんなハズはないのだ。そうであってはいけないのだ。
私は間違っていない。間違っているのは、神山君の方だ……
「っ!? やめろ! それ以上使うな!」
「フフ……、どうしたの? そんなに焦って……? 神山君は、呪われないんじゃなかったの? それとも、私が祈って、神様がお願いを聞いてしまうのが怖い、のかな?」
慌てて駆け寄ろうとする神山君。
でも、間に合わないよ。
だって、私はもう願ってしまったから。
本当に……、本当に残念だけど……
私の世界を壊すつもりなら、それが誰であろうと、私はその人の破滅を願う。
それがたとえ、大切な私の、思い人であろうとも……
◇神山良助
速水さんが持つ呪物が魔力を放ち始める。
(くっ……、間に合わないか……)
こうならないために思考誘導をしていたというのに、ついつい余計なことまで喋ってしまった……
重要なのは彼女に現実と妄想との齟齬を突きつけるだけであり、呪いのことまで話すべきではなかったのだ。
訊かれてもいないのに詳しく説明をしたがる、研究者の悪い癖が出てしまった。
……いや、それだけじゃないな。今の俺は感情的になり過ぎていた。
静子を呪った彼女に、どうしても事実を突きつけたかったのだ。
「ぐっ……あっ……!?」
速水さんが呪物を抱え込むようにして、前のめりに倒れる。
呪いは発動している。しかし、俺にも静子にも、その呪いを行使させる気はない。
俺はこちらに向かってくる不可視の呪詛を、手で振り払うようにして散らす。
正規の魔術師であれば、呪物による呪い程度なら成立する前に解呪することが可能だ。
当然、呪い返しを行う方が簡単だし手っ取り早いのだが、これ以上の呪詛を彼女に重ねれば、他の何かを引き寄せかねない。
……速水さんは、恐らくもう助からない。
本来、一度しか使えないような呪物を、彼女は俺の知る限り三度も使用した。
いくら些末な呪物の呪いとはいえ、三回分の反動ともなれば相当に危険な呪詛となる。
そのうえ、本日二度目の起動だ……
その魔力的負荷は、この世界の人間が耐え得るレベルを明らかに超えている。
「師匠……、あれは……」
「……ああ、魔力の欠乏だ」
静子はあの症状を覚えていたようだ。
情けない話だが、当時の俺は頻繁にあの状態に陥っていたからな……
魔力欠乏は、文字通り魔力が枯渇したことで発生する症状だ。
前世では子供がよく引き起こすことで有名で、大抵の子供が一度は経験しているであろうポピュラーな症状であった。
原因は、限界を超える魔力の使用である。
だから魔力量が未成熟あり、魔力操作が未熟な子供が一番この状態に陥りやすいのだ。
俺の場合は幼少時代、昔の癖が抜けきれずに、よくこの症状を引き起こしていた。
命に別状はないのだが、当時は原因不明の発作としてよく両親に心配をかけていた。
しかし、俺のような例を除けば、本来魔力を使うことのないこの世界の人間は、魔力欠乏などには陥らない。
天然の魔術師とも言える超能力者であれば起こり得るかもしれないが、余程無理をしなければそんな状態には陥らないだろう。
では何故、魔術師でもない速水さんにそんなことが起こったかと言えば、それは当然あの呪物が影響している。
先程、呪いが発動する際に、呪物は魔力を放っていた。
しかし、いくら魔力を宿した呪物といえども、その発動にはいくらかの魔力が必要である。
その魔力は、呪物を扱う本人から消費されるのだが、速水さんにはその魔力が既にほとんどなかったのだ。
この世界の人間は魔力を持たない。しかし、完全にゼロというわけでもない。
1か2程度の魔力くらいであれば、多くの人間が持っている。
それを、あの呪物を無理やり引き出そうとした……
結果、彼女は魔力欠乏に陥ったワケである。
前世の世界であれば何の苦にもならない魔力消費だろうが、この世界では下手をすると命取りになる。
「でも……、師匠はあれほどの状態には……」
「それは、速水さんが呪詛により、既に精神を蝕まれていたからだ……。あの状態では、たとえ呪詛を祓ったとしても、もう……」
単純に呪詛を祓うことは可能だ。
しかし、既に蝕まれた精神を正常に戻すことは、極めて困難である。
それに加えての魔力欠乏……、もはや打つ手は……
「……でも師匠なら、彼女を助けられるんですよね?」
「………………」
静子の問いに、俺は無言で答える。
助けることは……、可能かもしれない。
今の俺が持ちうる技術を最大限に駆使し、『転換の秘法』で捻り出せるギリギリまで魔力を使えば、だが。
……彼女がもし、静子達と同じ仲間であれば、俺は迷わずそれをやっただろう。
しかし、俺は正直な所、彼女を助けるべきか悩んでいた。
速水さんに呪いの影響があったことは間違いないだろう。
しかし、呪物に手を出し、人を呪おうとした精神性は、呪いなどとは関係なく彼女自身のものである。
空想虚言者、サイコパスであることも変えようのない事実だ。
たとえ今彼女を助けても、彼女がまた間違いを犯さないという保証は一切ない。
だからこそ、俺は彼女を見捨てる選択を……
「師匠、駄目です。師匠はそんなことを考えてはいけません。それはきっと、呪いと同じです。ここで彼女を見捨てれば、その後悔はきっと師匠に呪いをかけるでしょう」
「静子……。しかし、速水さんは、お前を……」
「私のことは問題ありません。彼女のことだって、全く恨んでいません。だって、師匠は絶対に私を助けてくれると信じていましたから。呪いなんて、全く怖くありませんでした」
静子は、決して嘘をついたつもりはないだろう。
しかし、先程抱き寄せたとき、静子の体は確かに震えていた。
本人がどう思おうとも、体は間違いなく恐怖を感じていたのである。
……呪いと、速水さんの敵意に対して。
だというのに……
「……わかった。なんとかしてみせる。その代わり、俺は確実にぶっ倒れると思うから、介抱は任せるぞ?」
「はい、喜んで」
何が喜んで、だよ全く……
困った弟子だと思いつつも、彼女の強さと優しさに感動をせざるを得ない。
「……速水さん、俺は君のことを許すことはできないが、君の不幸に同情はするよ。だから今回だけ、君を助けようと思う」
「……うっ……あっ……?」
俺は呂律も回らず、うつろな目をした速水さんを抱きかかえる。
同時に、『転換の秘法』で体内の魔力をフル稼働させる。
「弟子の願いでもあるからな。……全力で、君を救おう」




