第七章 第九話 愉悦
茂みを少し歩いたところだが、もう後ろのアルトとアンの姿は視認できなかった。
「アスト君、本当によかったの?」
少し早歩きで歩くアストにパレットが問う。
「いいんですよ。どうせすぐ追ってきますから」
ぶっきらぼうに答えるアストにもう、とパレットが頬を膨らませる。
すると何かに気付いたかのようにアストは立ち止まる。
「僕が先頭じゃダメじゃないですか。レッドさん」
「あ、うん」
言われるまま前に立つ。
目指すところはもうわかっていた。
「二人とも、とりあえずあの塔を目指そうと思う」
パレットとアストは静かに頷いた。
そして静かに、町へと潜入を開始した。
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「……来たか、愚弟よ」
バーネットはカップに紅茶を注いでいた。
「あの剣の?」
バーネットは自らの主に淹れた紅茶を差し出す。
「ああ、総て知られているともわからずに」
主は大きな椅子から立ち上がり全方位にはめごろされている窓の北側の方へ立った。
その方角はちょうど先日我々が、いや正確には主が一人で行ったものだが、焦土とした町のある方角だった。
紅茶を啜りながら窓の外を見る。
生憎、窓からは雲しか見えず下の景色は一切見えない。
「愉しみがあるのはいいものだな、バーネットよ」
「未来を待ち望んでいられるのですか?」
「そうだ。お前もすぐにわかる。人生は長い。私もずいぶんと長く生きている。この憑代も私に随分と馴染み始めてきたところだしな」
憑代……。神は完全無欠の存在だと思っていたが決してそうではないらしい。神も時間には抗えないということか。特別な魂を有していたとしても表面の肉体はやがて朽ちてしまう。そういうことなのだろう。
「さて、そろそろ目を覚ます頃合いかな」
「連れてきた娘ですか」
「ああ、なにせこの軀の記憶では大事な妹だったらしいからな。その妹もこの軀のことを大層大事におもっていたことだろう。……絶望に満ちた顔を拝みに行くとしよう」
「……」
「いいものだぞ?お前も来い、バーネット」
「はっ」
主の後をついてゆき、少し下層にある牢へ来た。
灯りは一切入ってこず、湿った空気が場を支配している。
この階層には4つの牢屋があるが、2つ対になる形で配置されている。左側奥の牢に例の女がいるが他の3つの牢は誰も入っていない。
主が例の牢の前に立つ。少し後ろからそこを眺めた。
牢を開け、主がベッドの傍らに立つ。
驚くほどに優しく甘い声で語り掛けた。
「サラ」
「……ヘイブ、お兄ちゃん?」
女はベッドの上に膝を組み、体を小さく震わせていた。
「ああ、そうだ」
「なんで?お父さんと、お母さんは?……レッド兄ちゃんは?」
「サラ」
「ねぇ、答えてよ!」
「ふん、小娘が。死んだよ。お前の親は」
「え―――」
「気を失っていたもんなぁ、あの後すぐに殺してやったよ。いいものだった」
「……嘘、嘘よ」
「嘘、か」
主は石でできた壁にある蝋燭に火を灯した。
暗闇しかなかった空間に仄かな光が現れる。
「い、いやぁぁ!」
女が明るくなった部屋の隅にある大きな二つの石、ちょうど人の頭くらいの大きさの石を見て大きな悲鳴を上げた。
「お父さん……。お母さん……」
意味も解らないままでいると、主が僕の耳元でささやいてきた。
「小娘にはな、あの石が親の頭に見えるんだよ。精神は極限状態だろうなぁ。いつ狂いだしてもおかしくない。ほら、見てみろあの顔を。いいものだろう?ああ、いいものだ」
女の震えが大きくなる。腕を抑えているが一層それが強くなるばかりだ。
惨すぎる。こんなものを見て愉しむなど、ありえないものだった。
目を反らしたかった。しかし主は耳元でさらにつづけた。
「光景を、体が拒むか?大丈夫だ、そのうち総てが愛おしくなるぞ」
そう言って、主は僕から離れていった。
「……レッドを、連れてこよう」
「レッドお兄ちゃんを……?」
「ああ、だが生きている保証はしないがな」
少女の眼が大きく開く。
「お願い、やめて。私から、すべてを奪わないで」
「運命を憎むんだな。行くぞ、バーネット」
「……」
主はまた、最上層へ昇っていった。
ベッドの上でいつまでも震えている少女を見て、僕はその場から動き出すことができなかった。




