故郷からの書状
「ねえ、シェイ。なんだか疲れたわ」
甘えるようにくったりとシェイファラルに寄り掛かり、エイシャは拗ねた声で呟く。
「ずいぶんと名前が売れてしまったからね」
「みんなが歌を聴きたがってくれるのは嬉しいけど、大騒ぎされるのはちょっと困っちゃうものなのね」
行儀悪くごろごろとシェイファラルの膝を枕に転がり、エイシャは伸びをした。
シェイファラルは、頭に当たって痛いだろうにと、髪を留めたピンを外しながらひきつれないように解く。
「しばらく隠れたほうがいいのかしら。なんだかね、偉い身分のお方のところばかりに呼ばれて、緊張しっぱなしなのよ」
不貞腐れたようなエイシャにくつくつと笑いながら、シェイファラルは指で解いた髪を丁寧に梳いた。さらさらと柔らかい黒髪を、今度はゆったりと編んで結ぶ。
「そんなに緊張しているようには見えなかったけれど? ついこの前呼ばれたお屋敷では、当主をからかう余裕まであったのに?」
「まあ! でも、あの方ものすごく失礼だったのよ。わたしのこと流れ者の歌い手の小娘だと思って、寝室に来いなんて!」
下心丸出しな大商家の主人がエイシャに手を出そうと声を掛け、手酷い返しに真っ赤な顔で言葉に詰まっていたことを思い出す。
くつくつ笑いながら、シェイファラルはぽんぽんと宥めるように、エイシャの頭を軽く叩いた。
「あなたが言い返さなかったら、私が出るところだったけれどね」
「ならさっさと助けてほしかったわ」
「エイシャなら、あのくらい楽に躱せると思ったんだよ」
シェイのばか、と言いつつ拗ねたように身体にしがみつくエイシャに、シェイファラルはまた笑う。
と、ひとの来る気配に気づいてシェイファラルが顔を上げると、すぐに扉をコツコツと叩く音が聞こえた。
「私がでるから、エイシャはここにいて」
起き上がったエイシャにそう言い残して、シェイファラルは扉へと向かう。
「歌姫エイシャ殿はこちらにご滞在でしょうか」
「いかにも。どちらからいらしたお方でしょうか」
「さる高貴なお方からの使いでございます」
仰々しく言うわりにはっきりとした名乗りもないことに、シェイファラルは眉を顰めた。
扉を薄く開けて相手を確認すると、確かに立派なお仕着せを纏った、貴族とも見紛うような高級役人風でもあり……。
シェイファラルが完全に扉を開けるのを待って、使いは恭しく一礼する。
「本日は、歌姫殿に我が主人よりの書状をお持ちしました。どうかご確認のうえ、ご検討頂きたく」
慇懃に、けれど有無を言わせず差し出された立派な書類入れを、シェイファラルが怪訝そうながらも受け取ると、使いはまた一方的に言葉を続けた。
「明日、同じ頃にまた改めて参上いたしますが、その時に良い返事がいただけることを期待しております。
どうか、くれぐれも中を熟読のうえ、ご検討いただけるようお願い申し上げます。
では、慌ただしく無礼とは存じておりますが、これにて失礼いたします」
使いが去って扉を閉めたところで、シェイファラルは改めて書状の封を確認した。書類入れの蓋に押された封蝋の紋章は相当に立派なもので、この差出人がただならぬ身分であることを示している。
だが、それにしてもこの紋章は……この、渦巻く雷と鉾槍を掲げた鷲の紋章は。
「……東の“嵐の国”?」
シェイファラルの呟きが聞こえてか、エイシャががばりと起き上がった。
「シェイ、今なんて?」
「この紋章は、荒野の東の“嵐の国”のものではなかったですか?」
エイシャは大きく目を瞠り、差し出された書状を受け取ると、じっと食い入るように封蝋を見つめた。
そのただならない様子に、シェイファラルも封蝋を覗き込むようにして、じっと見つめてしまう。
「エイシャ?」
「……間違いないわ。“嵐の国”の、国王の御印が押された書状ね」
シェイファラルは思わず扉を見返した。では、今の使用人は国王の使いだったというのか。それにしてはいきなりで、相当に簡略な訪問だったが。
エイシャはじっと封蝋を眺めたまま、「どうしよう」と呟いている。
「中を見たくないわ、これ」
「けれど、国王の御印を押してあるのなら、それこそ無碍な扱いはできないよ」
「……それはわかってるの」
もう一度、溜息を吐くエイシャをじっと眺め、シェイファラルは目を細めた。
「エイシャ、“嵐の国”にはいったい何がある?」
ゆっくりと尋ねられて、エイシャは眉尻を下げ、困りきった顔になる。
「……“嵐の国”は、わたしの故国よ」
「──故国」
半ば呆然と言葉を繰り返すシェイファラルに、エイシャは頷いた。
エイシャは、出会った当時の話によれば、国に戻れば殺されるからと今のように暮らすことを決めたのではなかったか。
あの日、二度と戻らないと決めた故国は、では、“嵐の国”だったのか。
「エイシャ、では……どうして、急に」
「2、3年前に国王が代替わりしたという噂は聞いていたの。だから、この書状も父上ではなくて……王太子が変わってなければ、一の妃の長子である異母兄上からということになるわ」
押された封蝋をじっと眺めて、エイシャは溜息を漏らす。
「兄上のこと、あまりよく知らないのよ……歳は10以上離れているし、わたしはあまり表に出ないで引きこもってたから。
ろくに顔を合わせたこともないはずよ。
それに、わたしの通名の“エイシャ”は幼名だし、幼名は、普通、血の繋がった親くらいしか呼ばないものなの。兄上がそこまでわたしのことを知ってるとも思えないのだけど……」
「けれど、故国ならエイシャを覚えてる者がいるのでは?」
「そうね。わたし、母上によく似ていると言われていたから、母上を知ってる者ならわかるかもしれない。
……もちろん、一の妃とか、二の妃も含めてよ」
シェイファラルはじっと考える。やはり、これは……。
「エイシャ、断ったほうが……いや、断ろう」
真剣なシェイファラルに、エイシャは「ありがとう」と笑った。
「そうね、そうするのが安全かもしれないけど……」
エイシャは考えるように続ける。
「いい機会なのかもしれないわ」
いつまでも避けていたってしかたないことのケリをつける、いい機会なのかもしれない。
そうと決まれば、きちんと書状に目を通さなければ。
エイシャは思い切って封を開け、くるくると巻かれていた羊皮紙を広げる。王からの書簡に相応しい、きらびやかな装飾文字が流麗な筆致で描かれていた。
「戴冠5周年の祝いの席に来いっていう内容だわ……え、ちょっと待って」
「どうした、エイシャ?」
「国王の署名が……兄上の名前ではないの」
「え?」
「アーロン・ストーミアン……ていうのは父上の弟、つまり叔父の名前。それに……」
書状の最後の一文には、こうあった。
“白木蓮にて過ごすラーシュに、あなたの祝福があらんことを”
「わたし、どうしたって行かなきゃだめみたい」
じっと書状を見つめたまま、真っ青な顔でエイシャは言った。
「わたしが行かなかったら、ラーシュが死んで……殺されてしまうんじゃないかしら」
「ラーシュ?」
首を傾げるシェイファラルにエイシャは眉尻を下げる。
「“ラーシュ”は甥の幼名なの。正式な名前はトルスティ・ストーミアン……それに、白木蓮は母上のいた離宮の名前」
今度こそ、エイシャは大きく溜息を吐く。
「何があったのかわからないけど、ラーシュは兄上……アウリス・ストーミアンの長子であるのは間違いないの。ほんとうなら王太子になってるはずの王族よ」
目を眇めて、シェイファラルはじっと考える。
「それでは、エイシャ……」
「……どうしてか、兄上たちは亡くなった。だから、ラーシュを差し置いて叔父上が王になったということなのね」
自分が“死んだ”ことになってから、いったいあの国で何が起こったのだろう。では、一の妃や二の妃は? 父上は? 他の王子たちはどうしたのか。家族はどうなった?
「ラーシュは、わたしがあの国を出た当時はようやく5歳か6歳になる、まだまだ幼い子だったわ。ときどきわたしのところに来てはお菓子を分けてくれる、優しい子だったの」
エイシャは溜息を吐く。
「叔父上は……叔父上も、たまに離宮を訪れては、わたしにいろいろなお話をしてくださったわ。そうね、父上とは歳の離れた方だったから、兄上とさほど変わらないくらいかしら」
だから、父上が亡くなって叔父上が野心を持つようになったのか。それとも、叔父上が父上や兄上たちを……?
こんなことなら、“嵐の国”のことなど怖がらず、もうすこしきちんと情報をいれておけばよかった。ほんとうに、あの国で何が起きてるのだろう。
シェイファラルがふわりとエイシャの背中を抱き締めた。
「エイシャ、やっぱりしばらく身を隠そう。そろそろ私も竜の巣穴を構えたいと考えていたところだし、そこにエイシャの部屋も用意する」
エイシャは身を捻り、シェイファラルの顔を見上げ、それから口付ける。
「たしかに、正直を言えば、行ったところで嫌な予感しかしないわ」
「エイシャ」
「でも……離れて10年も経つのに、やっぱり行かなきゃって思うなんて、不思議ね」
ふふっと困ったように微笑むエイシャに、シェイファラルは溜息を吐く。
「大丈夫よ。シェイファラル、あなたがいるもの」
エイシャはシェイファラルの頬を撫でて、もう一度口付ける。
深く、深く口付けて、「シェイがいるから、どこに行っても大丈夫なのよ」と囁いた。仕方ないな、とシェイファラルも微笑む。
「それがあなたの望みなら仕方ない。私はエイシャの護り竜で護衛騎士なのだから、あなたがどこへ行こうと必ず護ろう」
シェイファラルも、そっと囁きと口付けを返したのだった。





