第59話 速水桐花の日記
◇神山良助
「麗美! 一体何があった!?」
『マスター、お取り込中に申し訳ありません! ただ、すぐにお伝えした方が良いと思いまして……』
麗美の声色からは、明らかに焦りが感じ取れる。
何かあちらで不測の事態が発生したのかもしれない。
「こっちのことは大丈夫だ。落ち着いて、何があったのか話してくれ」
『あ、いえ、任務については滞りなく片付いたのですが、少し不味いことが判明しまして……』
「不味いこと?」
『ええ……。マスターには以前、谷中 浩史と沢井 和也について、結果的に彼らが不登校になったことをお伝えしましたが、憶えていますでしょうか』
「もちろんだ」
谷中浩史と沢井和也の二人は、俺達の前に速水さんの標的(?)とされた者達だ。
俺達とは違い、彼らは本当に肉体関係を持っていたのだが、その分彼らはより甚大な被害を受けることになった。
性行為中――その現場を盗撮された画像がバラ撒かれたのである。
結果として谷中と沢井は学校での居場所を失い、不登校になったということだった。
『その件では、結果的にバラ撒いた張本人である速水桐花も含め、三人の生徒が不登校になった……、と思っていましたが。事実は少し異なったようです。……速水桐花は、不登校になどなっていませんでした』
「っ!? なんだと……!?」
沢井は、画像をバラ撒いた犯人は速水さんであると知っていた。
これは、沢井が速水さん本人から直接聞かされたということなので、間違いないだろう。
速水さんは他にも画像を所持しており、それを盾に脅されていたため、沢井は彼女に手を出せなかったのだという。
しかし、速水さんはそのことを自ら学校側に告白したらしく、結果的に三人は自宅謹慎を命じられることになった。
調査結果では、その後三人は不登校となり、卒業式にも出なかったということだったが……
『情報を統合した際、認識に齟齬があったようです。田中 純也が言っていた三人の不登校者と、謹慎となった三人はイコールではありませんでした。速水桐花は謹慎が解けたあと、何事もなく登校を再開し、卒業式にもしっかりと參加しています』
……確かに、よく考えてみると不登校になった生徒の名前について、俺達はしっかりと確認したワケではない。
話の流れから、謹慎した生徒イコール不登校の生徒だと、勝手に思い込んでいたからである。
そもそもこの件に関わっている者はあの三人だけなのだから、他の人間が不登校になっているなど、考えもしなかった。
一体、他に誰が不登校になっていたというのだろうか……?
『先程、田中純也にも確認を取りましたので間違いありません。そして、不登校となったもう一人ですが、鴫沢 香織という女生徒であることも確認しました』
「鴫沢……?」
その名前には、朧気ながら聞き覚えがあった。
確か、調査資料の中にはあったハズだが……
『鴫沢は、沢井の彼女となった人物です。この事件に直接関わっていたワケではありませんので、私もすぐには思い出せませんでした。しかし、速水桐花の日記には、鴫沢の名前が頻繁に登場していたのです……』
「……聞き覚えがあると思ったが、そうか……、沢井に途中でできたという恋人のことだったか」
調査の結果、沢井はバイセクシュアルであることがわかっている。
沢井は中学二年の中頃から約半年の間、谷中との肉体関係を続けていたが、三年になった際に別の彼女と交際を始めた。
その彼女というのが、鴫沢香織という女生徒である。
しかし麗美の言うように、鴫沢はこの事件に直接的に関わっているワケではない。
速水さんが動きだすきっかけとなったことは間違いないが、事件を境に沢井との関係は自然消滅していたハズである。
沢井が不登校になった以上、それも当然と考えていたが……
『鴫沢は速水桐花にとって、彼女の世界を歪ませる存在でした。ですので、日記に名前が散見するのも不自然ではないのですが、内容に少々不穏なものを含んでいまして……』
麗美はそこまで言って、一瞬言葉を濁す。
不穏という単語から想像するに、少々口にするのが憚られる内容なのかもしれない。
『……すみません、内容が非常に比喩的というか、暗喩的なものでして、私には正直判断しかねる内容なのです。ですので、この部分に関しては、日誌に書かれた内容をそのままお伝えします。……彼女の日誌にはこう書かれていました。「真実が明かされ、魔女は呪いに焼かれた。こうして、世界に平和が訪れた」と』
『魔女は呪いに焼かれた』その一文を聞いた瞬間、背筋に怖気が走る。
それでは、まるで……
『……その日記の日付以降、鴫沢は学校に登校しなくなったようです。あまり考えたくはありませんが、私には速水桐花が何かをしたのではないかと思えてしまうのです』
背筋に走った怖気は、次にチリチリと焦燥感に変わっていく。
『どうしても緊急でお伝えしなければと思ったのは、先日の日記の内容が「魔女は再び呪いに焼かれるだろう」という予言めいたものだったからです。もし速水桐花が何かをしたのであれば、静子さんにも危険が及ぶやもと………………、マスター?』
頭の中で様々な情報がグルグルと渦巻き、一つの答えへと収束していく。
動揺で思わず力が入り、掴んでいたスマホが軋んだ。
「……麗美、静子に連絡は?」
『合図の際に連絡しましたが……。あの、マスター? 何かあったのですか?』
どうやら、電話越しにも俺の焦燥感は伝わったらしい。
麗美が不安げに尋ねてくる。
「麗美、尾田君達と一刻も早く引き上げてくれ。不測の事態に備え、研究所への連絡も頼む」
『マ、マスター? 不測の事態って……? ……速水桐花は、まだその場にいるんですよね?』
麗美は、速水さんがまだ俺と一緒にいると思っている。
今の通話も、少し席を外した上でしていると思っているのだ。
「……速水さんは、待ち合わせ場所に現れなかった。どうやら、急用ができたらしい」
『っ!? そ、それは、まさか……!?』
「ああ……、静子が危険かも知れない。俺は今から静子の元へ向かう。後のことは、任せたぞ」
俺はそう告げると同時に通話を切り、速やかに行動を開始する。
(頼む、無事でいてくれ、静子……)




