375.それは「 」の証
明確に思い出した訳では無い。何なら殆ど思い出せてはいない。ただ一つ浮かんだだけだ。この目の前の男を殺す。それだけは確実にしなくてはいけない事であり私なら出来る事実でしかないのだと。どうして今私がこの男の前で倒れているのかと。どうしてこの程度の男に?と疑問が浮かんではすぐに消える。
何か特別な力を得た訳ではない。ただほんの少し身体の使い方を思い出して心の使い方を思い出した。それだけだ。けどそれだけでいい。私にはそもそも力など必要無かったのだから。そうでなくては私はあれ程までに人を傷付けることなど出来はしない。
だから倒れている身体を起き上がらせた後に男と向き合うとこうなるのは必然だった。私の目の前で男は涙を浮かべて痛みとこれから訪れるであろう様々な恐怖に怯えている。
けど私に男の声は聞こえない。聞く必要も無いから。だから私は無造作に男の近くに寄るとその首を手刀で撥ねた。
達成感などは無い。ただすべきことをしただけ。そこに私の感情は微塵たりとも必要では無い。ああ……でも凄く嬉しいな。
何が起きたのか私には分からなかった。男の身体から今まで生きてきた中で感じた事もない程の凄まじい魔力を感じて警戒の為に下がった。魔力の奔流によってスイは弾き飛ばされたが怪我という怪我はしていないと思う。すぐに復帰してくるだろう。
そう思って男を睨み付けると視界の端でスイがふらっと立ち上がった。声を掛けようとして息が詰まった。あれは本当にスイなのか?
そんな馬鹿げた事を考えた瞬間、再び無造作にスイは男へと近付いていく。男から押し寄せて来た魔力の壁に対し、スイはほんの少しの小さな魔力の糸を突き刺して侵食させてバラバラにする。そして解れたその隙間から男の目の前に現れるとその腹に右手で抉るかのように拳を打ち込んだ。
いや抉るかのようにではない。正しく抉ったのだろう。男の腹は血だらけでスイの右手は男の臓物と思しきものを掴んでいる。その一瞬は気持ち悪い程鮮やか過ぎて誰にも理解されなかった。私もいつそれが行われたか分からなかったし抉られた男も理解していなかっただう。いや抉った当人であるスイも理解していたかは怪しい。
ただ無感動に無感情のまま男の腹はスイによって抉られた。スイは男の痛みに呻く声を無視するとその身体に右足で蹴りを入れた。その威力は凄まじく男の身体が空へと打ち上がる。スイはそこに間髪入れずに踵落としを決めると地面にバウンドさせる。そして足を地面に下ろすと今度は左足で男の顔を蹴り飛ばす。吹き飛んだ男の身体を追うように走り出したスイは未だ空中で浮かんでいる男の身体に次々蹴りを入れる。
その速度は先程までのスイとは異なりゼブルですら反応出来るか怪しい速度だ。目の前で見ている男からすればいつの間にか蹴られて吹き飛んだという印象しか抱かないことだろう。
つまり全く反応出来ない。ガードしようにもそもそも何をされているのか理解出来ない。そして理解した所でガード越しに蹴られる事は明白であり何も出来ない。ゼブルであればやるとしたら魔力を集めて衝撃波のように周りに放つぐらいだろう。
そしてそれは男にとっても同じなのだろう。男の身体から魔力が解き放たれる寸前スイの両手からゾッとするほど悍ましい魔力を感じた。黒く禍々しくそれでいて神々しさすら感じられる悍ましい魔力。その魔力に身を委ねてしまいたくなる破滅の魔力。
「……混沌」
スイは小さくそれを呟き男の身体に押し当てる。そしてそれで終わりだった。押し当てられた腕が元からそこに無かったかのように消し飛び集まっていた魔力もまたそこに無かったかのように消え失せた。何もかも残りはしなかった。
「は?」
男の呆然とした声をスイは無視すると男の背中を蹴り上げ背骨をへし折ると同時にようやくスイの蹴りが止まる。しかしそれまでに人体を悉く破壊し尽くされたせいか男は逃げるどころか身体を動かすことすら厳しそうだ。
それに気付いた男はスイを見て恐怖を浮かべる。そして涙を滲ませ何かを言おうとした瞬間スイによってその首を撥ねられた。圧倒的だった。文字通り何もさせていない。先程までのスイとは異なりそこに居たのは魔王だった。圧倒的な武で他者をひれ伏させる超越者の存在。かつてゼブルが一度だけ見てその姿に憧憬の念を抱いた存在。
「……あぁ、君がそうだったのかスイ。君が……魔王の後継者」
ゼブルの目の前に立つ小さな少女の姿はいつしか姿が変わりその背に決して小さくはない黒い羽を持つ翼が生えていた。
「何これ……」
男を殺した。それで凄くスッキリしたと思っていたらゼブルが感動したかのように身体を震えさせて私を見ていた。気持ち悪いなと思っていたら何か一瞬背中に見えた気がして首だけで後ろを見ると翼が生えていた。
何があったのかさっぱり分からないし普通に邪魔なのだが戻せない。何かの魔法かと思ってゼブルを見るが身体を震わせて小さく呟くだけで役に立ちそうにない。男が死んだ瞬間からロボットも動かなくなったので記録映像とかで調べたりも出来なさそう。
というか結局この男は何だったのだろう?何故この男をこんなにも殺したくなったのだろう?自分自身が良く分からない。何かを思い出したような思い出していないような変な違和感だけが残る。まあ殺してスッキリするという事は私にとって殺しても良かった人物なのだと思うことにしよう。というか正直どうでもいい。
ゼブルは動きそうになくて仕方ないのでこの空間内を見て回ることにした。男の力で空間が拡張されていたようだから恐らくそう長い時間は持たないが私が魔力だけでも送ってやればもう暫くは残る筈だ。異世界からの人間のようだしもしかしたら役に立ちそうな魔導具やアーティファクトがあるかもしれないしね。
ヴェルデニアとの戦いはかなり厳しい事が想定されるしあって困るものでもない。そう思って捜索を開始したのだがこれといったものが全く無い。いや幾つか魔導具自体は見付けたのだが生活空間の為の魔導具ばかりで先頭に役立つのかと言われたら全く役には立たないと言わざるを得ない。
あと見付けたものとして火人族の死体が大量にあった。どうやら死体から残った魔力を搾り取っていたようだ。搾り取った魔力がどこに行ったのかなどはさっぱり分からないが恐らくあの男自体に飲まれたのではないかと思われる。というかそうでもしないとあれ程までの魔力量は保持出来ないだろう。今更だけど良く勝てたなと思う。
火人族は殺すつもりだったが流石に死体を辱め続ける趣味は無い。その為一応指輪の中に入れて回収しておいた。元の村の所まで持っていったりとかはするつもりは無いがせめて穴の中に埋めるぐらいはしてやろうと思う。少なくとも火人族が人族を嫌ってはいても死後を辱めていないのは村の様子からも分かっていたし。
幾人かほぼ死体と変わらないぐらい衰弱した女性や子供も居たが助ける気は起きなかった。というか助けようが無い。治癒魔法など掛ければ恐らく即座に死ぬ。食事を与えて水も与えてとやれば生き残るだろうがそこまでしてやる義理もない。ましてや火人族に関しては私は全員殺そうとしていた側だ。助けるどころか殺しても良いほどだ。
ちなみに火人族の姿は確かに人族に酷似していた。皮膚が赤色ではあるがそういう人種なのだと言われればそうなのだと納得しそうではある。まあ何故か常に湯気が出ているし近くに寄ると普通に熱いのだが。多分触れたら熱湯か何かに手を突っ込んだのと変わらない熱さに見舞われると思う。その変な特性を持ってはいるが一応人族に見える火人族の女性や子供を殺さずに残していたというのがあの男の性格の悪さが滲み出ている。
「……」
私を見て怯えているその人達を見て私は笑顔を浮かべる。それを見てホッとしたようなその火人族の人達を見て酷く苛ついた。
「……ふふ♪」
笑い掛けると女性がぎこちないながらも笑顔を見せる。子供達も警戒を解いたようにこちらを見る。だから私はそっと腕を伸ばしてその腕の先に魔力を溜める。火人族は魔力の動きに鈍いのだろう。その私の腕に触れようと一番小さな子供が近付いてきた瞬間私は溜めた魔力を解放した。
「暴禍」
解き放たれた魔力は荒れ狂う風となって目の前の子供を真っ先に切り刻み近くに居た子供を巻き込みその規模を拡大させ最後に女性が引きつった表情で悲鳴を上げようとしてその身体を切り刻まれて霧散させた。細かく削り取る風の暴力によって殆どが血風と小さな肉片となった。それを見ても何も思いはしない。強いて言うなら少しだけスッキリしたといったところか。でも正直どうでもいい。
私は元の場所に戻るとずっと動かなかったらしいゼブルの襟を掴んでこの空間から脱出した。その瞬間空間が音を立ててひび割れ砕け散る。指輪から火人族の死体を出すとその空間のあった場所に流し込むように入れていく。丁度地下にあったおかげで穴を掘る手間が省けて良かった。出し終えたら適当に岩を作って穴の中に押し込める。幾つか潰れた様な気もするが別にどうでもいいし構わないだろう。
埋めた後少し離れた場所で野営する事にした。とりあえず言いたいのはゼブルさっきからどうしたのだろう?って事だ。早めに元に戻って欲しいなと本気で思う。
スイ「ガジガジ(干し肉を齧る音)」
ゼブル「……ハッ!?……んん!スイどうして干し肉を齧っているんだ?」
スイ「……ゼブルを放って一人だけご飯食うのが忍びなかったのと干し肉ってそういえば食べたこと無かったなって思って齧ってた」
ゼブル「……一応言っておくが干し肉は基本的にスープなどに入れて柔らかくしてから食うものだ。間違えても齧る食べ物では無い」
スイ「ジャーキー的なものかと思ってたのに……」




