イジメられっ子の田中君
「おい! おまえ、まだ死んでなかったの? うざいから学校くんじゃねぇよ」
「……」
「あ! 今日も来たんだ。よく来れるよねー。マジで」
「……」
「もう来ないでくんない? おまえが来ると教室がなんか臭うんだよね」
「……」
いつもの朝の風景。
僕はいつのまにか、クラスのイジメられ役になってしまっていた。
イジメの理由は、根暗で、ボソボソと喋るのが、気持ち悪かったかららしい。
大した理由なんてない、そんな些細な事から、イジメは始まっていた。
最初は、少し気を使ってくれていたのだが、ヘラヘラと、うつむくことしかできなかったために、だんだんとイジリから、イジメへとエスカレートしてしまっていた。
ただ、最近それも、さらに陰湿なものになっている。
すれ違いざまに殴られたり、人気の無いところに呼び出されては、財布を取り上げられていた。
「おい……いつも言ってるよな? なんで財布にお金入れてこないの?
おまえが汚した服の弁償代、まだまだ足りないよ?
おまえ、弁償するって言ったろ? なんでお金持ってこないの?」
「でっ……でも……もう十万……くっくらい。払って……る……よ」
「ああ!? なに言ってっか聞こえねぇよ!」
ドスッ!
「うぅ……」
これももう、何度目だろうか?
声が小さくて聞こえないからって、蹴らないでもいいだろう。
「田中ぁ、なんとか言えよ! 弁償してくれるんだろ?」
ドスッ!
躊躇いなく、腹あたりを蹴り上げられ、堪らず蹲る。
その後も、蹲っている僕を、佐藤君は執拗に蹴り続ける。
なにも抵抗できないまま、僕は、何度も蹴られ続けた。
地面の土が制服に着き、所々擦り切れたような跡が、残ってしまっている。
僕の制服だって、タダじゃないんだ。弁償して欲しい。
「佐藤……君。やめ……て。僕の制服も……ボロボロに……」
「ああ?! うるせえよ! てめぇが早く弁償しねえから、こうやって憂さ晴らしするしかねぇんだろ! ふざけんなよ! 明日にはちゃんと持ってこいよ。クソが!」
僕は、なんでこんなにも、イジメられなくてはいけないのだろうか?
なにが面白くて、僕をイジメているのだろうか?
どんな理由でイジメられようが、なにも言い返せない。
ただただ、耐え忍ぶ日々。
土埃を払い、ボロボロになった制服を正す。
うちは裕福な家庭ではないため、親に相談する事は出来ない。
それに……十万のうち、五万以上は、親の財布から少しづつ、くすねて用意したものだ。
相談するような……そんなことが……できるような状況じゃなかった。
「うわ! きったねぇ! なにあいつ」
「うわぁ。なに? どうしたらあんな汚れるわけ?」
「まじウケる……でも、もう死んでって感じ」
教室に戻ると、僕の格好を見たクラスメイトが、ヒソヒソと笑い合っている。
昼ごはんも食べられなかったし、殴られて体は痛い。
教室に戻れば、煙たがられてしまう。
痛みに耐え、机に蹲っていると、チャイムが鳴る。
一番後ろの席だけが、僕の唯一の救いだった。
そして、先生が教室に入ってきて、授業が始まる。
「じゃあ、授業を始めるぞ。前に配った宿題プリントを回収する。後ろから、前に渡して」
痛む体を、懸命に動かして、カバンからプリントを出し、前の人に渡そうとしたら……もう配り終わっていた。
仕方がないので、痛む体に鞭打って、先生のところまで持っていく。
「先生……これ」
僕は、先生にプリントを提出した。
「なんだ? 聞いてなかったのか? 前の人に渡せって言ったんだぞ?」
「渡そうと……思って……でも、僕の……」
「え? 聞こえないぞ! もっとハッキリと話せ! それと、もう授業は始まってるんだ。邪魔だから、早く席に着きなさい!」
「あ……はい」
結局、先生は、プリントを受け取ってくれなかった。
僕が悪いとでもいうのだろうか?
仕方なく机に戻り、蹲るしかなかった。
そして、何事も無かったかのように授業は始まる。
「田中! ここ、答えてみろ!」
「え……あ……はい。えーっと」
「あ?! 聞こえないぞ、もっと大きな声で答えて!」
先生は、イライラしたように、僕を威圧する。
そんな先生の態度に、毎回のように焦り、言葉がうまく出せない。
「あ……はい……それ……は」
「もういい、斎藤、代わりにここ、答えて」
「はい! ——」
クスクス。
「なにあれ、ヤバイよねー」
「もう、勉強の邪魔」
「ほんとにねー」
教室で、静かに笑う声が響く。
僕を笑っているんだろう。
先生が出した問題の答えはわかっていたのに、答えさせてくれない。
もう、このやり取りも、何度目だろうか?
最初は、熱心に僕の事を思って、やってくれているんだろうと思ったけど、授業の度に同じことを繰り返されれば、わざとやっているんだろうな、って事は誰でも気づく。
この学校の中に、僕の居場所は、どこにもなかった。
高校一年の二学期頃から、イジメは始まり、もう、二年の三学期だ。
ずっと同じような毎日を耐えながら、学校に通っている。
不登校になりかけたが、できる限り頑張ろうと思っていた。
親に心配をかけたくない。
そんな、些細なプライドだけが、僕を心を踏み止まらせていた。
「ただいま」
今日も学校が終わり、家に着く。
地獄のような時間は一旦終わり、また来る明日に備えて、心と体を休めなくてはいけなかった。
「良幸、ちょっと来なさい」
家に入ると、珍しく両親が揃っていた。
俺は母さんに呼ばれ、居間に行く。
父さんは、何やら険しい顔をしていた。
「え? なに?」
「良幸……おまえ、母さんの財布から、お金を持ち出しているな?」
「え?」
険しい顔をした父さんが、僕の盗みを指摘する。
ついにバレてしまった。
鼓動が早まり、嫌な汗が滲み出る。
「惚けるな。おまえじゃなかったら、誰が盗むんだ。
毎月、小遣いを渡しているだろう? 何でそんな事するんだ?」
「いや……やって……ない」
「……」
咄嗟に出てきたのは、嘘だった。
おそらく、確信があって、こんな話をしているんだろうけど、認めることができなかった。
「僕は……そんな事、してないよ」
「……わかった、もういい。悪かったな……」
「……」
父さんは、怒ることもせず、悲しそうに居間から出て行った。
そして母さんは……静かに、泣いていた。
「……」
それから……気づいたら僕は、近くの公園のベンチに座っていた。
どうやって、家からここまで来たのか、覚えていない。
どうやら、靴も履かずに来てしまったようだ。
薄暗い公園で、呆然と動けない。
父さんの悲しそうな顔と、母さんの涙が、ぐるぐると頭の中で繰り返されている。
僕の中にあった、唯一の支えが、無くなってしまったようだ。
悪いのは僕。
母さんの財布から、お金を盗んだんだ。
呆れられて当然だ。
でも、僕が学校で、イジメを受けているなんて、両親は知らない。
なんで、お金を盗んだのか、理由は知らない。
僕は、自分の為に盗んだんじゃない。
心配かけたくなかったから、気付かれないように盗んだんだ!
言わなきゃわかるわけないって……わかってるけど、言えるわけがないじゃないか!
クラスメイトから、罵声を浴びて、暴行され、カツアゲまでされて、先生からも、陰湿なイジメ受けているなんて……。
全部、僕の……この性格のせいだ。
もっと、陽気に、笑い合いながら、学校生活送をりたかった。
両親に、胸を張って生きていたかった。
でも、もうダメみたいだ……。
唯一、心を繋ぎとめていた糸が切れ、涙が溢れ出てくる。
どんなにイジメられたって、泣いたことはなかった。
蹴られようが、悪口を言われようが、お金をせびられようが、笑い者にされようが、泣くことはなかった。
でも、両親の、悲しそうな顔を思い出すと……涙が止まらない。
僕は、僕なりに、頑張ったんだ。
でも、あんな顔されたら……。
両親が見せた、悲しい顔が、目に焼き付いて離れない。
一生懸命イジメに耐えて、心配かけまいと、気丈に振舞っていたのに……結果は散々なものだった。
僕に、生きている意味なんてあるのだろうか?
このまま生きていても、また、両親を泣かせる事になるんじゃないだろうか?
僕が、いくらそんな事を考えたところで、解決するわけがない。
溜め込んでいた涙を流しても、今までの記憶を、洗い流すことはない。
溜め込んでいた悔しさが、涙と一緒に溢れでてくる。
そして、後戻りのきかない、後悔を植え付けるだけだった。
もう、取り戻せないかもしれない、両親の笑顔。
そんな後悔が……また、目に涙を溜める。
公園のベンチで、下を向き、ブツブツと言い訳を呟く姿は、通報されてもおかしくなかっただろう。
僕はいつのまにか、ベンチに座りながら、眠ってしまっていた。
*********
「こんばんわ」
「……誰?」
寝ぼけた頭に響いた、不思議な声。
眠い目をこじ開け、その声のする方へ、目を向けると、そこには、赤と青の目が特徴的な猫がいた。
辺りを見回しても、そこには猫しかいない。
じっとこちらを見つめ、何故だか、笑っているように見える。
「あなたに、とってもいい話があるのだけど、聞いてもらえない?」
猫が、僕に話しかけていた。
夢でも見ているんだろうか?
もしかしたら、あまりのストレスで、幻覚でも見えているのかもしれない。
「ずっとあなたのことを見ていたけど……あなたは、悪くないわ」
「……」
僕が何も答えないでいると、その猫は唐突に、僕を慰めてくれた。
こんな僕を、ずっと見てきたらしい。
……どうやら、僕の頭はおかしくなってしまったみたいだ。
自分を擁護する猫を、幻覚で作り出してしまうほど、追い詰められてしまっていたらしい。
「やられっぱなしで、悔しくないの?」
「……」
猫は続ける。
僕は黙って、何も話してはいないのに。
僕に、悔しくないのかと……問いかける。
そんなの、悔しいに決まっている……でも、だからって、やり返せとでも言うのだろうか?
ずっと見てきたんだろう?
そんな勇気がないことくらい、わかっているだろうに。
「本来なら、注意しなきゃいけないはずの、先生にまで見放されて、クラスメイトには馬鹿にされ、そして今日、とうとう両親まで悲しませてしまった」
「……」
「悔しくないの?」
最初は我慢できた、その言葉のせいで、止まっていた涙が溢れ出す。
フラッシュバックのように、嫌な思い出が、ふつふつと湧き上がり、止めようとすればするほど、悔しい感情が前に出ようとする。
なんでこんな猫に、こんなことを言われなくちゃいけないんだ!
猫にまで、馬鹿にされて、涙が止まらない。
僕は……
「……くやしい」
「本当に?」
「くやしい……に、決まってるだろ……」
歯を食いしばり、鼻をすする。
流れ落ちる涙を拭いても、乾くことはない。
涙で歪んだ目で、猫を見ると、先程よりも、笑顔になっているような気がした。
「頑張ったね」
「が……ぼく……は、がんばってなんか……いない。何をやっても……ダメだった……だけだ」
猫に諭され、猫と会話する。
普段の自分であれば、こんなことはしなかっただろう。
猫に話しかけられた時点で、気づかなかった振りをして、逃げていたはずだ。
でも、今は、唯一僕と話をしてくれる存在。
荒んだ心を、悔しい思いを、わかってくれる存在。
触れたことのない優しさを、僕なんかに差し出してくれた、とても大きな存在となっていた。
「あなたがそう思っていなくても、私は、君が頑張っていたことを知っているわ」
「そん……な」
「だから、私の話を聞いてくれないかな?」
こんな僕に、いったい何を話したいんだろうか?
だが、猫ではあるのだが、僕なんかのことを、ここまで親身になって気にかけてくれたのだ。
聞きもしないのは失礼だと思った。
「……なに?」
「単純な事よ。君に、この世界を正して欲しいの」
意味不明だ。
できるわけがない。
これのどこが、とってもいい話なんだろうか?
「そんな……こと、できるわけ……ないじゃないか」
「いえ、できるわ。私が力を貸すもの」
「どおやって?」
「ふふふ。大丈夫。あなたは、何をしたいか、考えるだけでいいの。そのイメージを、私が実現させるわ」
「そんなこと……」
「大丈夫。あなたならできるわ。両親を悲しませる原因となった、彼、あなたは許せるの?」
許せるわけがない! あいつは、俺の人生を踏みにじったんだ。
毎日、毎日、飽きることなく、あいつは、俺を殴って、蹴って、金を奪っていった!
あいつがいなければ、親の財布から、お金を盗むような事はしなかった!
こうなったのも、全部あいつのせいだ!
「ゆるせない」
「そうね、私も許せない。彼がこの世にいる限り、第二、第三の被害者が生まれるわ。
あなたのためだけじゃない、世界のために、一緒に世界を正しましょう? ね!」
そうだ……僕だけじゃないかもしれないんだ、僕みたいな弱い人間を踏みにじり、娯楽のように楽しんでいるようなやつだ、僕に飽きれば、今度は他の人が、同じような目に合うかもしれない!
……あんなやつは、この世に居ちゃいけないんだ。
もし、本当に、可能であれば……!
「わかった……やって……みるよ」
「……ありがとう。あなたなら、きっと、この世界を正しい方へ導く事ができるわ!」
「……そう……かな」
「ええ、できるわ。それに、あなたには、その資格がある。
あなたは、多くの人から、いろんな嫌がらせを受けた……だから、わかるはず。
あなたなら、裁かなければいけない人を、見つけ出せる!
被害者の悲痛な叫びを、理解することができる!
そして、私は、そんなあなたの願いを、叶える事ができる」
僕なら……できる。
たしかにそうだ。
僕にならわかる!
イジメてるなんて、自分でもわかっていない馬鹿を!
他の人にはわからない、悲しんでいる人達を!
僕は、見つけ出すことができる!
そして、救う事が、葬り去ることができるなら……
「行きましょう? まずは、彼の家へ」
「でも……あいつの家の場所……知らない」
「大丈夫。ここから歩いても行ける距離にあるわ。ついてきて!」
「うん」
猫に先導され、奴の家へ向かう。
どうしてやろうか……。
いざ、なんでも出来ると言われても、何をすればいいのかわからなかった。
ただ、僕は、あいつに思っていることをぶちまけてやりたい!
今までのことを、謝らせたい!
まずは話をして、あいつがどうするか、見てみたかった。
「ついたわよ」
猫に促され、目の前家を見る。
表札には「佐藤」と書かれてあった。
「ここが……あいつの家」
憎くて、憎くてたまらない、あいつが……ここにいる。
家の前で、立ち尽くしていても、何も始まらない。
僕は、高ぶる気持ちを抑えることなく、呼び鈴を押した。
「はーい」
高い声が響き、家のドアが開く。
「どちら様ですか?」
佐藤君のお母さんだろうか?
優しそうな顔をした、お母さんだ。
「あの……僕、佐藤君の……」
「あっ、秀ちゃんのお友達ね! 待っててね、今呼んでくるから!」
「はい」
覇気のない受け答えしかできない僕に、笑顔で答えてくれた。
なんでこんな良いお母さんのもとで過ごしていたはずなのに、あいつはあんな風になってしまったんだ。
落胆と、呆れが、同時に湧き上がる。
やはりあいつは、どうしようもないクズだ!
僕が、あの優しそうなお母さんを、救ってあげなければならない!
「彼は……もう手遅れかもね」
猫が、僕の耳元で呟く。
僕と同じ印象を持ったようだ。
そして、二階から、ダルそうな足音と共に、あいつが顔を出す。
「おまえ……なんなの? マジでキモいんだけど。……帰れ」
そう言うと、佐藤君は、ドアを閉めようとする。
「待って! お金!」
「ちょ! てメェ! 声がでけえんだよ! ふざけんな!」
「佐藤君……だって……大きい」
「うるせぇやつだなぁ! ……ッチ、明日、覚えてろよ! こんなところに金持って来たからって、受け取れるわけないだろ?
ちったぁ考えろよ! 死ね!」
暴言を吐かなければ、死んでしまう病にでもなっているのだろうか?
やっぱり、こいつはもうダメだ。
僕は、ポケットから、携帯を取り出し、警察に通報することにした。
「……何やってんの? マジ、意味わかんないから、早く帰って」
「……事件です。……はい。……はい。被害者は……僕で、犯人は……目に前にいます」
「おいおいおいおい! おまえ! 人の家で何してんだよ!」
「はい、脅迫……されているんです! 住所は——です。……あ!」
佐藤君に、僕の携帯を取り上げられてしまった。
「いい加減にしろよ! もしもし、あっ、すいません。友達がふざけて電話しちゃったみたいで……はい、はい……。はい。すいませんでした……」
警察との会話が終わると、佐藤君は、大きく腕を伸ばし、僕の携帯を地面に叩きつけた。
「おまえ……ただじゃ済まさないからな!」
「ぼ……僕の携帯!! 弁償してよ!! ねえ!! ねえ!!」
「うるせぇ!!」
僕は、出せる限りの大きな声で、佐藤君を責めた。
こんなに大きな声を出したのは、いつぶりだろうか?
何故だか、心を塞いでいた何かが、パリッと音を立て、一筋の光を呼び込んだような、そんな、ワクワクする何かが、僕の中で芽生えていた。
「どうしたの!?」
「あっ!」
佐藤君のお母さんが、大きな音と声につられて、中から出てきた。
佐藤君は、嫌そうな顔を見せる。
「佐藤君が! 僕の携帯を壊したんです!!」
「てんめぇ!」
「秀一! 本当なの?」
「ちげぇよ! こいつが自分で叩きつけたんだ」
「嘘つかないで! 自分でそんなことするわけないでしょ!」
「うるせぇな! やってねえって言ってんだろ!」
「嘘だ!! 君が今壊したんじゃないか!! 弁償しろよ!!」
ちゃんと声が出る。今までこんなにちゃんと声が出せたことはなかった。
これは……あの猫のおかげなんだろうか?
「弁償します!」
「はぁ?! やってねぇって言ってんだろ!」
「あなたは黙ってなさい!」
親子喧嘩が始まってしまった。
弁償しようとするお母さんは、やはり、良い人だ。
こんなやつの嘘なんか、すぐにバレて当然だ。
「いくら払えばいいでしょうか?」
「……あの……すいません、でも……もう携帯はいいので、佐藤君にカツアゲされたお金を返して欲しいんです」
「……え? カツアゲされた?」
「てめぇ! 嘘ブッこいてんじゃねぇぞ!」
「あなたは黙ってて!」
母親の顔が、みるみると真剣なものとなる。
「はい。佐藤君は、毎日僕の財布から、現金を盗って行きました。
校庭で走っていた佐藤君とぶつかって、転んだ時、制服が破けたから、弁償しろって……。
でも、ぶつかって来たのは、佐藤君で、僕は悪くないのに……」
「いくら……なの?」
「……もう、十五万は取られました」
「おい! 盛ってんじゃねぇよ! てメェ!」
「……すいません、本当は十万です」
こんな幼稚な誘導尋問に引っかかるとは、思わなかった。
だが、これでもう、お母さんも、わかっただろう。
「……わかったわ。払います……」
「ありがとうございます!! 僕、怖くて……お金ないのに、脅迫されていたので、親の財布から盗んでまで、佐藤君に払っていたんです……」
「……え?」
佐藤君のお母さんは、険しい顔がさらに険しく、悲しさを帯びたものとなって、僕の話を聞いていた。
「それで……今日、それがバレてしまって……父さんと、母さんに、悲しい思いをさせてしまいました。
だから……すいません。こんな時間に、押しかけてしまって」
佐藤君のお母さんは、目に涙を溜めながら、小刻みに瞳孔を揺らしていた。
「……ごめんなさい。うちの子が、そんなことをするなんて……ごめんなさい……」
佐藤君のお母さんは、目を真っ赤に腫らし、声にならない声で、謝罪を口にする。
「おい! ふざけんな! やってねえ! って言ってんだろ!」
「秀一……もうやめて……これ以上、母さん耐えられない……」
「だ・か・ら! やってねぇの! 全部こいつの狂言なんだから、相手にしなくていいよ。
クラスの奴らからも煙たがられて、先生だって、見放してるんだぜ! ヤバイ奴なんだからさ!」
「……もう喋らないで」
「はぁ? 母さんは、こいつの肩持つ気かよ! おまえ、虚言癖もいい加減にしないと、周りに迷惑がかかってんのわかんないの?」
僕は、嘘ではない事を証明するため、上着を脱ぎ、そして、シャツを脱いだ。
「……っ!」
痛々しいあざの数々。腫れ上がった物、赤黒くなった物、大小それぞれ、健康な皮膚よりも、怪我の方が多い体。
それを見た母親は、驚きのあまり、絶句している。
「俺がやったんじゃねえ! 他のやつがやったんだろう! そんな物見せられたって、信じられるわけねぇだろ!」
カチッ——
「おい……いつも言ってるよな? なんで財布にお金入れてこないの?
おまえが汚した服の弁償代、まだまだ足りないよ?
おまえ、弁償するって言ったろ? なんでお金持ってこないの?」
「でっ……でも……もう十万……くっくらい。払って……る……よ」
「ああ!? なに言ってっか聞こえねぇよ!」
ドスッ!
「うぅ……」
「田中ぁ、なんとか言えよ! 弁償してくれるんだろ?」
ドスッ!
「佐藤……君。やめ……て。僕の制服も……ボロボロに……」
「ああ?! うるせえよ! てめぇが早く弁償しねえから、こうやって憂さ晴らしするしかねぇんだろ! ふざけんなよ! 明日にはちゃんと持ってこいよ。クソが!」
——カチッ
僕は、いつの頃か、いつかはやり返してやりたいという思いから、ボイスレコーダーを、毎日学校へ持って行っていた。
「……」
「嘘……秀一……」
「僕は、高校一年の二学期から、佐藤君に、毎日のように暴行を受けてました」
「ごめん……なさい」
「信じていただけましたでしょうか?」
「……はい。はい。ごめんなさい……ごめんなさい……」
こちらを見ることもできず、泣き崩れ、しどろもどろな受け答えをする母親。
見ていられなかったが、実はもう一つ、やってほしいことがあった。
「それで、ご相談なのですが、僕は今日、両親と気まずい雰囲気になってしまいました。
なので、これから、佐藤君と一緒に、僕の両親に会って、説明と、返金をしていただけませんか?
僕が持って行ったら、きっと疑われると思いますので」
落胆している母親には辛いだろうが、これをしてくれなければ、僕が今日、帰りずらい。
それに、今は何を言ったところで、両親が信じてくれるとは思わなかった。
「はっ……はい。……わかりました……すぐに行きます! 秀一……着替えてきなさい」
「はぁ? 俺はいかねぇぞ! 俺を信じてくれないなら、母さんだけで行けよ!」
「秀一!!」
「うるせぇ!! 俺はやってねぇ!!」
佐藤君は、そう叫ぶと、走ってどこかへ行ってしまった。
僕は、走り去る佐藤君を追うことはせず、母親の方に目を向ける。
「僕……もう限界です。このまま、警察に行こうと思います」
俯いていた母親が、目を見開きこちらに顔を向ける。
泣き腫らした目が、訴えるかのように僕を見つめていた。
「警察……」
「はい。このままでは、また明日、佐藤君からイジメを受けてしまいそうなので……」
「っ……! あっ……あの!! ごめんなさい! あの子は転校させます! だから……」
図々しいと思ってなのか、その後の言葉はなかった。
だけど、「察してください、お願いします」って言葉が、悲痛な表情から滲み出ていた。
「……そうですか。わかりました。では、明日から、僕の通っている高校に来させないと、約束していただけますか?」
「はい!! 約束します! ありが……とう、ございます」
あんな子供でも、親として、愛されているのだろう。
警察沙汰を避けることができた安堵からか、全身が、小刻みにに震えている。
きっと、怖かったのだろう。
でも……何が怖かったのだろうか?
息子を失う事だろうか?
警察沙汰になってしまった時の世間体だろうか?
自分の浅ましさだろうか?
まあ、あいつともう会うことがないのなら、今日はもういいだろう。
「じゃあ、今から一緒に、来てくれますか?」
「はっはい!」
母親は、斜め下を見て、視点が泳ぎまくっている。
こんな状態で、両親に会わせたら、ますます疑われてしまうかもしれない。
でも、歩いていれば、少しはおさまるだろうと思い、二人で歩き出す。
二十分ほど歩けば、僕の家だ。
二人は無言のまま、夜道を黙々と歩く。
黙って体を動かしたせいか、佐藤君のお母さんは、ピークの時よりだいぶ落ち着いたみたいだった。
道中、あれこれ考えて歩いていたので、思ったよりも早く家に着いた気がした。
そして僕は、自分の家なのに呼び鈴を押す。
「はーい!」
少し、元気のない、僕の母さんの声が、家の中から聞こえた。
本当は、短編で書こうと思っていましたが、収集がつかなくなったので、ここで切りました。