第二章 第三話 悲しみ深すぎて
「――――、――――、――――」
全神経を研ぎ澄ませる。
「――――、――――、――――」
無意識を意識する。
「――――、――――、――――」
ChEは全身のあらゆる細胞を一時的に電子体に置換する。
「――――、――――、――――」
閉ざした視界。暗闇の海から一筋の光の糸を掴み取るイメージ。
「――――、――――、――――」
全身が熱くなってくる。関節が軋む。静止しているはずの体は小刻みに揺れ出し、熱を放ちだす。
「……ぐ、うぅ」
思わず顔をゆがめてしまう。このままでは体は破綻してしまう。
「だめだ。何度やってもできない」
アルトの方を向く。僕と同じように幾度も挑戦しているが、成功の兆しは未だに見えない。
「やっぱり、誰かに聞いた方がいいじゃない?」
不安そうな声が僕に尋ねる。しかし、それはできないのだ。
「アルト、言っただろう。これは僕らだけで片付けなくちゃいけない問題なんだ」
そう、父親の仇を討つ。
二人でその悲願を打ち立てたのはいいものの、それを実行するためには乗り越えなければいけないことが山ほどある。
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―――時は前日の夜。二人の決意の時に遡る。
「……だけど、僕らは戦場へは向かうことができない」
決意に満ちた僕らを阻むものは敵だけではなく、この国にもあった。
「僕らは、戦場に行く機会がない」
「そうだった。戦場へ行くのはあくまで大人の役目。僕らが戦場へ行けるようになるには早くてもあと5年はかかるってこと……。そんなに待っていられないよ!」
「それは正攻法ならってこと。それに今この国で自ら望んで戦場に行きたいなんて言う人の方が珍しいし、僕らの動機で行かせてもらえるほど戦場もこの国も甘くはない」
「じゃあ、どうすれば?」
「思いつくだけでも、やっぱりこっそり抜け出すってのしか考えられない」
「こっそり抜け出すってことは……」
「誰にも知られちゃいけないってこと」
「お母さんにも、ってことだよね」
「当然だよ。それに誰にも技のこととか聞けない」
「かなり課題が山積みだね」
「……。やめたい?僕はやめたくないよ」
アルトの眼をまっすぐに見る。
「もちろん。やるに決まってる。やりとおして見せる」
「「だって、これは僕の初めての決意なんだから」」
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「……。だぁ!」
まただ。無理に発生させた電流によって体全体が弾かれる。
この秘密の特訓は家から、少し離れたところでやっている。
もう一回、もう一回、と回数を重ねているうちに結構な時間が経過していた。
「……。一度、家に戻ろう。お母さんの様子も心配だし」
「そうだね」
家につくと、窓はカーテンで閉め切ったままで陽の光は全く入り込まない。
居間に入ると、お母さんの姿はなく、その姿は台所にあった。
「あら、アスト、アルト、帰ってきたのね。今お昼作ってるから少し待っててね」
……無理をしている。その後ろ姿はいつも見てきたからわかる。小刻みに震える肩、腕、手。
「……。お母さん」
なんて強い母なんだろう。
普通の人なら、きっとまだ暗闇のなかにいるはずなのに、この人は、自力で深い深い、悲しみの中から立ち上がって、抜け出して。
独りになることで、もっと傷つき、下手したら二度と立ち直ることだってできないかもしれないのに。
「ごめん。アスト、アルト。あまりうまくできなかった」
そういって食卓に料理を運ぼうと歩み出したが、その歩みはふらついていて、不安定だった。
「お母さん!あぶない!」
体を支えてあげた。あぶなかった。もう少しでお母さんは床にもろに倒れ込むところだった。
「ああ、ありがとうアスト。……ごめんね」
「……。いや、大丈夫だけど。お母さん。寝て、ないよね?あれからもう二日だよ?」
「うん。ごめんなさいね。あの人がいない夜のほうが長かったのに、慣れているはずなのに、おかしいわね。どうしても眠れなかったの。あの人の体はこの家にあったのに、魂はもういないんだなって、本当に亡骸なんだなって。そしたらもう、悲しくて寂しくて……」
きっとこれまで堪えていたものが一気に壊れたのだろう。母はまるで少女のように泣き出した。
「―――――」
言葉を失った。そうして気が付くと僕もアルトも大粒の涙を流していた。
このとききっと僕ら家族は本当の意味で欠けてしまったのだろう。
父親という大事なピースを失うことによって。
悲しみ深すぎて。もう何が正しくて、何が悪いのかよくわからない。
だけど、僕ら家族をこんな悲しみの縁に追いやったあの男を僕らは絶対に許すことができない。
悲しみの次に巻き起こる苛立ち。奪われた分、必ず奪い返す。お前の命をもって、必ずだ。
必ずお前の元にたどり着く。どんなに遠くても必ず!!




