第一章 第五話 急襲
彼と最後に遊んだのはいつの事だったろう。
彼は誠実な男で、正義感に満ちていて、嘘が嫌いな男だった。
そんな彼の近くにいることが嫌になるときがあった。
彼の近くだと自分という存在があまりに醜いものだと感じる瞬間があった。
そのことを一度話したことがある。
すると彼は大口を開けて大笑いしたのを憶えている。
自分としては笑い事ではなかったので、そんな彼の仕草に不快感を覚えたが、それは彼の次の言動で吹き飛んでしまった。
「この世にパーフェクトな人などいない。レッドも、勿論僕も」と語ったのだ。
その時の笑顔があまりにも清々しくて、そうしたらそんなことに煩う自分が馬鹿馬鹿しくちっぽけに思えた。
ああ、ナップ。君はいつまでもそのままでいておくれ。
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あれからどれくらい歩いたろう。空がやけに暗い。
不安が風となって頬をなでる。
沈黙のまま行進を続ける部隊は生い茂る木々の中、道なき道を拓いてゆく。
「……。全隊、この先他部隊との合流を図る」
教官の声が静かな空中を行く。
(―――合流してすぐに前線か。)
隠しきれない不安。少し上の空になっていた。
地面だけ見つめて歩いていたら前にいた兵士とぶつかってしまった。
「あっ。ごめ……?」
前の彼の様子がおかしい。空を見上げて動かない。
「おい。どうした?」
思わず声をかけた。
「……なぁ。空の様子がおかしくないか?急に雲が走ってきて」
思わず空を見上げる。
「?」
確かにそうだ。先ほどよりも暗くなってきている。というよりも雲が別物にすり替わっている?
その瞬間!雲を駆ける青い稲光が数個、轟音を響かせながら隊列のすぐ近くに落下してきた。
「なんだ!?」
あたり一面、土煙で覆われ状況がつかめない。
「うわぁ!」「がぁ!?」
混乱と土煙の中、若い兵士たちの声が山中にこだまする。
「畜生ッ!パレット!?ナップ!?」
何が起きたかわからなくて、気付いたら叫んでいた。
「戦場は初めてか?少年。」
「!?うしろッ!?」
敵の姿は見えない。だけど、俺のすぐうしろに確実にいる!戦慄を覚える。
「うおぉ!」
変形能で腕を巨大化させ、声のした方へ思い切りたたきつけた。しかし手応えはない。
遠くで教官がなにか指示を出しているような気がしたが何も聞こえない。
「そんな闇雲な攻撃ではあたらんぞ?」
また後ろから声がした。しかし、その姿はない。
姿の見えない敵に攻撃を当てる方法がてんでわからない。
「これがバケマイティス軍の攻撃……」
本来であればもう少し体を巨大化させたいが周りに味方がいる状態ではそれができない。
「だったら……!」
俺は戦列から飛び出した。
「敵前逃亡か?度胸がないな、少年」
何も言い返さず黙々と、必死に駆け抜け、少し開けた谷の麓にたどり着いた。
つまり逃げ道はもうない。
「詰んだな」
声がよく聞こえる。さっきの攻撃よりもより速く、より大きく、より強く、奴に叩き込む!
「うおおおおお!」
木々を数本巻き込み、渾身の一撃を繰り出した。かなりの体力を酷使してしまった。
「頼む。効いていてくれ……!」
「それは届かぬ願いだ」
「!?そんなっ」
「味方の為に自ら逃げ道を絶ち、最高の一撃を放った……。いい考えだったな。おかげで迷彩の端末が壊れてしまった」
困憊状態で声の方へ顔を向けると、まるで別世界の住人のような重厚な装備を身に着けた戦士が立っていた。
「ようやくアンタの顔を拝むことができたよ……」
精一杯だった。能力の制御もろくにできないまま力任せに攻撃したせいで消耗が激しい。
「しかし、追い込んだところでヘマタイティス人は厄介だからな!」
奴の取り出したナイフが俺に目がけて飛んでくる。回避できず腹部に突き刺さる。
「っ……」
激烈な痛みが走る。経験したことがないような痛み。意識が飛びそうになる。
『刃物や銃弾など大きな異物が体内に残っている場合、再生能が十二分に発揮されないことがわかっている。そこで可能な限りそれらの除去が必要となってくる』
脳裏に、講義で習ったことを思い出した。教官の言葉がよみがえる。
「あ……。ああ……」
腹を裂かれている感触。この体内に入り込んできた異物を除去しなければならない。
「うぅ……。あああああ!」
腹部に入り込んだ異物を引き抜いた。
まるで桶に溜まった泥水をひっくり返したように鮮血が地面を跳ねる。
「――――――――」
喉がヒューヒューと鳴っている。そのまま地面に倒れ込み自らの血液に着地した。
「致命傷には充分だが、どうかな?そこから立ち上がれるか?」
男の声が遠く聞こえる。傷は確実に癒え始めているが失った血液と得た痛み。
回復するにはしばらくかかる。このままもう一撃、致命傷となる攻撃を受ければ間違いなく絶命する。
「――――――――」
声が出ない。戦列から離れたここからでは、もう俺を助けに来てくれるやつなどどこにもいない。
「少年。少し話を聞いていけ。……私には、ちょうどお前と同じくらいの息子がいる。双子でな。小さなころはとにかくかわいかった」
「――――――――」
「少年。お前に愛する家族はいるか?父親、母親、もしかしたら兄妹もいるかもな」
「――――――――」
「私がお前を殺めること。つまりお前の家族から、少年。お前を奪い取ることになる」
「――――――――」
家族を思い出す。最後にあった父の姿、母の姿、妹の姿、・・・そして兄の姿。
「――――――ない」
「ん?何か言ったか?少年」
「―――――ねない」
約束したんだ。サラに、必ず戻るって。
「――俺はまだ!死ねない!」
「よく言った!レッドォ!」
叫び声が聞こえた。その馴染みの声は、この状況でとても頼もしく聞こえた。
「そのまま伏せていろ!レッド!」
ナップが手にしたナイフは思い切り男を目がけて振り下ろされた。
「っ!」
ナップの放った一撃に対し、奴の反応速度の方が一歩先を行っていた。
その一撃は、惜しくも奴の右腕を貫くだけにとどまった。
「……ナップ」
ナップは俺のそばに駆け寄ってきた。
「すまん、レッド。お前が隊から離れたときにすぐに追えばよかったのだがな。こっちにも敵襲があって。大丈夫か?」
ナップは初めて見る友の傷だらけの姿に驚きと申し訳無さがごちゃ混ぜになったような顔で俺を見据えた。
「大丈夫に、見えるか?厳し、……よ。とても」
「ああ、そうだな。レッド、少し休んでいろ」
「おい、どうする、つもりだ?」
嫌な予感がする。ナップはまさか独りで奴と対峙するつもりなのだろうか?
「決まっているだろう。お前の受けた傷をそのまま奴にお返しするんだよ」
……無理だ。ナップでは奴に勝つことはできない。
「……だめだ。ナップ。戦っちゃ、いけない!」
「友人をこんな目にあわされて黙っていられるほど優しい人間ではないんだ!!」
そう言いながら、ナップは懐から新たな刃物を取り出す。
視界の奥では、男が右腕に突き刺さったナイフを潔く引き抜いた。
「……まさかここで新たな敵がやってくるとは。それもまた子供か」
「僕たちを子供扱いするか!足元すくわれるぞ!」
「……ばかもの!いくらお前らが束になってかかってこようとも、戦場での経験の差。その実力差は圧倒的なものだと気づかないのか!」
「うるさい!黙れ!」
こんなにも激昂しているナップを見るのは初めてだ。だが、そんなに熱くなってしまっては……。
「……ふん。怒りに任せて視野が狭くなっているぞ。さっさと避けろ!」
「!! ナップ!右!」
「え」
何が起こったのだろう。
眼前に、先刻目に焼き付いたあの赤色が目の前を舞う。
いつの間に奴から放たれた小刀はナップの首筋を切り裂いていた。
あたり一面にナップの血液が散乱する。
「あ、ああ」
その一瞬のうちの出来事に、俺はただ友人が倒れていく姿を見つめるしかなかった。