幕間:きっとそばにいる
「私が語るべき話は、以上だ。この後は、歴史書が伝えている通りだろう」
重々しい声で、その竜はそう締めた。
「なるほどねえ、そういうことだったんだ」
詩人は、ほう、と感嘆の吐息を漏らした。
「ウルリカ女王は、相当苦労したんじゃない? そんな調子じゃ、ろくな役人も残ってなかっただろうに」
「確かに。だが、彼女の強運なところはまだあってね……手を貸してくれた冒険者たちは、年齢的にもそろそろ落ち着き先を探しているところだったんだよ」
「へえ? それじゃ」
「そう。魔術師は王家付きの優秀な魔術師となったし、聖騎士と司祭も教会の要職に就いて、そちら側から王を助けてくれた。軽鎧の戦士はとても優秀な諜報員になって、後進の育成もしてくれたよ」
「筋金入りの運の良さだね」
まん丸に目を瞠る詩人に、竜は笑う。
「残っていた貴族や役人たちも、女王が意外にしっかりしていると知って、だんだんと姿勢を正していった。時間はかかったが、どうにか国を立て直し、人々の暮し向きも少しずつ上向いていった」
「護り竜は?」
「もちろん、女王の傍らに常に寄り添っていたさ」
「だろうと思った」
にっと笑って、それにしても、と詩人はひとつ溜息を吐く。
「兄は己の猜疑が過ぎて付け込まれ、弟は己の欲望に付け込まれる……なんだか身につまされるね」
「お前にも心当たりがあるのか?」
「だって、僕も人間だからね。欲望にも猜疑にも全身どっぷりだよ」
ふ、と笑い飛ばすように、竜が鼻を鳴らした。
「実は私もだ。今になって少しだけアーロンの孤独が理解できるようになったよ。
理解はできても、やはり、彼は間違っていたという結論に変わりないのだが」
「確かにね」
星に焦がれるあまり、手段を選ばず自分のいる場所へと引き落とそうとしたアーロン王……もし、彼の最初の求婚が兄王の許しを得ていたら、どう変わっていたのだろうか。
そう考えて、詩人はちらりと傍らの竜を見上げる。
もう老齢に差し掛かった竜の鱗は光を反射し、年経て緑青の浮いた青銅のような、鈍い色に煌めいていた。針のような細い瞳孔が覗くその目は、深い森を映す湖のような翠玉の色だ。
「とにかく、長い話をありがとう、竜よ」
そう言って、詩人は深々と腰を折る。
まだ若い、男だというのに顔立ちはまるで女のように柔和で、夜の闇を写したような艶のある漆黒の髪は、短いながらも柔らかそうに揺れている。少し垂れた目は明るい翠玉のようで、隠しきれない好奇心に輝いている。
「それにしても、あなたが未だここを護っていたなんて、知らなかったな」
「おかしなことを。私は歌姫の護り竜なのだよ。彼女が眠るこの地を護らずしてどうするというのか」
竜は寝そべったまま、にいと笑う。
「それもそうか」
詩人もつられて、にいと笑う。
「あ、聞いてもいいかな。あなたから見て、歌姫はどんな王だった?」
詩人が尋ねると、竜はじっと首を傾げ、思い出すように目を細めた。
「……おねだりの上手な王だったな」
「おねだり?」
また目を丸くする詩人に、竜は口の端を笑むように上げる。
「にこにこと笑いながら頷き、相手から肯定的な言葉を引き出したところで小首を傾げ、“まあ、だったら、そうお願いしてもいいかしら?”と可愛らしく微笑んでおねだりするのだ。
たいていの者は、これに抗えない」
「そりゃ確かに断るなんて無理だ!」
歌姫の口調を真似る竜に、詩人はくすくすと笑う。
「私も、彼女のおねだりで聞けなかったのは、ひとつだけだったな」
「ひとつって?」
「彼女の、いよいよの時に言われた、“もう、護り竜でいなくてもいいわ”だ」
「それは、歌姫の見込みが甘かったね。あなたがそんなことで護り竜をやめるなんて、ありえない」
「その通りだとも」
肩を竦める詩人に、竜は少し大袈裟なくらいに頷いて片目を瞑ってみせた。
「……偉大なる父祖竜シェイファラル。あなたに会えて、こうして話を聞くことができて、今日は本当に良かった」
「願わくば、またお前がこうして、彼女と私に新たな物語を運んでくれることを望むよ」
「それは、もちろん」
詩人はしらじらと白み始めた東の空を振り返り、もう燻るだけになった焚火に土を被せた。
朝焼けの色が空全体に広がる。
赤から紫を経て薄い青へのグラデーションを作る空を眺めて……ふと、詩人は何か予感のようなものを感じ、もう一度竜を振り仰いだ。
「思ったんだけど」
「なんだね?」
「歌姫は、まだここに留まっているんじゃないかな」
竜は驚いたようにわずかに目を瞠り、それから不思議そうに首を傾げる。
「なぜ、そう思う?」
「なんとなく、かな。なんとなく、歌姫はあなたのそばにいるんじゃないかと思ったんだ」
竜は嬉しそうに目を細め、「そうだと良いな」と空を仰いだ。
「たぶん……いや、うん、絶対、姫はここにいると思うよ。僕に流れる血に賭けてもいい」
竜はもう一度驚いたように目を瞠る。
「……お前がそう言うのなら、きっとそうなんだろう」
詩人は確信に満ちたように頷き、竜に微笑む。
「父祖竜シェイファラル、あなたとまた出会う日を、歌姫はじっと待っているんだよ」
「──なら、その日を迎えるのが、楽しみだ」
竜は何かを思うようにじっと目を閉じた。





