435.どーん
「……あぁ〜、主様凄いなぁ」
スイから遠く離れた地にてぼそっとベヒモスは呟いた。偽りの記憶で繋がりによる情報収集も邪魔したし終焉はそもそも観測出来ない筈なのにスイから伝わる感情やほんの少し漏れた思考から勘付かれた事に気付いた。そしてそれ以降全くと言っていいほど感情も思考も分からなくなった。
「……凄いなぁ。はぁ、折角やったのになぁ……ねぇ、ハティ、スコル?」
「ごふっ……ベヒモスッ!ハティ達を殺すのか!」
「そのつもり〜邪魔だし鬱陶しいし私と対等だとか思うその頭を潰してやりたい。けど〜もう辞める。主様に怒られそうだし」
ベヒモスは自身の足で踏み潰したスコルに辛うじて生き長らえる程度の魔力を送ると先程まで殺し合っていた二人から目を逸らす。気付かれる前に殺して偽りの記憶で消せたなら良かったのだけど気付かれた以上それをすれば消されるのは自分だ。非常に腹立たしいがここまで生き延びた二人を認めてやるしかない。
スイが気付いてこちらに意識を向けている事にすら気付かない愚鈍な狼など要らないとベヒモスは思うのだがもふもふとやらをスイが気に入っているのも知っている。というかだから余計に腹が立つのだが。
「はぁ〜、よく生き延びたねー、死ねば良かったのに」
「ぐるるる」
「……そういうとこ本当害獣みたいだ」
ベヒモスはハティ達を見て鼻を鳴らすと歩き出す。そろそろこの世界のダンジョンも大半が終わるだろう。他は人里からかなり離れた位置に点在するはぐれダンジョンとでも呼ぶべきそれだけだ。スイは一週間程度と予測していたが比較的遅いベヒモスですら本気を出せば大陸走破に二十分も掛からない。勿論そんな速度で走ればルート上の街は全滅するが速度を抑えてもそれなりに早いのだ。スイの中に居る創命体達が一斉に散らばって破壊し始めたらそれこそ二日も掛からない。
「後はお前達で破壊してこい。私はもう動かないから」
怠惰な性質を持つベヒモスはそう言うと本来の姿をかなり縮小化した状態で街道に寝そべる。ハティ達はそれに対して何も言わずに睨んだ後走り出す。既に二人には隷属呪を掛けた。スイにベヒモスがした事を話す事も出来なければベヒモスの言葉に逆らうことも出来ない。
「……なあに?」
「………………」
寝ようと瞼を閉じた瞬間目の前に現れた存在に不機嫌そうに瞼を開ける。右手に人の骨で出来た骨杖を持つ女の子、冥界を統べる女神ヘルだ。ヘルは喋れないし念話を送ることも出来ない。だからこそただにこにこと笑みを浮かべるだけだ。
「用も無いなら私の視界から失せろ。砕くぞ半端が」
「………………♪」
ベヒモスの殺気の籠った声に笑顔を向けるだけだ。その様子に苛立たしそうに無視して眠ろうとして瞼を閉じるその瞬間ベヒモスの前に何かが居た。ベヒモスはとてつもない速度で反応して目の前のそれを隆起させた地面で砕いた。
「……どういうつもり?ヘル」
「………………♪」
ヘルは何も言わない。何も言わないままに右手の骨杖で地面を打つと一瞬にして立っていた場所を冥界化させる。それを戦闘行為だと認識したベヒモスは凄まじい速度でヘルに近付いてその身体を打ち砕くと同時にどろっとした黒い何かに身体を覆われた。
「私に触れるな」
ベヒモスから発せられた膨大な魔力でそれを振り払われるが砕いた筈のヘルは少し離れた場所で笑顔でこちらを見ている。
「ハティ達の仇討ちにでも来たか?フェンリル辺りにでも頼まれたか。どちらにせよ……殺す」
ベヒモスが突進するとヘルが目の前で溶けて黒い濁流となってベヒモスに襲い掛かる。しかしそれをベヒモスはただ前足を思い切り踏み締めるだけで隆起させた大地で防いだ。
「直接的な戦闘は苦手だと思っていたけど中々存外にやる。だけどまだ甘い」
ベヒモスが踏み締めた地面から終焉を与えられた魔力が放出される。境界が消え生と死の狭間に逃げ込んでいたヘルが慌てて飛び出してくる。そこをベヒモスは逃がすこと無く一気に詰め寄ってその首を振り上げた前足で叩き折る。潰すつもりで放った攻撃がただの骨折り程度で終わった事にベヒモスが疑問に思うと同時にその卓越した戦闘能力とセンスでその場から飛び上がって回避した直後地面から生えた屋敷を避ける。
「ヘルの屋敷か」
ベヒモスが睨むと屋敷からヘルが現れる。流石は女神、首を折った程度では致命傷どころか傷扱いにもならないらしい。
ヘルは骨杖で地面を打つ。するとそこから白い何かが浮かび上がってくる。それは死者の爪で出来た船だ。
「ラグナロクの時の船。久し振りに見たなそれ」
その白い船はそう大きくもないように見えるのにそこからは無数の死者が現れてくる。それは人類史、いやそれ以前の最初の生命、神、ありとあらゆる生あるもの達が歩んできた死への道から死というゴールに辿り着いた者達による第二の人生。膨大な数のそれこそ数える事など愚かしいとすら思う様な余りにも途方もない数の死者の軍勢だ。
「……流石にラグナロク相手はしんどそうだ」
船からは未だに死者が溢れていてその中には明らかに巨人と思われる者も居る。倒されることは無いだろう。英雄と呼ばれる者が居たとしてもベヒモスはその全ての生命達の土台となる存在だ。そう簡単にはやられないしそもそもベヒモスの硬い皮膚を貫けるものが居るかも怪しい。
「ラグナロクは確かにしんどそうだけど……たかが死者程度がこの私に傷を付けることが出来ると思うなよ!!」
ベヒモスがそう叫び死者の爪の船ごと沈めようと本来の姿に戻り全てを終わらせようと飛び掛かった瞬間、目の前に何故か自らが敬愛する主スイが居た。
「……えっ」
「お座り」
「がっ!!??」
象と蟻よりも酷い体格差の二人は蟻側に属する筈の少女の踵落としで象が倒される事で決着が着いた。
「ふぅ……今何してるのかなって転移で飛んで来たら本当に何してるのベヒモス」
少女スイは踵落としで沈めたベヒモスにそう問い掛ける。その後ろで先程まで笑みを浮かべていたヘルも若干困惑したような表情でおろおろしていた。何せスイが現れた瞬間が一切分からなかった上に幾ら主とはいえ魔力量的には同一であり体格差も身体の頑強さもベヒモスの方が勝つ筈なのにそのベヒモスをただの踵落としで沈めた挙句未だに起き上がってこない事を考えると威力が高過ぎて気絶したか起き上がれなくなる位のダメージを負っているのではないかと思う。勿論ベヒモス自体の身体能力などは全盛期の五分の一程度なのは分かるがそれで互角だったはずなのだ。少なくともこんな呆気なく倒されるほどの差は無かった筈だ。
「ん〜?ベヒモス?」
スイはベヒモスに近付いてぺちぺち頬を叩くが唸ることすらしないベヒモスは多分気絶しているのだろう。それに思い当たったスイは面倒そうにベヒモスを身体の中にそのまま戻してヘルを見るがヘルは喋れないので曖昧に笑みを浮かべるだけにしておいた。
「何があったか分からないけど……まあ良いか。暴走したのはベヒモスだけっぽいけど他の子も何かしら不満があるんだろうね」
スイはそう呟いてからヘルに近付いてヘルの頬に優しく手を当てる。
「他の子にもちゃんと伝えてね。不満があるなら叩き潰してあげるからって」
そう言って笑ったスイを見てヘルはゾクゾクとした恐怖と甘美な快楽を感じて蕩けるような笑みを浮かべるのだった。
スイ「不意打ちだったからいいけど真正面からは戦いたくないなぁ。もっと強くなろうっと」
ヘル「……(不意打ちでもベヒモスを一撃は普通出来ないのでは?)」




