94.癒狂の人形
「ん、とりあえずクライオンの家に……行きたいけど場所が分からないや。ここ広場っぽいから待ってたら誰か通り掛かるかな?」
スイはあっさり探すのを諦めるとベンチに座る。ベンチといっても石で出来た台座のような椅子だ。最早ベンチとか椅子というよりも石と言った方が良いかもしれない。
「ちょっとザラつく。痛いなぁこの椅子」
磨かれていないのかザラザラするその台座をスイが適当に魔法を使って整える。指でなぞった所が綺麗な平面になっていくのは見ていて気持ちがいい。
スイはそうやって平面にした椅子に改めて座り指輪から子供が抱えるには少し大きい人形を取り出す。シャトラの所で回収したアーティファクト癒狂の人形だ。
見た目は大きめの西洋人形のようでありフリル付きのドレスを着ている。目はガラス玉ではないが青く輝く宝石で出来ていて造形自体は綺麗なのだが製作者が意図的にしたのかは分からないがあまり可愛くはない。はっきり言って不気味ですらある。
そんな人形を取り出して自分の膝の上に乗せる。間近で見たらより不気味さが増したが気にしないことにする。スイは正直に言って夏の定番であった怖い話系は大嫌いだ。表情になかなか出ないスイだがそういったものにだけは過剰に反応していた。具体的には後々弟にお手洗いに行くのに寄り添ってもらったり部屋に戻るまでの暗闇を消すため部屋や廊下の電気を昼間かと思うくらい明るくしたりだ。
それくらい嫌いなスイにとってこの見た目からして不気味でありしかも動くことが確定してある人形など何処か遠くに放り投げてその辺り一面を焼き払いたいくらいには見たくない。見たくないが使う立場である以上文句は言えない。ホラーゲームなどによくある物語上で必要な不気味なキーアイテムに分類されそうな物など消えて無くなれと心底思う。
「……っ、お、〈起きて起きて愛しい人、貴女の目を、声を、その心を私に見せておくれ〉」
この人形に愛しいなどはっきり言って身震いしまくるが一応起動ワードは伝えた。すると人形はゆっくりとその体を震わせ瞬きするとスイのことをじっと見つめる。
[何処か痛い所はありませんか?私に出来ることなら何でもします。だから隠さないで]
少し甘い感じのする声で心配そうに見る人形。起動ワードとその後の人形の返しで何となく分かるかも知れないがこれは一組のカップルの悲恋によるアーティファクトだ。案外こういう形のアーティファクトという物は多い。
スイは残念なことにこのアーティファクトの悲恋の物語は知らないので推測でしかないが恐らくこのカップルは付き合っていなかったのではないだろうか。男性側は確実に愛を向けていたが女性はそれに気付いていなかった。もしくはそれに応える前に女性が亡くなったかそれとも一方的なもので女性側に他に男性がいた可能性もあるが。
そして女性の声から医者かそれに類する職業に就いており男性はそれに足繁く通っていた。冒険者か兵士かはたまた魔導具師かどれにせよそれなりに怪我が多い者だったのだろう。無難なのは魔導具師か。そして亡くなった後にこれを作り自身の嘆きを癒そうとした。そんなところだと思う。
それがどう転んで癒狂の人形になるのか分からないが女性は怪我をしている人を見たら真っ先に駆け付けて癒そうとするくらいの優しい人であると考えておこう。
「私の素因、《天海》を治してほしい。治療の為にこっちの《崩湖》も使用して」
[分かりました。では少々カラダをお借りしますね]
人形はそう言うとスイの身体の中に入り込む。手だけとかではない。全身だ。
「あ、い…ぉぁ…ぐ、ぎ…あぁ!!」
体内でゴキ、ゴキと骨が折れるような音とともに激痛が走る。人形は自分が治せる範囲であれば患者の体の事など気にもしない。この場合骨が折れた所で治せるから良いやということである。ふざけるなと声高に叫びたくなる。ちなみにそれをするなと言っても人形は一切考慮しない。なのでこれを使うのは瀕死の状態でしか絶対に使いはしない。ウラノリア達魔王組であっても人形でしか治せない傷は負わないようにしようと必死であったほどだ。
「いっ!?あぎ、ぐぶっ……」
今度は内臓をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような握り潰す寸前のような痛みを感じた。人形を使う前に結界を張っておいて良かったと思う。スイは今あまりの痛みに動けなくなり口から血塊を吐きながら地面をのたうちまわっていた。失禁だけは何とか我慢しているが正直かなりきつい。想像以上の痛みに軽々しく使わなければ良かったと思う。ちなみにこの痛みは魂の痛みと言われていて痛覚を消した所で意味は無いようだ。というかスイが痛覚を消した状態で今の状況なのだから嫌でも理解したが。
「ひっ、あぁぃぃぁやぁぁぁ!?!?」
神経を引き抜かれ骨から肉を削ぎ落とされていくようなあまりの常識外れの痛みにスイが悲鳴をあげる。先程までの痛みなど比べるまでもない。何処までも続く痛みにスイは痙攣し始める。はっきり言って自分が今どういう状況かすら理解していない。右も左も分からないとかいうレベルではない。自分が生きているのか死んでいるのかすら曖昧な程だ。
意識を失いそうなのに激痛で目を覚まされその後また意識を失いそうになりまた激痛でという感じで延々と続くかと思われた痛みは不意に湧き上がってきた力と共に無くなる。
「……あっ」
気付けば目の前に人形が座っていて全く動かない。それを確認するとスイは激痛から解放されたおかげかその場で意識を失った。意識を失う前に見えた人形は微笑んでいるように見えて癒狂の言葉の意味を真に理解した感じがした。
意識を覚ましたスイは広場にいた。意識を失っていてもしっかりと結界は張っていたようで通り掛かった亜人族の者達も一瞬の違和感を感じてもすぐに歩き去って行った。そんな場所にいたスイだが現在必死で椅子代わりにしていた石を拭いていた。そのスイの顔は真っ赤であり普段とのギャップで別人にすら感じられる程だ。
原因はスイの下半身を濡らしていた水のせいだ。いや言い訳は無しでいうとあの痛みの連鎖の中我慢出来ずに失禁していたらしい。全く気付かなかったが起きた際に自らの下半身からピチャっという音が鳴った時点でスイは察した。
気付いた時点でスイは咄嗟に強力な結界を二十程張り見られていないと分かっていても土壁で周辺からの視線を遮りその中で着替えた。着替えた後にスイは証拠を(獄炎で)焼滅させると匂いを(万毒で)消し去り最後に椅子を適当な布で証拠はないというのに拭いていた。それでも嫌だったのか結局石は指輪で回収してしまう。あと最終的に布は燃やして灰にした後溶解させ空の彼方へと吹き飛ばした。
「……証拠は消えた。後は……鼻の良い亜人族をどうにかすれば?」
怖い発言をした時にスイは視界に探していた人物を発見した。妻達を連れてご機嫌な様子のクライオンだ。クライオンに近付くと流石に気付いたのか立ち止まってスイの方を見る。その目が懐疑的なことに今更ながら結界を消していなかったことに気付いた。結界を消してクライオンに姿を見せるとクライオンは訝しげな表情を見せる。
「えと……誰だろう?僕結構人と会うから分からないんだ。教えてくれるかな?」
「スイだよ。忘れた?」
スイの感覚的には数日前に会ったのにもう忘れられているのかと少しショックを受ける。しかしクライオンはスイの言葉に驚くと身体を見る。
「亜人族とのハーフとかじゃなかったの?耳とか尻尾は?あと二十日以上経っているとはいえそんなに急に強くなるものなの?」
その言葉にようやく理解した。クライオンと会った時は確か偽装魔法を掛けていて猫人族のフリをしていた。後は内包する力が大幅に変わった事で同一人物だと分かりづらかったのだろう。
「ハーフなんかじゃないよ。とりあえず家に連れて行って。道が分からない」
「あ、うん。分かったよ。家で詳しい話は聞くことにするよ。僕からも言うことがあるしね」
「ん、そういえば二十日以上って何の話?」
「え?君が異界に行ってから掛かった時間かな?」
「私は数日しか居なかった筈なんだけど」
「時間が歪んでるのかもしれないね。まあその話もしよう。とりあえず家で食事でもしながらね」
そう言ったクライオンにスイは頷く。
「美味しいものを期待しておく」
「任せなよ。僕の奥さん達は料理が上手だからね」
クライオンの家に着くとアスタールは外に行っているのか居なかった。何処にいるのか訊こうとして自分で探すことにした。創命魔法の繋がりで場所くらいは分かるだろう。調べてみるとどうも獣国に居なさそうだ。
「アスタールは?」
「帝都に戻らせたよ。彼には彼で生活があるからね。君との関係性は薄く濃い方がいい。彼繋がりで君に繋がるのだけは避けなきゃいけない。彼が上位魔族との戦いで生き残れるとは到底思えないからね。それなら生きて情報を流す雀として使った方がいい。時に名声を利用するのも良いね。君だと近くで手放さなくなるだろう?勝手だけど送ったよ」
そう言ったクライオンに否定は出来ない。確かにスイだと近くで置きっ放しになる可能性がある。力をある程度持っているアスタールだがあくまでもある程度だ。ルゥイのように天剣を使えば魔族とも戦えるだろうがあれはルゥイ専用であってアスタールには使用はおろか持つことすら許されないだろう。ならば安全のためにも離していた方が良いのかもしれない。
「ちょっと言いたいけど分かった。私だと確かにそうしちゃってたと思う。でもせめて私に相談くらいはして欲しかった」
「それに関してはごめん。可能な限り君に繋げたくなかったんだ。同時期に同じ場所に居たというだけでも危険だからね」
言いたいことは分かるのでこの件に関しては何も言わないことにした。スイが同じ立場だとしても同じ結論に至った可能性が高い。
「ん、まあ分かった。とりあえず食事しながら話でもしようか」
スイはいただきますと手を合わすと目の前に運ばれてきたパンを両手で取る。そしてそれを口にする。白いパンは噛めば少しの甘みがありふわふわとした食感と相まってとても美味しい。これだけでもお腹いっぱいになるまで食べられるだろう。
スープは赤いスープでトマトスープか何かだと思いスプーンで口に入れるとピリッとした辛さが舌を刺激する。どうやらトマトではなく唐辛子か何かを入れた辛めのスープだったようだ。パンと合わないのではないかと思ったがパンを付けて食べているクライオンを真似し付けて食べると甘いパンが程良い辛さのスープに浸された事で甘さが少し強調されスープもまた違った味に感じる。恐らく異世界由来の食材を使っているせいなのだろうが不思議な感じだ。意外に美味しい。
そうして食事を楽しんでいるスイを見てクライオンは話はまた後かなと思い自らもまたスープを飲んだ。スイの表情は無表情ではあったが美味しく食べているのだろうなと分かるくらい分かりやすかった。ちょこちょこと手を動かしては口に運ぶ姿は年相応の少女にしか見えなかった。クライオンはそれを横目に見ながら覗こうとする存在に笑顔を向けた。その笑顔は綺麗なのにまるで死神の微笑みのように感じた。スイはそれを知ることはなかった。
クライオン「彼女には手を出させないからね?」
???「…………………」




