第七章 第十話 遥かなる我家
「アルト!アルト!」
か細い少女の声が、無限に続くような森の中に吸い込まれてゆく。
その声と息を合わせるように僕の袖を少女は引いている。
兄貴やレッドさんはもう遠くへ行って、その姿を視認することはもうできない。
「あ、ああ。大丈夫だよ。さぁ、お家を探そうか」
「うん!」
その無邪気な応答に違和感は最早、感じられない。
少女、アンの姿はまさしく僕と同等の年齢を想起させる。
遠くに見える天を突き刺す塔を見つめる。
「……ところで、もう『お兄ちゃん』は付けてくれないの?」
「長いからイヤッ!」
「あ、はい」
少し落ち込むが、その暇もない。
「……行こう」
先程アストたちが歩いていった方向とは逆方向に歩き出す。
景色は変わらず、永遠に思える。
足取りは重く、昨夜や今朝のような気分の高まりは欠片も感じられない。
「アルト?元気ないの?」
苛立ちのような感情を抑えきれない心を少女の少し高い声が包み込む。
非常に不思議な感覚。守りたいと思う気持ちと、甘えたいと思う気持ちが混在する。
「大丈夫だよ。あんな、くそ兄貴とずっと一緒にいたら腐っちまう」
なんとなく、強がる。
アンは、「ふーん」と数回頷き、足元の石ころを前方へ蹴り飛ばした。
その石ころは、吸い込まれるように、ゆるやかに視界から消えた。
どうやらこの先から下り坂になっているようだ。
「ここから町へ降りられそうだね。ゆっくり行こう」
アンは静かに頷く。
少しだけ角度のある勾配の下り坂を降りてゆく。
町の入り口が近づく。
早朝だが、町にはそれなりの人波がある。
町ゆく人たちの足並みが少し早い。
その人波を詳しく観察すると、服装に視線がゆく。
幸運なことにまるで肌着なような服を民衆は身に着けている。
僕は上に来ている戦闘服を脱ぎ、肌着一枚になる。これで何とか溶け込めるはずだ。
「こういう時はね、逆に堂々としている方がいいんだよ」
自信は、ない。
だが、アンの眼差しは憧れの対象を見るような輝きで満ちていた。
そして宣言通り、堂々と町の中へと入ってゆく。
しかしその直後、最悪な事態に遭遇した。
それは僕が前方から目を反らし、アンの方を向いていたその時だった。
「―――!」
右肩に衝撃。一般人の男と肩がぶつかってしまった。
しかし、ただぶつかっただけなのに信じられないほどの衝撃だった。
ぶつかった男の表情はまるで目の前にいきなり僕が現れた、と言ったようなものだった。
男はその見開いた眼をすかさず平常時のものに戻り、軽く会釈され通り過ぎていった。
「なんだったんだ、今の。見えてなかったのか……」
アンが衝突した僕の右肩を優しく摩る。
「大丈夫?痛くない?」
そのような視線を向けられては、返す言葉は一つだけだ。
「全然平気、痛くもなんともない」
よかった、とほほ笑む。なんとも愛おしい。
そうして僕達は今起きた出来事をまるでなかったことかのように歩き出す。
この出来事が、この国に住まう人たちの本質的な問題を如実に表していたことに気が付くのはもう少し時が経った後の事である。




