第一章 第一話 ヘマタイティスにて
神によりゼロに戻された世界は、総てを失くしたかのように思われた。
しかし、再度神によって4つの集落が作られた。
分けられた4つの集落は多くの歳月をかけ、それぞれ4つの国となった。
そして争いは絶えず繰り返されていた。
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白い光に包まれている。
そこが家の外なのか、それとも中なのか。
距離感すらも攫めない。
そこは果ての無い巨大な空間にも思えたし、あっけないほどにちっぽけな空間かもしれなかった。
だけど、なにも思い出すことはない。
だけど、確かに覚えていることはあった。
「それじゃあ行ってくるよ。レッド、サラ。父さんと母さんにあまり迷惑をかけるなよ」
慣れ親しんだ声だ。だけど、本当にこのような声だったか。
「嫌だよ!ヘイブ兄ちゃん!行かないでよ!」
この声は、今もよく聞く。だけど、少し幼い。
「泣くなよサラ。死にに行くわけじゃない。兄ちゃん立派に戦ってくるから。……レッド、俺がいなくなったら今度はお前がこの家の支えになるんだ。サラを、みんなを守ってやれよ?」
声の対象が移り変わる。声が少しづつ聴こえ辛くなる。
大切な声に雑音、靄が掛かっていく感覚。
「うん、わかってる。こっちのことは任せてよ。うまくやるからさ、安心してよ」
俺の声だ。まだ少し高い声。
「……。ああ」
「必ず帰ってきてよ。これが最後の別れなんて嫌だからな」
―――記憶の会話を、幾度となく繰り返す。
最後の声、最後の姿、最後の表情。
何百、何千と繰り返してきた会話は、時の流れと共に少しずつ形を変え、今はもうほとんど思い出すこともできない……。
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N.E.210。"始まりの閃光"から210年以上が経過した世界。
4大国のひとつ、ヘマタイティス国。
この国は現在、隣国であるバケマイティス国との停戦状態が破綻、戦闘状態が15年間続いている。
ヘマタイティス国エドタイル地域。
見渡す景色はとても穏やかで農村という言葉が似合うのどかな雰囲気だ。
ここは戦線から遠くに位置している地域であるが、徴兵は絶えない。
この町の丘の上に軍事養成機関が存在する。
そこでは少年少女たちが日々、訓練に励んでいる。
養成機関は13歳から15歳の中等部、16歳から18歳の高等部に分けられる。
積極的徴兵制度の対象となるのは高等部を卒業した19歳以上の青年になる。
しかし戦況が悪化した場合には、高等部に対し徴兵を行う二次的徴兵制度が存在する。
町の門で積極的徴兵をうけた若い兵士が30人ほど並んでいる。
出発の儀式を行っているのだろう。
『凱歌の鐘を響かせよ。流血の記憶を忘れるな。やがて来る栄光のために、その命の炎を燃やせ!』
猛々しく叫ばれた聞きなれた言葉。
俺にはあまりにも空虚に感じられた。
何たる欺瞞か。
この戦いは大人たちが始めた終わりの見えない戦い。
それに命を燃やすのは、血を流すのは少年たち。
勝利を疑うこともない。
そして誰も、何も訝しむことはない。
あまりに尊い犠牲を払っているというのに。
ああ、兵たちが門を潜る。
その先に待つものが地獄だと気付いていないはずはない。
しかしそれを地獄と知覚することはないのだ。
なぜなら彼らは戦士だからだ。
「……。それでも戦うしかないよな」
戦いは、敵は待ってはくれない。
人間に心という部位があるとするならば、人々はとっくに錆び付いてしまっているのだろう。
……違和感を感じないのなら。
だが、この違和感を口にすることは許されない。
この戦いを否定すれば、それは兄貴の生き様を否定することになる。
兄貴は4年前、戦いへ出かけた。
そして今日まで一切の連絡もなく、行方も分からないまま。
俺も、時が来たら戦いに赴くのだろう。
たった今、あの門を潜った勇敢なる、そして猛々しい戦士と違うのは俺は戦士じゃないということだけだ。
自然と拳に力が入る。
”許せない”。
なぜかはわからないが、とにかく許せない。
行き場の無い怒りがこの胸を一杯にする。
「おはよ!レッド」
うしろから声がした。同期で幼馴染のパレット・トラウト。
長めのブロンドヘアに、ブロンドの瞳。
制服の良く似合う少女だ。
俺とは所属が異なり衛生兵になるための学習をしている。
彼女の言葉が、声が、連れていかれそうな何かを呼び止めてくれる。
「ああ、おはようパレット。もう点呼の時間?」
「ううん、まだだよ。徴兵の儀式が聴こえたから」
ここは、町を遠く見下ろせる丘の上。
訓練場横のスペースから戦士たちの門出を見つめていた。
そして彼女の茶色の瞳もそれをまっすぐに見ていた。
それはまるで何かに同情するような、憐れむような眼差しであった。
「ねえレッド。私たちもいつか実際に戦場にいくかもしれないんだよね」
彼女の言葉から迷いを少し感じた。
「そうだな」
戦士たちはもう遠く、姿を確認することはできない。
「戦場に行く理由って何だろう、そんなことを時折考えるんだ」
「理由?」
唐突な疑問に彼女は疑問を隠せない。
「国が戦争に参加しているから、他の国も戦争をしているから、だから俺たちも戦争に行かなくてはならない。……それってすごく理不尽なことじゃないかってたまに思うんだ。特にこういう出発の儀式を遠くから見ていると、よく考える」
未だに自問の答は見つからない。
いや、恐らく見つかることはないのだろう。
「それはえらい人たちが決めたことなのだから、下の人たちは大人しく従うほかない。私はそう考えてきたっていうか、そう考えるしかなかったかな」
彼女の考えは大人だった。
そして世論。一般。普通。
これらの表現が合う回答だった。
「……その通りだと思う。だけど、俺は騙されているって感覚に陥るんだ。……自分が奇矯な思考の持ち主だってことはよくわかっている。だけど、この違和感はきっと間違いではないと思うんだよ」
「なんかレッドらしくないな。熱でもあるんじゃない?」
暗澹とした表情を見せる俺にパレットは優しく微笑みかけてくれた。
「……戦争か」
この世界の住人である4つの国の人間。
その人種にはそれぞれ固有の能力が存在する。
しかし、それはほんの一部でしかない。
例を挙げるならば、俺たちヘマタイティス人には生まれつき再生能力が備わっている。
そして、現在戦闘中のバケマイティス人は4か国の中でもっとも技術が進んでいる。
”進んでいる”。この言葉で想像されがちだが彼らは決して頭がいいだけ、というわけではない。
また、俺の右腕に”癒えない”傷を残したイマノティス人は謎多く、意味不明なほどに強い。
座学でもイマノティス人に関しては、その詳細は不明でただ一つわかっているのは最強ゆえに短命であるということ。
多くの個体が25年前後の寿命だという。
しかし、間違いなく4大国の中で最強の国だ。
最後にミラビリス人。やつらは強力な解毒作用を持っている。
それを利用し昆虫などの媒介者を用い生物兵器を使用してくる。
だが、長い沈黙が続いているミラビリス国が現在どのような状況にあるのかは不明である。
「レッドたちは最前線で戦う訓練を重ねているけど、怖くないの?」
「どうだろう。うん、怖いんじゃないかな」
「私も怖い」
パレットのその言葉はおそらく学徒すべての気持ちを代弁したものだろう。
「戦場なんて体験したことないし、そこに行く実感なんて湧いてくるはずもない。それが普通だよ」
「うん」
「大丈夫だよ。いつか世界も変わってくれるって俺は信じている」
世界は変わる。
これもまた、奇矯な思考なのだろう。
俺の“変わる”は争いが無くなってみんなが仲良く安全に暮らせる世の中になること。
だけど、この世界の誰もが望む“変わる”とは、最強による絶対支配の実現だ。
つまりは世界の統一。
だけど、殺し合いの果てにそのようなことを実現させて一体どうなるというのだろう?
残るものは確実に悲しみだけだ。
大人たちはこのことに気付いていないのだろうか。
それとも気付いていても誰も口にすることができないだろうか。
そうだとするならば、この世界に自由はない。
あったとしてもそれは、システムに組み込まれた自由だ。
優しい風が二人の茶色い髪の毛を揺らした。
学舎のほうから、他の学生たちの話し声が聴こえてくる。
「俺たちも戻ろう!そろそろ点呼だろ?」
「了解!」
「点呼の後は座学かぁ~。面倒だなぁ」
「そんなこと言わない!」
二つの元気な影が学舎の方へと駆けていった。