496.またね
「…………何してるの?」
私の目の前に居るのはあまりにも巨大なというより途方も無い大きさ過ぎて全体の一部しか見えていない巨大な頭部。近くで見れば山にしか見えないであろうそれは私に目を向けて会話してきた。
『何、暫しの休息であると放り出されてしまったのでな。久方振りの海ではしゃいでおった。何やらちょろちょろと鬱陶しいのもおったがの』
口も開かずに喋るそれは知性ある瞳で私を見つめている。
「…………地球って色んな場所を見れる物があるからここに居たら駄目なんじゃない?あと、海に来るにしてもせめて海面には浮かび上がってこないでよ」
『それに関しては主が何とかしておるから気にせずとも良い。我はただゆったりと楽しむだけじゃ。ちゃんと船は避けておるから人にも見られてはおらんぞ?』
「それなら……良いのかな?」
私は疑問に首を傾げながらも自分が気にすることでは無いかと流す事にした。この子の主という事は名も無き神だからね。何とかしているというならどんな事象を引き起こそうが何とかしてしまうのだろう。
「まあいいや。じゃあ私が感知した大きなのってそこで浮かんでるやつかな?」
『たぶんの?我は分からぬ。それしかでかいのは居なかったしの』
「ならいいや。じゃあ気を付けるんだよ」
そう言って大きな、多分ウツボかアナゴかその辺りが魔物化したと思われる巨大な生物の脳に蹴りを入れてトドメを刺した後、陸地に帰ろうとしたら引き留められた。
『つれんのう。それ程前ではないとはいえ一応久方ぶりの再会じゃぞ?しかも一時は主従で母娘関係じゃったというのに』
「そうだけど……」
私はそう言いながらも目の前の【娘】であった存在。ヨルムンガンドのムンちゃんを見詰める。恐らくはまだこの大きさでも本来の大きさではない。というか本来の大きさだと幾ら何でも隠れ切れないだろう。人に見られないなど不可能に近い。だからこれも十分の一とかもっと小さいレベルなのだろうけどそれでも尚山と見紛う大きさだ。
「ムンちゃんって今の状態でも世界最大の山より大きそうだよね」
『ぬ?どうであろうな?流石に今の状態ではそこまでは無いと思うぞ?そこらの山よりは大きいとは思うが。しかしムンちゃんか……あまり呼ばれた記憶の無い呼び方であるにもかかわらず母に呼ばれたと思うと感慨も一入というものじゃな』
「ん?まだ私は母親なの?」
『そうじゃよ。この身体を作ったのは紛れも無く母であるスイじゃよ。魂やそれに備わる力までは流石に違うが肉体的だけであれば間違いない』
「へぇ、というかやっぱり私はガワだけだったんだね」
『むぅ、まあそうじゃな』
「私が本当に自力で生み出した子ってアルーシアで作った子だけ?」
『ケルベロスは違うの。じゃがそれ以外であれば母が作った存在となる。ナイトメアじゃったか?あれもペイルライダーを模したものかそれに近しい何かなのじゃろうがあくまであれは模したものでしかない。じゃからあれに魂などは備わってはおらん』
「成程、そっか。じゃあケルベロスも回収されちゃってるのかな?」
『いや、あの子は母と共にあちらの世界で手助けする役割となる。故に回収はされておらん』
「……役割?」
『む、しもうた。忘れておくれ』
ムンちゃんが少し困ったような目で見てきたので流してあげることにした。知ったとしてもどうしようもないというのもある。
「ねえ、ムンちゃん。少しだけ訊きたいことがあるんだ。答えてくれない?」
『……我に答えられるものであれば答えよう』
「貴女達は私に本気で仕えていたの?」
『む、そうじゃな……少なくとも我は本気じゃった。あの神が関わらねば今もまだ傍に居たのは間違いない。我と同じ考えの者は多いと思う』
「そっか。なら良かった」
そう言いながらムンちゃんの鼻先を撫でる。ツルんとしていて少しひんやりして気持ちいい。海の中であるにもかかわらず濡れていないのは気になるけど魔力か何かで防いだか乾かしたのだろう。
『……それだけか?』
「え?あぁ、そうだよ。役割について訊いても答えられないだろうし名も無き神との契約内容も答えられないでしょ?ならムンちゃんに訊くのってそう多くないしそれだけ聞けたら良いかな」
それに私の想像通りならば大体内容は理解出来るしね。役割も多分、護衛とか指導とかそういったものというだけだろう。確かに特殊な役割もあるとは思うけど正直そこまで興味も無い。名も無き神との契約内容は私が自力で辿り着くのが絶対条件だと思うしここで仮に訊いて答えられると言われても断っていた所だ。
『そうか……』
ムンちゃんの声には安堵なのかそれとも答えられない罪悪感なのか不思議な響きが含まれていたけどあえて無視をする。時が来ればきっと普通に接することも出来るだろう。その時を待っていればいい。いや、待つのではなく手繰り寄せれば良い。果報は寝て待て、なんて言うけど私はそれじゃいけない。自分から切り開かねば果報なんて来る気配すら無いだろう。
「それで後もう一つ訊きたいんだけどさ」
私の声にムンちゃんは何じゃ?と問うてくる。それに対して私は掴んでいるその魔物化したウツボかアナゴを見せる。
「これって素因あげて再生回復しまくってたらずっと食べられるかな?」
『……それは……どうじゃろうなぁ……?やめておいてそれ一匹で我慢しておくのが無難じゃと思う』
……可哀想な子を見るような目でそう言われて少しだけ凹んだのは内緒だ。穴子好きなんだもん……。鰻だったらもっといいんだけど……。
ムンちゃんとまたねと別れてから山の方に向かっていった。海にも魔物化したものはいたが山の方にも大型ではないようだが小型の小さいのが沢山居るのが感じられる。私の意図しない魔力拡散は案外この世界に悪影響を及ぼしていたようだ。今更だけど少し凹む。
魔族にとって常時発する魔力拡散はどうしようもない事だとはいえ結果を見ればやはり地球で過ごすのは良くないことなのだと否応にも理解させられる。
恐らく街中でそれらしい存在が居ないのは魔力が電波やら何やらで乱されまくってるからだと推測される。悪影響になるまでの密度が無いのだ。私の魔力はアンテナが無いと受け取れない電波か何かなのかと思うが実際街中より海や山等の自然溢れる場所の方が濃い。勿論アルーシアと比べたら天と地よりも酷い差があるけれどそれでも明確に濃度が違うと分かる程度には違うのだ。
「ただ山って幾つあるのって話なんだけどね」
まあ私の魔力である以上そう遠くは離れていないだろうし二つ三つ山を巡れば回収することも出来るだろう。
「……回収し終えたら軌道を変える作業……かな」
変え終えたらきっとまた元の軌道に戻る。つまりアルーシアと地球が繋がるのは最低でも数十年後だ。
「あ、そういえばアルーシアに地球から来た子達も居たな。あの子達も帰してあげないとなぁ……」
今の私ならある程度自力で帰してあげられるけれどそれには幾つもやらないといけないことがある。
「……はぁ、面倒臭いなぁ」
全て投げ出してずっと寝ていたいような気持ちすら浮かび上がってくるが目を閉じて深呼吸をする。
「良し、あともう少し、あともう少しだけ頑張ってみようか」
アルーシアに何の憂いもなくなって戻ってしまえたらその時はきっと……。
「決着を付けないとね……」
スイ「鰻の蒲焼き食べたいなぁ」
ムン『我を見て言わんでおくれ』




