今度こそ、確実に
「こちらへ」
シェイファラルが通されたのは、使用人の宿舎の一室のような、簡素な狭い部屋だった。狭いとはいってもさすが王宮と言うべきか、ちょっとした宿屋の個室くらいの広さはある。
「あなたは、こちらでお待ちください」
中へと入ったシェイファラルの背後でバタンと扉が閉じられ、ガチャリと錠が掛けられる。
窓を見れば、外側に頑丈そうな鉄の格子があった。
概ね予想の範囲内だ。
「やはりか」
念のため扉の取っ手を回すがびくともしない。窓の外の格子も細かく、ガタつきもないようだ。もちろん、窓も大きくは開かない。
……窓から見える風景から判断すると、ここは城館の裏手にあたるのだろうか。扉の外には見張りがふたりほどか。
すぐにでも出ようと思えば出られないことはないが、少し様子を見てからにしようとシェイファラルは考えた。
「前王は、兄上は、乱心なさったのだよ」
「乱心?」
少し目を伏せ気味にぽつりと零すようなアーロンの言葉に、エイシャは瞠目する。
「そう。あれは、乱心としか言えない」
アーロンは嘆息し、茶をひと口飲む。
「……あの日、兄上は一の妃殿下と二の妃殿下、そして王太子殿下夫妻を次々とその手に掛けた。晩餐の席でだ。トルスティはたまたま熱病でその場にいなかったため、難を逃れた。
どうにか止めねばと私に斬り掛かってきた兄上と揉み合ううちに、兄上は誤ってご自身の手の刃で自分を刺してしまったというわけだ」
「そんな……」
アーロンはもう一度嘆息し、首を振る。
「もちろん、こんな醜聞を外へ漏らすわけにいかない。幸い、特に客人は居らず、食堂にいた使用人も少なかった。すぐに箝口令を敷き、数日置いて急な病で全員が亡くなったことにしたのだ」
エイシャは言葉もなく、ただ目を見開いてアーロンの言葉を頭の中でひたすら反芻した。
いったいなぜ父王はそんなことをしでかしたのか。何が原因なのか。
「父上は、なぜ」
「それはわからない。亡くなってしまったからね……妃達も王太子夫妻も、ほぼ即死だった。
記録や手記も調べたが、これといって手がかりになるようなものは見つからなかった。兄上にいったい何があったのかは、闇の中だ」
アーロンは肩を竦め、ただ首を振るばかりだ。
「それに、トルスティはまだ10歳の子供でしかなく、王太子としての教育も十分とは言えなかった。だから私に玉座が回って来たというわけだよ」
けれど、とエイシャは考える。
「陛下、それでは、なぜ書状にあんな文言を? まるで、わたしが来なければラーシュに何かするような言葉を付けるなんて」
「では、ウルリカ。あの一文がなくても、お前は招待を受けたと言えるかい?」
「……それは」
エイシャは言葉に詰まる。
あの文言がなければ、間違いなく自分は体の良い断り文句を送りつけておいて、しばらく行方を眩ませただろうから。
「生きていたなら、なぜ帰ってこなかった。
身辺が不安だというなら、私がお前の後ろ盾となると言ったろう?」
「でも、それは、陛下……」
咎めるようにじっと自分を見つめるアーロンに、返す言葉がなかなか見つからない。
「今からでも遅くない。ウルリカ、私の庇護下へお入り。以前以上に、不自由ない生活を送れるようにすると約束する。
旅芸人のようにあちこちをふらつくような真似をしなくてもよいのだ」
「けれど、陛下の庇護下に入るというのは……」
「側室ではなく、正妃としてお前を迎えよう。叔父と姪であれば何の問題もない。国の民も、王家の血筋が確固たるものになると喜ぶだろう。反対するものは誰もいない」
エイシャは息を呑む。
あの輿入れの前にも、アーロンがそんなことを言っていたことをようやく思い出す。
では、まさか自分を呼んだのはそのためだった?
「陛下……陛下、それは無理です。
わたしには一生を共にすると心に決めた夫が既にいます。陛下の妃にはなれません」
「……ああ」
ぐっとドレスのスカートを握り締めて告げるエイシャに、アーロンは目を眇め、頭を振りながら、ふう、と吐息を漏らす。
「あの、お前の護衛騎士を自称する、どこの馬の骨ともわからない平民か」
「……なっ! 陛下!」
アーロンの吐き棄てるような言葉に、エイシャは思わず腰を浮かせた。いったい何を言い出すのか。
「王族を拐かし、10年も連れ回した重罪人だろう」
「ばかなことを! 何を仰るのですか!?」
アーロンが何を言っているのかがわからない。シェイファラルが罪人? そんなばかな話があってたまるか。
「かわいそうに、ウルリカ。お前は絆されるほどに騙されていたのだよ」
哀れむようなアーロンの目に、エイシャはここにいてはいけないことを理解した。すぐにここを出なければ。やはり来るべきではなかったのか……たとえ、ラーシュの身が心配であっても。
「そんなことが、あるわけないでしょう!? シェイがいなければ、わたしはとうの昔に、あの賊に襲われた日のうちに死んでいました。シェイはわたしの命の恩人で、わたしの大切なひとです!
……陛下こそ、何を言い出すのですか!」
はあ、とアーロンはまた嘆息する。まるで聞き分けのない子供を見るかのようにエイシャを見つめ、「しかたのない子だ」と呟く。
立ち上がり、テーブルを回って近づいてくるアーロンが、エイシャにはなぜかとても恐ろしいものに感じられる。
「……兄上にも何度も打診したのに、いつも素気無く断られた。兄上はお前の母君……アマリア様に執心だったから、母そっくりな娘であるお前を手放したくなかったのだろう。
そのくせ、一の妃や二の妃が結託し、用意した縁談は断れない腰抜けだった」
「……陛下?」
じり、と座ったまま、エイシャは後退る。怖い。アーロンは自分を見ていない。その昏い目にはいったい何が映っているのか。
「慌てて人を手配し追わせたが、お前が死んだとの報せだけが戻ってきて、絶望した。
くれぐれも、お前の身柄だけは安全に確保しろと申しつけてあったのに」
「何を、言ってるのですか?」
まさか、輿入れの一行を襲ったのは一の妃や二の妃の手のものではなく、アーロンの手のものだった?
「だがね……吟遊詩人エイシャの噂を聞いた時は嬉しかったよ。何かの間違いであってはいけないと、何人も人をやって調べたのだ。
お前であると確信が持てたときは、本当に嬉しかった。
今度こそ、お前を確実に手にしなければな」
「陛下……やめて……」
アーロンは懐から、何か小さな石……宝石を取り出し、エイシャの目の前にかざす。
「ウルリカ、お前は私のものだ。“ウルリカ・エイシャ・ストーミアンよ、ここに入れ”」
──胸騒ぎがする。
ざわざわと何かが心を掻き回し、落ち着かない気分にさせる。
「……エイシャ?」
何かあったのか。こんなところでぐずぐずしている暇はないという気持ちが大きく膨れ上がっていく。
それに……。
「鎧をつけた人間が、6人?」
扉の外の気配が、ただならない状況を伝えてくる。間違いなく何かがあったのだろう。
シェイファラルは一瞬だけ考えて……すぐに姿を変え、部屋を抜け出した。
「アルヴィーン、城のほうで騒ぎが起こったようですよ」
正義と騎士の神の聖印を彫り込んだ鎧を身につけた聖騎士が、長衣に身を包んだ魔術師に呼ばれて振り返る。
「どんな騒ぎか、わかるか?」
「城内に軟禁していた罪人が逃げた……と騒いでいるようです。城門と町の門を閉じるようにと触れが出ています」
聖騎士アルヴィーンはじっと考える。もう数時は前に、歌姫と竜殿は城に到着している。では、ふたりに何かが起こったと考えるのが妥当だろう。
「……クラウス、教会を通じて、王についての情報を集められないだろうか。オスモも、どうだろう」
クラウスと呼ばれた司祭と、オスモと呼ばれた軽鎧の男は頷き、立ち上がる。
「エリクはそのまま、城内の様子を探っていてくれないか。
……罪人が逃げたと騒いでるのだろう? 私は城へ行ってみる。聖騎士として助力を申し出てみよう」
エリクと呼ばれた魔術師は、「なら、いくつか魔術も使ってもみましょうか」と呟いた。
エイシャの居場所はすぐに見つけられた。大切な宝を嗅ぎ当てるくらい、竜にとってはたやすいことだ。
──しかし。
豪奢な部屋にぽつりと座ったまま身じろぎすらしないエイシャの様子に、シェイファラルは不安を覚える。
姿を変えたまま、そっと近寄って「エイシャ?」と小さく声をかける。
だが、エイシャは振り向きもしない。まるで聞こえてないかのように無反応だ。
シェイファラルは人型へと姿を変えて、エイシャの顔を覗き込む。
「エイシャ、聞こえていないのか、エイシャ!?」
がくがくと揺さぶってみても、エイシャの目は何も映さず、エイシャの耳は何の音も捉えていないようだった。
「エイシャ、エイシャ、しっかりしてくれ!」
扉の外に、ばたばたと人の集まる音がする。シェイファラルは舌打ちをしてエイシャを抱え上げ、窓辺へと駆け寄った。
バン、と乱暴に扉が開け放たれ、全身を鎧で固めて剣を構えた騎士達が雪崩れ込む。
「姫……!」
「お前達、エイシャに何をした」
翠玉の目を爛々と光らせて、エイシャを抱え上げたシェイファラルは地を這うような声で問う。
噴き付けるような竜の怒気に、騎士達は思わず後退ってしまう。
「エイシャをどこへ連れ去ったのだ」
「何を言うか! 相手はひとりだ、取り押さえて姫をお救いしろ!」
シェイファラルの輪郭が崩れ、前脚にエイシャを抱えたまま竜の姿に変わる。
騎士達にガス状の息を吹き付けて、シェイファラルはばさりと翼を広げ、空中に身を投げ出した。
「ひいっ!」
「竜だ!」
「姫が竜に連れ去られた!!」
ばさりばさりとはばたき、上空へと舞い上がりながら、シェイファラルは咆哮を上げる。
「エイシャを返さねば、この城は然るべき報いを受けるだろう。私の怒りを思い知れ!」
カッと城の尖塔目掛けて雷の息を吐き掛け、シェイファラルは飛び去っていった。





