異世界珍味おぼえがき
それは大学の長い夏休みを目前に控え、もう単位の取得が絶望的になった昼前の授業を諦め、僕が大学に行く前に最寄りの本屋で適当に買った雑誌を屋上で横になって眺めていたのが発端だった。例えば北海道とか沖縄とか、そういう地球上の場所について書かれた物だったら良かったのかもしれない。豚丼とかサータアンタギーとか、きっとそういう類のちょっと頑張れば近場のスーパーで食材を揃えて再現できそうな料理が乗っている旅行雑誌。だけど僕が選んでしまったのは、『今がベストシーズン! 異世界フォールシアを食べつくせ!』だったのだから、始末に終えなかった訳で。
異世界フォールシアとは、だいたい五十年ぐらい前に交流が出来たお伽話みたいな世界である。異星ではなく異世界という辺り、平行世界とかそういう類のものに近いことは何となく察しがつくだろう。大気も惑星の直径も大体一緒なくせに、魔法とかドラゴンとかそういうのが平気で出てくるような場所。もっとも地球と五十年も交流が出来たおかげで、最近はコンビニもあるし携帯も問題なく通じるらしい。風情もへったくれもないが、まあ便利だから現地の人は喜んだそうで。
ともかく、そのフォールシアガイドブックみたいな雑誌がいけなかったのは、三つの理由がある。一つはそこにあるバジリスクのスープを美味そうだなと思ってしまったこと。二つ目は美味そうだなと思ってしまったことを、呟いてしまったこと。そして最後の三つ目は、そのつぶやきをフォールシアから医学を学びにやって来た同学年のエリスに聞かれてしまったこと。
「それ、あんまり美味くないから」
顔を上げれば、エリスがそこにいた。腰まで伸びた長い金髪に、ほとんど小学生ぐらいの体は適当なジーパンと黒いTシャツといつもの長すぎる白衣に包まれている。顔は僕の曇ったメガネでもわかる、まさしく絶世の美少女。尖った耳の彼女は、文字通り妖精みたいにそこにいた。まあ羽根なんか生えてないし、口調もちょっと乱暴なんだけど。
「……そうなの?」
このどこにいても目立つ彼女と、僕は些細な事で面識があった。この異世界からきた小さな妖精さんは、驚くことに僕と年齢が一緒だ。もっとも彼女の種族としてはまだ小学生ぐらいの扱いらしいけど。
「だいたい滅多に現地の人は食わないっての……うわ何? 2000ルーエ? ボッタクリもいいとこじゃん」
僕から雑誌を拾い上げ、彼女が人の金で買ったものに平気でケチをつける。黙っていれば絵本の中から出てきたような姿なのだが、口調がぶっきらぼうなのはいつものことで。
「じゃあこれは? ……ドラゴンステーキ」
大体ドラゴンス、あたりの所で彼女は顔をしかめて片手を顔の前で左右に振った。
「あのね、もう見なくたってわかる。どうせとんでもない値段で、ここの学食の生姜焼きよりマズいんだから。大体地球人はドラゴンに夢見過ぎだって」
あのベチャベチャで生姜が申し訳程度しか乗っていない不人気メニューと比べられるドラゴンステーキ。お値段なんと5000ルーエ。今の為替相場だと100ルーエ150円ぐらいなので、だいたい七千五百円だ。まあ、確かに大学生の僕じゃなくても高い。
「……そんなにマズいの?」
「美味いわけ無いでしょ? 固いし筋張ってるし臭い肉を何とか食えるよう香草詰め込んで煮たのを焼いてるだけだから。そりゃアレの食い方見つけたのは偉いと思うけど、大金払って食うものじゃないっての」
その言い草に僕はちょっとだけ腹を立てた。これってどんな味がするんだろうとか、ちょっとだけ童心に帰って卓上旅行気分に浸っていた僕を真っ向から否定するのだから当然といえば当然だ。
「あのさ、こういうのって気分だと思うんだよね。そこでしか食べれない物を、そこで食べる。まあ味は微妙かもしれないけどさ、旅行ってそういうものじゃん」
きっとドラゴンに夢見がちな地球人の三割ぐらいは同意してくれそうな事を、僕は不満たっぷりに返した。まあ返って来たものといえば、せいぜいため息だったのだけど。
「別にそれは否定しないよ。私だってこっちで結構グルメしてるからさ。で、も! そんなあからさまな観光客向けの物をね、ありがたがって食うのが馬鹿だって言ってるの」
で、も、の所で人差し指をぴんと立てた彼女が、怒り半分で説教する。
「じゃあエリス先生、何を食べればいいんですかー」
「色々あるわよ、戦車虫の唐揚げでしょ、オパールミントの酢漬けとか、あとはえっと……」
「先生、僕ちょっと虫は……」
「え、嘘あんなに美味しいのに」
見たことも聞いたこともない食べ物を指折りリスト化していくエリスが、僕のツッコミを受けて目を丸くする。それから何か良からぬことでも思いついたのか、一転して今度はニヤニヤと擬音付きで笑い始めた。
「あ、じゃあ夏休み食べに来ればいいじゃん。交通費そんなにかかんないし」
「まあそうだけど泊まるところが……」
「そんなのウチに来ればいいじゃん。部屋空いてるし」
「いやでも僕らそんなまだ……」
「なーに恥ずかしがってるのよ」
僕がわざとらしく胸を隠して照れてみせると、ため息を付いた彼女が僕の事を見下して。
「私と恵利は女同士でしょう?」
とまあ至極当然の事実を、面白く無さそうに告げてくれた。
そういう訳で僕こと深町恵利は、夏休みにエリスの家に軽くホームステイする事になったとさ。
――ちなみに僕と彼女が仲良くなったのは、もちろん名前が似ているからである。
§
「どうもこんばんは、異世界グルメハンターの深町恵利です。今日はなんとエリスおすすめの戦車虫のからあげを食べに行くことになったんですが正直言って帰りたいです。御覧くださいこの店構え、緑と木が調和した素敵な建物ですね。きっと高級住宅街にあったらオシャレなマダム御用達間違いなしですが出てくるのは物騒な名前の虫です」
「何やってんのよあんた」
指差しで伝わると評判の現地語の本を丸めてマイクに見立てて一人ナレーターごっこをしていると、エリスに首根っこを掴まれた。せっかく僕はチェックのブラウスとか動きやすい短パンとか野暮ったい帽子とかいつもの赤縁メガネをつけているのに、彼女はいつもどおりの白衣を着ている。さらば僕の旅行気分である。
「いやでもさ、虫は難易度高くない? もっとこう……お菓子とか」
「あるわよ」
「本当!? やっぱ女の子と言えばスイー」
「デザートは冷凍十本蜘蛛ね」
期待した僕が馬鹿でした。
「甘くて美味しいのよ、ほら予約してあるからさっさと行くわよ」
そして促されるままに、僕は店の中に連行された。
店構えに負けず劣らず、店内もお洒落だった。ログハウス調の外壁にはきれいな油絵が何枚か飾ってある。この地域の伝統らしい模様が織り込まれた絨毯は、このまま踏んでしまうことがついつい惜しくなってしまう。BGMもノイズ混じりのラジオと、なかなか気合の入っている。まあ、僕には現地の言葉がわからないので何言ってるかわからないんだけど。
「あいっかわらず下品なラジオ流してるわね。飯食わせる気あるのかしら」
日本語で明らかな悪態をつくエリスだったが、僕はこのおしゃれな気分を台無しにしたくなかったので黙っていることにした。彼女に気付いた豚面の店主が、人の良さそうな笑顔を浮かべて手を振ってくれた。やっぱり僕のわからない言葉で文句を言うと、店主がラジオのチャンネルを切り替えてくれた。それから二人で幾つかのやりとりをした後、彼は厨房に引込みエリスは近くいあったテーブルに勝手に座った。
「あの、メニューとかは?」
「あるけど、恵利読めないでしょ。安心しなさい、私が思い出に残る料理を選んであげたんだから」
「もう十分なんですけど……」
ちょっと昼のピークから時間をずらしたおかげか、他にお客さんはいなかった。実質貸し切りのようなお陰で、初めて来た店だというのに妙に落ち着いた気分になれる。ちょっとリラックスして背もたれに身を預けたりしていると、店主が緑のボトルと小鉢を二つ運んできてくれた。机に置かれた小鉢の中身を恐る恐る覗き込むと、そこにあるのは七色に光を反射する半透明の葉っぱだった。
良かった、まだ虫じゃない。
「これがオパールミントの酢漬け。いけるわよ?」
フォークで突いてみると、結構固いのか綺麗に葉を開いたまま動かす度に反射する色が変わる。なるほど確かに宝石みたいで、目でも楽しめとは嬉しい誤算だ。
「ま、酢漬けだから当然酸っぱいんだけどね」
そう言って彼女は手で葉をつまみ上げ、そのまま口に放り込んだ。梅干しみたいな感覚なのか、エリスは思い切り口をすぼめる。
ひとしきり光に翳して遊び終わった僕も、同じように口に放り込む。うん、酸っぱい。カリカリ梅の三倍ぐらい酸っぱいとは、まさか思いもしなかった。それを軽く噛んでみる。奥歯に当たるのは葉の葉脈か、ポリッと景気のいい音が無った。それで驚く。折れたところから流れ出るのは、葉が持つ蜜なのだろう。先ほどまで酸味だけが支配していた口の中を、今は優しい甘さが包んでいる。
「……どう?」
得意気な顔でエリスが聞いてくる。どうってね、そりゃ美味しいですよ。美味しいけど僕は言いません、だってまだお通しだから。
「それをこれで流し込むと最高なのよね」
そんなビールの極意みたいな事を言い出すエリスが、グラスに茶こしをあて緑の瓶の飲み物を注いでいった。出てくるのはこれまた青空のような、さわやかな色の飲み物。乾いていることを思い出した喉が、僕の意思を無視して鳴った。
「茶こしって、何かのお茶?」
「違うわよ? こっちは塩漬け。もう割ってあるからそんなにしょっぱくないわよ」
「あ、ちょっとぐらいなら入ってもいいよ面倒でしょ?」
「そう? じゃスプーンも渡しておくわね」
そして茶こしを外したエリスが、ちょっと乱暴にグラスに飲み物を注いでいく。でもきっとこの青さは何かの花かな、なんて少女みたいな事を。
一瞬でも思っていた僕が馬鹿でした。
ボトッ、と水面を突き破って落下してきたのは、どう見ても虫の幼虫。あれ、これってライチかなとか思ってしまった自分の脳味噌を即座に訂正したメガネを今は叩き割ってしまいたかった。
「スプーンで潰すと塩気が変わるから、お好みでってやつね」
やつね、って。おもいっきりちっちゃい足残ってるんですけど。この爽やかな青さ全否定するものがそこに沈んでいるんですけど。
「綺麗でしょ、この虫の体液じゃないと出ない色なのよね」
なのよねって。体液ってそういう着色料の話し聞いたことあるけど。少なくともこんな直接的な採取方法じゃなかったと思うんですけど。
「まあ、綺麗だね」
底に虫が沈んでいなかったらの話だけど。とりあえず深呼吸して、何とか気持ちを落ち着かせる。そして、目を全力で瞑る。ここはオシャレなレストランここはオシャレなレストランここはオシャレなレストラン。よし、三回唱えた。
出されたものをそのまま残すのは失礼だとおばあちゃんに言われた事を思い出してしまったせいで、とうとう口を付けてしまった僕。鼻も摘んでおけばよかったかな何て今になって後悔するけど。
意外なことに、鼻に広がるのは森のような爽やかな香りだった。味の方は、思ってたよりきつくない。ほんのり塩味、なんて言葉がよく似合うぐらいのしょっぱさ。
「最初にね、いろんな味覚を刺激しておくのよ。理に適ってるでしょ?」
なるほど流石医学生、なんて賛辞を投げようと思ったけれど、エリスが楽しそうにスプーンで虫を潰していたのを見てその言葉はしまっておくことにした。
「本当はコースだとこの後パンとかサラダが出てくるんだけど、食べ過ぎるのもあれだし今日は唐揚げとデザートだけにしてもらったわ」
「え」
パンとサラダ。なんて懐かしい響きなんだろう。少なくとも虫は入ってい無さそうな料理が、今は何よりも恋しかった。
「さあて、そろそろメインディッシュの登場ね」
可愛らしく通った鼻を鳴らすエリスに釣られて、僕も匂いをかいでみる。確かに厨房から漂ってくる香ばしさは、なかなかに食欲のそそるものだった。豚面の店主さんが、僕達の机に噂の唐揚げを置いてくれた。
戦車の意味を、僕は一瞬で理解した。
「面白いでしょ? 足が車輪みたいになってるのよ」
カブトムシによく似た虫だって、何となく思っていた。思っていたんだけど、実は全容がまだつかめていない。大きさで言えば丁度僕の手の大きさぐらいで、皿の上に乗せられた戦車虫にはしっかりと衣がついていてきつね色にあがっているのだが、そういう意味ではなく単純に腹が上になっているからだ。
では、なぜ腹が上なのか。理由は至極単純だ。
「熱に強いから、なかなか死なないのよね」
まだ車輪がぎゅんぎゅん回転しているからだ。しかも六輪全部。それはもうひっくり返した瞬間走りだして壁に激突するんじゃないかって勢いで。
「あの、どうやって……食べるのこれ」
「ナイフで腹割って倒してから、殻ごと食べちゃうのよ」
倒すって、どう考えても食事中に出てくる単語じゃないよね。あ、でもこれ僕の知っている何かに似ているな、もしかしたら食べ物かな、何て思っていたけれど。
「私より小さい子とかはね、走らせてレースしたりするのよ。大体男の子だけどね」
その一言で完全に想い出す僕。
――ああ、これミニ四駆だ。
「いやでも虫かミニ四駆かって言われたらミニ四駆のほうがまだ……」
メガネを上げて自分の視力を最低限まで落として、さらに目を薄めにして皿の上でシャーシャーと音を立てて車輪を回転させる物体を睨んだ。うん、ミニ四駆に見える。皿の上にあるのは虫じゃなくてミニ四駆だ。タイヤ六つのミニ四駆。何もおかしな所はないね。
恐る恐るナイフを掴み、皿の上の物体に突き立てる。駆動音が徐々に小さくなり、今度は完全に止まった。今度は、切り分ける作業。とりあえずタイヤを切り落として、ボディだけにする。ようし、今度はちょっと大きめの魚のフライに見えてきたぞ。
「車輪は食べなくていいわよ。あ、味はついてるからソースはいらない」
そう、足じゃなくて車輪。だから戦車。戦車の後に何か余計な単語がついていた事は全く持って覚えていない。とりあえず後ろのほうをステーキと同じ容量で切り分ける。断面図に関しては、絶対に見ないようにした。手を小刻みに震わせながら、僕はそれを口の中に放り込んだ。
思い切り、噛む。まずやってくるのは、衣の食感。適度な硬さがサクッと小気味のいい音を立てる。次に殻。これが思いの外柔らかい。いや、柔らかいというのはちょっと違う。そう、これは脆いのだ。噛めば噛むほど砕けていき、口の中で粉末状になり甘じょっぱい調味料に早変わり。中身は思いの外トロっとしていて、チーズのようにあつあつだ。噛めば噛むほど交じり合い、飲み込む前にはもう別の料理に変わっているようだ。
それを、飲み込む。自然と出てきてしまった言葉は、もうこの一言しか無い。
「……美味しい」
「でしょ?」
そう聞き返すエリスの勝ち誇ったような顔が、僕はちょっとだけ気に入らなかった。子供じみていたけれど、負けたような気がしてしまったから精一杯抵抗することにした。
「ミニ四駆美味しい」
「え? ミニ……何?」
エリスの言葉を無視して、僕はミニ四駆を食べ進める。あれよあれよという間に皿の上が綺麗になった。
「どう? ドラゴンステーキより満足でしょ?」
「それはどうかな。だって僕ドラゴン食べてないし」
ナプキンで口元を拭いながら、二人でそんな事を話す。暫く学校のこととかこの辺りのレジャーなんかについて話し合っていると、笑顔の店主が皿を下げに来た。そして代わりに置かれる、食後のデザート。
これはもう完全に蜘蛛ですね。凍っただけの蜘蛛です、こればっかりはもうミニ四駆とか言ってごまかせません。
「さっぱりするわよ」
そう言って手掴みで掴んで口に放り込むエリス。おかしいな、僕の辞書に蜘蛛とさっぱりって項目は結びつかないんだけどな。
だけどまあ、ともかくだ。結局僕はもう戦車虫とか虫ジュースとか食べてしまった訳で、ここでたかが足が十本なだけの蜘蛛に遅れを取るわけにも行かず。結局例によって目を瞑って、そのまま勢い良く放り込んだ。
口の中に広がる、チョコレートっぽい香りとなんか歯磨き粉みたいな味。うん、これはちょっと僕の口に合わないからもう食べなくていいかな。
「で、恵利。ご感想は?」
好物なのかひょいひょい蜘蛛を口に入れるエリスが、当然そんな事を聞いてくる。
「そうだなあ」
一通り頭を捻ってから、今日食べたメニューを思い出す。どれも美味しくはあったけれど、多分これ家に帰って周りに言ったら確実に変な人扱いされると思うので。
「……やっぱり、ドラゴンステーキは一回食べておこうと思う」
「まだ言うかっ」
身を乗り出したエリスが、軽く僕の頭をチョップする。まあやっぱり観光地って、とりあえず有名なものは食べとかないとななんて小市民じみたことを、思ってしまう異世界グルメレポーター深町恵利だったとさ。
お会計
妖精虫の幼虫ドリンク @300R ×2
オパールミントの酢漬け @150R ×2
戦車虫の唐揚げ @500R ×2
冷凍十本蜘蛛 @100R ×2
合計 2100R
(1R=1.5円)
3150円