第60話 おまじない
◇山田静子
(想定外の状況とはいえ、少し迂闊でしたね……)
この部室の周辺は元々、速水 桐花対策として警戒網が敷かれている。
しかし、電脳への干渉に集中していた私は、それを感知することができなかった。
少しでも意識を残していれば、ここまで接近される前に気づけたハズだが、それを怠ったのは完全に私のミスである。
「……こんな時間に、どのような御用でしょうか? 『正義部』への依頼ですか?」
努めて平静を装い、言葉を選んで質問を投げかける。
彼女の目的は十中八九私だろうが、それに気づいてることは悟らせないようにする。
「いえ……、私は……、山田さんに用があって来ました」
やはり、彼女は私に用があるらしい。
少しくらいは違う用件であることを祈っていたが、現実は甘くないようだ。
「……私に、ですか? 一体、何の用でしょう? ……いえ、それよりも、どうやって私の居場所を?」
用件については既に想像がついているが、場所を特定された理由がわからなかった。
ここ最近の私は、下校の際必ず師匠と一緒に帰宅していたし、その間は部活動に参加せず、真っ直ぐ帰路に着いていた。
ゆえに、普通なら師匠がいない今日は一人で帰ったと考えるのではないだろうか。
監視されていたという線も、恐らくはない。
速水桐花が学校を出たのは確認しているし、監視カメラや盗聴器の類が無いことも調査済みだ。
だというのに速水桐花は、私が学校に残っていることを把握しており、戻ってきた。
一体どうやって……?
「学校に残っていることは、友達に聞いて知っていたの。多分、部室にいるんじゃないかってことも」
「……」
……成る程、そういうことですか。
速水桐花は、一般的に見れば交友範囲も広いし、比較的好かれやすい性格をしている。
成績もこの学校の中では優秀な方だし、面倒見も良い。
友達というレベルでなくとも、彼女にお願いされれば快く引き受ける者も多いハズだ。
……いや、それは関係ないか。
尋ねる内容なんて、「山田さんて、まだ学校にいるかな?」程度で良いのだから、別に面識のない人物だって問題無い。
私と同じクラスメートであれば、下駄箱の場所さえわかれば下校しているかくらい容易に確認できるだろう。
実に単純な話ではあるのだが、基本的にボッチである私には、他のクラスの他人に頼るという発想がなかった。
盲点というのも馬鹿馬鹿しいけど、今後はもう少し周りにも視線を向けるべきかもしれない。
「……そうですか。それで、用件というのは?」
「その前に、できれば場所を変えられませんか? 学校で話す内容でもないですし、神山君も戻ってきちゃうかもしれないので……」
「……それは、良助君に聞かれたくない内容、ということですか?」
「っ!? そ、そうです。そのために、今日は神山君に席を外してもらったんです……」
速水桐花は一瞬ビクリとしたものの、特に言い訳することもなく事実を言う。
しかし、席を外してもらった、ですか……
別の場所におびき寄せるというのは、そんな可愛げのあるやり方ではないだろうと言ってやりたくなる。
「……では、連絡を取るのもダメってことですよね。あとで上手く説明するのが大変そうです」
「そ、その時は私も一緒に謝るから!」
そういう問題では無いと思うが、今後の彼女の出方次第ではそれすらできない可能性もあるのではないだろうか。
……まあ、このまま問答をしていても仕方ありません。
どの道、動かなければ強硬手段に出られる可能性もあります。
予想外の行動に出られる前に、動いた方が得策でしょう。
「……では、駅とは反対方面にある神社でどうでしょうか? あそこなら下校する生徒に出くわすこともありませんし、人も寄り付かないでしょうから」
女生徒二人で寄るような場所ではないが、条件的に考えれば彼女にとっては都合が良いハズ。
人払いの呪をかけておけば、別のお客さんが現れることもないだろう。
「う、うん。じゃあ、そこで……」
私は速水 桐花の返事を待って、ノートPCを閉じる。
あえて電源を落とさなかったのは、スクリーン上にメッセージを残したからだ。
(師匠なら、きっと気づてくれる……)
………………………………
…………………………
……………………
駅とは反対方向、住宅街の途中にその神社はあった。
存在は知っていたが、実際に訪れるのは初めてのことである。
立地のせいか、随分と小じんまりとしており、手入れも余りされていないように思える。
私は敢えて遠回りするように神社を周回し、簡単な人払いの結界を施した。
道を知っていれば私の行動は不可解に映ったかもしれないが、先程の反応からして速水桐花はこの場所を知らないようであった。
特に何か言うこともなく黙って付いてきたので、何も疑問には思っていないだろう。
「さて、では用件をお願いします」
境内の前で、私達は向かい合う。
辺りはもう暗くなっていたため、電灯が無ければお互いの表情すら見えない状態だった。
私の言葉に対し、速水桐花は俯いたまま、ゆっくりと口を開く。
「山田さんは……、神山君と、付き合っているんだよね?」
「はい、そうです」
迷わず答える私に対し、彼女から殺気のようなものが放たれたのを肌で感じ取った。
「……どうして、二人は付き合い始めたの?」
「私達が好きあっているからです」
「それは……、嘘だよ。少なくとも、神山君は山田さんのこと、好いていないんじゃない、かな?」
「っ! 随分な物言いですね……。何か根拠でもあるのでしょうか?」
いきなり師匠の気持ちを否定されたせいで、少し言葉を詰まらせてしまう。
(成る程、これが速水桐花の本領ですか……)
相手の感情は一切考慮せず、自分の中の設定を前提に話を進める。
今のやり取りだけで、師匠がしんどそうにしていた理由を十分に理解できた。
「根拠は、あるよ。山田さんも知っていると思うけど、神山君は元々、雨宮さんていう大切な人がいるの。だから、二人の間に入るのは、その、よくないと思うの」
(何を言い出すかと思えば……)
そんなことは、この私が一番よく理解している。
誰より、恐らく彼らの両親よりも、深く理解している。
「……別に私は、二人の間に入っているつもりなんてありませんよ? 良助君と一重ちゃんは、今でも深い絆で結ばれています。割って入る余地なんて、あるワケないじゃないですか」
「じゃ、じゃあなんで山田さんは!?」
「簡単なことです。二人は家族より強い絆で結ばれていますが、家族ではありません。でも……、私なら良助君の家族になれる……。理由はそれだけですよ」
「……? 何を、言って……? じゃ、じゃあ、山田さんは神山君のことをどう思ってるんですか……?」
「先程、好きあっていると言ったと思いますが? もちろん、私も良助君のことは好きですよ。愛しています。そうでなければ、家族になりたいだなんて思うはずありません」
既に、今回の計画は破綻している。
この状況で下手に演技を続ければ、彼女はきっと私の嘘を見破るだろう。
だから私は、嘘偽りなく、本音でぶつかることにしたのだ。
「だ、だからそれは、山田さんの一方的な思い込みでしょう!? 確かに、神山君は広い愛を持つ人だけど、その愛はアナタになんか向けられてない!」
思い込みと来たか……
どの口がそれを言うのかと、言い返したくなってくる。
しかし、自覚の無い者にそれを言っても無駄だろう。
私は努めて冷静に、核心へと切り込んでいくことにした。
「……思い込みとは言ってくれますね。では、速水さんは誰なら良助君に相応しいと?」
「それは……、尾田君です!」
「尾田君……? 彼は男の子ですけど?」
「そ、そうだよ! 神山君は、入学したときから尾田君のことが好きだったの……。でも、最初は素直になれなくて……。それが最近になって、杉田さんの協力で、やっと素直な気持ちになれたの! 仲の良い弟分までできた! 杉田さんの登場で、全てが良い方向に進んでいたんだよ!? それなのに、アナタが登場してから、三人は疎遠に……。アナタが現れなければ、こんなことにはならなかったのに!」
……これが速水桐花の中に存在する世界設定か。
彼女の描いた同人誌である程度は理解していたが、なんとも自分勝手な解釈に満ち溢れた世界観である。
実際の所、師匠は尾田君を意識してはいたが、それは決して恋愛感情からではない。
たんに、強面で図体のデカイ生徒が後ろの座席だったものだったから、絡まれないかとビビっていただけである。
本気でやりあえば負けることなんてないハズなのに、師匠はそういったところが実に謙虚だ。
まあ、それが今では信頼を寄せる親友のようになっているのだから、元々そういう目で見ていた彼女にとっては、ついに結ばれた! とでも映ったのかもしれない。
ただ、私に関してはどうなのだろうか?
二人とは幼稚園の頃からの仲だし、結構一緒にいる場面も多かったハズなのだが。
……もしかして、彼女の目にはフィルターがかかっていて、映っていなかった?
あるいは、私の影が薄いせい……?
「……それは、速水さんの勘違いですよ。良助君と尾田君は友達ですが、そういった仲ではありません。ノーマルです。ちなみに、勘違いしているかもしれませんが、如月君もノーマルですよ?」
まあ、言っても無駄だろうが、そこは否定をしておく。
正直、最近の如月君は少し怪しい気配がしないでもないですがね……
「……やっぱり、山田さんもそうなんだね。……うん、わかっていたんだ。私の世界を乱す人達は、いつもそうだから……」
速水 桐花の目に、不穏な色が宿る。
魔術を嗜むものであればすぐにわかる、悪意の気配。
これは間違いなく、何かを害そうとしている者の気配だ。
やはり彼女は、私に何か物理的な危害を加えようとしているのだろう。
彼女はわかっていた、と言った。
つまり、最初の問答は意味が無く、最初からやることは決まっていたということだ。
なんとも回りくどいが、こういった展開も彼女の世界に基づくものなのだろう。
「……私に、何をする気ですか?」
「……山田さんが、神山君と別れれば、何もおこらないと思うよ? でも、別れないなら、酷いことがおきると思う……」
酷い目に合わせる、ではなく起きると思う、か……
この会話は一応録音中であり、もし私に何か危害を加えるのであれば、それを証拠として警察に提出する予定であった。
直接的な言葉は口にしていないが、脅迫とも取れる発言であるため、証拠としては十分な内容だろう。
しかし、これまでの言動から判断するに、彼女はこの会話が録音されているとは全く思っていないハズ。
その上で「起きると思う」と遠回しに言ったことが、一体何を意味するのか…………
彼女のノートPCの中身を確認した私には、見当がついていた。
「これはね、有名なネットのおまじないなの。本当に意味のない、おまじない……。でもね、とあるモノを持っていると、このおまじないは本当の効力を発揮するって言われてる。私は、それを持っているんだ……」
彼女のPCには、色々な物の購入履歴が残っていた。
小物や人形、アクセサリや占い道具に同人誌、そういった購入情報を、私はあの一瞬で全て把握していた。
だから当然、その中に一つだけ、特殊なサイトでの取引情報があったことも知っている。
おまじない道具。
おまじないとは、呪い……
つまり、その文字が示すように呪いを意味する言葉である。
彼女の購入したものは、一見すればただの胡散臭い霊感商法だとか幸運グッズに近いものだ。
しかし、あのサイトで販売されていたものは違ったのである。
紛れもなく、本物の、呪物だったのだ。
何故断言できるか? それは実物を見たことが有るからである。
もっとも、かつて師匠に見せてもらった呪物は、もっと複雑で高度なものであったが……
「信じられないかな? でも、信じなくてもいいよ。山田さんも、あの子と同じように、そうなってから後悔すればいい……」
速水桐花は、優しい微笑みが似合う文学少女である。
しかし、その時浮かべた笑顔は酷薄で、何かに憑かれたかのように醜悪であった。




