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姫と竜  作者: 銀月
2.詩人と護衛騎士
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海を見下ろす町

 海を見下ろす小高い丘の上に、その町は作られている。


「この町は、昔はもっと海の際にあったのだけど、大津波で1度潰れたの」


 町の中心にある広場で周囲をぐるりと見回し、人と露店で賑わう広場にエイシャは感嘆の吐息を漏らす。


「大津波は海の悪しき神に願った魚人(サハギン)の仕業だったのよ。この町の繁栄を妬んだのか……何を思ってそんなことをしたのかはわからないわ。

 だけど、町にいた魔術師たちが力を合わせて寄せ来る波を食い止めてくれたおかげで、町の人たちは皆、どうにか逃げ出せたの。

 だけど、魔術師たちや町は波を逃れられずに海に呑まれてしまったのだというわ」


 ぱきりと堅焼きの菓子を折り取って口に含みながら、エイシャが広場の立像を見上げる。


「この像は、その時町を助けた魔術師を讃えるものなのだって」

「なるほど」


 通常なら功績のあった領主の像が建てられる場所には、長杖を掲げて海を見張るかのようにじっと見つめている、長衣を纏った魔術師の立像があった。

 少しだけ痛ましげな表情で、エイシャはじっと立像を見つめる。

 彼らは町を守りながら、何を思ったのだろうか。


「それから何年も何十年もかけて、2度とそんな悲劇が起こらないようにと、町はこの丘の上に再建されたのよ。頑丈な城壁も備えて」


 もともと、このあたりの海は遠浅で港を作るのは難しいことも手伝ったのだろう。港に適した場所であれば、人々はまた海岸近くに町を作ったに違いない。

 ちらりと海の方角を見て、シェイファラルはそんなことを考える。

 人は、短い期間で世代が移り変わるとともに様々なことを忘れてしまう生き物だから。

 この後、また数百年も経るうちに、やはり海岸にも町を作り始めるのではないだろうか。


「あ、いい匂い」


 そろそろ昼が近いせいか、そこかしこから魚の焼ける匂いが漂い始めた。ここは海が近いから、新鮮な魚を炙って出す店が多い。

 干した魚や生の魚を炙る独特の香ばしい匂いが食欲をそそる。


「なんだかお腹が空いてきたわね」

「では、少し早いですがお昼にしましょうか」


 エイシャの言葉にシェイファラルは笑ってしまう。気持ちの切り替えの早さも、彼女の良いところだろう。


「内陸の酢漬けや塩漬けもまあまあだけど、焼き立ての新鮮な魚があんなにふわふわで美味しいって、この町で初めて知ったの。昨日食べた白身のお魚、とっても美味しかったわ」

「生で食べる料理もあるようですね」

「……生はまだちょっと、勇気が出ないのよね」


 眉尻を下げるエイシャをくすくすと笑いながら、シェイファラルは、「では焼き魚を出している店を探しましょう」と、手を引いて歩き始めた。




 昼食を終えてまた広場へと戻ってくると、エイシャは適当な場所を決めてそこに座った。膝の上に艶やかなリュートを抱えてぽろぽろと弦の調子を整えると、おもむろに弾き始める。

 この町を救った魔術師を讃える歌だった。


 シェイファラルはエイシャの横に立ち、彼女が歌う間はまるで彫像にでもなったかのようにじっと動かない。

 もちろん、エイシャが見目の良い若い女詩人だと見て、不埒なことを考える者はそれなりにいる。だが、大抵の場合はシェイファラルが黙って睨むだけで逃げてしまう。竜の気を当てられて平静でいられる人間は、とても少ないのだ。


 静かに奏でられるリュートの音色と、それに乗って流れるエイシャの歌声に引き寄せられるように、人が集まってきた。

 たまに、帽子に向かってちゃりんと銅貨が投げ入れられると、エイシャはそちらにちらりと目をやって微笑む。

 そうすると、また違う場所からちゃりんと銅貨が投げ入れられるのだ。

 時には気前の良い御仁が銀貨を投げ入れてくれることもある。


 そうしてふたり、毎日の日銭を稼ぎながら、旅を続けていた。




「あなたが、エイシャ殿ですね」


 幾つかの曲を弾き終えてひと息ついたところで、不意に声を掛けられた。顔を上げると、立派な甲冑姿の騎士を連れた、高価そうなお仕着せに身を包んだ男だった。

 さすがに驚きながら、「ええ」と頷くと、彼は満足そうに目を細め、ひとつきれいにお辞儀をする。


(わたくし)はこの町の領主たるエリオット・スレイド子爵に仕えるメルヴィンと申します。この度、あなたの評判を聞きつけた我が主が、ぜひに晩餐にお招きしたいと望んでおりまして、こうして参った次第です。

 いかがでしょう、受けていただけますか?」

「……まあ! とても光栄です。喜んでお伺いいたしますわ」


 思わぬ言葉にエイシャは驚き、にっこりと嬉しげに微笑み、二つ返事で了承の意を伝える。

 それならばと、メルヴィンは招待の証であるメダリオンを渡し、夕刻日が沈む前に屋敷を訪れるようにと告げた。


 エイシャはさっそく宿へと戻り、準備に取り掛かる。

 何しろ貴族の晩餐への招待なのだ。念入りに身支度を整えて一張羅に着替えなくてはならない。

 その土地の貴族に招かれ演奏や物語を請われることは、吟遊詩人にとってとても光栄なことだ。一定以上の腕であると認められたと言っていい。


「ねえ、こんな風に招待されるのは初めてだわ!」

「良かったですね」


 そう喜ぶエイシャに、シェイファラルも顔を綻ばせる。


「どんな曲を求められるのかしら」

「ここの領主家は、どんな方々がいらっしゃいましたか……」

「たしかご夫婦に、継嗣のご長男が15くらいだったかしら。その下にも娘と息子がいたはずよ」

「穏やかな町ですから、穏やかなご気性なのかもしれないですね」


 使用人は主人を映すというが、今日の使いの態度はとても慇懃で礼に適ったものだったし、印象も悪くなかった。

 なら、きっと領主も嫌な人間ではないだろう。

 シェイファラルと話しながら、エイシャはいくつかの曲を頭に浮かべる。

 領主が好む曲はどんなものだろうか。この町に相応しい物語は。

 そんなことを考える。




 夕刻、約束の時間に領主の館を訪れて門兵に証を見せると、あらかじめ話が通っていた通りに門が開かれた。

 控え室として用意されていたサロンに通されて待っていると、領主とその奥方が現れる。

 領主はまだ40に届かないくらいの年齢だったろうか。よく鍛えられたがっちりとした身体つきで、落ち着いた雰囲気の偉丈夫だ。海が近い町の人間らしく、日に焼けている。

 奥方も、たおやかというよりは健康的で、日の光がよく似合いそうな女性だった。仲の良い夫婦なのだろう。お互いをよく気遣いあうようすも伺えた。


「今日は家族だけの晩餐なので、子供たちの好みそうなものを頼むよ」

「では……冒険譚のようなものがよろしいでしょうか。それとも、ここから遠く離れた国の英雄の物語などは?」

「そうだね……下の子が少々やんちゃで、あまり落ち着きがあると言い難い。その戒めとなるような話はないだろうか」

「まあ」

 くすりと笑って、エイシャは頷く。

「下のお子様は、御歳10歳になられるのでしたか。いくつか心当たりがありますから、それを語ることにしましょう」

 領主の奥方も「それをお願いね」とくすくす笑った。




 晩餐は家族だけとの言葉どおり、テーブルについたのは領主の家族とエイシャだけだった。

 シェイファラルは護衛らしく端に控えている。いつもなら宿の食堂で一緒に食べるのにと、エイシャはなんとなく申し訳ない気持ちになったが、シェイファラルはどこ吹く風という顔でじっと立っていた。


 晩餐の合間に子供たちの好みそうなものを、と言われて話した物語は、よくある説話をもう少し面白く噛み砕いてアレンジしたものだった。

 落ち着きのない慌てん坊の男が、その性格のために損をしてしまうという話で、そこに他の物語から拝借したエピソードを混ぜ込んでみたものだ。

 通常語るときより言葉をわかりやすくかえたことも成功したらしく、領主の下の子供たちは楽しんでくれたようだった。


 その他にも、ちょっとした冒険譚や、ここから少し離れた場所で起こった出来事の伝聞、各地でのいろいろなニュースなどを話しながら、晩餐はゆっくりと進んだ。


「しばらく当家に滞在してほしい」


 そんな申し出があったのは、翌日のことだ。

 領主の末っ子にたいそう気に入られたようで、もっといろいろな話が聞きたいとねだられたのだそうだ。

 領主夫妻は、どうやらかなりの子煩悩らしい。

 エイシャは一も二もなく、喜んで申し出を受けて、領主家の客室へと居を移した。




 眼下に青い海を見渡せるこの町で、ひと月かふた月、ゆっくりするのも良いかもしれない。


 領主家に留まってそんなことを考え始めたある日のことだった。

 領主の下の息子と娘……つまりレドリックとテレサを相手に、さまざまな風物の話をしていると。


「……エイシャ様」

「なあに?」


 いつものようにそばに控えていたシェイファラルが、急に外へと厳しい顔を向けた。そのままつかつかと窓のそばへと歩み寄る。

 何事か起こったのかと立ち上がり、つられて外へと目をやると、屋敷の門のあたりが騒がしくなっていた。


「レドリック様、テレサ様、わたしとここにいましょうね」


 ただならない空気に不安げに顔を曇らせるふたりを招き寄せて、エイシャは抱きこむように抱える。


「シェイ」

「確認してきます」


 部屋を出るシェイファラルを見送って、エイシャはにっこりと笑ってふたりの背を撫でる。


「大丈夫。すぐに何があったかわかるわ。だからここでわたしと一緒に待ちましょう」


 シェイファラルはすぐに戻ってきた。その、あまり良くない顔色に、やはり良くないことが起きたのかとエイシャは考える。

 子供たちに教えるのは領主の判断を待ったほうがよいだろうか。けれど、このまま何もわからないでいるほうが、ただ不安なだけではないだろうか。

 エイシャはぐっと口を引き結び、シェイファラルに向かって小さく頷いた。シェイファラルは言葉を選ぼうとしてか、少しだけ考えて、それから口を開く。


「かなりの数のヒューマノイド(ひともどき)たちが、この町に向かっているそうです」

「ヒューマノイドが? どうして?」

「それはわかりません。ですが先ほど、襲われた村からの早馬が辿り着いたのだとか。子爵殿はそれを受けてすぐに兵を召集にかかったようです」

「まあ……」


 エイシャは呆然としながら、しがみつく子供をぎゅっと抱き締めた。


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