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イジメられっ子の田中君

「おい! おまえ、まだ死んでなかったの? うざいから学校くんじゃねぇよ」

「……」

「あ! 今日も来たんだ。よく来れるよねー。マジで」

「……」

「もう来ないでくんない? おまえが来ると教室がなんか臭うんだよね」

「……」


 いつもの朝の風景。

 僕はいつのまにか、クラスのイジメられ役になってしまっていた。

 イジメの理由は、根暗で、ボソボソと喋るのが、気持ち悪かったかららしい。

 大した理由なんてない、そんな些細な事から、イジメは始まっていた。


 最初は、少し気を使ってくれていたのだが、ヘラヘラと、うつむくことしかできなかったために、だんだんとイジリから、イジメへとエスカレートしてしまっていた。


 ただ、最近それも、さらに陰湿なものになっている。

 すれ違いざまに殴られたり、人気の無いところに呼び出されては、財布を取り上げられていた。


「おい……いつも言ってるよな? なんで財布にお金入れてこないの?

 おまえが汚した服の弁償代、まだまだ足りないよ?

 おまえ、弁償するって言ったろ? なんでお金持ってこないの?」

「でっ……でも……もう十万……くっくらい。払って……る……よ」

「ああ!? なに言ってっか聞こえねぇよ!」


 ドスッ!


「うぅ……」


 これももう、何度目だろうか?

 声が小さくて聞こえないからって、蹴らないでもいいだろう。


「田中ぁ、なんとか言えよ! 弁償してくれるんだろ?」


 ドスッ!


 躊躇いなく、腹あたりを蹴り上げられ、堪らず蹲る。

 その後も、蹲っている僕を、佐藤君は執拗に蹴り続ける。

 なにも抵抗できないまま、僕は、何度も蹴られ続けた。

 地面の土が制服に着き、所々擦り切れたような跡が、残ってしまっている。

 僕の制服だって、タダじゃないんだ。弁償して欲しい。


「佐藤……君。やめ……て。僕の制服も……ボロボロに……」

「ああ?! うるせえよ! てめぇが早く弁償しねえから、こうやって憂さ晴らしするしかねぇんだろ! ふざけんなよ! 明日にはちゃんと持ってこいよ。クソが!」


 僕は、なんでこんなにも、イジメられなくてはいけないのだろうか?

 なにが面白くて、僕をイジメているのだろうか?

 どんな理由でイジメられようが、なにも言い返せない。

 ただただ、耐え忍ぶ日々。


 土埃を払い、ボロボロになった制服を正す。

 うちは裕福な家庭ではないため、親に相談する事は出来ない。

 それに……十万のうち、五万以上は、親の財布から少しづつ、くすねて用意したものだ。

 相談するような……そんなことが……できるような状況じゃなかった。


「うわ! きったねぇ! なにあいつ」

「うわぁ。なに? どうしたらあんな汚れるわけ?」

「まじウケる……でも、もう死んでって感じ」


 教室に戻ると、僕の格好を見たクラスメイトが、ヒソヒソと笑い合っている。

 昼ごはんも食べられなかったし、殴られて体は痛い。

 教室に戻れば、煙たがられてしまう。


 痛みに耐え、机に蹲っていると、チャイムが鳴る。

 一番後ろの席だけが、僕の唯一の救いだった。

 そして、先生が教室に入ってきて、授業が始まる。


「じゃあ、授業を始めるぞ。前に配った宿題プリントを回収する。後ろから、前に渡して」


 痛む体を、懸命に動かして、カバンからプリントを出し、前の人に渡そうとしたら……もう配り終わっていた。

 仕方がないので、痛む体に鞭打って、先生のところまで持っていく。


「先生……これ」


 僕は、先生にプリントを提出した。


「なんだ? 聞いてなかったのか? 前の人に渡せって言ったんだぞ?」

「渡そうと……思って……でも、僕の……」

「え? 聞こえないぞ! もっとハッキリと話せ! それと、もう授業は始まってるんだ。邪魔だから、早く席に着きなさい!」

「あ……はい」


 結局、先生は、プリントを受け取ってくれなかった。

 僕が悪いとでもいうのだろうか?

 仕方なく机に戻り、蹲るしかなかった。

 そして、何事も無かったかのように授業は始まる。


「田中! ここ、答えてみろ!」

「え……あ……はい。えーっと」

「あ?! 聞こえないぞ、もっと大きな声で答えて!」


 先生は、イライラしたように、僕を威圧する。

 そんな先生の態度に、毎回のように焦り、言葉がうまく出せない。


「あ……はい……それ……は」

「もういい、斎藤、代わりにここ、答えて」

「はい! ——」


 クスクス。


「なにあれ、ヤバイよねー」

「もう、勉強の邪魔」

「ほんとにねー」


 教室で、静かに笑う声が響く。

 僕を笑っているんだろう。

 先生が出した問題の答えはわかっていたのに、答えさせてくれない。

 もう、このやり取りも、何度目だろうか?

 最初は、熱心に僕の事を思って、やってくれているんだろうと思ったけど、授業の度に同じことを繰り返されれば、わざとやっているんだろうな、って事は誰でも気づく。


 この学校の中に、僕の居場所は、どこにもなかった。

 高校一年の二学期頃から、イジメは始まり、もう、二年の三学期だ。

 ずっと同じような毎日を耐えながら、学校に通っている。

 不登校になりかけたが、できる限り頑張ろうと思っていた。

 親に心配をかけたくない。

 そんな、些細なプライドだけが、僕を心を踏み止まらせていた。


「ただいま」


 今日も学校が終わり、家に着く。

 地獄のような時間は一旦終わり、また来る明日に備えて、心と体を休めなくてはいけなかった。


「良幸、ちょっと来なさい」


 家に入ると、珍しく両親が揃っていた。

 俺は母さんに呼ばれ、居間に行く。

 父さんは、何やら険しい顔をしていた。


「え? なに?」

「良幸……おまえ、母さんの財布から、お金を持ち出しているな?」

「え?」


 険しい顔をした父さんが、僕の盗みを指摘する。

 ついにバレてしまった。

 鼓動が早まり、嫌な汗が滲み出る。


「惚けるな。おまえじゃなかったら、誰が盗むんだ。

 毎月、小遣いを渡しているだろう? 何でそんな事するんだ?」

「いや……やって……ない」

「……」


 咄嗟に出てきたのは、嘘だった。

 おそらく、確信があって、こんな話をしているんだろうけど、認めることができなかった。


「僕は……そんな事、してないよ」

「……わかった、もういい。悪かったな……」

「……」


 父さんは、怒ることもせず、悲しそうに居間から出て行った。

 そして母さんは……静かに、泣いていた。


「……」


 それから……気づいたら僕は、近くの公園のベンチに座っていた。

 どうやって、家からここまで来たのか、覚えていない。

 どうやら、靴も履かずに来てしまったようだ。


 薄暗い公園で、呆然と動けない。

 父さんの悲しそうな顔と、母さんの涙が、ぐるぐると頭の中で繰り返されている。


 僕の中にあった、唯一の支えが、無くなってしまったようだ。

 悪いのは僕。

 母さんの財布から、お金を盗んだんだ。

 呆れられて当然だ。


 でも、僕が学校で、イジメを受けているなんて、両親は知らない。

 なんで、お金を盗んだのか、理由は知らない。

 僕は、自分の為に盗んだんじゃない。

 心配かけたくなかったから、気付かれないように盗んだんだ!

 言わなきゃわかるわけないって……わかってるけど、言えるわけがないじゃないか!

 クラスメイトから、罵声を浴びて、暴行され、カツアゲまでされて、先生からも、陰湿なイジメ受けているなんて……。


 全部、僕の……この性格のせいだ。

 もっと、陽気に、笑い合いながら、学校生活送をりたかった。

 両親に、胸を張って生きていたかった。

 でも、もうダメみたいだ……。


 唯一、心を繋ぎとめていた糸が切れ、涙が溢れ出てくる。

 どんなにイジメられたって、泣いたことはなかった。

 蹴られようが、悪口を言われようが、お金をせびられようが、笑い者にされようが、泣くことはなかった。


 でも、両親の、悲しそうな顔を思い出すと……涙が止まらない。


 僕は、僕なりに、頑張ったんだ。

 でも、あんな顔されたら……。


 両親が見せた、悲しい顔が、目に焼き付いて離れない。

 一生懸命イジメに耐えて、心配かけまいと、気丈に振舞っていたのに……結果は散々なものだった。


 僕に、生きている意味なんてあるのだろうか?

 このまま生きていても、また、両親を泣かせる事になるんじゃないだろうか?

 僕が、いくらそんな事を考えたところで、解決するわけがない。

 溜め込んでいた涙を流しても、今までの記憶を、洗い流すことはない。

 溜め込んでいた悔しさが、涙と一緒に溢れでてくる。

 そして、後戻りのきかない、後悔を植え付けるだけだった。

 もう、取り戻せないかもしれない、両親の笑顔。

 そんな後悔が……また、目に涙を溜める。


 公園のベンチで、下を向き、ブツブツと言い訳を呟く姿は、通報されてもおかしくなかっただろう。

 僕はいつのまにか、ベンチに座りながら、眠ってしまっていた。


 *********


「こんばんわ」

「……誰?」


 寝ぼけた頭に響いた、不思議な声。

 眠い目をこじ開け、その声のする方へ、目を向けると、そこには、赤と青の目が特徴的な猫がいた。

 辺りを見回しても、そこには猫しかいない。

 じっとこちらを見つめ、何故だか、笑っているように見える。


「あなたに、とってもいい話があるのだけど、聞いてもらえない?」


 猫が、僕に話しかけていた。

 夢でも見ているんだろうか?

 もしかしたら、あまりのストレスで、幻覚でも見えているのかもしれない。


「ずっとあなたのことを見ていたけど……あなたは、悪くないわ」

「……」


 僕が何も答えないでいると、その猫は唐突に、僕を慰めてくれた。

 こんな僕を、ずっと見てきたらしい。

 ……どうやら、僕の頭はおかしくなってしまったみたいだ。

 自分を擁護する猫を、幻覚で作り出してしまうほど、追い詰められてしまっていたらしい。


「やられっぱなしで、悔しくないの?」

「……」


 猫は続ける。

 僕は黙って、何も話してはいないのに。

 僕に、悔しくないのかと……問いかける。

 そんなの、悔しいに決まっている……でも、だからって、やり返せとでも言うのだろうか?

 ずっと見てきたんだろう?

 そんな勇気がないことくらい、わかっているだろうに。


「本来なら、注意しなきゃいけないはずの、先生にまで見放されて、クラスメイトには馬鹿にされ、そして今日、とうとう両親まで悲しませてしまった」

「……」


「悔しくないの?」


 最初は我慢できた、その言葉のせいで、止まっていた涙が溢れ出す。

 フラッシュバックのように、嫌な思い出が、ふつふつと湧き上がり、止めようとすればするほど、悔しい感情が前に出ようとする。

 なんでこんな猫に、こんなことを言われなくちゃいけないんだ!

 猫にまで、馬鹿にされて、涙が止まらない。

 僕は……


「……くやしい」

「本当に?」

「くやしい……に、決まってるだろ……」


 歯を食いしばり、鼻をすする。

 流れ落ちる涙を拭いても、乾くことはない。

 涙で歪んだ目で、猫を見ると、先程よりも、笑顔になっているような気がした。


「頑張ったね」

「が……ぼく……は、がんばってなんか……いない。何をやっても……ダメだった……だけだ」


 猫に諭され、猫と会話する。

 普段の自分であれば、こんなことはしなかっただろう。

 猫に話しかけられた時点で、気づかなかった振りをして、逃げていたはずだ。

 でも、今は、唯一僕と話をしてくれる存在。

 荒んだ心を、悔しい思いを、わかってくれる存在。

 触れたことのない優しさを、僕なんかに差し出してくれた、とても大きな存在となっていた。


「あなたがそう思っていなくても、私は、君が頑張っていたことを知っているわ」

「そん……な」

「だから、私の話を聞いてくれないかな?」


 こんな僕に、いったい何を話したいんだろうか?

 だが、猫ではあるのだが、僕なんかのことを、ここまで親身になって気にかけてくれたのだ。

 聞きもしないのは失礼だと思った。


「……なに?」

「単純な事よ。君に、この世界を正して欲しいの」


 意味不明だ。

 できるわけがない。

 これのどこが、とってもいい話なんだろうか?


「そんな……こと、できるわけ……ないじゃないか」

「いえ、できるわ。私が力を貸すもの」

「どおやって?」

「ふふふ。大丈夫。あなたは、何をしたいか、考えるだけでいいの。そのイメージを、私が実現させるわ」

「そんなこと……」

「大丈夫。あなたならできるわ。両親を悲しませる原因となった、彼、あなたは許せるの?」


 許せるわけがない! あいつは、俺の人生を踏みにじったんだ。

 毎日、毎日、飽きることなく、あいつは、俺を殴って、蹴って、金を奪っていった!

 あいつがいなければ、親の財布から、お金を盗むような事はしなかった!

 こうなったのも、全部あいつのせいだ!


「ゆるせない」

「そうね、私も許せない。彼がこの世にいる限り、第二、第三の被害者が生まれるわ。

 あなたのためだけじゃない、世界のために、一緒に世界を正しましょう? ね!」


 そうだ……僕だけじゃないかもしれないんだ、僕みたいな弱い人間を踏みにじり、娯楽のように楽しんでいるようなやつだ、僕に飽きれば、今度は他の人が、同じような目に合うかもしれない!

 ……あんなやつは、この世に居ちゃいけないんだ。

 もし、本当に、可能であれば……!


「わかった……やって……みるよ」

「……ありがとう。あなたなら、きっと、この世界を正しい方へ導く事ができるわ!」

「……そう……かな」

「ええ、できるわ。それに、あなたには、その資格がある。

 あなたは、多くの人から、いろんな嫌がらせを受けた……だから、わかるはず。

 あなたなら、裁かなければいけない人を、見つけ出せる!

 被害者の悲痛な叫びを、理解することができる!

 そして、私は、そんなあなたの願いを、叶える事ができる」


 僕なら……できる。

 たしかにそうだ。

 僕にならわかる! 

 イジメてるなんて、自分でもわかっていない馬鹿を!

 他の人にはわからない、悲しんでいる人達を!

 僕は、見つけ出すことができる!

 そして、救う事が、葬り去ることができるなら……


「行きましょう? まずは、彼の家へ」

「でも……あいつの家の場所……知らない」

「大丈夫。ここから歩いても行ける距離にあるわ。ついてきて!」

「うん」


 猫に先導され、奴の家へ向かう。

 どうしてやろうか……。

 いざ、なんでも出来ると言われても、何をすればいいのかわからなかった。

 ただ、僕は、あいつに思っていることをぶちまけてやりたい!

 今までのことを、謝らせたい!

 まずは話をして、あいつがどうするか、見てみたかった。


「ついたわよ」


 猫に促され、目の前家を見る。

 表札には「佐藤」と書かれてあった。


「ここが……あいつの家」


 憎くて、憎くてたまらない、あいつが……ここにいる。

 家の前で、立ち尽くしていても、何も始まらない。

 僕は、高ぶる気持ちを抑えることなく、呼び鈴を押した。


「はーい」


 高い声が響き、家のドアが開く。


「どちら様ですか?」


 佐藤君のお母さんだろうか?

 優しそうな顔をした、お母さんだ。


「あの……僕、佐藤君の……」

「あっ、秀ちゃんのお友達ね! 待っててね、今呼んでくるから!」

「はい」


 覇気のない受け答えしかできない僕に、笑顔で答えてくれた。

 なんでこんな良いお母さんのもとで過ごしていたはずなのに、あいつはあんな風になってしまったんだ。

 落胆と、呆れが、同時に湧き上がる。

 やはりあいつは、どうしようもないクズだ!

 僕が、あの優しそうなお母さんを、救ってあげなければならない!


「彼は……もう手遅れかもね」


 猫が、僕の耳元で呟く。

 僕と同じ印象を持ったようだ。

 そして、二階から、ダルそうな足音と共に、あいつが顔を出す。


「おまえ……なんなの? マジでキモいんだけど。……帰れ」


 そう言うと、佐藤君は、ドアを閉めようとする。


「待って! お金!」

「ちょ! てメェ! 声がでけえんだよ! ふざけんな!」

「佐藤君……だって……大きい」

「うるせぇやつだなぁ! ……ッチ、明日、覚えてろよ! こんなところに金持って来たからって、受け取れるわけないだろ?

 ちったぁ考えろよ! 死ね!」


 暴言を吐かなければ、死んでしまう病にでもなっているのだろうか?

 やっぱり、こいつはもうダメだ。

 僕は、ポケットから、携帯を取り出し、警察に通報することにした。


「……何やってんの? マジ、意味わかんないから、早く帰って」

「……事件です。……はい。……はい。被害者は……僕で、犯人は……目に前にいます」

「おいおいおいおい! おまえ! 人の家で何してんだよ!」

「はい、脅迫……されているんです! 住所は——です。……あ!」


 佐藤君に、僕の携帯を取り上げられてしまった。


「いい加減にしろよ! もしもし、あっ、すいません。友達がふざけて電話しちゃったみたいで……はい、はい……。はい。すいませんでした……」


 警察との会話が終わると、佐藤君は、大きく腕を伸ばし、僕の携帯を地面に叩きつけた。


「おまえ……ただじゃ済まさないからな!」

「ぼ……僕の携帯!! 弁償してよ!! ねえ!! ねえ!!」

「うるせぇ!!」


 僕は、出せる限りの大きな声で、佐藤君を責めた。

 こんなに大きな声を出したのは、いつぶりだろうか?

 何故だか、心を塞いでいた何かが、パリッと音を立て、一筋の光を呼び込んだような、そんな、ワクワクする何かが、僕の中で芽生えていた。


「どうしたの!?」

「あっ!」


 佐藤君のお母さんが、大きな音と声につられて、中から出てきた。

 佐藤君は、嫌そうな顔を見せる。


「佐藤君が! 僕の携帯を壊したんです!!」

「てんめぇ!」

「秀一! 本当なの?」

「ちげぇよ! こいつが自分で叩きつけたんだ」

「嘘つかないで! 自分でそんなことするわけないでしょ!」

「うるせぇな! やってねえって言ってんだろ!」

「嘘だ!! 君が今壊したんじゃないか!! 弁償しろよ!!」


 ちゃんと声が出る。今までこんなにちゃんと声が出せたことはなかった。

 これは……あの猫のおかげなんだろうか?


「弁償します!」

「はぁ?! やってねぇって言ってんだろ!」

「あなたは黙ってなさい!」


 親子喧嘩が始まってしまった。

 弁償しようとするお母さんは、やはり、良い人だ。

 こんなやつの嘘なんか、すぐにバレて当然だ。


「いくら払えばいいでしょうか?」

「……あの……すいません、でも……もう携帯はいいので、佐藤君にカツアゲされたお金を返して欲しいんです」

「……え? カツアゲされた?」

「てめぇ! 嘘ブッこいてんじゃねぇぞ!」

「あなたは黙ってて!」


 母親の顔が、みるみると真剣なものとなる。


「はい。佐藤君は、毎日僕の財布から、現金を盗って行きました。

 校庭で走っていた佐藤君とぶつかって、転んだ時、制服が破けたから、弁償しろって……。

 でも、ぶつかって来たのは、佐藤君で、僕は悪くないのに……」

「いくら……なの?」

「……もう、十五万は取られました」

「おい! 盛ってんじゃねぇよ! てメェ!」

「……すいません、本当は十万です」


 こんな幼稚な誘導尋問に引っかかるとは、思わなかった。

 だが、これでもう、お母さんも、わかっただろう。


「……わかったわ。払います……」

「ありがとうございます!! 僕、怖くて……お金ないのに、脅迫されていたので、親の財布から盗んでまで、佐藤君に払っていたんです……」

「……え?」


 佐藤君のお母さんは、険しい顔がさらに険しく、悲しさを帯びたものとなって、僕の話を聞いていた。


「それで……今日、それがバレてしまって……父さんと、母さんに、悲しい思いをさせてしまいました。

 だから……すいません。こんな時間に、押しかけてしまって」


 佐藤君のお母さんは、目に涙を溜めながら、小刻みに瞳孔を揺らしていた。


「……ごめんなさい。うちの子が、そんなことをするなんて……ごめんなさい……」


 佐藤君のお母さんは、目を真っ赤に腫らし、声にならない声で、謝罪を口にする。


「おい! ふざけんな! やってねえ! って言ってんだろ!」

「秀一……もうやめて……これ以上、母さん耐えられない……」

「だ・か・ら! やってねぇの! 全部こいつの狂言なんだから、相手にしなくていいよ。

 クラスの奴らからも煙たがられて、先生だって、見放してるんだぜ! ヤバイ奴なんだからさ!」

「……もう喋らないで」

「はぁ? 母さんは、こいつの肩持つ気かよ! おまえ、虚言癖もいい加減にしないと、周りに迷惑がかかってんのわかんないの?」


 僕は、嘘ではない事を証明するため、上着を脱ぎ、そして、シャツを脱いだ。


「……っ!」


 痛々しいあざの数々。腫れ上がった物、赤黒くなった物、大小それぞれ、健康な皮膚よりも、怪我の方が多い体。

 それを見た母親は、驚きのあまり、絶句している。


「俺がやったんじゃねえ! 他のやつがやったんだろう! そんな物見せられたって、信じられるわけねぇだろ!」


 カチッ——


「おい……いつも言ってるよな? なんで財布にお金入れてこないの?

 おまえが汚した服の弁償代、まだまだ足りないよ?

 おまえ、弁償するって言ったろ? なんでお金持ってこないの?」

「でっ……でも……もう十万……くっくらい。払って……る……よ」

「ああ!? なに言ってっか聞こえねぇよ!」


 ドスッ!


「うぅ……」

「田中ぁ、なんとか言えよ! 弁償してくれるんだろ?」


 ドスッ!


「佐藤……君。やめ……て。僕の制服も……ボロボロに……」

「ああ?! うるせえよ! てめぇが早く弁償しねえから、こうやって憂さ晴らしするしかねぇんだろ! ふざけんなよ! 明日にはちゃんと持ってこいよ。クソが!」


 ——カチッ


 僕は、いつの頃か、いつかはやり返してやりたいという思いから、ボイスレコーダーを、毎日学校へ持って行っていた。


「……」

「嘘……秀一……」

「僕は、高校一年の二学期から、佐藤君に、毎日のように暴行を受けてました」

「ごめん……なさい」

「信じていただけましたでしょうか?」

「……はい。はい。ごめんなさい……ごめんなさい……」


 こちらを見ることもできず、泣き崩れ、しどろもどろな受け答えをする母親。

 見ていられなかったが、実はもう一つ、やってほしいことがあった。


「それで、ご相談なのですが、僕は今日、両親と気まずい雰囲気になってしまいました。

 なので、これから、佐藤君と一緒に、僕の両親に会って、説明と、返金をしていただけませんか?

 僕が持って行ったら、きっと疑われると思いますので」


 落胆している母親には辛いだろうが、これをしてくれなければ、僕が今日、帰りずらい。

 それに、今は何を言ったところで、両親が信じてくれるとは思わなかった。


「はっ……はい。……わかりました……すぐに行きます! 秀一……着替えてきなさい」

「はぁ? 俺はいかねぇぞ! 俺を信じてくれないなら、母さんだけで行けよ!」

「秀一!!」

「うるせぇ!! 俺はやってねぇ!!」


 佐藤君は、そう叫ぶと、走ってどこかへ行ってしまった。

 僕は、走り去る佐藤君を追うことはせず、母親の方に目を向ける。


「僕……もう限界です。このまま、警察に行こうと思います」


 俯いていた母親が、目を見開きこちらに顔を向ける。

 泣き腫らした目が、訴えるかのように僕を見つめていた。


「警察……」

「はい。このままでは、また明日、佐藤君からイジメを受けてしまいそうなので……」

「っ……! あっ……あの!! ごめんなさい! あの子は転校させます! だから……」


 図々しいと思ってなのか、その後の言葉はなかった。

 だけど、「察してください、お願いします」って言葉が、悲痛な表情から滲み出ていた。


「……そうですか。わかりました。では、明日から、僕の通っている高校に来させないと、約束していただけますか?」

「はい!! 約束します! ありが……とう、ございます」


 あんな子供でも、親として、愛されているのだろう。

 警察沙汰を避けることができた安堵からか、全身が、小刻みにに震えている。


 きっと、怖かったのだろう。

 でも……何が怖かったのだろうか?

 息子を失う事だろうか?

 警察沙汰になってしまった時の世間体だろうか?

 自分の浅ましさだろうか?


 まあ、あいつともう会うことがないのなら、今日はもういいだろう。


「じゃあ、今から一緒に、来てくれますか?」

「はっはい!」


 母親は、斜め下を見て、視点が泳ぎまくっている。

 こんな状態で、両親に会わせたら、ますます疑われてしまうかもしれない。


 でも、歩いていれば、少しはおさまるだろうと思い、二人で歩き出す。

 二十分ほど歩けば、僕の家だ。

 二人は無言のまま、夜道を黙々と歩く。

 黙って体を動かしたせいか、佐藤君のお母さんは、ピークの時よりだいぶ落ち着いたみたいだった。


 道中、あれこれ考えて歩いていたので、思ったよりも早く家に着いた気がした。

 そして僕は、自分の家なのに呼び鈴を押す。


「はーい!」


 少し、元気のない、僕の母さんの声が、家の中から聞こえた。


本当は、短編で書こうと思っていましたが、収集がつかなくなったので、ここで切りました。

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