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古代ギリシャの物語シリーズ一覧

古代スパルタ短編 『ランピトの機織り』

 娘ランピトがはたに向かいはじめた、という話を妻からきかされ、デメトリオスは黙ったまま目を大きくした。

 彼がスパルタ人でなければ「な、な、何だって!?」とのけぞりながら叫んでいたことだろう。


「何故……」


「さあ」


 話はそれだけで終わった。

 無口な両親のどちらも、娘が急にこれまでの方針を曲げた理由は、まったく理解できないままだった。



「ふんふふーん」


 軽やかに歌いながら忙しく機の前を行き来し、美しく張った経糸たていとのあいだに緯糸よこいとを打ち込んでゆく。

 ランピトの手際の鮮やかさに、手伝う奴隷娘のマケーは舌を巻いた。

 これまで機の前に立つことなどほとんどなく、女子の運動競技にばかり打ち込んできたランピトさんなのに、この巧みな手さばきはいったいどういうことなのか。

 女神アテナさまを思わせる堂々たる長身と身体能力のみならず、その機織りの技の巧みさまでも与えられておいでになるとは、恵まれた方というのは、本当に、どこまでも恵まれておいでになる。


 機に向かいはじめて五十日あまり、ランピトの織物は、とうとう完成しようとしていた。

 暁の光のごときクロコス色の布。

 しなやかさは、まるで風のようだ。


「おまえも手を貸してくれ」


 そう言われて、マケーは織り上がった布を織機からはずすのを手伝う。

 端の糸の処理は、薄暗いところではできぬ細かい手仕事だ。

 家の外に出て、日よけの布の下で作業をする。


 遠くの茂みの陰から、若い男たちがこちらをうかがっていることに、マケーは気付いていた。

 ランピトさん目当てのスパルタ人の若者たちだ。

 マケーが気付いているくらいだから、目のはやいランピトさんが気付いていないはずはないが、彼女は涼しい顔をして、糸を結び続けている。

 その涼しい顔が、憎らしいと思うことがときどきある。

 あまりにも恵まれすぎていて。

 そのことを考え詰めていると、できあがればランピトさんの着物になるこの布を、引き破ってしまいたいと思う瞬間さえある。

 でも、もちろん、そんなことはしない。

 そんなまねをすれば殺されるからというだけではなく、一心に糸を結び続けるランピトさんの真面目な顔を見ていると、そんな気持ちを抱いたことが、何だか恥ずかしくなってくるからだ。


 結局、誰もが、ランピトさんに惹かれずにはいられない。

 悔しいが、自分もまた、そのひとりなのだ。


「できた……」


 完成した衣を持ち上げて陽に透かしてみながら、ランピトは呟いた。


「きっと、よくお似合いです」


「うん」


 ランピトは遠くの茂みの陰で若者たちが目を見開くのも構わず、着ていた衣をするすると脱いで、非の打ちどころのない体に真新しい衣をあてた。

 陽に焼けてつややかな肌に、しなやかな衣が流れるようにそって、マケーは思わずため息をついてみとれた。

 ランピトさんの髪は栗色で、よくくしけずった豊かに波打つ髪は、何の飾りもつけていなくてもそれだけで黄金のように輝いている。


「まるで……」


 女神さまみたいです、と言おうとして、マケーはあわてて口をおさえた。

 死すべき人の身を神々になぞらえて、傲慢ヒュブリスにより罰された人々の物語がたくさんある。

 ランピトさんみたいに、あまりにも恵まれた方なんて、そうなってしまえばいい、と思うこともあるけれど、今、太陽の光の中で笑っているランピトさんはあまりにもきれいで、何だかすがすがしくて、湿った薄暗い考えなど、すっかりどこかに追いやられてしまうようで――


「では、新しい着物ができたから、古いほうは、マケーにやる」


「……え?」


「おまえは料理番のタロスのことが気に入っているだろう。あれと一緒になれるように、私が父に話しておいてやる。嫁ぐとき、持っていきなさい」


「えっ」


「私にも狙っている男がいる。知っているかな。ディアイオスだ。レスリングの名人の。今度の祭礼で、これを着て、花冠をかぶって、あいつの前をうろうろする。新しい衣は、女にとって、男たちの鎧みたいなものだ。戦いのとき、心に勇気を吹き込み、奮い立たせてくれる。私は必ず、あいつの心を捕まえてみせるぞ」


 そんなに勇み立たなくても、もうみんなあなたに捕まえられていますよ。


 そう言うこともできずに、マケーはただ目を見開いて、ランピトのまぶしい笑顔を見つめていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 読みましたが、短編としてよく纏まっていると思いました。 娘の人生のなか、一つの勝負に焦点を当てたのですね。 男勝り風な娘が、それまでほとんどやらなかった機という地味な作業に打ち込む。そこに…
[良い点] 時代考証を踏まえた上で当時の人々を描いているところが素晴らしい! その労力には頭が下がる思いです。面白かったです! [一言] ファンタジーが一大勢力として君臨する『なろう』にあって、本作の…
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