第七章 第二話 信仰の湖
「―――神よ。」
夕食時。配膳された食卓は、一つの空席が目立つ。
父親を欠いた家族は、それぞれの席に着く。
この国、イマノティス国の風習として、食事の前にはその感謝の念を込めて神への祈りを捧げる。
その役目を果たすのは通常、家族の長である父親が務めるところであるが、彼らの場合そのキーパーソンがつい昨日、天へ旅立たれた。
「今日も健康で平和な一日を過ごせませたことを感謝します。」
この場合、家族の長男がその役目を引き継ぐ。
男の名は、バーネット。
齢11歳であるが、例えば我々が彼らの姿を見て11歳とは到底言えないだろう。
彼らの短命に似合う成長速度といえる。
「災いや悪霊や悪魔から守ってくださることを感謝します。」
食卓を囲む人々は瞳を閉じている。
この国の人々は神への信仰を重んじている。
その実体、その正体を誰も知らないままに。
「御元に召された死者の魂が安らかでありますように。罪深く愚かな私たちをお許しください。そしてお導きください。今日の日の恵みを感謝します。……よし、食べよう。」
初めての祈祷にしてはスムーズに終わったと、バーネットは自らの心の内で安堵した。
今はまだ、父の声を容易く思い出すことができる。
やがて、この一人を欠いた食卓が当たり前になるのだろう。
そう思うと少し寂しくもあった。
「少し、散歩に行ってくるよ。」
夕食の後、家にいても落ち着かなかったので少し外に出ることにした。
辺りは夕闇の青さに包まれ、気味が悪いと言えばそう聞こえるし、神秘的とも受け取れる。
そんな景色に見えた。
「ああ、君。ちょっといいかな。」
後ろから知らない声がした。
振り返ると、そこには珍しい銀髪に茶色の瞳の男が立っていた。
一目でこの国の人間ではないと察知できた。
……敵意は感じられない、が。
「……。あなたはこの国の人ではない?」
問を投げかける。
すると、銀髪の男は笑みを浮かべながら返答した。
「察しがいいね。まぁ、当然と言えば当然か。……君がここに来るのを待っていたんだ。」
不思議な感覚だ。
男の表情から一切、視線を反らすことができない。
「僕を、待っていた?……意味が分からない。」
「意味?直にわかるさ。さて、君に一つ。提案があるんだ。バーネット。」
全身に震えが走る。
なぜ、この男は僕の名を知っている?
それを問おうとしたが、彼はすぐに言葉をつづけた。
「無意味な質問は止してくれ。俺は、君の持つ尺度に収まるようなタイプの存在じゃない。理解したか?」
男の指先がこちらへ翻る。
その場で理解ができるほどの冷静さは、ほとんど失われていた。
言われるがまま、静かに頷く。
「よし、では俺の提案―――いや、これは託宣だ。俺の言葉はお前を導く、いわゆるお告げだ。……お前はなぜ自らの命が短命なのか、なぜもっと生きることができないのか。疑問に思ったことはないか?」
……当然だ。他の国の人たちは長くても80年は生きると聞く。
そんな疑問、数えられないほど自問自答してきた。
昨夜だって、眠りに落ちるその瞬間まで、恐怖に怯えながら、その疑問に対する答を捜した。
だけど、見つかることはなかった。
僕らは、それを諦めるしかないと折り合いをつけている。そうせざるを得ないのだ。
「当たり前だ、といった表情をしているな。では、もうひとつ加えよう。その寿命。引き延ばすことが可能だとしたら?」
信憑性がない。
医者でもできないことを、こんな若い男に可能なのか?
ありえ―――。
「ありえない。なんてつまらない感情は抱くなよ。」
……。一瞬だった。
男は少なくとも五、六歩はある僕らの間合を一瞬で詰めてきた。
そして耳元で言葉を繰り返した。
「言っただろう。俺は、お前ら人間とは違う。例え最強と言われるお前ら部族が束になったところで、俺には太刀打ちできない。」
男は溜息をつく。
「バカな小僧だ。反撃を考えるなど。ほら、見てみろ。お前の左腕……。無いぞ?」
冷や汗が全身に浮かぶ。
ゼロ距離だった間合。
確かにこの拳で男の腹部に目がけて攻撃を仕掛けたはずだった。
しかし、その左腕は無惨にも地面に転がっている。
血の気が引いてゆく。声を荒げることもできない。
次に一体、何をされるのか。その恐怖が心の器を一杯に満たした。
「安心しろ。左腕はちゃんとあるぞ。」
もう、何が何だかわからなかった。
つい数秒前まで地面に在ったものが、あるべきところへ帰っている。
この数分のうちに起きた事象を整理することができず、完全に許容量をオーバーフローしている。
「少しは話を聞く気になったか?いや、お前はもう俺の言葉に従うしかない。……お前が選ばれたのも総ては運命の名のもとに、定まっていたことなのだから。」




