386.針鼠の魔物
記憶が戻ったとはいえこれは本来の記憶では無い。今現在もスイ本人が持っていた筈の記憶は失われたままだ。この記憶は未来で取り戻したらしい記憶を覗いているに過ぎない。だからかスイが使えるはずの混沌が物凄く不完全で全く安定しない。記憶を封印されていることで無意識的に制御の素因が一時的に管理下に置けていないのだろう。
勿論使えない訳ではないしある程度は調節も出来る。ただ細かい所が出来ないと言うだけだ。スイがこの世界に戻ってくる時に過去に戻ろうとしたのは事実だがここまで戻るつもりも無かったしましてやアルガンディア大陸なんていう危険極まりない場所に飛ぶつもりなどあるわけが無い。拓達には想定内のような発言をしたが内心ではかなり焦っていた。
そもそも大陸型ダンジョンとかいう馬鹿げた状態になっているこの大陸は本来の大きさの約十二倍とかいう桁違いの大きさを誇っている。まともに歩いて踏破など不可能に近い。スイが可能な限り拓達に近付く魔物を排除しているから無事で済んでいるに過ぎない。でなければ全ての魔物が凶獣、知性ある凶獣とかばかりの大陸でのんびり行けない。
しかも異界化しているせいかそこら中に素因がぽこぽこ生まれていてそれを取り込んだ凶獣達がどんどん強くなるという最悪の連鎖を起こしている。その連鎖の結果はスイの目の前に出現した凶獣、いや魔王の凶獣、魔獣と読んだ方が良いのかもしれないそれはスイを見て牙を剥いた。
「はぁ……面倒臭いなぁ。流石にこんなのばかり出て来たら拓達に付けた娘達だけじゃ厳しいかも」
その魔獣は知性ある凶獣ではないみたいで問答無用でスイに噛み付こうとする。それを直前で回避すると針鼠のようなその魔獣は即座に反転してスイに対してその針の塊の様な尻尾を振り回す。あれに当たれば卸し金のように細切れにされそうだな等と考えながらスイはそれをグライスで斬る。
まさか斬られるとは思っていなかったのか甲高い声を上げるとバックステップで完全に断ち切られる前に逃げ出した。中々素早い。幾ら本気で斬ろうとしていないとはいえ半分も斬る前に逃げられるとは思っていなかった。
「針鼠って意外に見た目可愛いんだよ……殺したくないなぁ。創命魔法で私の眷属にならないかなぁ」
しかしスイに対して向ける目は敵意と食欲だけだ。針鼠が全身の毛を逆立たせると顔も身体も丸めて全方位を針で覆う。回転攻撃だと思ったスイはティルで受け止めようと魔力を込める。すると針鼠はまさかの横回転でスピンしながら近寄ってくる。どうやって回っているのだろうと思っていたら縦回転も混ざり不規則に回転し始めた。そして魔力を感じたと思えば空に飛び上がりその勢いのまま飛んで来た。スイが躱すと地面を砕きながら再び浮かび上がりスイに向かって飛び込んでくる。
躱すだけじゃ埒が明かないので飛んで来た針鼠をティルで抑え込む。ちなみにこちらのティルはスイが着ている方ではなく二個目の方である。幾ら受け止められても衝撃は来るので着ている方でやるのはやめておいたのだ。
抑え込まれたのが良く分からなかったのかその針鼠は暫く回転しようとモゾモゾしたあとティル越しにスイにその可愛らしいつぶらな瞳を向けた。捕獲されたのが流石に分かったのか大人しい。
「…………」
何となくじっと見詰めていたら針鼠がもぞもぞと動き始めた。最初と違ってそこに敵意は無い。というかこの針鼠私よりも大きいからもぞもぞ動かれると普通に抑え込めない。本気でやれば抑え込めるけど別にそこまでする必要も無い。
針鼠は私の手から離れると前足で顔の辺りをくしくしやっている。可愛い。私が手を差し出すと少しキョトンとした後に顔を乗せてきた。凄く可愛い。頬を撫でると目を細めてうっとりし始めた。この子本当に魔物なの?可愛すぎるんだけど。
一応身体の中の素因を見させてもらったが魔王になっていたからやはりかなり強力そうだ。というか魔物も魔王化するのだなと今更ながら思った。
素因は十三個ありその内十一個が全て《強化》の素因で埋まっていた。逆に凄い。残り二個の素因も《種》の素因と《宝飾》の素因と良く分からない。どういう状況で育てばこんな魔王が生まれるのだろうか。
「私の元に来ない?」
そう問い掛けると意味が分からなかったのか首を傾げた後私の手により体重を掛けてきた。だから私は創命魔法を掛ける。一応受け入れてくれたら多少の知性は芽生えるはずだけどどうなるだろうか?
針鼠は私の魔法を受け入れて眷属になってくれた。ただ言葉を話す事は出来ないみたいだ。こちらからの言葉を理解出来るだけマシかもしれないけど。どうやら種と宝飾の素因は他の凶獣の素因だったようだ。強化は針鼠が最初から持っていて暫くしたら自身の近くに生まれるからそれを取り込むということを繰り返していた模様。但し素因が生まれるまでに百年以上経過するという。苦行かな?
「針鼠……名前はどんなのがいい?」
適当に思い付いた名前を片っ端から言っていくがどれもお気に召さないようで中々頷かない。仕方ないのでこの世界の言葉に合わせて五十音表みたいなのを作って針鼠に考えてもらおうとしたけど針鼠は五十音表を見向きもしない。
「ん〜、名前無いと不便だよ?」
『……エウリム』
針鼠が喋れないと思っていたら念話みたいなのが来て驚いた。
「エウリム?」
スイが確認の為に名前?を発すると頷く。合っているようだ。
「エウリム……力ある言葉かぁ。言葉の意味は?」
『……天の罪、地の大逆、海の嵐、象徴の破壊、絶対者』
「……五つ?」
力ある言葉で五つの意味を保有する名前を初めて聞いた。というか四つでもかなりおかしいのに五つとなるとそれはまるで……。
「あ、魔王だからか……」
納得してしまった。普通はありえないが魔王なら理そのものを捻じ曲げかねない。ちなみに父様も名付けるだけならば五つでもいけたとは思うがそれをしなかったのはそこまで縛ると力の方向性が完全に定まってしまい本来の実力が出せなくなる可能性がある。あくまで可能性の話ではあるがそれを嫌ったのだろう。
「……ん?というか随分具体的な名称のような……?」
天の罪、地の大逆、海の嵐、象徴の破壊、絶対者。この中で良く分からないのは絶対者だろうか。何に対しての絶対なのか分からないし。ただ最初の三つは当て嵌りそうなのがある。三匹の事だ。
天の凶獣アウラス、地の凶獣イルナ、海の凶獣ロフトス、むしろこの三匹以外にその言葉が合う物がこの世界にいるとは思えない。ただその後に続く象徴の破壊が気になる。この三匹に対しての言葉にしか聞こえないんだよね。
「ねえ、エウリムって三匹を殺す為に作られた凶獣だったりする?」
『……?』
「違うの?ならアウラスとかイルナとかロフトスの事は知らない?」
『……?』
え、本気で知らないならどうしてそんな意図して作られたかのような名前を名乗ったのだろうか。もしかして自覚していないだけなのかな?だとしたら三匹には会わない方がお互いのためだったりするのかもしれない。
「……あとちょっと針収めてもふらせてもらってもいい?」
あ、エウリムの毛は硬くて微妙だったけどお腹の所は温かいしもふもふしてるし凄く気持ちよかったです。エウリムに抱き締められたら幸せな感じがして良かったです。うん、こんなことするよりも前に拓達に合流した方がいいのは分かってるんだけどね。
「……エウリム、多分あなたは三神に対抗する側の神に作られた異世界産の魔物だよね?」
『……………………』
「まあどうでもいいけどね……あなたが私の敵じゃないならそれで」
そう、敵じゃないなら別にいい。私はどんな手を使っても《 》にならないといけないんだから。




