これからの計画
宿の主人に教えられた店はすぐ見つかり、預けられた耳飾りの換金もすぐに終えた。エイシャの口ぶりでは、どうも彼女はどこぞの王族の庶子であるようだったが、さすがというべきか。あの紅玉だけでもそうとうな数の金貨に変えられるだろうと思っていたが、案の定だ。
シェイファラルがいなかったら、あの素晴らしい紅玉はもっと安価な石榴石として買い叩かれてしまっただろう。エイシャの身につけていたものはどれもこれも王族を飾るにふさわしい極上の品ばかりで、父王とやらは、エイシャをずいぶんと可愛がっていたのだと伺えた。
……着替えたあとは、まだ身に付けたままの装身具を全部外してしまい込んだほうがいいだろう。換金するにも、少しずつがよさそうだ。本人はあまりわかってないが、あのままでは別な賊を呼び込んでしまう。
手早く着替えを揃えて、他に何か必要だろうかと露店街を歩いていると……ふと、その剣が目に入った。
丸腰では主人を護るどころではない。竜に戻れば別だが、こういう町中では人型のまま戦う手段がなければいけない。そんなことを思い出す。
年長の竜に剣を教えられたのはずいぶん昔だったが、身体が覚えているだろうか。
「その剣を見せてくれ」
乱雑に並べられた使い古しの武具の中からそれを指差し、受け取ると、すらりと抜き放った。刀身に刃こぼれはなく、状態も悪くない。2、3振ってみたがバランスも悪くない。
「金貨5枚だよ」
無愛想な店主の告げた金額は、こういう中古の剣の値としては妥当なものだ。
「これを貰おう」
剣帯と鞘を付けて金貨6枚を支払うと、シェイファラルはすぐに剣を腰に下げた。
エイシャの足が治るまではこの町に留まるとして、その間にこの先をどうするか決めなければいけない。住む場所の手配や食い扶持の稼ぎ方などを考える必要もある。やることは数え切れないが、どうにも手探りだ。
いっそ、竜の巣穴を定めて、そこにエイシャの住める場所を用意するのはどうだろうか。
そんなことをいろいろ考えつつ宿へ戻ると、酒場にはずいぶんと人だかりができていた。
訝しげに人だかりの中を透かし見ると、その中心にいるのはどう見ても。
「……エイシャ様?」
シェイファラルは目を見開いて絶句する。外に出るなと言ったのに、あの足で部屋から出て、何をしているのか。
大股に近づいて「エイシャ様!」と声をかけると、「まあ、シェイ!」とにこにこ笑って手を振ってきた。
思わず脱力して、膝をついてしまいそうになる。
「部屋から出て、何をやって……裸足のままじゃないですか!」
「あら、シェイが布を巻いてくれたから、裸足じゃないわよ」
「それは屁理屈というものです」
ぷうと膨れて、「でも、詩人様の歌が聞こえたのに部屋に閉じこもってるなんて、拷問だわ」とこぼす。
「私も、可愛いお嬢さんと話す機会が得られて、たいへん光栄でしたよ」
取りなすように老詩人が声を掛けると、集まっていたひとびとも、「お嬢ちゃんの歌が、また良くってなあ」などと感心した風なことを口々に登らせた。
つまり、エイシャはここで歌い手のようなことをしていたのか。シェイファラルが少し不機嫌そうに目を細めて考え込む。
我が主人は、いったい何を考えているのか。
「けれど、あなたの騎士殿が心配なさるのもごもっともですし、いったんお部屋に帰ってちゃんとお話ししてきたらいかがですか?」
眉根を寄せるシェイファラルのようすに、苦笑しつつ老詩人がエイシャにそう勧めると、「ねえ、シェイ! お前、騎士に見えるみたいよ!」とまたエイシャははしゃぎ始めて……。
「わかりました。一度部屋に戻りましょう」
シェイファラルは少し呆れ顔で、立ち上がりかけたエイシャを制してひょいと抱き上げた。
「詩人殿、それではまた後ほど」
「はい、またお会いしましょう。私はこの酒場の詩人、ヨエルと申します」
「私はエイシャ様の側仕えのシェイと申します」
軽く会釈をして、シェイはエイシャを連れて部屋へと戻った。
「ねえ、わたし、詩人になろうと思うの。どうかしら」
エイシャを座らせ、足の汚れ布を解き始めていたシェイファラルは、予想外の言葉に「は?」と思わず顔を上げた。
「いい考えだと思わない? 歌とか物語を披露してお金を稼いで、それで旅をしながら暮らすのよ」
「……詩人も、修行が必要だと聞いてますが」
「さっきの詩人様に教えてもらえばいいんじゃないかと思うの」
「弟子入りするつもりですか?」
あまりに突飛な言葉に、シェイファラルは絶句する。
「駄目かしら」
いい考えだと思うのだけど、とエイシャは首を傾げるが、シェイはやっぱり呆れ顔だ。
「いや……駄目といいますか……そもそも、詩人……ヨエル殿の了承は得ているんですか?」
「あら、忘れてたわ」
うふ、と笑うエイシャに、シェイファラルは溜息を吐いた。
考えてみたら、いかに襲撃から生き残ったからといって、あの荒野を歩いて遺跡を見つけ、さらに自分を解放したのだ。ただの姫君などとは言えないだろう。一筋縄でいかないのは当たり前だ。
「……とりあえず、詩人のことは置いておきましょう。間に合わせですが着替えはこれです」
「ありがとう。お金は足りたかしら?」
「足りないどころか、余りまくってますよ。ですから、当面の生活費の心配は要りません」
「あら、そうなのね」
「では、拭き布はこれです。私は外に出てますから、身繕いをどうぞ」
着替えの包みを渡してシェイファラルが立ち上がると、タライと布をじっと見つめていたエイシャが顔を上げた。
「ねえ、シェイ」
「はい?」
「このタライで、どうやって髪と身体を洗えばいいのかしら」
「……は?」
「たぶん、お風呂はないのよね? 身体は布を濡らして拭けばいいってなんとなくわかるんだけど、髪もそうすればいいのかしら」
しばらく後、明日からは絶対に風呂場の付いた部屋に変えようと考えながら、シェイはエイシャの髪を洗っていた。
その後も、布がうまく絞れないとか、背中に手が届かないとか、水を替えてほしいとか、服がうまく着られないとか、その度にいちいち呼ばれ続け、結局、何もかもの世話をすることになった。
夕食も、あれはなんだこれはどうやって食べればいいのだと大騒ぎで、これはもしかしたら、ものすごく先が思いやられるのかもしれないと、シェイファラルは心の中で頭を抱えた。
「ねえ、シェイ」
「はい」
衝立を立てた向こう側から声がかかり、シェイファラルは振り返る。
「わたし、すごく幸運だと思うの」
「急に、どうしましたか」
衝立の向こうを見透かすようにじっと見つめながら、シェイファラルは目を眇めた。もう夜は更けたというのに、まだ眠っていなかったのか。
「今日のことを考えていたの。なんだか、一生分のいろいろなことがあった気がするわって」
ごそごそと、シーツを引き上げる気配と寝返りを打つ気配がする。
「輿入れの旅はもちろん初めてだったんだけど、まさかあんな風に賊に襲われるなんて思ってなかったし、生き残れるとも思ってなかったの」
「供の方々は、皆やられてしまったと言ってましたね」
「そう。護衛がふたり、逃げ出すわたしに最後まで付いて守ってくれたんだけど、追いすがってきた賊と相打ちになっちゃって……そのふたりが、たぶん最後だったんだと思うわ」
はあ、と溜息を吐く気配に、シェイファラルはそっと起き上がる。
「わたし、皆に助けられてもどうせ死んじゃうのにって思ってたの。だから、そんな風に生命を張って守ることはないのよって」
シェイファラルはじっと聞いていた。
「だって、シェイも知ってるでしょう? わたし、ひとりじゃ本当に何もできないのよ。死ぬのは嫌だったけど、でも水もほとんどなくなったし、明日になったらどうしたって渇いて死んじゃうのかしらって。町まで辿り着くなんて、ひとりじゃ無理だわって」
「……エイシャ様?」
衝立を回ると、頭まですっぽりとシーツを被ったエイシャが震えていた。
「怖かったんですね」
シェイファラルは身体を屈め、背を撫でようとそっと手を伸ばす。もう大丈夫です、私があなたの護り竜なんですから、と言おうとして。
「エイシャさ……」
「でも、シェイがいたから、大丈夫ってっ!」
がばっといきなりエイシャが起き上がり、がつんと派手な音が上がった。
仰け反り顎を抑えたシェイファラルが脂汗を垂らしながら、声をこらえる。エイシャも後ろ頭を抱えてさっきとは違う意味で震えている。
「った……」
「え、エイシャ様、大丈夫、ですか」
顎を抑えながら、シェイファラルがどうにかそれだけを口に出すと、エイシャも震えながら頷いた。
「ご、ごめんなさい。こんな側にいるなんて、思わなくて」
「いえ、こちらこそ、すみません」
涙目で頭をさすりながら自分を見上げるエイシャの姿に、つい笑ってしまう。
「けれど、これだけ元気があるなら、大丈夫ですね」
「あ……」
肩を竦め、あざになっていなければいいなと考えながら、また衝立の向こうへ戻ろうとするシェイファラルに、エイシャが手を伸ばした。
「どうしましたか?」
「ねえ、ちょっとだけ、お願い」
「何でしょう」
「手を握ってて、ほしいの」
シェイファラルは軽く眉をあげて、それからにっと笑って手を差し出した。
「かまいませんよ。そういえば、エイシャ様はいくつになるのですか?」
「子供みたいだと思ったの? 先月16になったもの、もう子供じゃないわ」
少しむくれたように口を尖らせるその表情は、まだまだ子供だと示しているのとは違うのか。
「いやいや、竜ならまだお尻に卵の殻がついてるくらいの歳ですよ」
「竜と一緒にしないでよ。少なくとも、わたしの国じゃ16は大人なのよ」
そう言ってむくれたまま、けれどしっかりと手は握って、エイシャはまたシーツに潜り込んだ。
「……わたし、だから、シェイに会えてすごく幸運だと思うの。幸運の女神にすごく感謝しちゃった」
ぎゅっと手を握って、そんな殊勝なことを呟くエイシャに、シェイファラルは何も言えなくなってしまう。
手から伝わるエイシャの体温が、とても尊いものに思えた。
結局、朝までその手は離されることがなく、シェイファラルはエイシャのベッドの横に座ったまま、朝を迎えたのだった。