出会いの春(2)
最初は何かの間違いかと思った。
パソコンで見て、携帯で確かめて、電話をかけた。
――受験番号、……番、は、合格、です。
合成音声丸出しの機械的なアナウンスを二度聞いた。お腹のあたりがむずがゆくなる。じんわりした感覚は少しずつ上へ上へ向かっていって、喉から飛び出た声ははじけそうに膨らんでいた。
「お母さん! 合格だったよ!」
家族に連絡して、すぐに山口くんに電話をかける。コール音がもどかしい。早く出ないかな、まだかな、……通話中だって。
数分待ってはかけ直すのを数回繰り返したところで、しぶしぶ諦めた。
本当は電話で言いたいし、どうせならこの後会えたらなって思ってたけど、残念。何の連絡もしないとそれはそれで心配させちゃいそうだもんね。このタイミングで電話がかかってきたらいいのにって考えながらメールを打った。写メはかなり悩んで、やめた。きっと喜んでくれるとは思うんだけど、写メだと「よかったね」のひと言で済まされちゃいそうなんだよね。
送信ボタンを押すと同時に、誰かからメールが届いた。
山口くん?
違った、仲良しのマリコからだった。そっか、あのこも今日が発表だったっけ。……あっ、合格だったんだ! 良かった!
卒業式以来に聞いたマリコの声は本当に嬉しそう。高校には明日報告しに行くことに決めた。その後はお茶をする約束だ。長話になっちゃったせいか、通話が終わった時にはバッテリーがほとんどなかった。
「のん! ケーキ買ってきたわよ!」
一階からお母さんの声が聞こえる。浮かれる気持ちでいっぱいになっちゃって、ベッドの上で携帯が震えていたのには気付けなかった。
晩ご飯とお風呂を済ませて部屋に戻ると、携帯のランプがピンクに点滅していた。
今度こそ山口くんからだ!
着信履歴から折り返す。液晶画面にツーショットが浮かぶ。文化祭の時だから、半年前? 懐かしいな。コール音が途切れて、通話中の表示になった。
電話で聞く山口くんの声は低く落ち着いて聞きごこちがいい。合格を伝えると山口くんは一瞬黙り込んで、そのあとすごく優しい声で喜んでくれた。
「これで四月からも同級生だね。学校には明日報告に行くの。山口くんはもう行っちゃったかと思って、マリコと約束したんだ。そうそう、お母さんとケーキを食べてたんだけど、お母さんったら誕生日でもないのにろうそくを買ってきたの! 笑っちゃうでしょ。山口くんは何してたの?」
「親と話し合いかな」
「新しい家とか、入学式用のスーツとか、決めることが山積みだもんね。私はキャンパスから電車で二駅くらいのところにしようかなって思ってるの。キャンパスの近くって何もないって聞くし、かといって中心街はうるさいでしょ? 山口くんは二年生からキャンパスが変わるんだったよね。やっぱりそっちに合わせた場所にする?」
「違うよ、浜中。俺、落ちたんだ」
今度は私が黙る番だった。
「やだ、何それ、そんな冗談には引っかからないからね。ずっとA判定だったのに、山口くんが落ちるわけないでしょ」
ぷんぷんしながら言うと、電話の向こうで山口くんが苦笑した。
「やっぱり、そう思うよな」
「当たり前じゃない。あ、私が合格したのは嘘じゃないよ! ちゃんと証拠写真もあるの、今からそっちに送信するね」
すぐに電話を切って、フォルダから証拠画像を呼び出す。パソコンの画面を撮ったから少し見づらいけど、受験番号と合格の文字はちゃんとわかる。
しばらくして、山口くんから返信がきた。電話じゃない。写メみたいだ。
メールを開いて、息が止まった。
山口くんの画像はきれいだった。マーブル模様にもなっていないし、私のみたいにちょっと斜めにもなっていない。だから、不合格って書いてるのも、ものすごくよく見えた。
――父親が帰ってきた。話し合いになるから、電話はまた今度。合格おめでとう。頑張ったな。有意義なキャンパスライフを。
絵文字もない。顔文字もない。普段どおりの山口くんで、だけど、いつもは見え隠れするからかうような雰囲気が、このメールからはきれいさっぱり消えている。
どう返すのが正しいのか、私にはわからずじまいだった。
***
翌日は四月並みの暖かさで、朝から日差しが強かった。待ち合わせたマリコは襟ぐりが大きくあいたニットにショートパンツ、ごつめのショートブーツといういで立ちで現れた。全体的に落ち着いた色合いの中、ショッキングピンクのバッグが春っぽい。二人してお祝いを言い合って、学校までの数分を歩く。
「ぐっちも喜んでくれたでしょー。彼氏を追っかけて志望校変えて、二人そろって県外進学かあ。のんちゃんの愛の勝利だね」
うっ。
「それが、山口くんなんだけど……不合格だったみたい、で」
マリコの口がぱかりとあいた。ひゅっと息を吸い込んで、せわしなくまばたきを繰り返す。
「いやいや、そんなまさか」
「本当なの。私も信じられないんだけど、本人から聞いたから」
昇降口に着いて、来客用スリッパに履き替える。ぱたんぱたんと音が響くのに重なるように、マリコがつぶやいた。
「そっか。ぐっち、だめだったんだ。……ま、のんちゃんは思い切り楽しみなよ。そんで夏休みになったら大学生っぽいことしよ」
「大学生ぽいことって?」
「そうだね……、夜中にドライブしながらガールズトークとか」
職員室に入って合否結果を報告したら、先生たちはすごく喜んでくれた。ひととおり終わって帰ろうとしたところを、学年主任の先生が呼び止める。
「浜中、ちょっと」
マリコはちらっと私のほうを見て、「じゃあ私はトイレ行ってるね。終わったら昇降口で」と手を振った。頷いて、主任の後についていく。
「山口のことは聞いてるか?」
「あ、はい、山口くんから教えてもらいました」
一対一用の進路指導室に案内されて、座るなり先生が聞いてきた。進路指導室なんていつぶりだろ。私がぼんやり考えていると、学年主任の先生は難しい顔でうなった。その顔を見て、先生は山口くんの担任でもあることをやっと思い出した。
「となると、冗談でもないわけか。……あいつには期待してたんだがなあ」
先生も最初は信じられなかったんだって。そりゃそうだよね。合格確実の山口くんがダメだっただなんて、誰が信じると思う?
山口くんからは昨日、発表直後に電話がかかってきたそうだ。先生はしばらく山口くんについてああでもないこうでもないと推察してから、苦笑した。
「いやあ、すまん。つい山口が気になってな。ここからが本題だ。浜中、合格体験記を書いてくれないか」
「え……、私がですか?」
「浜中は追い上げがすごかっただろう。後輩にはいい手本になると思うぞ」
私がお手本! 予想外の展開にびっくりしたけど、そう言ってもらえると俄然やる気になってくる。三日後までにメールで送ってもらえれば、という先生に二つ返事で頷いて、待たせてしまったマリコのところに戻る。
マリコとは夕方まで喋りどおし、美味しいものを食べどおしの楽しい時間を過ごした。
私がゆっくりできたのはこの日まで。翌日からはやらなきゃいけないことが山積みだった。
四月からの新居決め、家具選び、今まで住んだ部屋の片付け。あたらしいデニムにスカート、レギンス三本。チェックのシャツと丸襟ブラウス。着回しのききそうなものをとりあえず揃えて、後は少しずつ買い足すことにした。
準備に追われるうちに月末が来た。山口くんと会う約束ができたのは引越しの前日だった。後期も失敗に終わって、山口くんは浪人する。明日は予備校の入校テストと日程が被ってしまって、見送りには来られないそうだ。
卒業式ぶりに会うなり「ごめんな」と謝る山口くんは少し痩せたみたいだった。
『浜中に負けてられないな。俺も頑張らないと』
「そうだよ山口くん、私、ちゃんと待ってるから」
私が書いた合格体験記は学校のホームページと校内誌に載った。
入学式の夜に電話して聞いた話では、山口くんは入校テストで一番上のクラスに決まったそうだ。受講料免除の特待生として、すでに予備校でも期待されてるみたい。
春は出会いの季節。
同時に別れの季節だとも言うけれど、山口くんと私の道は同じ場所に続いてる。
そう、信じてる。