第六章 最終話 Brings Back Memories
「……。」
正直、期待していたところがあった。
手術が終われば、またいつものように私の名を呼ぶトールの声が聞けると思っていた。
だけど、現実は違っていた。
『……。すいません。あなたは誰ですか?』
あの言葉が、心に大きな風穴を開けたまま塞いではくれない。
もう私の隣に立っていた彼の姿はない。
彼はもうここには、いやもうどこにもいないのだ。
だけど、私の足は彼のいる部屋に向かっている。
全くわからないものだ。
真実を認識していたとしても気持ちが私を動かしている。
もう一度、彼のあの笑顔が見たい。
そのためにどうすればいいのか、その方法もわからぬままドアをノックした。
「……。トール。いる?」
「どうぞ。」
トールは昨日と全く同じ様子だった。
カーテンが閉め切ったままの暗い部屋に、独りきり。
「……。カーテン、開けるね。」
光の入り込む部屋に少しだけ気まずい雰囲気が漂う。
「体の調子はどう?そうだ、少し体勢変えた方が楽だよね?起こすよ?」
「あ、ありがとうございます。」
パレットさんは時間が経つにつれてよくなると言っていたけれど、未だに上腕をうまく動かせないという。
だから、トールは思うように寝返りも打てないし、体を起こすことも到底できない。
彼の体を支え、体を起こす。
「すいません。エリーさん、でしたよね。」
「うん。」
彼が私の名前を確認した。
口調、そしてその言葉。
ああ、思い知らされる。
「僕とあなたはどういう関係だったのですか?」
無邪気に問われた。
私とトールの関係。
言葉にするにはあまり曖昧な関係だ。
恋人ではないし、だけれど友人というにはあっけない。
「……そうね。うん。信頼し合った間柄よ。」
「そうなんだ……。」
彼は顔を伏せた。
その動作にどのような感情が込められているのか、それを感じ取ることは今の私には余りに難しかった。
「エリーさん。笑わないで聞いてもらえますか?」
そう言うと、彼は顔を上げ、真っすぐに私の瞳を見つめた。
「うん。笑わないよ。」
トールは軽く息を吐き、続けた。
「夢に母さんが出てきたんです。はっきりと。そして、こんな言葉を残していったんです。“エリーと二人で拠点に行きなさい”って。その言葉にはきっと意味があると思うんです。だから一緒に来てもらえませんか?あそこへ。」
彼の言葉に驚きを隠せなかった。
だけど、今は彼の望むこと総てを叶えてあげたい。
「うん。わかったよ。行こう。」
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「……来て。サリー。」
突如として現れた白馬に彼女は跨って、手を差し伸べてきた。
「乗れる?行きましょう。」
まだ動かし辛い全身を何とか駆使し、彼女の背に身を預ける。
……。これは、前にもあった気がする。
ダメだ。記憶にまだ深く、濃い靄が掛かっている。
だけど、この感覚は失われた期間の証明だ。
この瞬間に初めて自覚した。
自分に置かれた状況を。
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「……。まだ、あの時のままなのね。」
結構な時間、走り続けた。
そして辿りついた景色に驚愕した。
「……本当にここなのか。」
開いた口が塞がらない。
壊れかけた橋が無気力に、風に靡かれたまま揺れている。
白馬に跨ったまま進むのは危ないと判断し歩いていくことにした。
……。綺麗な星空だ。
島の影に隠れているが、きっと月も綺麗に見えるのだろう。
そして無言のまま、足と時は止まらない。
島の敷地に入る。
僕の知っている光景とはまるで違うものがそこには広がっていた。
「……。一体なにがあったんだ。ここで。」
「……。少し話しながら歩きましょうか。」
そういうと、彼女は先ほどよりもゆっくりとした足どりで歩みを進めた。
そして、記憶のない僕と彼女が出逢ってからの日々の記録を話してくれた。
偽りの王子として過ごしてきたこと。
彼女の父の手によって、母さんが倒されたこと
信頼していた仲間の裏切りによって窮地に立たされたこと。
志の同じ新たな仲間たちに救われたこと。
そんな彼らと共に革命を起こしたこと。
神と名乗る強敵と対峙したこと。
そしてそこで自分だけの召喚獣を得たこと。
……。しかし、その召喚獣の名前すら思い出すことができない。
その後、攻めてきた大国を撃退したこと。
その戦いで自分が今このような状況にいること。
「それがすべてかな。」
とても信じられなかった。
出来事としてはわずか数日間のものだというのに、あまりに濃密な時間。
絶対に忘れえぬ日々なのに、宝物なのに、僕はあっけなくそれを失くしてしまった。
「……。悔しいなぁ。」
つい口から漏れてしまった。
だって、今の自分には何が残っている?
あの日々が何もなかった自分を色付けてくれたのではないか。
「……。トール。着いたよ。」
あたりを覆う木々が視界から晴れた。
「……これは。」
なんて、なんて綺麗な景色なのだろう。
微かな風に揺れる波。
仄かな月明りに照らされる水面。
ここは、僕の――――。
『ここが最後。夜になったらいつもここでゆっくりするのが好きなんだ。』
大好きな場所―――。
『トール。ようやく目を覚ましたのね。あなたはそんなに早くこっちに来たら駄目よ―――。』
……。
……。
……。
「トール?どうしたの?トール?」
「……。エリー……?」
記憶の靄が綺麗に晴れていく。
まるで頬を撫でるこの風がその靄を攫っていくように。
「ああ、エリー……。エリー!」
戻ってくる。
総てが戻ってくる。
記憶も、感情も、総てがここに戻ってくる。
「トール?戻ったの?」
「ああ、エリー。ごめん。忘れるなんて。本当に、なんて謝ったらいいか……。」
「いいの。いいの……。」
互いに肩を震わせながら、抱きしめ合った。
美しい月夜。
固く交わった絆。
そして、優しい風がそっと頬を撫でていく。




