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姫と竜  作者: 銀月
1.姫と竜

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未来の兄弟子

「詩人がすることって、何かしら」

「少なくとも、ヨエル殿の言葉によれば、ただ歌ったり奏でたりとは違うようですね」

「じゃあ、歌を作ったり?」

「楽人の中にも、自分で曲を作るものがいるようですが」

 眉根を寄せて考え込むエイシャに、シェイファラルは笑って、「皺が固まってしまいますよ」と眉間を撫でる。

「こんなに難しいなんて、思わなかったわ」

「簡単にわかるようであれば、ヨエル殿には今頃弟子が数え切れないほどいるのでは?」

「それもそうね」

 気を取り直して、エイシャはリュートのおさらいを始める。ようやく指運びに慣れて、一度に数本の弦を押さえられるようになったのだ。忘れないうちに、何度も練習しなければ。

「あまり根を詰めて、手を傷めないように気をつけてください」

「大丈夫よ」

 ぽろんぽろんとリュートを爪弾きながら、エイシャは物語のことを考える。今まで聞いたもののなかに、詩人に纏わる逸話はあっただろうか。


 エイシャは物覚えは悪くない。悪くないどころか、歌や物語に関することなら何だって覚えてしまう。何しろ、今まで聞いた歌や物語を全て諳んじているくらいなのだ。

 ……他のことは今ひとつではあるのだが。


「すぐ思いつくのは、“麗しき歌姫オラヴィア”と、“英雄王の導き手ウォレス”、それに“民の代弁者アレクシス”かしら」


 オラヴィアは、その昔、歌声が評判になり過ぎて悪しき竜に捕まってしまったという女詩人だ。彼女を単身助けに来た騎士に勝たせるために、竜に騎士に有利な方法での決闘を承諾させたという。おまけに、その歌声で騎士を奮い立たせ、完膚なきまでに竜を叩き伏せる手助けをしたのだ。

 ウォレスは英雄王と呼ばれた古の王の傍らにいつも控えていて、その治世の間、良き助言を与えていた詩人だ。戦において彼の奏でる歌は、出陣を控えた兵士たちを奮い立たせ、傷ついた兵士を慰め癒し、英雄王の軍に相応しい働きを導き出したという。

 アレクシスは吟遊詩人らしく各地をふらつきつつ、行く先々で出会った悪辣な領主や王を、その弁舌や歌によって玉座から引きずり落としたのだという。なんでも、彼の歌や物語が民に知恵を与え、力となったのだと伝わっている。


「……偉大な詩人の歌には、力があるってことかしら?」

「力ですか?」

「ええと、人の心を感動させたり、何かしようと思わせたり……とか?」

 なんとなく思いついたことを口にしてみるが、シェイファラルは訝しげな表情で首を捻る。

「感動させるなら、腕のいい楽人や芸人でもできると思いますが」

「そうよね……」

 やっぱりよくわからないわと眉間に皺を寄せてエイシャは考えた。

「ほら、また。あまりそんな顔をすると、皺が固まってしまいますよ」

「だって、わからないんだもの」

 眉尻を下げてはあっと溜息を吐くエイシャを見て、シェイファラルはやっぱり笑う。

「では、気分転換に町を歩きますか? 幾つか買い足さなければならないものもありますし」

「そうするわ」




「ねえ、これはなあに?」

「木の実の蜜掛けでさあ」

 店頭に漂う甘い匂いに気付いてエイシャが惹かれたのは、挽き割りにして炒った木の実を蜜で一口くらいの大きさに固めた菓子だった。

 しばらくじっと見つめたあと、シェイファラルを見上げる。

「ひと袋、いただきましょうか」

「まいど!」

 とたんに笑顔になるエイシャは、自分ではもう大人の歳だと言うわりに、まるで子供のようだ。

 店主から受け取った袋をエイシャに渡すと、さっそく開けて中を覗く。

「とっても甘そう。帰ったらさっそく食べましょうね」

「ここで摘んでもいいんですよ」

 エイシャが食べたそうに袋を覗き込む姿がちらりと視界に入り、シェイファラルは噴き出してしまう。

「あら、でも行儀が悪いって怒られちゃうわ」

「ここは王宮ではありませんから、大丈夫ですよ」

「まあ、ほんとうに? いいの?」

「少しだけなら」

 こんなの初めて、と言いながらエイシャは袋からひとつ摘み、ぱくりと口に入れる。とたんにエイシャの顔から笑みがこぼれ落ちる。

「とってもおいしいわ! シェイも、ほら」

 がさがさとさらにひとつ摘んで、シェイファラルの前にずいと差し出した。少し逡巡した後、思い切ってぱくりと食べる。

「……甘いですね」

「でしょう? こんなお菓子を食べたの、初めてよ」

 うふふとエイシャは嬉しそうに笑う。


 そうやって菓子を摘みつつ、あらかたの買い物を済ませていった。

 店先を冷やかしながら市場通りを進むと、広場に近づくにつれてだんだんとひとの数が増しているようで、混雑はかなりのものになっていった。

「昨日よりもひとが多いみたいね」

「エイシャ様、はぐれないよう、こちらへ」

 人混みに押されながら、シェイファラルはエイシャの腕を掴んでぐいと引き寄せる。ほとんど寄り添うような格好だ。

 竜の感覚は鋭いからはぐれても見失うことはないだろうが、万一ということがある。はぐれたとたん、トラブルに巻き込まれることだってあるだろう。

 そんなことを考えながら、シェイファラルは広場のようすを探った。

「広場に芸人が来ているようですね」

 とたんにエイシャが顔を輝かせる。この姫君は芸事に目がないのだ。

「まあ、何かしら」

「音楽と……ああ、踊り子のようですよ」

「ねえ、シェイ、見たいわ」

 とたんに落ち着きを無くし、シェイファラルの服の裾を引っ張り始めるエイシャが、ほんとうに子供のようでつい笑ってしまう。

「構いませんよ。けれど、はぐれないようにくれぐれも気をつけて」

「わかったわ」


 ほんとうにわかっているのか、エイシャはシェイの腕をしっかりと掴んではいるものの、はやる気のままにどんどん先へと進もうとする。

 だが、密集したひとの壁は厚く、なかなか前へは進めない。

「どうしよう、ここより先へは無理みたい」

 エイシャはひょこひょこと背伸びをするが、あまり背の高くない彼女にはどうしてもその先が見えなかった。

「……エイシャ様、ではここへ」

 落胆するようなそぶりに苦笑して、シェイファラルはひょいとエイシャを持ち上げると肩に担ぎあげてしまう。

「まあ、すごいわシェイ。重たくないの?」

「エイシャ様のひとりくらい軽いものですよ。それで、見えますか?」

「とってもよく見えるわ!」

 肩の上で手を叩くエイシャが落ちないように気をつけながら、シェイファラルは苦笑する。エイシャはすっかり芸人に夢中だ。深窓の姫君と言っていい暮らしをしてきた箱入りなのに、ほんの数日ですっかり町に馴染んでしまったようだった。


 ひとしきり楽しんで下に降ろされると、エイシャは輝くような笑顔でシェイファラルに「ありがとう」と抱きついた。

「でも、腕は大丈夫? 疲れてない?」

「大丈夫です。あれくらいなら、さほど負担にはなりません」

 すまして答えつつも実際は少々だるかったが、若干の見栄もあってか、平然とした顔でシェイファラルは答える。

「ちゃんと楽しめましたか」

「ええ。シェイのおかげよ」

 あれこれと踊りのようすを語り出すエイシャに、これは放っておいたら長くなりそうだと考えて、「そろそろ戻りましょう」と手を差し出した。

 しっかり手を握り、歩き出しながらなおもあれこれと話すエイシャに、注意を促し、先導していく。

「でもね、シェイ。やっぱり、詩人と芸人の違いがよくわからなかったの」

「そうなんですか?」

「……あとで、あの踊り子さんと話をしてみようかしら」

 受け答えもどことなく上の空のままに考え込んで、エイシャはぶつぶつと「ほんとうに、詩人て何をするものなのかしら」と呟く。




 宿に戻り、荷物を置いて酒場へと降りる。少し喉も渇いたことだし、お茶でも飲んでのんびりしようと考えたのだ。

 エイシャはいつもの場所に座るヨエルに広場の踊り子の話をしに行こうとして、誰か一緒にいることに気づいた。

「ねえシェイ、ヨエル様にお客様かしら」

「そのようですね……彼も詩人のようですが?」

「まあ!」

 エイシャは、それは逃してはならないと、いそいそとヨエルのところへと向かう。

 シェイファラルは酒場の給仕にそちらへ茶を持ってくるように頼んで、エイシャの後をゆっくりと追った。


「ヨエル様!」

「ああ、お嬢さん。今、あなたの噂をしていたところですよ」

「まあ!」

 エイシャは目を丸くする。自分の噂とは、どんな噂だろうか。

「初めましてお嬢さん。俺はヨエルの弟子のラウリです」

 少し年嵩の男は、そう自己紹介をして会釈をする。

「わたしはエイシャ。彼はわたしの護衛騎士のシェイよ。ヨエル様のお弟子様に会えるなんて、光栄だわ」

 シェイファラルがエイシャの後ろに立って一礼すると、ラウリは「これはこれは、たしかにヨエルの言う通りだ」とにっこり笑った。


「ヨエル様、わたしの噂だなんて、どんなことを話したんですか?」

「なに、弟子になりたいというお嬢さんがいるということくらいか」

「まあ!」

 ヨエルとエイシャのやり取りに、ラウリはくつくつと笑いだす。

「ヨエルはこうしていると好々爺に見えますけど、師となると相当に厳しい方ですが、またどうして詩人に?」

 改めて尋ねられたエイシャは、きょとんと首を傾げる。シェイファラルの持ってきてくれた椅子に座りながら、それでも少し考えて、「ずっと憧れてたの」と語った。

「子供のころから、詩人になっていろんなところに行きたかったけど、無理だなって諦めてたの。でも、今がチャンスなのよ。今なら、ヨエルに詩人の技を教えてもらってシェイに護衛をしてもらって旅ができるの」

 うふ、とエイシャは嬉しそうに笑う。

「そうしたら、歌姫オラヴィアほどじゃなくても、いろんな綺麗なもののことを歌って歩いて、世界にはこんなに素敵なものがたくさんあるのよって皆に教えてあげられるわ」

 ヨエルはにこにこと微笑みながら頷き、ラウリは少し驚いたように目を瞠り自分の師へと目をやった。シェイファラルはそんなふたりを見て、エイシャの言葉に何か驚くようなことはあったろうかと内心首を捻る。

「お嬢さん、おおかた、ヨエルに弟子になりたければこれに答えろと、何か難題を出されたのでしょう?」

「あら、どうしてわかったの? 実はそうなのよ。昨日からずっと考えてるのに、答えがなかなか見つからないの」

 くすりと笑ってヨエルをちらりと見ると、ラウリは声を少し落として囁くようにエイシャに言った。

「戦いになると楽人や芸人は逃げてしまいますが、詩人はたいていそこに残ります。それは、詩人(われわれ)にしかできないことがあるからです」

「詩人にしか、できないこと?」

「そうですよ。これが、未来の妹弟子に贈る、俺からのヒントです。

 あなたが無事ヨエルの弟子となり、立派な詩人となるのを待っています」

 では、そろそろ行かなきゃいけませんからとラウリは立ち上がり、ぽんとひとつエイシャの頭を軽く叩いて(いとま)を告げた。


「……戦いに残るのは、怖くないのかしら」

「それは、怖いでしょうね」

「でも、残るのよね」

「そうですよ」

 エイシャの呟きに、ヨエルは相変わらずにこにこと微笑みながら答える。

「けれど、怖いのは詩人だけではありません。皆、怖いんです。これから戦火に晒される町のひとびとも、戦いに赴く兵士たちも、騎士だって領主だって怖いのです」

「詩人は、残ってどうするのかしら」

「さて、どうすればいいでしょうね」

 じっと考え込むエイシャを、ヨエルはじっと眺めていた。


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