第六章 第十九話 Made In Heaven
そして朝を迎えた。
「んん、おはよう。レッド。」
どうやら椅子に座ったまま机に伏せる形で眠っていたらしい。
「ああ、おはよう。体痛くない?大丈夫?」
慣れない姿勢でいたからか、少しだけ体が痛む。
パレットも同じような体勢で休んでいたようだ。
「平気よ。……それより彼ら次第だけれど、早ければ今日中にでも実行することになるよ。」
エリーのことだ。
トールの為に持てる以上の力を使って目的を遂行するはず。
「不安がないわけではないけれど、大事な仲間だ。何が何でも成功させる。パレット、改めてよろしく頼む。」
「もちろん!一緒に救いましょう!」
窓から差し込む仄かな朝日が彼女の笑顔を照らした。
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「薬品庫のなかにあったのはこれで全部でした。」
エリーたちの協力で予想よりもずいぶん早く薬品は集められた。
充分、と頷くパレットは次の依頼をした。
「よし、そうしたら洗いざらしの布と熱湯を用意してもらえるかな?そうね……。一時間後に開始しましょう。それまでにお願いできる?」
もちろん、と彼らはまた忙しく扉を開け、部屋を後にした。
「準備と最後の復習をしましょう。……プレッシャーをかけるつもりはないけれど、レッド、すべてはあなたにかかっている。」
「ああ。わかっているよ。」
そして一時間後、その時がきた。
パレットが痣を目印に病巣部を切開する。
開いた患部から目に入ってきたものはしっかりと潰れてしまった脊髄だった。
パレットの言っていた通り、奇跡的にも4番目の頸椎には傷一つ付いてはいなかった。
しかし問題はその直下。
手袋を装着し、熱湯につける。
指先をそっと患部に近づける。
いよいよ変形させる瞬間だ。
イメージしろ。正常の頸椎を。
一晩中教わった解剖図を明瞭に頭に描きだせ。
神経を途切れさせるな。
ああ、大丈夫。大丈夫だよ。
トール。君には俺たちと一緒に、……エリーと一緒に未来を歩いていく権利がある!
だからきっと、いや絶対、大丈夫だよ。
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「……レッド。よく頑張ったね。」
「……ああ。」
すべてが終わった後、俺は疲れ切ってそのまま倒れ込んでしまったらしい。
気が付いたら隣にパレットが座っていた。
「本当、見ていて驚きの連続だったわ。指先が患部に触れた途端に形をかえていくのだもの。」
「……集中力が続いてよかったよ。」
パレットの話によるとその後の縫合などは恙無く終了したらしい。
後は彼が目覚めるのをじっと待つだけだ。
しかし、俺たちはもうひとつの症状に苦悩することになるのであった。
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レッドとパレットさんが頑張ってくれたおかげでどうやら潰れてしまった骨は元通りになったらしい。
手術中はアストとアルトが代わりながら簡易的な酸素吸入器のポンプを押してくれていたという。
目が覚めるまではこのポンプで吸入した方がいいということから私が引き受けることにした。
今まで何もしてあげられなかった罪悪感と、近くでトールを見守っていたい、目を覚ました時に一番初めに気付いてあげたい。今はその思いが私の右手を動かし続けている。
夜も深くなり、時刻は深夜3時くらいになっただろうか。
不思議なことに眠気も手の疲れも一切感じない。
目を覚ましてと願いながら彼の顔を見つめ続けたその時だった。
「―――ん。」
「ッ!?トール!?」
表情が動いた。ああ、やっと彼の声が聴ける。
「―――?ここは……。」
「わかる!?トール!ここは中央城よ。よかった。本当によかった。」
「……。すいません。あなたは誰ですか?」
「え――――。」
嘘だと信じたかった。
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「記憶喪失!?」
パレットさんに昨夜のことを相談した。
一瞬驚いた反応を見せた後、すぐに考察を始めてくれた。
「……はい。一番起こってほしくはなかったけれどやっぱり起きてしまったようですね。彼は窒息状態にあった時間が少なからずありました。それで低酸素脳症を起こしていたのでしょう。その後遺症が記憶障害として現れたと考えるのが自然ですね。」
「記憶、障害……。」
「その他、脳の機能に異常がないか調べる必要があります。彼はまだ部屋にいるんですよね?一緒に来てもらえませんか?正直な話、まだこのお城の構造、把握していないので。」
彼女は少し照れながら言葉を投げかけてくれた。
その言葉はとても柔らかく、暖かいものだった。
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「入りますよ。はじめましてトールさん。」
「は、はじめまして。」
彼の病室に入った。
エリーさんから聞いていた通りの症状があるのかを確認しなければならない。
あとはその他の機能に障害が起きていないか。最低限確認する必要がある。
患者は多少の困惑の色を隠せていないが、落ち着いている。
「背中、痛みますよね。昨日、あなたのその部分を手術したんです。腕を動かすのも辛いかもしれませんが少しずつ良くなると思います。もちろん痛みも引いていきますから安心してくださいね。」
「どうして僕はこんな怪我を負っているのですか?……なぜ自分が今こんな状況になっているのか全く分からないんです。」
「……。こちらの女性のことも記憶にない?」
「……はい。」
エリーさんは静かに彼から目を反らしていた。
「そうですか。トール君。これ、なにかな?」
私は彼に一本のペンを見せた。
「これの名前ですか?ペン、ですよね。」
「その通りです。じゃあ、あれは。」
カーテンを指さす。
「……カーテン。」
「ありがとうございます。……なるほど。」
「パレットさん。何が分かったんです?」
「物の名称とか、そういうのは覚えているようですけれど、思い出とかそういうものに関する記憶は全く失われているようです。あなたと会った以降、もしくはそれ以前からのことをほとんど覚えていないのでしょう。」
「そんな……。国が変わったことも、リノさんが亡くなったことも全部?」
「覚えていますか?トールさん。」
「いえ……。母さんが死んだ?」
「……トール。」
「すいません。すこし一人にさせてもらえませんか?」
「トール!」
「エリーさん。行きましょう。」
「……はい。」
「トール君。また落ち着いたら、話しましょうね。」
「……。」
これは、大変ね。
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『……トール、トール。』
「この声は、母さん?なんだ、やっぱり死んだなんて嘘じゃないか。」
『トール。憶えている?私達が長く暮らしていた革命派の拠点のこと。』
「もちろん。なんで?」
『あそこに、エリーと一緒に行ってきなさい。そうね。夜には居るようにしなさい。そこに行けばいいと思うわ―――。』
「母さん!?ちょっと母さん!?」
そうして母さんは僕の前から姿を消した。
それは朝が来て、夢から醒める合図であった。




