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金の狼と銀の鳥

 こんな所まで、追いかけてきたの?

 ……その執念……凄いわね。


 クスクス……怒らないでね? 褒めてるのよ?


 ここはね、記憶と記録達の眠る場所。

 普通の人では、来る事が出来ない所ですもの。


 流石は、共感因子の持ち主達だわ。


 え? 共感因子とは何かって?

 そんな事、あなた達は知らなくても良いのよ。

 時が来れば判るわよ。


 けど、そうね…………。


 せっかくこんな所まで来てくれたのだから、ちょっとしたお話をしてあげる。

 これは、あなた達の知り得ない、狭間の話よ。


 何の話かって?


 ふふ……分からなくてもいいのよ。そういう物なのだから。



 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆



 ここでは無い、何処かの世界の、ふかーい森の中。

 恐ろしいけれど、実は臆病な龍の支配する世界。


 そこには、沢山の人ならざる者達が、ひっそりと暮らしておりました。

 ある者は、兎の耳をその頭に生やし、またある者は、その背に純白の翼を持っていました。


 そんな者達の中で、輝かんばかりの金の毛並みを持つ、一匹の狼がおりました。

 その狼は、産まれた時から皆の目を惹きつけてやまない存在でした。

 そして、その狼は、見目麗しき金の狼の女性だったのです。


 そんな彼女は、昔から何もかも我慢して、父親の言う事にも反対せず、ただ、村のためにと生きてきました。

 何故なら彼女の同胞である金の毛並みを持つ狼は、もう殆ど残っていなかったからです。

 かつては、栄華を誇り、頂点を極めた種族でしたが、その数はもはや、片手で数えられる程まで減っていました。


 そう、彼女はそんな貴重な種族の数少ない生き残りだったのです。


 父親に言われ、村一番の猛者と(つがい)になった時も、その相方に暴力を振るわれた時も、ただ黙って、耐え忍んでおりました。

 そんな粗野な相方との間に子を儲け、それでも、恨み言一つ言わず、精いっぱいの愛情を注いで、子供を育ててきました。

 種族の存亡を担う彼女にとっては、そうする事が当たり前でしたし、何より彼女自身、そんな役割を周りから期待されていたのを知っていたからです。


 しかし、そんな風に、全てを耐え、忍んできた彼女に与えられたのは、森の為に生贄になると言う過酷な現実でした。

 それは、直ぐに命を奪われるものでは無く、徐々に力を吸い取られ、やがて死に至る……そんな残酷な儀式だったのです。


 徐々に自由に動かなくなっていく自分の体。

 艶やかで、日の光を浴びると黄金の様に美しく輝いていた金の毛は、くすみ、色褪せ、今や刈られる前の稲穂の様に力なく垂れ下がるのみ。

 それでも、彼女は特に、誰かを恨むことはしませんでした。

 それよりも、彼女のたった一人の愛娘の行く末が、気になって仕方なかったのです。


 私が死んだら……この子はどうなってしまうのか?

 私の次は、この子が生贄になってしまうのではないだろうか?


 そうして彼女は、心残りを抱えたまま、自分の命が尽きる日を、只々待つだけの生を過ごしていたのです。




 しかし、そんな風に終わる筈だった彼女の生は、突然、ある一人の旅人によって捻じ曲げられました。


 その旅人は、森で母の為に薬草を探していた愛娘の窮地を救ってくれたのです。

 行くあても無いその旅人を、そのお礼にと愛娘が連れて来た時、彼女は、今迄に見たことも無い旅人の風貌に驚きました。


 そして、そんな風変わりな旅人達を見て、彼女は考えました。


 もしかしたら旅人達は、この世界とは違う所から来た、異邦人と呼ばれる者達かもしれない。


 異邦人……それは、別の世界からやって来る、超常の力を身に着けた人で、おとぎ話にも幾度か登場するような者達でした。


 もし、異邦人なら……この村の為に何かしてくれるかもしれない。


 彼女が最初に心に抱いていたのは、そんな打算だったのでした。

 だけれども、そんな彼女の心に気付くことなく、その旅人は、さも当たり前の様に、彼女の命をも救ったのです。


 しかも、その旅人は、本当におとぎ話の中に出て来る英雄の様に、次々と村の問題を解決していきました。

 彼女は思います。


 この旅人には、これからも村にいて欲しい。それが、村の為になるだろう。


 だから、彼女は、その為に出来るあらゆることをしようと決意したのです。

 可愛い可愛い自慢の愛娘も、自分の体さえも、村の為に全てを差し出そうとしました。

 しかし、旅人は、何故かその申し出を受け入れてくれません。


 対価も見返りも満足に支払うことの出来ない彼女としては、貴重な種族の末裔である彼女と、彼女の娘が、最も価値のある財産だったのでした。

 金に輝く彼女達の毛は、それだけでも価値のあるものでしたし、種族を超えて賛辞の数々を集めた親子の美しさは、村の誰もが認めるものだったのです。


 そんな旅人達は、金の狼の親子を欲しないだけでなく、誰にでも分け隔てなく接し、偉ぶる事をしませんでした。


 機嫌が悪いと殴られ、体を求められ、ちょっとした気紛れで、翻弄された事しかない彼女にとって、それは信じられないことであり、同時に、心地の良いものでした。


 この人は、何も押し付けて来ない。


 全てを押し付けられ、それを受け入れるだけだった彼女の人生で、そんな人は周りに一人もいませんでした。

 種族の為、皆の為。そうしなければならない。

 それが彼女の存在意義であり、そうする事が彼女の喜びでもあったはずでした。


 しかし、その旅人の振る舞いを見ている内に、彼女の心の中には徐々に、経験した事のない思いが育っていったのです。


 それは初めての淡い恋でもあり、憧れでもあり、尊敬でもあったのでしょう。

 彼女はその時、自分の中に、これほど大きな思いがある事を初めて知ったのです。


 そうして彼女は、戸惑いながらも心の赴くままに行動するという事を、初めて知りました。

 自分の心の欲するままに行動する。

 それは、ある意味、野生の中では当然の生き方だったのかもしれません。


 しかし、人はそのような生き方をすれば、直ぐに行き詰ってしまいます。


 自分の思うがままに、欲望を解放すれば、旅人だけでは無く、他の皆に迷惑をかける事になりました。

 その時は、騒動にもなりましたし、後で旅人に叱られる事もあったのです。


 ただ、それでも、旅人が彼女の為に行動してくれる事が、彼女には嬉しかったのです。

 真っ直ぐに自分を見てくれていると言う実感が、彼女の心を更に突き動かしていたのでした。


 そんな風に、村の為では無く、徐々に旅人の為に、行動を決定する自分の戸惑いながらも、旅人と過ごす日々はあっという間に過ぎて行ったのです。


 彼女は、旅人を支え、旅人の為に役に立てる自分を誇らしく思えるようになっていきました。

 その思いは、彼女の毛並みを太陽すら飲みこんでしまうほど艶やかなものへと変え、その肌を陶磁器よりもなめらかで、美しいものへと変えて行ったのです。

 周りの皆も、そんな風に生き生きと過ごす彼女を、羨ましそうに……しかし、微笑ましく見守ってくれるようになっていったのです。


 旅人の活躍が広まっていくにつれ、旅人の元には沢山の人が集まる様になりました。

 そして、そんな中には、勿論、多くの女性達も含まれていたのです。


 旅人がそんな新参の女性と仲良くするのを見て、彼女の中に、またもや新しい感情が顔を出す様になりました。

 心の中に黒い何かがへばりつくように、それはもどかしく、そして苦しいものでした。

 胸をかきむしりたくなる様な、大声で何かを吹き飛ばしてしまいたくなるような、そんな苛立ちを含んだ感情でした。


 それが嫉妬であると、聡明な彼女は直ぐに分かりました。

 しかし、分かったとはいえ、それをどうにかする事も出来ません。

 その矛先は、どうしても新参者の女性へと向かってしまうのです。


 そして、彼女は焦りました。

 何とかして、皆より優位に立ちたい。

 旅人との絆を確実にできる物が欲しいと、切に願ったのです。

 ですから、彼女が、旅人と婚姻し、旅人との間に子供を作る事を望んだのは自然の流れと言えるかもしれません。


 しかし、旅人は婚約と言う形で、一歩線を引きました。

 彼女にとっては残念でしたが、旅人に強要する訳にもいかず、取り敢えずそれで満足したのです。

 その婚姻という証を持って、彼女は旅人と繋がったように感じられたからでした。


 ですが、人生とは過酷です。

 今度は、別の種族から、旅人を慕う者が現れました。


 その者は、背中に白銀の翼をもつ、鳥の眷属でした。

 空を更に透明にしたような、透き通る蒼い髪。それは、この地を流れる風を感じさせました。

 大地に悠々と二本の足を下ろした姿は、己の自信を存分に現しておりました。

 更に、特筆すべきはその美貌です。男性とも女性ともつかない、その顔は美術品のように整ったものでした。

 この森の多くの男達に言い寄られた彼女ではありましたが、これほどまでの美貌を宿した者に会うのは初めてだったのです。


 そんな存在感のある者が、旅人に侍る様に着き従っていたのです。

 しかも、その者は鳥の眷属を若くして纏める長であり、発言力もある厄介な輩でした。


 何より始めて顔を合わせた時、彼女は感じたのです。

 その者の旅人へ向ける視線の熱さと、思いを。


 それは、種族も何もかも超え、己が身の全てを捧げんとする……例えるなら、殉教者のような物でした。

 そして彼女自身不思議ではありましたが……何より……その者を見て、大きな反発心を覚えたのです。

 彼女は強く思いました。


 あの者だけには負けてはならない……と。


 それからは、銀翼を持つ者と、金の毛を持つ彼女の壮絶な戦いが繰り広げられるようになりました。


 会議の席では、少しでも旅人の役に立とうと、互いに意見を戦わせる事が多くなりました。

 それはお互いの存在を旅人にアピールする為だけでなく、自分達の存在そのものをかけた戦いと言っても良かったのでしょう。

 そうして、少しでも旅人の手を煩わせない様にと、一層、村の業務に身を粉にして取り掛かるようになった結果、銀の翼と金の狼は、全ての業務に無くてはならない二人として、行政を仕切って行く存在になったのでした。

 結果的に、旅人と会う時間は減りましたが、その分、旅人の役に立っていると言う実感と充実感が、彼女を更に突き動かして行ったのです。



 そんな風に、競い合う様に業務に没頭した二人でしたが、ある日、とんでもない事が起こりました。


 なんと、この森の主である竜神と旅人が、戦う事になったのです。


 それは、完全なる蹂躙でありました。

 旅人の圧勝……いえ、正確には戦いとも呼べない物だったのです。

 地を割り、天を焦がす竜神を相手に、笑みを浮かべながら悠々と戦い、そして、完膚なきまでに圧殺する旅人の姿を見て、彼女は体のそこから湧き上がってくる震えを止めることが出来ませんでした。


 旅人が叫べば、光が突き刺さり、地から巨大な槍が出現しました。

 旅人が天を掴めば、炎が降り注ぎ、闇が全てを砕きました。

 旅人がそこにいれば、竜神の攻撃はことごとく砕かれ、消し去れていきました。


 その光景を目の前で見た彼女の心に、初めて旅人に対する強い否定の感情が沸き起こったのです。

 それは、魂が鷲掴みされたような……とうてい耐える事の出来ない恐怖でありました。


『旅人の為に尽くしたい……』そう思う一方で、その旅人の存在そのものが世界を滅ぼしてしまうほど、恐ろしく、危険なものだと分かってしまったのです。

 多くの業務をこなせる程、聡明な彼女だからこそ、それを自覚出来てしまったのでした。


 そう自覚してしまった瞬間、今まで思っていた完璧な旅人の姿に、亀裂が入ったのです。


 あの優しく撫でてくれるあの柔らかい手で、簡単に私達の命は潰える。

 あの柔らかく言葉を紡ぐ口から、死を告げる言葉が飛び出すかもしれない。


 そんな事は絶対に起こり得無いと、彼女は理性で理解しています。

 今まで過ごしてきた時間で、旅人がそんな事をするはずが無いと、理解しているのです。

 しかし、一旦気が付いてしまったら、彼女には同じように見る事は出来なかったのでした。


 旅人の視線が怖い。

 旅人の一挙一動が気になる。


 何より……その存在の大きさが理解できない……。


 これは、神と呼ぶにもまだ足りない。この存在は何だろうか?


 今まで彼女の中で培われてきた、愛しい旅人像が崩れ去り、未知の恐怖その物へと変貌を遂げたのでした。

 同時に、今まで過ごした日々の中で、積み重なった愛情がその恐怖を否定します。

 彼女の中ではどちらも本当の気持ちであり、そして、それ故に、彼女の心を縮れさせるのでした。


 そして、現実は残酷です。

 時があれば、それも彼女の中で折り合いを付ける事も出来たのかもしれませんでした。

 ですが、その時は残されていなかったのです。

 旅人が旅立つのは、今を置いてなかったから。

 複雑な思いが、彼女の胸をかき乱します。


 旅人と離れたくない。しかし、旅人の願いを叶えたい。


 旅人の役に立ちたい。でも、旅人の力が恐ろしい。


 それは、暴風の様に、彼女の心の中で荒れ狂いました。

 そんな風に悩む彼女とは反対に、隣で同じ光景を見ていたはずの娘は、目を輝かせ更に旅人の神なる力に、憧れすら抱いたようでした。


 ですから彼女は、最愛の愛娘に問いかけました。

 あの旅人の戦いを見て、尚、旅人の傍にいたいのか?と。

 その答えは単純で、それ故、真っ直ぐなものでした。


 旅人と離れたくない。隣に立ちたい。


 その言葉を聞いて、初めて彼女は、最愛の娘が、旅人へと向けた気持ちの強さを実感したのでした。

 同時に愛娘の目には、金の毛を持つ狼の一族を名乗るに相応しい強い光を宿していました。

 そんな愛娘の意外な一面を見て、彼女はちょっとした安心感と、大きな誇らしさと、一抹の寂しさを同時に胸に宿したのです。


 この子なら……大丈夫。きっと、私の代わりに、旅人の傍に寄り添える。


 彼女は、そう確信しました。

 同時に、それは、自分が傍にいなくても問題ない事を意味していたのです。


 ですから、彼女は愛娘にだけそっと自分の気持ちを伝えました。

 自分には理解できない。この力は、化け物としかいえない。

 彼女には、これ以上、旅人の近くで乙女のようにはしゃぐ事はできないと。


 だから……自分の代わりに、旅人と一緒に行きなさい。


 彼女の腹は決まりました。

 私は、私のやり方で、旅人を支える。


 銀の翼の鳥は、そんな彼女の気も知らずに当たり前のように、彼女を責めました。


 銀の翼からにじみ出る思いも、彼女にはよくわかります。

 恐らく、銀の翼は、旅人の力を目の当たりにしても、受け止められる程、心酔しているのでしょう。

 ですが、金の狼である彼女には、そこまで簡単に割り切ることが出来ない問題でした。

 彼女は同時に、旅人がここから離れたいと思っていることを知ってしまったのです。

 彼と旅人の思いの差が、彼女を苛みます。


 ですから、彼女は責め苦に答える代りに、無言で襲い掛かりました。


 いきなり飛びかかられるとは思っていなかったのでしょう。

 それを、上空に飛び上る事で、鳥は辛うじてかわしました。


 そこからは、もう両者にとって訳がわかりませんでした。

 彼女にも、何をどうしていいか、答えなど持っていなかったのです。


 ただ、旅人を行かせたいと言う思いと、旅人を恐怖する心、そして彼女の中に芽生えた揺るがしようの無い使命感がない交ぜとなって、彼女の心の中に嵐となって吹き荒れておりました。

 それを目の前にいる、厄介者の鳥にぶつけてやりたかっただけなのです。


 銀の鳥は、そんな彼女の様子を見て、何かを感じ取ったのでしょう。

 お互い、そのまま無言でその爪を交わしたのです。


 何分? いや、何十分たったでしょうか?


 絡み合うようにお互いの爪を叩き付け合った二人は、息も荒げながら、地面へと突っ伏しておりました。

 それは、まさに死闘であり、まさしく不毛な私闘でした。


 やがて、天より旅人の声が聞こえてきます。

 それは、感謝の言葉であり、別れの言葉でした。

 空が、薄い膜に覆われるように、徐々にその姿を変え……そして、覆い尽くした時、旅人は、自分の旅へと戻った事を、皆知ったのです。


 ■□■□■□■□■□■□


 空気が変わり、柔らかな力が森を覆い始めました。

 魔力と呼ばれるその力が、森をまた満たし始めた時、小さく声が響きます。


「何故……あの方を行かせたのですか。」


 同じ問いを再度、銀の鳥は問いかけました。

 そこに込められた感情は、単なる疑問であり、その声に怒りも憤りもありません。


「あの方が……それを望んだからです。」


「貴女はそれで良いのですか?」


「……そうすることしか……私にはできなかった。そう、それしか、私があの人にできる事は……もう、無いの。」


 そんな彼女の言葉の裏に、何かを感じ取ったのでしょう。

 銀の翼の鳥は、その声に怒気を滲ませると、言い放ちました。


「貴女は……ずるい。」


 そんな鳥の声を、彼女は黙って受け止めました。


「貴女は、あの方の気持ちを真正面から受けられる立場にある。しかし、私には、信頼を向けてくれても、信愛を抱いてくれても、番に向ける愛情を私に向けることは無いでしょう。だが……貴女はそれを受けていた! 私にはそれがどうしようもなく、憎い!!」


 それは、銀の翼をもつ鳥の、心からの叫びだったのです。


 優秀な部下であり、男性でも女性でもない銀の鳥に対し、旅人は友人以上の目を向けることは無かったのでした。

 それでも、彼、あるいは彼女と呼んでも良いかもしれない銀の鳥は、その思いが届くことを願って、ただ忠実な部下としてその身を捧げていたのです。


 ですが、彼女からすれば、旅人に絶対的な信頼を得ていた銀の鳥こそ、本当の意味で羨ましかったのです。

 銀の鳥は、男と認識されていた事で、旅人から対等の立場としての扱いを受けておりました。

 風呂にせよ、飲みにせよ、彼女たちの前には見せない、旅人の違った一面を、彼は見ることができる立場だったのです。


 ですから、一瞬、勢いのままに全てをぶちまけようとした彼女でしたが、すぐに旅人に対しての恐怖がその怒りを塗りつぶして、その口を縫い付けてしまったのです。


「何故……何も反論してくれないのですか。」


 その口を開かない金の狼を見て、銀の鳥は、悲しそうに呟きました。

 彼もまた、葛藤があったのでしょう。


「私は……あの方が、とてつもなく恐ろしい存在に見えてしまったの。」


 それは、彼女の口からするりと漏れ出ました。

 そんな彼女の言葉を、彼は鼻で笑うように否定します。


「あの方ですから、当然です。」


 それは、さも当たり前の事実として、銀の鳥から告げられました。

 彼の一辺たりとも曇りのない言葉を聞いて、彼女はますます、自分の不甲斐なさに嫌気が差します。


「そう言い切れる貴方が羨ましいわ。」


 そんな彼女は、自分でも不思議なほど素直に口を開きました。

 言ってしまった後で、この鳥に弱みを見せてしまった事実に、彼女自身驚いてしまいます。

 ですが、同じように、彼もまた、驚いたのでしょう。

 息を飲んだ後、暫くして、彼は口を開きます。


「貴女が何をそこまで恐れているのか、私にはわかりませんが、私達に出来ることは、あの方のお役に立つことだけです。」


 その言葉には、ひたすらに旅人のために邁進する、彼の気持ちが良く現れていました。

 彼女は、その言葉を聞いて、自分の悩みが小さなことのように感じられて、思わず小さく吹き出してしまいます。

 その様子を見て、眉をしかめた彼は、そのまま立ち上がると、黙って手を差し伸べてきました。

 彼女は無言で、手を取り、起き上がると、暫し、彼を見上げます。


 なるほど。普段表に見せないだけで、彼は彼で、葛藤がある。

 それは、彼女も気付けなかった事で、それでも、彼は自分の信じた道を邁進している。

 その事実は、彼女にとって、共感できるものであり、それ故に、そう出来ない自分に対して、不甲斐なさが心の底から湧き上がってくるのでした。


 彼女は、そんな気持ちに後押しされ、天へと咆哮を響かせました。


 それは、森へと響き、吸い込まれて消えていきます。

 その声には寂しさと悔しさと……秘められた決意が含まれていた事に、彼だけは気がついたのでした。



 後に、金の狼と銀の鳥は、お互いに切磋琢磨し合うことで、森を更に発展させていきます。

 常に言い合う二人の姿は、森のあちらこちらで見られる風物詩となり、森が繁栄の極みに到達した頃……不幸が外から襲ってきたのでした。


 多くの者が傷つき、そして、森で金の毛並みを持つ狼は、ついに彼女一人となってしまったのです。

 そのことを通して、二人はある決心をしたのでした。


 全ては、旅人の作ってくれたこの森のために。


 いがみ合う二人は、共通の目的を見出し、その果てに、ある一つの命を授かりました。

 後に、旅人の力となるべく生まれたその子は、金の毛並みを持ち、銀の翼を持つ赤子。


 父である銀の鳥は、言います。

「全ては旅人のために。」


 母である金の狼は、言いました。

「あなたの思うがままに。」


 森の太陽と呼ばれたその子は、後世、旅人と共に世界を周り、森の英雄と湛えられ、子々孫々に至るまで語り継がれる存在となるのでした。


 めでたしめでたし。



 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


 どうかしら? 少しは楽しんでもらえたかしら?


 え? 何もめでたくないですって?


 わかってないわねぇ。

 狼も鳥も、後悔なんかしてないのよ。

 そもそも、お互いがそう望んでるんだから、良いじゃない。


 え? 旅人に振り回されすぎですって?

 それだけ影響が強かったのよ。


 もう! 文句言うなら、もう記憶の欠片見せてあげないわよ?


 ふう。まぁ、良いわ。ここに来ちゃったってことは、また望めば来れちゃうんだろうし。

 そうね、私の気が向いたら、また、ここに欠片を置いておくわ。


 え? 私は誰かって?

 そうね……私の名は、揚羽(あげは)……とでも名乗っておくわね。


 クスクス……聞き覚えのある子もいるようね。

 本名じゃないわよ? だってそんな事知られたら……面白く無いでしょう?


 あ、もう行かないと。

 じゃあ、またね? 共感因子を持つ可哀想な子たち。

 クスクス。


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