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ぐっちゃんのカノジョ。  作者: 高野かんな
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プロローグ

 受験生が嫌うもの。

 すべる、落ちる、転ぶ。


「大丈夫ですか、怪我してませんか!?」


 いつ誰が言い始めたのか、受験で不合格になることが言い換えられるようになって、そのうち婉曲表現さえも避けられるようになった。

 ウィンタースポーツが趣味でも受験期にはゲレンデに行くのを控えたり、家族内でもそういう言葉を使うのを控えたりと徹底する子もいるとか。花が散るのもだめなんだって。私は雪遊びはソリくらいしか記憶になく、縁起が悪いとか言って気にしてるのはむしろ家族の方だ。親がわざわざ買ってきてくれた合格お守りは申し訳程度に携帯のストラップになってるけど、すっかり端が擦り切れてしまっている。私みたいな受験生は一般的にぼんやりしてることになるんだろうな。自覚はある。

 だけど……だけど、これってなくない?


「だ、大丈夫です、ありがとうございます!」


 スカートのすそをおさえる私の近くで焦った声がする。うつむいてるのに、道を行くみんなが私を見てるのがわかる。真っ赤になりながら慌ててうなずいた。恥ずかしすぎて顔が上げられない。早くどこかに行って……! 心配してもらってるのに、ひどいと思う。だけど知らんふりをしてもらえる方がありがたい時もあるのだ。目の前の子は体格的に高校生かな。桜の校章が入った学ランをじーっと見つめることしばらく、エナメルバッグをかけた肩がほっとしたように離れていった。膝についた砂利をはらって、転んだ時に吹っ飛んでいた荷物を拾う。何でもない顔で立ち上がって、深呼吸。さすがに今日くらいは忘れなきゃ。忘れないと、困る。


 浜中希美、一時間後に本命の大学受験を控えた高校三年生。

 駅の階段ですべって、落ちて、思いっきり転びました。



***



「本当にどんくさいな。あんな場所で転ぶか?」

「見てたなら他人のフリしてないでフォローしてよっ」


 ずんずんと足音高く歩きながら、一歩先を行く山口くんを睨む。すり剥けた膝の心配くらいしてくれたっていいのに、肩越しに振り向いた彼は細い目が一本の線に見えるような笑みだ。


「山口くんはさっきの子を見習うべきだと思うの! 春から医者の卵でしょっ」

「そういう問題じゃないだろ」

「だってお医者さんだよ? 困ってる人を助けようって気持ちが大事だよ。小児科医志望なんだから、もっと思いやりを持たなきゃ」


 山口くんは私と同じ高校に通い、同じ大学を受験する同志であると同時に私の彼氏だ。県内でもかなりの進学校である私たちの高校でも秀才で、定期考査では理系クラスはもちろん総合順位でも常に五位以内をキープしている。かねてから県外の大学の医学部を志望してて、高校の先生も認めるほどとっても優秀なのだ。平均よりちょっと上な程度で、山口くんの目指す大学を志望校に挙げたとたん周りに大反対された私とは大違い。私はそもそも文系だし、法学部じゃなくて比較的入りやすい文学部を選んだんだから、先生たちも多目に見てくれたっていいと思うんだけどな。

 うんうん唸りながら歩いていると、小さな石に足が引っ掛かった。転ぶのは免れたけど、足元がぐらつく。あっぶなかった。こんな短時間に二回も転んだらさすがにまずいよね。ほっとしながら前を向くと、山口くんの心底呆れかえった顔があった。


「……たしかに、浜中のドジさは子どもと一緒だわ」


 そ、そんなにずばっと言わなくたって。

 歯に衣着せない山口くんの言葉にずーんと落ち込んでしまう。


「もうだめ、ぜったいすべる」

「とっくにすべって転んだくせにまだ足りないのかよ」


 思いっきりへこんでいる私に山口くんは容赦がなかった。まだ足りないのって、さっきのは落ちたくて落ちたわけじゃないもん。ローファーの裏がすり減ってて階段のはじっこに引っかかっちゃったんだもん。単語帳を読むのに必死になって、足元を見てなかった私が悪いんだけどさ。駅の改札で待ち合わせた時も私はずっと単語帳に必死で、きっと誰が見たって必死だったけどさ。


「だって山口くんと同じ大学に行きたかったんだもんっ。私はバカだからぎりぎりまで勉強してないと不安なんだよ」

「だからって本番前に怪我したら意味ないだろ。歩いてる時くらいは前を見てないと」


 山口くんはため息をひとつ。


「せっかく詰め込んだ単語が転んだ拍子に抜けてたらどうするんだ。さっき読んでたのは忘れてないな?」


 単語帳をひょいと取られて、ふせんを貼っておいたページを山口くんが適当に読み上げた。合間合間に私に意味を尋ねてくる。……うん。大丈夫、忘れてない。答えるたび、山口くんの目がきらきら輝く。

 付き合い始めた時からそうだったな。山口くんがいつも教える側で、私は教えてもらう側。学校が終わった後の教室、予備校前の自習スペース、土曜日のドトール。同じ大学に行くって決めた日から何度も勉強を見てもらったっけ。凹凸も感情表現も薄めの山口くんの顔が、私が正解するとくしゃっとするのがいいなって思ってた。


「じゃ、俺はここで」

「終わる時間は一緒だよね。帰りは……うーん、あそこのマックでいい?」


 交差点で立ち止まった私は、さっき通り過ぎたばかりのファストフード店の看板を指した。きっとどこのお店も混んでるだろうけど、慣れない土地をうろうろするものじゃない。どうせ明日には新幹線で戻るんだしね。山口くんはあっさり頷いた。

 ここから先、山口くんと私の道はばらばらになる。文系と理系は受験会場が違うのだ。理系が受験するキャンパスは坂の下。私が受ける会場はそこから徒歩五分、ゆるい坂道を上ったところにある。


「もうすぐ本番だと思うとどきどきしちゃうね」

「名前書くの忘れちゃだめだぞ」

「やだ、やんないってば」

「どうだか」


 山口くんはちょんと私の額をつついたかと思うと、ポケットから何かを取り出した。


「浜中、手だして」


 反射的に手のひらを差し出す。ぽとんと落ちてきたのは大きなチロルチョコだった。オレンジ色のパッケージの右端に目と鼻のついた白いもちが描いてある。わあっ。これ大好きなんだよね。


「浜中はきちんと勉強してるのに、ケアレスミスが多いからな。甘いもの食べて気をつけろよ。落ち着いてやれば大丈夫だから」


 ……驚いた。

 山口くんってあまりそういうの言わないから、ついどきっとしてしまった。壊れた人形みたいにがくがく頷きながら大事にチョコをしまう。信号が青になる。人の波が動き始めた。もう、行かなきゃ。


「ありがとう! 私、頑張るからね!」


 横断歩道を渡り終えて振り返る。山口くんが点滅する信号の下で軽く手を挙げた。ぶっきらぼうな動作なのに胸があたたかくなる。バッグの中には受験票、携帯には家族からのお守り、ポケットの中にはチロルチョコ。表紙が破れた単語帳も、高校に入ってからずっと使ってたシャープペンシルも、全部ちゃんと持っている。

 教室の黒板に貼ってあった表にそって指定された席に座る。一緒に受けにきたのか、ひそひそ話し合っている受験生もちらほらいたけど、ほとんどは広げた参考書を熱心に読み込んでいた。いつ試験官の先生たちが入ってきてもいいように机の上をすっかり準備してから、ポケットのチロルチョコを取り出す。包装フィルムから取り出して口に入れると、きなこの甘さが広がっていく。

 ケアレスミスが多いから、気をつけて。

 うん。注意するよ。何度も確認して、後悔しないように最後まで粘るよ。


「九時になりましたので、ただいまより今年度の大学入学試験について説明します。一時間目は英語、二時間目は……」


 だから、春からは一緒に通おうね。私、ずっと山口くんの隣に並びたかったの。いつも私よりしっかりしてる山口くんを追いかけるんじゃなくて、山口くんと同じものを見たかったの。


「それでは、始めてください」


 ――この春、桜は一本しか咲かなかった。

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