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姫と竜  作者: 銀月
1.姫と竜

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7/24

歌う竜

 翌朝、エイシャはシェイファラルに髪を整えてもらいながら、やっぱり考えていた。


「ねえ、シェイは戦いが怖い?」

「……怖いといえば、怖いですよ」

「竜にも怖いものがあるのね」

「当たり前です。勝つとは限らない、生命を落とすことさえあるのに、怖くないわけがありません」

 エイシャは、「まあ」と目を瞠る。

「……たしかにそうだわ。そうよね、死ぬかもしれないのよね」


 だから、戦いが起これば芸人たちは逃げてしまう。その町に住む者ですら、逃げてしまう。けれど、詩人は残る。


「なぜ、残るのかしら」


 自分が残るとしたら、どんな理由だろうか。


「全部を、見届けるためにかしら?」

「見届けるためですか?」

「そう。だって、目の前で起こることが、世界を変えるかもしれないから」


 すべてを見届けて、起こった出来事を自分の言葉で語るのだ。

 救国の英雄が誕生する瞬間に立ち会えるかもしれない。その戦いが、国の存亡を決めるのかもしれない。あるいは、ただ町がなくなるだけで、世界の多数は変わらないのかもしれない。

 それを人伝てに聞くのではなく、自分自身の目で見届けられるのだ。


「それなら、生命を賭けて残る価値があるんじゃないかしら」

「そうなんですか?」

「だって、他人から聞いたものじゃなくて、自分が直接見聞きしたものを他人に聴かせられるのよ!」


 自分が最初の語り手となる栄誉を得られるのだ。なんと素晴らしいことだろう。


「さっそくヨエル様にお話ししてくるわ!」




「それでは半分だよ、お嬢さん」

 ヨエルはいつものような穏やかな笑顔で、意気込むエイシャに告げた。

「まあ! 半分なの?」

「そう、半分だ」


 ではまだ何か足りないのか。

 何が足りないのか。


「見届けて語るだけなら、詩人でなくともできるだろう?」

「……ほんとうだわ!」


 では、詩人にしかできないこと?

 過去、偉大な詩人は何をした者か。エイシャはまたじっくりと思い返す。


「……皆を、奮い立たせることができるのは、詩人だけなの?」

「ん?」

「英雄王の詩人ウォレスがそうだったわ。とても不利な戦いで、英雄王その人が居てさえ厳しいって怯えて尻込みする兵士たちを、叱咤して励ましたの。彼の言葉と歌は軍の皆に力を与えて、そのおかげで英雄王は勝利を収めることができたのよ」

 エイシャはにこにこと微笑みながら首を傾げるヨエルを見上げる。

「ねえ、ヨエル様。詩人だけが、皆の心を動かせるのではないかしら? 言葉と音楽で」

 ヨエルは微笑みながら、頷いた。

「当たりだよ、お嬢さん……エイシャ」


 ヨエルは姿勢を正し、笑みを消す。つられて、エイシャも同じように姿勢を正す。


「詩人には、言葉や音楽の持つ力を自在に操る技がある。ただひとりの英雄だけでは全軍の不安を取り除けずとも、詩人が力を貸せば可能となる。

 詩人は言葉を使って人の心を動かし、さらには実際に人々を動かすことすらできるのだ。数々の逸話が伝えることは誇張でもなんでもなく、あれは真実なのだよ。

 ……これが、どういうことなのか、エイシャなら理解できるね?」


 ごくりと喉を鳴らして、エイシャは神妙に頷いた。


「私が詩人として育てるのは、この意味を知り、それを恐ろしいものだと理解できるものだけと決めている」


 エイシャはもう一度頷いた。


「……わたし、ずっと息が詰まって死にそうだって思いながら、生きてたの」


 ぽつりと話し始めるエイシャを、黙って促すように、ヨエルは頷く。


「毎日運ばれる食事や飲み物は、水まで全部毒味をしなければ口に入れることはできなかったし、どこへ行くにも必ず誰かが付いてきて……行ってはいけない場所も多かったわ。自分が住んでいる建物なのに」


 ほう、とエイシャは息を吐いた。どうしてあれを我慢できていたのか、今ではよくわからない。


「初めて外へ出されたのは、輿入れのための旅だったの。宮へ来た者から聞くだけだったものを、実際に自分で見られるんだってとても楽しみだったけど、出てみたらやっぱり宮にいるときと同じで……お宿の部屋からは出られないし、馬車から外を覗くこともだめで、とてもがっかりしたのよ。

 たぶん、これは一生このままなのねって」


 エイシャは肩を竦め、苦笑いを浮かべた。あれはだめこれもだめ……禁止ばかりで、許可されることなど片手で数えられるほどしかなかった。

 ただ言われることをこなすだけの毎日だった。


「外の地面に自分で立ったのは……そうね、賊に襲われた時が初めてだったかもしれないわ。

 逃げろって言われて護衛に手を引かれて必死で走ったけれど、すぐに息は切れるし足は思ってるように動いてくれないし、酷いものよ。目も当てられないって、ああいうことを言うのだわ」

「怖くなかったのかい?」

「そうね……不思議と、あまり怖くなかったの。

 それに、酷いと思うかしら。供の者たちが皆死んじゃったのに、なんとも思わなかったのよ。宮ではしょっちゅう毒味の女官が死んでいたから、誰かが死ぬのはあまり怖いことにも思えなかったわ。

 だからかもしれないけど、わたしを庇って護衛が賊と共倒れになってしまって最初に考えたのは、わたしをひとりだけ残すなんて酷い、だったの」


 目を瞠るヨエルに、エイシャは眉尻を下げて小さく笑う。


「だって、荒野の真ん中なのよ? これまでまともに外に出たこともなかったわたしが、生きていられると思う? おまけに、持ってるのは少しのお水と、かろうじて被ってた布くらいだったのに。

 このままお水が無くなって、今は良くてもどうせ渇いて死ぬのにって思ったわ。だから、護衛たちは庇ってなんてくれなくたってよかったのよ。わたしを残して逃げたってよかったの。

 だって、わたしはだめでも、護衛たちなら荒野を越えて生き延びられるだろうって思ったんだもの。戻っても、わたしが死んだことを咎められるというなら、そのまま逃げたってよかったのよ。もう国からは出てしまってるんだから、追手なんて面倒くさいものを寄越す心配もないはずよ」


 はあ、とエイシャは溜息を吐く。ほんとうに、皆、無駄に死ぬことなどなかったのに。


「でも、ヨエル様。それでもやっぱり、わたし、死にたくないなって思ったのよね。自分で驚いたわ。だからたぶん、今まででいちばん必死に歩いて……そしたらシェイに会えたの。シェイがわたしを生かしてくれたのよ」


 うふ、と笑ってエイシャは首を傾げる。


「シェイに会ってから、初めてちゃんと世界を見たの。物語と空想でしか知らなかったことがそこかしこにあって、なんて素晴らしいんだろうって。

 わたし、生まれて初めて生きててよかったって思えたわ」


 くすくすと笑うエイシャにヨエルは少し驚いたような顔をして、それから笑った。


「だから、わたし、皆に伝えたいの。世界は素敵なものでたくさんあふれているって」

「エイシャは、良い詩人になれそうだね」

「まあ、ほんとう? ヨエル様がそう言ってくれるなら、わたし頑張らなくちゃ」




 エイシャが弟子入りした後のヨエルは、それまでの好々爺然とした穏やかなお爺ちゃんから打って変わって、非常に厳しい“師匠”だった。

 ラウリの言っていた通り、泣き言や妥協を許さない、とても厳しい師匠だったのだ。

 けれど、自分が望んで、どうしてもそうなりたくて選んだことなのだからとエイシャも必死だった。

 この年までずっと王女らしく、不自由はあっても甘やかされて生きてきただろうというのは想像に難くない。なのに、愚痴のひとつたりと口に出すことはないのだ。シェイファラルには、彼女が詩人のどこにそこまで魅せられているのかはさっぱり理解できなかったが、今まで以上に生き生きとするエイシャは、とても眩しいものに映っていた。




 季節は移り、あっという間に年月は過ぎる。

 エイシャは乾いた砂が水を吸い込むように、ヨエルの教えを吸収していった。


「エイシャ様は、詩人に関することはとても覚えがいいのに、他のことは相変わらずですね」


 シェイファラルがくつくつと笑いながら、いつものようにエイシャの髪を結う。以前明言したように、編み込みでもなんでも結い上げられるように、すっかり器用になっていた。


「だって、リュートの指遣いなら思う通りに動くのに、他は思い通りになってくれないんだもの。

 でもいいの。だって、シェイがやってくれるんでしょう?」


 微笑んで首を傾げるエイシャに、にっこりと笑い返してシェイファラルは頷く。


「さ、ヨエル様のところに行かなくちゃ」


 エイシャが弟子になり、3度目の冬が終わりに近づいた頃。

 寄る年波にはやはり勝てないのか、ヨエルはとうとう寝付いてしまった。いちど崩した体調は元に戻らず、町の司祭に頼んで取り寄せた高価な魔法薬もあまり効果を現さず……ヨエルはどんどん弱っていくばかりだ。


「ヨエル様、具合はどう?」


 女将さんに頼んで作って貰った粥の盆を持って、ヨエルの部屋を訪ねる。

 ヨエルだけなら追い出され、教会の施療院にでも入れられていたかもしれないが、エイシャとシェイファラルが世話をするからと、部屋はそのままにして貰っていた。


「エイシャ」


 わずかに身体を起こして、ヨエルは呼びかけた。


「まあ、ヨエル様、無理しちゃだめよ!」

「大丈夫だ、今日は気分がいい」


 シェイが身体を起こすヨエルを支え、エイシャが粥を置く。


「今日もわたしが食べさせてあげるからね、ヨエル様」

「ありがとう、エイシャ」


 うふ、と笑ってエイシャが他愛もないおしゃべりをしながら、匙で掬った粥を少しずつ運び、食べさせる。

 ここ数日の光景だ。


「エイシャ、私のリュートを取ってもらえないか」

「ええ」


 今日は楽器が弾けるほど元気なのかと少し嬉しくなりながら、エイシャはそっとリュートを手に取って、ヨエルに渡した。

 ヨエルはすっかり細くなった腕でリュートを抱え、大切そうに撫でる。


「……エイシャ、これは、お前に渡そう。私のリュートを継いでくれるね?」

「ヨエル様?」

「お前はもうそろそろ独り立ちしても大丈夫だ。私に教えられることは全部教えたつもりだ。あとは、経験がお前を育ててくれるだろう」

「でも、それじゃ、ヨエル様が……」

「私の指はすっかり萎えてしまった。もう思うようにはうごかせないんだ。だから、これからはエイシャがこのリュートを奏でておくれ」

「ヨエル様……大切に、します」

 リュートを受け取り大切に抱えるエイシャを、ヨエルは微笑んで優しく見つめる。




 シェイファラルが眠るエイシャを慌てて叩き起こしたのは、それから5日後のとても寒い夜だった。取るものもとりあえず、エイシャはすぐにヨエルの部屋へと走る。

 けれど。




 カンカンと青い空に葬送の鐘の音が鳴り響く。

 エイシャはシェイファラルの身体にそっと腕を回し、顔を押し当てる。


「シェイ、わたし、空を飛びたいの。お願い、わたしを乗せて飛んでちょうだい」


 シェイファラルは黙って頷く。エイシャを抱えてそっと町を出て、竜の姿に戻る。


 その日、その町の上には、歌う竜が舞い飛んだという。


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