396.パフェ
「名前〜名前〜な〜ま〜え〜」
とんでもなくどうでもいい歌を無気力に歌いながら街中を歩く。赤ちゃんの名前を付けた経験など一度たりとも無いのだからどうしたらいいのか分からない。勿論少し前に発生に立ち会ったリーリアのように付けることは出来る。ただあれはどちらかと言うとペットに名付ける感覚であって赤ちゃんにも同じ気持ちで名付けるのはどうかと思う。ましてやこの子はただの人族でこのまま行けば自分を母と呼ぶ事になる。軽い気持ちで名付けるのは流石に憚られた。
「しかしこの子良く寝るなぁ」
この子が起きている所をあまり見ない。食事の時は流石に寝ていても起こすが基本的には起こさずとも勝手にお腹が減ったと目を覚ます。それ以外の時に起きているのは寝て起きたばかりか時折大きな音で目を覚ました時ぐらいだ。魔物との戦闘中にも音には気を付けているとはいえ全然起きない。
「名前……かぁ」
赤ちゃんの頬をぷにぷにしながら歩いていくと路地裏から出て来た男性にぶつかりそうになる。
「おっと、ごめんね。近道だったから……ってスイちゃんか」
「ん?あ、フナイ」
路地裏から出て来たのはフナイだった。この間あの貴族の下っ端みたいなやつに切られていた時以来だった。
「怪我は大丈夫なの?」
「ああ、怪我自体はそれ程深くは無かったからね。スイちゃんはあの後絡まれたって聞いたけど大丈夫だったのかい?」
「ん、この通り無事だよ」
「そっか。それは良かった。でも、本当にごめんね。僕のせいで絡まれる事になっただろう?」
「気にしなくて良いよ。あれは私も腹が立ったからやっただけでフナイが悪いわけじゃない。それでも気にするなら……そこのデザートでも奢って?」
そう言って指で指し示した場所には見るからに甘そうな砂糖漬けされた花が乗った見るからに甘そうなパフェに似た物がある。それなりに高いので今のスイには中々買う事が出来なかったのだ。フナイは笑顔でそれを了承した。二人で人気店らしいその店に入って席に着くと早速とばかりにメニュー表に手を伸ばす。
「てんてん盛り……」
そしてそこでパフェに似たそれをメニューから頼もうとしてそのあまりにへんてこな名前に一気にスイが脱力する。
「え、何この名前。もう少し何か無かったの?」
「あははは」
フナイは知っていたのかそのスイの態度に笑う。どうやらへんてこな名前なのは割と周知されているようだ。良く見るとメニュー表に書かれた他の料理の名前もみるく盛りとかぱらぱら盛りとかやる気ないのかと言いたくなるような名前ばかりである。微妙に何とも言えないのがメニュー表に載っている絵自体はすごく美味しそうな事だ。
「……てんてん盛り一つ、それとミルクも貰いたいな」
「あ、じゃあ僕はこっちのころころ盛りでも頼もうかな」
店員が注文を受け付けて戻っていくのを見た後ずっと右手にぶら下げていた籠から赤ちゃんを持ち上げると頬をぷにぷにする。すると赤ちゃんの目が覚めていく。どうやら持ち上げて頬をぷにぷにすると食事の時間だと勝手にインプットされてしまったのかこうすると赤ちゃんが目を覚ますのだ。変な習慣を付けてしまったと気付いた時は少し申し訳なく思ったものだ。
「あぁ、そういえばスイちゃんその赤ちゃんの名前は何と言うんだい?」
「ん、まだ無い」
「え、それは……あんまり良くないんじゃないかな」
「分かってるけど……この子はその名前で一生呼ばれ続ける事になるでしょ?そう考えたら私が名付けても良いのかなとか思えて」
「んー、言いたいことは分からない訳では無いんだけどね。君以外に、そう例えば僕がその子に名付けるのは違うだろう?君に事情があるのは分かるけど今のその子には君以外居ないんだ。名付けるのは君以外有り得ないよ」
「ん、名付けるのは別に良いんだ。この子の……母親が名付けるのはもう無理だろうから。ただそうなると名前ってどんなのがいいのかなって……ペットとかに名付けるならまだしも赤ちゃんに名付けるのはちょっと……」
「あぁ〜、まあそうだよねぇ……そもそもその赤ちゃんって性別はどっちなんだい?流石に赤ちゃんの頃の顔を見ても性別はいまいち分からないから」
「あぁ、それもそうだね。おむつを交換する時に見たけど男の子みたいだよ」
スイの発言の後に赤ちゃんが自分の小さな紅葉みたいな手であうあう言いながら目を隠した。そのもうこの段階で自意識が芽生えてそうなその動きにフナイが目をむく。
「その子……」
「あぁ、うん。多分だけどもう自意識が多少なりともあるんだよね。生まれた時から記憶とか意識とかある子も居るしこの子もそうなんだろうね」
「成程……ん?なら聞いてみたらどうだい?その子が気に入りそうな名前があればその名前にしてあげるとか」
「それは考えたけどそもそも私にそこまでのネーミングセンスが無い。だから困ってるの」
「それは確かに困るなぁ……ならスイちゃんいっそ占いにでも頼ってみるかい?」
「占い?」
「うん。王都の方にね、凄く有名な占術師が居るんだよ。確か名前を付けるのにも運勢とか僕にはよく分からないけどそういうのがあるって言われてて貴族の子供への名付けの時にも訪れる人がいるって話だよ」
「占術師ねぇ……」
「僕も王都に向かう予定があったから一緒に行けたらなってお誘いでもあったんだけどどうかな?」
フナイはそう言って微笑む。
「カーシャの事は良いの?」
「ん?どうしてカーシャ?」
「仮にも男女が王都に向かうってなったらあまり良い意味に捉えられない感じがするけど」
「男女……あ、うん、そうだね。まあカーシャには説明しておくから大丈夫だよ」
「今の反応私の事を全く異性とすら認識してなかったよね?フナイにとって私は男に見えていたの?ねえ?」
スイの言葉にフナイは慌てて首を振る。別に女として意識して欲しいとかは無いがそもそも女であるとすら認識されていないのは流石に凹む。確かに胸などはそれほど大きくは無いが絶壁と言うほど無いわけではないし着ている服はそもそもドレスである。
「違う違う違う。流石にそんなことは無いよ。女の子だとは思っているから!ただそういう対象には見ていなかったってだけで別に他意がある訳じゃ……!」
「……ふ、ふふ」
「あ、こら僕を揶揄ったな!」
フナイが揶揄われたことに気付いてスイに向かって声を上げる。スイは笑いながらそっと窓の方へと手を伸ばして……何処からか飛んで来たその矢を掌で受ける。それはフナイへと一直線に飛んで来ていてスイが受けなければほぼ間違いなくフナイの頭を貫通していただろう。
笑顔のスイの掌には矢が突き刺さっている。血が滴るそれを矢羽根の部分を折ってそのまま貫通させる。痛覚を麻痺させていたので大して痛くは無い。見た目がグロテスクなだけだ。けれどもフナイや赤ちゃんにとっては衝撃が大きかったのだろう。唖然としている。しかしそれでも探索者として長年積み重ねてきた経験のお陰か間髪入れず飛んで来た二射目の矢は身体を逸らすことで躱していた。
「スイちゃん大丈夫!?」
「あぁ、私の事は気にしなくて大丈夫だよ。それよりフナイ狙われる理由に心当たりは?」
「幾つかはあるけど命を狙われる程のものは無かったと思う」
「そう、ならどうして狙われたのかを考えないとね」
スイはそんな事を言いながら運ばれて来ていたてんてん盛りを一口食べる。濃厚な甘さが口内に広がるのを感じながらスプーンを持ちながらこう告げた。
「悪魔の雷雨」
街中でとてつもない轟音と叫ぶ男の断末魔に近いそれを聞きながらスイはまた口内にスプーンを運ぶ。
「さあ、溶けちゃう前に食べよう?」
フナイは改めてこう思った。うん、やっぱりあの二つ名は間違いなく君のせいだよと。血塗れ幼女の名前を思い出しながらフナイはそう思った。
スイ「久し振りに使ったけどやっぱりこれ使い勝手良いなあ」




