佐藤君への復讐
ガチャ……
母さんがドアを開ける。
僕の事を確認すると、少し驚いたように表情を変えた後、隣にいる女性に気づき冷静になる。
「良幸……おかえりなさい。この方は?」
「同じ高校の佐藤君のお母さんだよ」
「そう……はじめまして、良幸の母です」
状況が掴めず、母さんは困惑したように挨拶をする。
「良幸が何か……」
「いえ! 違います! うちの子が……息子さんに……その……暴行して、お金を巻き上げていたようなのです……。
あの……本当に、申し訳ありませんでした!」
母の疑念を遮るように、佐藤君のお母さんは、唐突に話を切り出し、深々と頭を下げた。
「暴行? でも、この子はそんな事……」
「学校でイジメられていたなんて、怖くて言えなかったんだ……」
「え?」
母さんの顔が曇る。
展開の早さについていけない風だったので、僕は上着を脱ぎ、痣を見せる。
「!!」
息子がこのような状態になっていることさえ気付かずに、日々を過ごし、あまつさえ窃盗を責め立てた母親だ。
驚いて見せているが、本当の所はどうなのか……ただの盆暗にしては救いがなさ過ぎる幼稚さだ。
「おまえ、どうしてこんな……」
「佐藤君にやられたんだ。お母さんの財布から、お金を持ち出したのだって、佐藤君にせびられたから、仕方なくした事なんだ」
「本当なの!?」
「本当だよ」
母さんは本当に驚いているように見える。
息子に興味なんて無い癖に、一丁前にも人並みの感情はあるようだった。
「申し訳ありません!」
佐藤君のお母さんは、ひたすらに頭を下げるばかりで、役に立たない。
母さんも、この状況をどうしたらいいのか分からず、難しい顔をしていた。
「と、とりあえず、佐藤さん。顔を上げてください。
ここで立ち話をするような内容ではありませんので、お上りください」
「はい……」
佐藤君のお母さんは、目に涙を溜め、か細く返事をすると、母に促され、家の中に案内される。
母は、リビングのソファへ座るよう誘導すると、父を呼びに行ってしまった。
「良幸君……ごめんなさい……」
「いえ……僕の誤解を解いていただければ、それで構いません」
「はい……」
なんと生温い沙汰であろうか?
僕の受けてきた数々のイジメの代償が、こんな事で許されるのならば、内心ほくそ笑んでいるかもしれない。
ただ、この人が出来る事なんて、たかが知れている。
それに、本当に復讐をしたいのは、この人の息子の方だ。
僕は、現代っ子なので、親の責任なんてものは、よっぽど素行が悪い親でない限り、無いと思っているし、やった奴が一番悪いなんてことは、分かりきっている。
僕は、誰かに責任を、必要以上に押し付けるなんてことはしない。
「遅いですね……」
母さんは、上に行ったきり戻って来ないでいた。
もう十分くらい経つだろうか?
ちょっと心配になってきたので、様子を見に席を外し、二階へ向かう。
登りきった先で見えたのは、ヘタリ込む母が、開いた扉を呆然と見ている姿だった。
「どうしたの?」
呼びかけても返事がない。
……僕は、母が見ている方へ目を向けた。
「父さん……」
父さんは、部屋の電気もつけず、書斎でひっそりと命の灯火を消していた。
「母さん! 母さん! しっかりして!」
僕は、声をあげ、母さんの肩を揺する。
まるで反応が無い。
「あの……どうかしましたか?」
下で待っていた佐藤君のお母さんが、様子を見に上がってきた。
ただ、今は他人の母親の事なんて気にしている場合ではない。
「母さん! 母さん!」
屍のような母を、呼び戻すかのように声を張り上げる。
「あ……あぁ……」
その近くで、佐藤君の母親までもが、声を殺し、へたり込んでしまった。
部屋で吊っている父さんを見てしまったらしい。
それから僕は、警察と救急に通報した。
***
長く重苦しい夜が明け、僕の周りは急加速したように、目まぐるしく動き出す。
幸いにも、母は意識を取り戻し、今は病院のベッドで安静にしている。
僕は、母さんのベッドの傍で、座っていた。
「良幸……ごめんね……」
「……」
意識を取り戻した母さんが、はじめに紡ぎ出した言葉は、謝罪だった。
何を誤っているのだろうか?
「何が?」
ぶっきらぼうに、母さんの謝罪を突き放す。
意味のない謝罪など、汚い免罪符と一緒だ。
都合のいい、どうしようもないやつの、どうしようもない言葉。
自分が良ければそれで良いという、あまりにも傲慢な謝罪。
「……母さん、おまえのこと、なんにもわかってなかった。
私が疑ったせいで……こんなことになっちゃった……ごめんね……ごめ……」
母さんは目に涙を溜め、すすり泣くように、静かに声を殺す。
そもそも、母さんが疑う前に、僕と話をすれば良かったんだ。
それに、こんな事で首吊る父親の気持ちもわからない。
父親の死んだ書斎には、遺書もなかった。
「なんで父さんは、こんな事で……」
「……」
母さんは何も答えられず、声を殺して泣くばかりだ。
これから、色々忙しくなるというのに……こんな事では先が思いやられる。
僕は、周りの人たちが落ち込み過ぎていて、自分が落ち込んだり、塞ぎ込む事ができなかった。
だから、父親が死んだというのに、いまいち実感が湧かない。
それに、自宅で自殺なんかしてしまったため、色々面倒な事が多く、自由に身動きが取れないでいる。
あの夜、ヘタリ込んでいた佐藤君のお母さんは、今頃どうなっているのだろうか?
ふと、そんな事を思う。
一夜にして、どん底にまで突き落とされてしまった哀れな母親。
あの夜、僕の戯言を突き放していれば、何も罪悪感など感じることは無かったはずなのに。
ほんの少しだけ、たった一時、勇気を振り絞ってしまったが為に、抱えきれない程の罪がのしかかってしまった。
法的な罪としては、そこまで大きな物ではないかもしれないが、自分で背負ってしまった正義感が、プレス機のような破壊力で襲いかかっていることだろう。
そんな事を考えていると、僕は、自然と笑みが溢れていた。
ふと静かになった母さんを見ると、いつのまにか寝てしまったようだ。
よくこんな時に寝ていられるものだ。
呆れて物も言えない。
「こんにちは」
窓の方から声出した。
聞き覚えのある声のに目を向けると、あの日、僕に力を貸してくれた猫がいた。
「どうだった? 思い通りになったかしら?」
その猫は、笑っているように見えた。
「あなたのために、私も少し頑張ったのよ?」
僕が大声を出せたのは、やっぱりこの猫のおかげなのかもしれない。
「あなたがあのまま何もしなかったら、いったいどうなっていたかしらね?」
僕が何もしなかったら……?
「あなたが、佐藤君の家に行かなければ、どうなっていたかしらね?」
僕が佐藤君の家に行かなければ……
「お父さんは、死ななかった?」
「ふふっ」
いや、そんなことはないだろう。
僕が佐藤君の家へ行ったところで、お父さんの死に関係があるわけがない。
僕が佐藤君の家へ行かなければ、佐藤君の母親はこんな事にならず、僕のお父さんの死についても、何も感じる事は無かっただろう。
「あ……」
そして、何事も無かったように、佐藤家は平穏な生活をしていただろう。
「許せるの?」
そんな結末……許せるわけがないじゃないか。
僕は、一矢報いることが出来たと思っていたが、思いのほか、大きな矢になっていたようだ。
「佐藤君は……今、どうしてるかな?」
「彼なら、さっき家に帰って来たみたいよ」
夜中に走り去ってしまってから、こんな時間まで何をしていたのだろうか?
「友人と遊んでいたみたいね。あなたから奪ったお金、全部使ったみたい」
使ってしまえば、返さなくても良いと考えたのだろうか?
……僕がこんな目にあっているというのに……もし昨日、僕が勇気を出さなければ、あいつは、この先ものうのうと……。
「許せるの?」
「許せるわけがないじゃないか!」
思いがけず、大きな声が出てしまう。
母さんは、相変わらず眠ったままだ。
「じゃあ、行きましょうか?」
「どこへ?」
「決まっているじゃない。佐藤君の家よ。
ちょうどいい事に、今日は休日よ。」
「今から?」
「ええ、そうよ」
「……わかった」
昨日の今日で、僕はまた、佐藤君の家へ向かう。
スッキリとしていた心は、猫の助言によって、グツグツと煮え、イライラとした感情の吐き出し口を求めていた。
佐藤君の家に着くまで、いろいろと考えていた。
佐藤君はきっと反省なんかしてない。
母親の方は、今どんな状況なのかもわからない。
何がどうなるか、行って見なければわからない。
謝罪か、罵倒か、逃避か、行けばわかるだろう。
取り敢えず、報告しに来た程でお邪魔しに行く事にする。
***
ピンポーン
佐藤家の呼び鈴を押す。
しかし、誰も出てこない。
ピンポーン
ピンポーン
ピンポーン
三回程押して待っていると、不意にドアが空いた。
顔を出したのは、佐藤君だ。
「……おまえ!」
何故だろう?
佐藤君は物凄く怖い顔で、僕を睨んでいる。
「おまえ! 昨日、母さんに何をした!」
物凄い剣幕で、静かに吠える佐藤君。
お母さんは、状況を話してないのだろうか?
「聞いてないの?」
「ふざけんな!!」
「何を怒っているの? わからないよ」
「うるせぇ!」
バキ!
佐藤君は、話し合いを拒み、拳で語る。
そんな事をされても、稚拙過ぎて、何のつもりなのかサッパリだ。
力一杯振り下ろされた拳は、非常に……。
「あれ?」
殴られたと思ったが、どこも痛くない。
何が起こったのだろうか?
バキ! ガス! ガス!
佐藤君は、一心不乱に何かを痛めつけている。
暴行しているのは……佐藤君のお母さんだった。
「何してるの?」
「はあ……はぁ……あ?」
佐藤君に、僕の声が届く。
佐藤君は、僕を不思議そうに見て、目線を痛めつけていた人に向ける。
「……はぁ……はぁ。母さん?」
何を言っているのだろう? 今気づいたような口振りだ。
いったい、いつ佐藤君のお母さんは、ここに来たのか?
さっきまで玄関にはいなかったはずだ。
「おい……嘘だろ? おい!」
佐藤君のお母さんは、グッタリとして動かない。
「おい! おい!」
佐藤君がお母さん肩を掴むと、頭がダラリと垂れ下がる。
こちらを向いたお母さんの片目は大きく晴れ上がり、眼球が飛び出してしまっている。
「うわ!」
あまりに悲惨な光景に、思わず声が出る。
佐藤君は、肩を掴んだまま固まってしまった。
「ぼっ、僕、佐藤君にけっ携帯壊されて、連絡出来ないんだ。だっだから……じゃあね! 早く通報したほうがいいよ!」
僕は、あまりの出来事に、逃げるようにその場から立ち去ってしまった。
どこを通って来たのか覚えていないが、気がついたら、公園のベンチに座っていた。
「ふふふ」
笑い声が聞こえる。
「どおだった? 気は晴れたかしら?」
顔を上げれば、嬉しそうに笑う猫が、こちらを見ていた。
「佐藤君は、どうしちゃったんだろう……」
「あなたに危害を加えそうだったから、ちょっとイタズラしたのよ」
ニヤつきが止まらない猫の表情は、この上なく嬉しそうな表情を崩さない。
「でも……やり過ぎなんじゃ……お母さんの目とか、飛び出しちゃってたし……」
「あら? まるで私がしたような事言うじゃない。やったのは佐藤君でしょ?」
「そう……だけど……」
「大丈夫よ。あれは幻影だから」
「幻影?」
「そう、私、ああいった幻影を出すことが出来るの」
「でも、実際……殴られてた」
「幻影といっても、ほとんど実体と変わらないわ。でも、幻影。偽物よ」
猫の能力。てっきり、僕の思い描いた事を、現実のものとして実行するものだと思っていた。
だけど、実際は、ただ、幻影を出すだけ。
「じゃあ、今までのことって、君の力のおかげだったわけじゃないの?」
「ふふふ。どうかしら? あなたの願いって、なんだったのかしら?」
「僕の願い?」
僕は何を願っていたのだろうか?
佐藤君に復讐がしたかった。
両親に、認めてもらいたかった。
……そんなところだろうか?
「でも、父さんは……死んじゃった」
認めてもらったのは、母さんだけだ。
父さんは死んでしまった。
なぜ、あんな事だけで、首を吊るような事になったのだろうか?
こんなにも簡単に、自分の命を投げ出せるのだろうか?
僕には、わからなかった。
「当然よ」
猫は不意に語りかける。
父さんが死んだのが、当然?
いったい何を言っているのか?
「何が?」
「父親の死を不思議に思うのは、当然と言ったのよ」
「どういう事?」
「あれも、幻影よ」
「え?」
「ほら……」
「あ……」
猫が振り向いた先にいたのは、公園を通り過ぎる父さんの姿だった。
「な……んで?」
「あなたの父親は、あなたが出て行った後、街に気晴らしに行っていたのよ。
こんな時間まで、フラフラしていたみたいね」
「ああ……そうか。父さん、よく麻雀に出かけていたっけ。休日の朝に帰ってくるなんて、よくある事じゃないか」
「随分と奔放なお父さんね」
「そう……だね」
父さんは死んでいなかった。
不自然な首吊り自殺は、猫の能力による幻影だった。
そういえば、今は自宅が警察の調査中だったはずだ。
父さんがその光景を見たら……
「どうしよう! 今、警察が僕の家に……」
「大丈夫よ」
「え? ……まさか……」
「そう。みーんな、嘘」
「じゃあ、母さんは……」
「あなたのお母さんは、本当。病院に居るわ。ちょっと疲れて錯乱しただけって事になるわね」
「ああ、じゃあ……佐藤君に復讐が出来て、両親にも、認めてもらえそう……なのかな?」
「そうね。あなたが願った通りね!」
満面の笑みを浮かべる猫に、僕は頭を捻る。
この場合、一体どうなるのか?
喜んで良いのだろうか?
「じゃあ……今、佐藤君は……幻影のお母さんと、実際のお母さんと二人いて、困惑しているんじゃないの?」
「佐藤君? 彼ならもうこの世にいないわよ?」
「え? どういう事?」
「さっきビルから飛び降りたもの。母親の幻影は消したかし、もう大丈夫よ!
良かったわね! これで、あなたのような不幸になる人が減るわ! あなたは、この世界を正しい方へ導いたのよ」
「僕が……世界を導いた?」
「そうよ」
この猫が言うには、佐藤君は死んだらしい。
ビルから飛び降りたとか……本当だろうか?
半信半疑であった僕は、この後鳴り響くサイレンを耳にする。
佐藤君の家の方だ。
僕は、何も手を下す事なく。猫によって、願いを叶えて貰い、佐藤君を死に追いやった。
でも、それは、世界にとって、良い事なんだ。
不幸になるはずだった善良な人を救った、未来を変えた、ヒーローなんだ。
実感の湧かない善行。
実感の湧かない人殺し。
夢のような現実。
僕は、実感も何も湧かずに、ただただ成り行きを受け入れる事しか出来なかった。
まだ、続きそうです。