第一章 第二話 かけがえのない時間
今日もまた、夢を視た。
家族が揃って食事をしている。
父、母、俺、妹。そして、兄。
これは記憶なのか。
それとも暗示のような幻想なのか。
微かな意識の糸を手繰り寄せても、主導権はこちらに渡らない。
あくまで再生されるだけの壊れた機械。
俺はただの傍観者で、権利の無い体験者。
お願いだ。やめてくれ。
こんな夢は見たくない。
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兄貴が徴兵されて4年。
兄との別れ際に泣きじゃくっていたサラも、もう14歳になった。
サラは養成機関中等部で基礎医学などを学んでいる。
俺の家、エライド家は小さな診療所で父親がドクター、母親はナースだ。
サラは将来的に家の診療所でドクターとして勤めたいと日々勉学に励んでいる。
中等部と高等部の学舎は同じ建物の中にあり俺もサラのようすを時折見に行くことがある。
それは兄貴としてなのか。今もわからない。
少年の頃の兄貴との約束が今も俺の心の中で強く根付いている。
「お兄ちゃん!パレちゃん!」
昼休憩中の学舎に無邪気な声が響く。
「あ!サラちゃん!こんにちは~。元気~?」
誰が見てもわかる。
サラはいつも元気だ。
……しかし、元気に振る舞おうとする癖がある。
それは俺が心を痛める一つの要因でもあった。
「元気だよ!パレちゃ~ん。今日もカワイイね~」
サラは帰ってこないヘイブ兄さんに本当によく甘えていた。
俺も兄貴にはかなり甘えていたし、サラに特別尊敬されていなくても構わないと思い込んでいた。
だけど徴兵で別れてから、しばらく元気がなく、沈んだ日々を過ごしていた。
そんなサラを俺は見たくなかった。
兄貴との約束の為にも、もっと兄さんらしくしなければと頑張った。
兄さんらしく振る舞えば誰もが笑顔を覗かせてくれたからだ。
多分、そんな空元気な俺を見てサラも無理に頑張っているんだと思う。
「何言ってるの~?サラちゃんの方がカワイイよぉ~♡」
ああ、またこれだ。
パレットとサラは正面に向き合い、互いの手を握りながらぴょんぴょんと小動物のように跳ねている。
やはり軍事養成機関の学生と言っても子供は子供だ。
無邪気で元気な一面が垣間見える。
パレットはサラのことを本当の妹のように溺愛しているし、サラはパレットのことを本当の姉のように慕っている。
正直、パレットには本当によく助けられている。
俺一人だったらきっとサラをこんなに元気にしてやれなかったと思う。
「……はぁ、お前らなぁ」
嘆息も虚しく。
甘ったるいいつもの光景にくどくなる。
「そろそろ休みも終わる。移動しよう」
「「はーい!」」
はたから見れば家族のような、いや俺たちはもう欠くことのできない家族のようなものだ。
サラも、もちろんパレットも大事な人。
だからこそ、3人の団欒の時間がこんなにも愛おしいと感じるのだろう。
それが有限のものだとわかっているからだ。
このまますべてが終わればいいのにと、願いは虚しく空へ果てる。
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午前は座学、そして昼休みを挟んで午後からは実技・演習に入る。
今日の演習は対人の訓練だ。
基本的には銃撃や短剣での立ち合いを行う。
生徒同士の競争本能をより高めるために座学の成績以外にも組手での勝率も貼り出されてしまう。
嫌なシステムだが部隊の編成にも加味されるらしい。
それに、本気でやらないと負けた方にはペナルティとしてさらにトレーニングが追加される。
それは嫌なので毎回きちんと本気でやっている。
だが今日の相手は、同期のナップだ。
ナップ・クマイル。
彼の甘いマスクからは想像もつかない身体能力の高さで、その戦いぶりに毎回驚かされている。
しかし、甘いマスクとはいってもそれが女子たちからの人気と相関しているかといわれると、そうとは断言できない。
発言・性格。決して悪いわけではない。
そう、彼の為を思って言うならば、いい奴なのだ。
……男の目線からに限るが。
しかし、成績上位者であることに違いはない。
体力面、技術面、どれを取ってみても彼の成績に追いつくものは誰一人としていなかった。
間違いなく彼がこの代のエースだ。
そんな俺が、彼に勝てているところと言えば背の高さぐらいだろうか。
できることなら戦いたくはない相手だった。
ナップと一礼を交わす。
形式上のやり取り、その中で彼の瞳はまるで狩人のように猛々しいまま俺の瞳を離さなかった。
組手は木製の模造ナイフと己の拳で雌雄を決する。
訓練場の砂が風に舞う。
「……はじめ!」
教官の声が飛ぶ。
その合図と同時に、いや少々フライング気味に彼が飛び込んでくる。
縦横無尽にナイフという木造物を振り回す。
俺の方が的の大きい分、回避も難しい。
必死になって回避に専念する。
……防戦一方だ。
このままでは埒が明かない。
瞬間を見極め相手の懐に潜り込もうとした。
しかし、さすがは一位の男。
「っ!」
視界に模造ナイフが飛び込んできた。
彼はその手にあった唯一の武器を投げたのだ。
すかさずそれを弾こうとするが防ぎ方が悪かった。
俺のナイフも弾け飛んでしまった。
……ナップの方へ視線を戻す。
彼は拳を握りファイティングポーズをとっていた。
「やはり組手はこうでなくてはなっ!レッドォ!」
「……やっぱりこうなるのか」
ナップは好戦家だ。
それは決して戦争に肯定的というわけではなく、ただの力自慢なだけ。
「おりゃあ!」
彼の素振りが明らかにアッパーだった。
そのために腹部を殴られると思った。
だから腕をクロスし、体の前でガードの体勢をとった。
しかし彼は殴りにかかったのではなかった。
一瞬ガードで怯むその隙を、動きの止まるその瞬間を、彼は狙っていた。
その思惑に気付いた時には俺の左足、右腕、首元が彼の支配下にあった。
「ッ!」
声が出せない。
首とそれから脇腹にダメージが入る。
……これは、強烈な絞め技。
身動きが取れない。
どうする?必死にもがいてみるが、彼もその力を緩めるつもりはない。
「どうだぁ!高等部2年の最強はこの僕だろう!?」
彼は力いっぱいに俺の体を離さまいとますます力を籠める。
……。
この男はこういうところがなければ女子にも人気なのだと、嘆息を着こうと思ったが、生憎それも叶わない。
……ナップの絞め技にかけられたまま少しの時間が経過した。
相変わらず俺を締め付けるその力が緩まる気配はない。
「しぶといぞぉ…。もう負けを認めたらどうだ?」
こっちにも少なからずプライドはある。
何よりペナルティが嫌だ。
俺はまだペナルティを受けたことがないから、とにかく負けたくない。
それをいうのであれば、勿論、彼もペナルティを受けたことなどない。
「ほらほらぁ…、しんどいだろう?もうあきらめろ」
締め付ける力より強くなる。どこからこんなスタミナが溢れてくるのか。
無尽蔵な体力に為す術がない。
いや、決してないわけではない。
どうする?“あれ”を使おうか……。
しかし、この場面で使ったら不自然か?だが四の五の言ってはいられない。
“あれ”とは再生とは別にヘマタイティス人の一部の人間が使える「変形能力」である。
幸運にもエライド家はその力をもつ血統で、体の至る部位を思いのままに伸縮・拡大・縮小と変形させることができる。
どのみちいつかは明らかになるのだ。だったらここで!
「な、なんだぁ!?」
ナップの少し間抜けな声がこだまする。
それもそうだろう。
目の前で締め付けている人間が一回り以上大きくなったのだから。
そして、ナップの四肢の長さでは締めきれないほどに巨大化したその巨軀は激しい拘束から解かれた。
すかさず軀をもとに戻し、今度は俺がナップをうしろから締め上げた。
そして彼の顎を右手でつかみ、思い切り上へ押し上げ口を塞いだ。
足も絡めているので、これでもうナップに自由はない。
「んんーーー!」
ナップが俺の手の奥から声を出す。
完全に俺の優位だ。
しかし、このままでは先ほど同様、締め上げるだけで時間が過ぎていく。
俺は彼に小声でこう囁いた。
「なぁナップ。降参してくれないか?」
続けて言う。
「このままナップが負けを認めてくれないなら、……そうだな。俺の左足の膝でナップの大事なところ蹴り上げるよ?」
「んんんんーーーーー!?」
さすがにそれをやられると参るのだろう。
これまでの勇ましく生意気なナップからは想像できないくらい顔面を青ざめさせて、赤い夕陽にナップの情けない唸り声が響いていた―――。
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「うう、レッドよ。あの能力は卑怯ではないか?僕はそんなの知らされてなかった!」
夕暮れの廊下でペナルティ・トレーニングを終えて帰ってきたナップに捕まった。
「まぁ、誰にも言ってなかったから。でもヘマタイティス人の中にはこの能力が使える人がいることぐらいは知っているだろう?ナップはいつから俺がその例外だと思っていたんだ?」
「ぐう。……まったくもってその通りだ」
少しの沈黙が夜の廊下に響く。
なんとも言えない罪悪感が実は能力を使った時からあった。
所詮は学生同士の力比べ。
地力での勝負が望まれていたはずだ。
「……あー、いや、さすがに俺も熱くなりすぎた。再生以外の能力が使えない相手に、俺は不利になったからって第二の能力を使った。それくらい追い詰められていたんだ。地力では十分にナップ、お前の方が上だよ」
「むむ。そうなのか?」
「そうだよ」
「……ふふ。そうかそうか!やはりなぁ!今回はたまたま!た・ま・た・ま!レッドが勝ったっていうだけからなぁ!だははは!」
「はぁ。お前は本当にお調子者だな。もう少し落ち着けば女子からも人気が出るというのに」
「なにぃ?今の僕でも十分にレディたちからの支持を受けていると自負しているよ!」
「あー、はいはい。わかったから。さっさと汗を流して来いよ。さわやかに汗臭いぞ」
「ふっ。これもまた男の勲章よ。次は負けんぞ!憶えとけ!おやすみ!」
「ああ、おやすみ」
彼の何に気なしの言葉たちには人を元気にする魔法がある。
そして、俺の一日は本当に賑やかだ。
パレットやサラ、ナップたちに囲まれ楽しい日々を過ごしている。
だから本当に来るのだろうか?この日常が恋しいと思う時が。
いつまでも続くものだと錯覚してしまう。
やがて朝の光がこの世界に、この国に、この町に訪れる。
そしてまた、徴兵された新兵が門をくぐってゆく。
その繰り返される悲しみが俺やパレット、ナップの前に訪れて、そしてサラと離れることになったら、またサラに寂しい思いをさせてしまう。
それがこの世界で生きるということだから仕方がないのかもしれない。
だけど、終わりが来るように。この祈りが「神」に届きますように。
いつまでも頭を捻っていても、煩うばかりだ。
目を閉じて、長く短かった今日を終えるのだった。
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―――ヘマタイティス国およびバケマイティス国、国境。最前線。
無線機から荒々しい声が響く。
『こちら第6部隊!! 本部! 応答願う!』
「こちら作戦本部、どうした?」
『バケマイティス軍と思わしき軍勢より奇襲!奇襲!』
「なに!? 索敵していたはずだろう? なぜだ!?」
『索敵に失敗! 敵の姿が確認できません! ぐわぁ!――――』
「おい!第6部隊!応答せよ!……くそっ!敵の姿が見えないだと?どういうことだ」
日常は音を立てて崩壊する。
「ええい!伝令よ! この事態を本国に通達し対策を講じるよう伝えろ! 敵は何らかの方法で身を隠す手段を得た!その対策を練るよう伝えるのだ!事態は一刻を争う!積極的徴兵に加え二次的徴兵を下すよう加えて本部に通達せよ!」
「了解!!」
小さな歯車が狂い始めていた―――。