お泊まり
6時30分にセットしたアラームが鳴る前に、汐梨は目を覚ました。
頭の下には颯太の左腕が、目の前には彼の顔があった。
「〜ッ!」
汐梨は、ゆっくり覚醒する頭で昨夜の事を思い出していた。
(うわぁ、恥ぅ〜)
同じベッドで眠っただけで、それ以上の事はしていない。
それでも、顔も耳も熱くなってくる。
鏡など見なくても自分が、真っ赤になっているのが分かる。
「有難う、颯太。こんなにぐっすり眠れたのは久しぶりよ。朝ご飯、作ってあげるからね」
眠っている颯太に、そう言って、汐梨は寝室から出て行って。
「俺は、殆ど眠れなかったよ」
汐梨が出て行くと、颯太は目を開けた。
◇◇◇◇◇◇
「もう諦めましょう」
デパ地下で買った弁当を食べながら、汐梨がボソッと言った。
「……」
颯太は無言で、弁当を食べている。
「どうせ、付き合ってるってアピールするんだから、手間が省けたと思えば良いじゃない」
「いきなり下着売り場からスタートか!」
「ラブホからスタートよりマシでしょ!」
「…はぁぁ」
箸を止めて、颯太が溜息をついた。
「何よ?」
「なんでも…」
「ハッキリ言いなさいよ」
「俺、明日無事に帰れると思うか?」
「…だ、大丈夫じゃない。颯太、強いんでしょ?お父さんが言ってたわよ」
汐梨の目が泳いだ。
「何で、バトルが前提なんだ?」
「…男の子って、そうじゃないの?」
「高校生にもなって、取っ組み合いなんてするか!」
「じゃあ、逃げちゃえば」
「逃げるだけなら簡単だけど、汐梨を置いて帰れねぇだろ!」
「えっ?!」
「ストーカーがいるかもしれないんだろ?目ぇ離せる訳ないだろ」
「…あ、有難う」
「もう開き直って、手でも繋いで帰るか?」
「そ、そうね。もう、バカップルを演じましょう。騒ぐのがバカらしくなるくらい、見せつけましょう」
結局、大した打開策もなく、話を終えた。
「風呂、洗って来る。先に入って良いぞ」
弁当の空箱を片付けると、颯太は入浴の準備を始めた。
「泊めて貰うのに、先に入るなんて悪いわ」
「気にするな。俺、筋トレしてから入るから。自分の入った湯に後から入られのが嫌なら、お湯抜いちまっても良いから」
颯太はワイシャツと肌着を脱ぎ、トレーニングウェアに着替え出した。
「ちょっと、こんな所で脱がないで…って、何なの、その筋肉?」
半裸の颯太を見て、汐梨が目を丸くした。
素人目に見ても、尋常じゃない鍛え方をしているのが分かった。
「筋肉質だとは思ってたけど、普通じゃないよね、それ」
「…まあ、昔から鍛えてるからな。それなりに身体は出来てる」
「……」
「とにかく、1時間くらい掛かるから、先に風呂入ってくれ」
「…分かったわよ。見られちゃ困る物も、片付けたいでしょうからね」
揶揄うよに汐梨が毒を吐いた。
「紙媒体はないよ。物理的に片付ける物は無い」
颯太も負けずに切り返す。
「電子媒体なら、あるの?」
「ある!ない方が異常だろ」
「開き直ったわね」
「汐梨も襲われないように気を付けろよ」
「悪ぶっても無駄よ。度胸とかじゃなくて、性格の問題ね。颯太が、嫌がる女の子に何かする姿は想像できないわ」
「……」
「変に意地張らなくて良いわよ。これ、借りるね」
颯太が自分用に用意したTシャツをもって、汐梨がバスルームに入って行って。
(はぁ、お風呂も凄く広い。こんな高そうなマンションをいくつも買うなんて、颯太のお父さんって、何やってる人なんだろう)
浴室を見渡した汐梨は、改めてマンションの造りに驚いた。
(このシャンプーも見た事ないわ)
アメニティ一つ見ても、颯太が金持ちの息子だと実感させられる。
(こんなの知られたら、確かに邪な連中が集まりそうね)
汐梨は、颯太が頑なに周囲の人間を拒絶する理由を垣間見た気がした。
(私、本当に男の子の部屋に泊まっちゃうのよね)
今度は、今から颯太の部屋に泊まる事に意識が移った。
夕飯を済ませて、風呂にまで入ってしまうと、意識せずにはいられない。
(考えても仕方ないか。あの部屋で、ビクビクしてるよりは、余程良いわ)
汐梨が入浴を済ませると、颯太もトレーニングを終えた所だった。
身体から湯気が上り、明らかに上腕部がパンプアップしている。
「颯太、どんだけガチにトレーニングしてるのよ?」
「習慣だからな」
「毎日やってるの?」
「いや、週2で休養日を作ってる。俺も風呂入ってくるから、寝てても良いぞ」
「何処で寝れば良いの?」
「トレーング始める前に、シーツと枕カバー取り替えといたから、俺のベッド使ってくれ」
颯太がドアを開け、寝室の中を見せた。
「…颯太は何処で寝るの?」
「ソファで寝る」
「悪いわよ。私がソファで寝るわ」
汐梨も流石に、この申し出には遠慮した。
「良いから、ベッド使え。汐梨をソファで寝させたら、気になって俺が眠れなくなる」
(颯太の性格じゃ、女の子をソファで寝かせて、自分がベッドで寝るなんて出来る訳ないか?)
「有難う、甘えさせて貰うわ」
「それじゃ、入って来る」
颯太が風呂から戻って来ると、汐梨はリビングでテレビを見ていた。
「まだ、起きてたのか?」
「流石に先にお風呂頂いて、勝手に寝ちゃう程、図々しくなれないわ」
「遠慮し過ぎだ。偽装とは言え、恋人同士なんだろ?」
颯太の顔にいつもの揶揄うような笑みが浮かぶ。
その顔を見た汐梨が頬を膨らませた。
「もう、すぐに揶揄うんだから。それって好きな女の子に意地悪したくなるってヤツ?」
「…そうかも知れない」
真面目な顔で颯太が、考え込む素振りを見せる。
「ち、ちょっと本気で考え込まないでよ」
慌てる汐梨を見て、颯太がまた揶揄うように笑う。
「ププッ…」
「もう!何で、直ぐ揶揄うのよ」
汐梨が颯太の背中をバシバシ叩いた。
「お前こそ、直ぐに叩くのやめろって。叩かれた所、後から痒くなるんだよ」
「颯太が意地悪するからでしょ」
「悪かったよ。もう良いから寝ろ」
「……」
「……」
颯太も汐梨も、今から一つ屋根の下で眠ると思うと、変に意識して、口数が減ってくる。
「ねえ颯太、偽装でも私達、恋人同士よね」
「そう言う事にしたな」
「…恥を忍んでお願いします」
「何?」
「眠るまでで良いんで、横にいて下さい」
「……」
「尾行られてるって感じてから、余り眠れないの。私の部屋、このマンションみたいに防音しっかりしてないから、外で物音がする度にビクビクして、直ぐに目が覚めちゃうの。怖い映画見て、トイレに行けなくなった子供みたいでしょ」
「……」
「ダメ?」
上目遣いで聞いてくる汐梨に、颯太がドキッとする。
「俺に襲われる心配はしないのか?」
「その時はその時かな。今は1人で寝る不安の方が大きい」
「……」
「……」
「…分かった。俺が変な気を起こしたら、思い切り引っ叩いてくれ」
「フフ、私が叩いたくらいじゃ、颯太には効かなそうだけどね。正気には戻ってくれるかな」
「もしかしたら、正気で襲うかも」
颯太が意地悪く笑う。
「もう、また揶揄ってる!」
バッシィィィ!
背中に紅葉が出来るほど強く、汐梨が颯太を叩いた。
「痛ってぇっ!まだ襲ってないだろ!」
「フンッ!」
就寝の準備を終えた2人は寝室に入った後、「横にいる」と言う言葉の解釈に齟齬がある事に気付いた。
「ねぇ、もっと近くに寄りなさいよ」
「なあ、横ってベッドの横じゃないのか?」
「私の横に決まってるでしょ」
颯太の使っているベッドはダブルサイズだった為、真ん中に隙間を開けても2人で寝る事が出来た。
身体が触れないように注意する颯太に対して、汐梨は人肌を求めた。
汐梨が身体を寄せると颯太が逃げる。
「ベッドから落ちちゃうよ」
「……」
「寝付くまでで良いから」
「…分かったよ」
押し切られた颯太が、汐梨に身体を寄せた。
颯太が近付くと、汐梨は颯太の腕に頭を乗せる。
「こんな風に誰かと寝るの、幼稚園以来だわ」
「……」
「不思議ね。同じボディソープ使ったのに、全然違う匂いがする」
「…言うな!意識しないようにしてるんだから」
「…颯太の匂いって、なにか安心するわ」
「俺は、汐梨の匂いでムラッとするよ…」
「…すけべっ!」
他愛もないやり取りをしているうちに、汐梨が寝息を立て始めた。
颯太の腕に頭を乗せ、自分の腕を颯太の胸に乗せている。
(気持ち良さそうに寝やがって。どうするんだよ、これ!)
颯太の下半身には猛烈に血液が集まっていた。
◇◇◇◇◇◇
護摩行も斯かくやと言う、荒行の一夜を終え、颯太は寝室を出た。
「おはよう、颯太。よく眠れた?」
(眠れる訳ねぇだろ!1人で気持ちよそさそうに寝やがって)
「どうしたの?朝ごはん出来てるよ」
「ああ、凄ぇな、これ」
ダイニングテーブルには、鯵の干物、だし巻き卵、ほうれん草のお浸し、きゅうりの一夜漬け、豆腐とワカメの味噌汁が並んでいた。
「お弁当も作ったからね」
汐梨が弁当箱を颯太に見せる。
「中身は、お昼のお楽しみね」
「…何、この敗北感?」
「さあ、食べて」
「頂きます」
2人で向かい合って朝食取る。
「颯太、昨日の下着売り場の写真、多分、学校中に拡散してるわよ」
ブッ!
「いきなり何だ?鼻にご飯粒入った!」
「汚いこと言わないで。多分、駅から思い切り注目されるわ」
「だろうな」
「電車降りたら、教室まで手を繋いで行くわよ」
「…お前、チャレンジャーだな」
「一気に学校中に付き合ってるってアピールするのよ」
「もう、全部任せるよ」
「出かける前に、もう一手打っておきましょう」
スマホを手にした汐梨が、悪戯を思い付いたとばかりに笑いを浮かべた。
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