第四章 最終話 Ashes to Ashes , Dust to Dust
悪夢だ。これは、悪い夢なのだ。
あんなに元気さであふれていた母さんが、僕の腕の中で白馬の疾走に体を力なく揺らしている。
早く醒めてほしい。夢なら夢と、早く誰か教えてくれ。
「……。」
エリーも黙って手綱を引いている。
頼む。エリー。この状況が夢だと、教えてくれ―――――。
「……トー、ル。」
「母さん!」
小さく、まるで絞り出したかのような声。
少し開いたその眼瞼の奥に、小刻みに震える瞳。
その姿は、やはり僕の知るものとは大きく異なるものだった。
それでも、その声がこの惨状が現実だと示す最大の証拠だった。
「聞いて、みんなを、撤退。」
「わかってる!今言うから、しゃべらなくていいよ!」
「……。」
そうだ。先ほどから味方も敵も、たくさんの戦士たちとすれ違った。
「みんな!聞いてくれ!撤退だ!撤退する!」
混戦の状況を駆ける白い馬。その異様な光景にきっと誰もが目を奪われただろう。
そして革命派の面々は気付くはずだ。
その大きな白い馬の上で息子に抱えられている一人の母親の姿に。
後ろを振り返ると、たくさんの人々がついてきていた。
こうして、僕達の初の城都攻略戦はあまりに重すぎる代償を背負い失敗に終わった。
かつてないくらいに、部屋は喧噪に包まれている。
バクタさんが医者と激しく言葉を交わしている。
「治療はできないのか!?」
「同定ができないんだ!なんの薬を使えばいいかわからない!」
「どのくらい時間がかかるんだ!」
「はやくても5日はかかる!手がかりがあればもっと早くわかるものだが……。」
「なんとかしろ!」
「博打を打てというのか!効果のない薬を選択したらどうなるかわからないのか!?」
「じゃあどうしろというんだ!このままリノさんが弱っていくのを見ているしかできないのか!?」
「もちろん最善は尽くす。しかし彼女自身の生命力が鍵だ。今は祈ることしかできない。」
「くそッ!」
バクタさんが激しく壁を叩いて、怒りを露わにしている。
「お医者さんも、バクタさんも、一回部屋から出てもらえませんか?」
「トール君……。」
「……。母さん。」
ベッドに横になって、なんとか息をしている様子。
見ていてとても辛い。こんなことになるなんて思いもしなかった。
どうか、助けてほしい。どうか、救ってほしい。どうか、守ってほしい。
「……トール。」
エリーの声だ。だけど振り向く気力もなくて、そのまま俯いていた。
「トール。」
エリーが僕の隣に座る。こぼれそうな涙に気付かれたくなくて、そのまま俯いていた。
「トール。うちの父親が、その……ごめんなさい。」
謝られたって仕方がない。それが戦いってやつだ。
だけど、やりきれない。
「エリーが、謝ることじゃない。」
嗚咽が漏れてしまった。それを皮切りに肩が震える。溢れる涙を抑えきれない。
「トール……。」
優しい声が、心を揺らす。
「きっと、きっと大丈夫。私も最善を尽くすから。」
そう言って、エリーは部屋を後にした。
「母さん、頼む。……僕を、一人にしないで。」
次の日も母さんの容態が改善することはなかった。
エリーが、どうやら医者と何か話し合っている様子が窺えた。
「エリー、なにを話していたんだ?」
「ちょっと、ね。父様の召喚した病原体ならおおよその推測はつくかもって。」
「ということは使える薬が!」
「まだ確信とまではいかないけれど、きっといい方向へ進んでくれるはず。あとはリノさんの体がもつかどうか……。」
「きっと、きっと大丈夫。」
エリーと話したら、少しだけ気持ちが楽になった気がした。
「薬剤の試験を終わらせた!エリー君の助言どおりの結果になったよ。」
「本当ですか!?」
またあくる日、急ぎ足で医者が現れた。
どうやら、エリーのアドバイスの通りの結果になったらしい。
「では、投与するぞ。」
医者の操作で母さんの体内に薬が投与される。
「うまくいけば、今日の夜中にでも目を覚ますかもしれません。」
「ありがとうございます。」
今日は寝ないで母さんがいつ目覚めてもいいように、待って居よう。
「……。」
夜も更けてきた。まだ、母さんの眼は開かない。
「……ん。」
「!」
今、かすかに母さんから声が聞こえた。
となりにいるトールもその様子を見て、互いに安堵と喜びを感じていた。
「トー…ル?」
「母さん。ここだよ。ここにいるよ。」
「ごめんなさい。よく見えないの。」
「きっと、光になれてないだけだよ。その内、見えるようになるさ。」
「リノさん……。」
「エリーもいるのね。大変だったでしょう。ありがとうね。」
「とんでもないです。」
「二人とも、よく頑張ったわね。」
まだ力ない声。だけど安らかで、その温かさは変わらなかった。
そして、母さんは目をつむったまま続けた。
「トール。これからは、あなたが皆を引っ張っていくくらいの気持ちでいなさい。これからはあなたたちの時代よ。」
「なんだよ。らしくないじゃないか。」
「エリー。この子はまだ経験も浅いし、頼りないと思うの。だからどうか、ずっと隣で支えてあげてほしい。お願いできるかしら。」
「わかっています。任せてください。」
「そう、……安心したわ。トール、あなたは一人じゃない。それを忘れないで。」
「母さん。……母さん?」
「リノさん!?リノさん!」
それから、母さんが二度と目を開けることはなかった。
容態は急変し、一度は快方したかのように思われたがその命が助かることはなかった。
『―――――――リノ。』
『……。コルラ。やっと会えた。』
『ずっと一人にしてごめん。』
『あたしこそ、こっちにきちゃって。』
『うん。いや、きっと頑張ってきたんだよね。』
『話したいこと、いっぱいあるの―――――――。』
第四章 完




