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勝負

 勝負


 津瀬岩病院での経緯が気がかりだった流川は、陣華に電話した。陣華たちはどうやら紀伊麻奈の連れ出しに成功したらしい。流川はHOTした。

「私、今ナーススタイルなんだけど、麗人見たい。」

陣華は能天気だ。

(いや、ぶっとい注射されそうで嫌なんですけど。)

「今それどころじゃないんだ。」

「え~、じゃあ写メ送るから、後で見といて。」

「いや、それより黒幕は古畑入香だったんだ。定岡は古畑に脅されていたんだ。そう紀伊麻奈に伝えてくれ。

「だってよ。」

「だってよ、ってスピーカー使って話してるのか。」

「そうだよ。」

「それナイスアイディアだ。こっちもスピーカーに切り替えるから、ちょっと待っててくれ。」

「はいよ。」

流川は携帯電話をスピーカーモードに切り替えた。すると、定岡がいきなり、

「麻奈、ごめんね。こんなことになって私・・・。」

定岡は紀伊が襲われたのは自分のせいだと思ってるらしい。

「定岡さん。紀伊さんが襲われたのは、あなたのせいじゃないと思いますよ。」

「えっ。」

「岡武ってご存知ですか。」

「いいえ。」

「じゃあ、白鳥貴一は」

「誰ですか、その人たち。」

「でしょ。この二人を知る人物が、おそらく紀伊さんを襲った犯人です。」

「どういうことですか、流川さん。」

紀伊が流川と定岡の会話に口を挟んだ。

「詳しいことは後で話しますが、定岡さんは古畑に利用されていたんです。そしてその古畑のバックには、刑事の伊古瀬や近藤組の幹部がついていると思います。あなたを襲った実行犯は別にいると思いますが、そいつらを裏で操っているのは、おそらく伊古瀬です。」

「流川さん何でそんなことわかるんですか。」

紀伊は流川の話しに食いついてきた。

「そいつらが里緒奈を殺した犯人だからです。里緒奈の件を調べていて浮かび上がってきた人物たちです。」

「じゃあ、やっぱり里緒奈は自殺じゃなかったんですね。」

「僕はそう確信しています。ねえ紀伊さん、定岡さんを許してあげてください。里緒奈と無理矢理引き離されて、あなたも辛かったと思いますが、古畑に脅されてずっと利用されていた定岡さんも辛かったと思いますよ。」

「わかりました。美姫、もうこれまでのことは水に流すから、これからは仲良くやってこ。」

「ありがとう、麻奈。」

(いやあ、美しき友情だ。でも一つ気になることがあるから、定岡に確認しないと。)

「ところで定岡さん。伊古瀬と面識があったのは、里緒奈の会社での様子を聞きに来たからじゃないですよね。どうやって伊古瀬と知り合ったんですか。」

定岡は答えにくそうにしている。

「話してください。僕はあなたを助けたいと思っています。隠さず正直に話してもらわないと手が打てません。」

「わかりました。実は私、ネットで麻薬を購入しようとしたんです。数週間前、〈絶対バレません。試してみませんか?〉っていうメールが突然入って来たんです。ほんの軽い気持ちで購入しようと思ったんです。注文を入れるのに必要なのは住所の入力だけでした。二、三日してコインロッカーの鍵と駅名が入った紙が送られて来ました。それを受け取って5分後くらいに、〈代金は商品を確認された後で結構です。〉というメールが送られて来ました。それで、駅のコインロッカーに確認しに行きました。ロッカーを開けた瞬間、伊古瀬に腕をつかまれて、〈現行犯です。署までご同行いただけますか。〉って言われました。警察でいろいろ調べられて、〈薬物反応は出なかったので、あなたの行為は不問にできる。私の言うことを聞いてもらえますか。〉って伊古瀬に言われ、言うと通りにしてきました。」

「なるほどね。その件に関して一つ聞きたいことがあります。その後、麻薬の代金は請求されましたか。」

流川は尋ねた。

「いいえ、その後何の音沙汰もありません。」

定岡はそう答えた。

「やっぱり。たぶんその麻薬販売自体伊古瀬のヤラセです。その後麻薬を販売していた犯人が捕まったと伊古瀬は言っていましたか。」

「いいえ。」

「だとしたら、犯人は代金を請求するか、物の返還を要求するはずです。また、伊古瀬に本気で犯人を捕まえるつもりがあるなら、犯人を捕まえるためにあなたを利用するはずです。しかし、あなたがやらされたことはそれとは関係のないことばかり・・・違いますか。」

「流川さんのおっしゃるとおりです。」

「最後に一つだけ。古畑に麻薬をやってみたいようなことをほのめかしたことはありますか。」

「この間、大学生が大麻を栽培していて捕まった事件がありましたよね。そのとき私、〈大学生がはまっちゃうんだね。どんな感じなのかな。一度やってみたい。〉って言いました。」

「麻薬販売のメールが入ってきたのは、古畑にそれを話す前ですか、それとも話した後ですか。」

「話した後です。」

「これではっきりしたな、陣華。」

「何がはっきりしたの。」

「お前、話聞いてた?」

「聞いてたよ。」

「だったら、わかるだろ。」

「わかんないよ。」

「じゃあ、続きはwebで、じゃなくて、対策本部に着いてからだ。」

「対策本部ってどこ?」

「お前のマンション。」

「いつから私のマンションは対策本部になったんですか。」

「たった今から。」

「勝手に人ん家対策本部にしないでくれる。」

「まあ、あれだけ広いんだから、いいじゃねぇか。こっちの車とそっちの車、合わせて6人だ。俺の部屋じゃ〈もうたくさんです。〉って感じだけど、お前の部屋なら〈まだまだウェルカム〉って感じだろ。」

「まあいいか。じゃあ、家に集合ってことで。」

「さすが陣華、太っ腹。で、そっちは今どこ走ってんの。」

「はあ、太っ腹ってどういう意味よ。陣華がブーデーだとでも言いたいの。」

「はあ、太っ腹って言うのは度量が大きいっていう意味の慣用句だ。」

「あっ、そうなの。」

「お前、バカじゃん。本当に大学出てんのかよ。高卒の俺より頭悪そうじゃん。」

「はあ? パパの力っていうか、金の力っていうか、とにかく大学出てんだよ。」

(ヤバイ。陣華がキレ始めた。とりあえず、ここはおだてておかないと。)

「いやあ、それにしても、よく紀伊さんを連れ出せたよな。さすが陣華。」

「でしょ。」

(こいつ単純だ。結構扱いやすい。昔はさんざんこいつに苦しめられたけど、今はいろいろ利用できる。)

「うん、凄ぇよ。どうやって連れ出したんだ。」

「聞きたい。」

「おお、聞きたい、聞きたい。」

(本当はどうでもいいけど・・・。)

「まず、私と亜由がナースの格好して、瑠香は車で待機。運転手がナース服着てたら変でしょ。」

「お、おお。それから。」

「正面から入ると受付を通らなくちゃなんないから、裏口を確認して、そうしたら、鍵が開いてたんでそのまま進入。病室は麗人から聞いてわかってたんで、そのまま直行。麗人はトイレにでも連れて行くフリしてって言ってたんだけど、ここが私の頭のいいところで、見張りが追ってきたら、そいつエレベーターに乗るだろうからわかるじゃん、とか思って、誰も乗って来なかったんで、そのまま裏口に直行。」

「そんなのエレベーターが上に行ったか、下に行ったか確認して階段で追いかけて来るかもしれないだろ。」

「残念でした。そんなの陣華はお見通し。だから私はエレベーターで下りて、亜由は階段で下りて、裏口で合流しました。見張りなんていなかったよ。」

(まずいな。亜由が階段で下りたなら、〈私の後をつけてくれば、私たちがどこから病院を抜け出すかわかりますよ〉って見張りの奴に教えているようなもんだ。津瀬岩病院は伊古瀬が指定した病院じゃなかったわけだから、見張りの奴もそこで陣華たちを捕まえて、事を荒立てるようなことはしないだろう。だとすると、陣華たちの車は尾行されているかもしれない。)

「陣華、予定変更。今どこ走ってる。」

「え~っ、陣華道あんまり詳しくないからわかんない。瑠香、ここどこ。」

「あっ、麗人さん。今明治通りを池袋から新宿へ向かって走っています。」

「お前、麗人のことファーストネームで呼ぶなって言っただろ。」

「うるさい。今はアンタより私のほうが役に立ってるの。少し黙ってて。」

「ごめん。」

(おお、陣華が瑠香に言い負かされたぞ。瑠香も怒らせるとヤバイかもしれない。)

「瑠香。目白通りはもう越えたか。」

「いいえ、まだです。」

「じゃあ、目白通りを左折してくれ。それでしばらくまっすぐ行くと、右手にリーガロイヤルホテルが見えてくるから、それを越えた交差点でUターンして、目白駅に向かってくれ。」

「わかりました。」

「俺らも近くを走ってるから、目白駅で合流だ。そっちの車の色、車種、ナンバーを教えてくれ。」

「シルバーのハイエースです。ナンバーはレンタル契約書を確認するのでちょっと待ってください。」

瑠香はレンタル契約書の入ったファイルを陣華に渡し、

「そのファイルの一番上の紙にナンバーが書いてあるから、麗人に教えてあげて。」

(こいつ俺のことファーストネームで、しかも呼び捨てしやがったぞ。陣華が黙ってないだろ。)

「わかった。麗人、ナンバー言うよ。」

(あれぇ~。陣華がすんなり瑠香の言うことに従ったぞ。)

「お、おお。ちょっと待って。定岡さん。そこにメモ用紙とペンがあるから、控えてもらっていいですか。」

「わかりました。どうぞ、陣華さん。」

「練馬301、わの○○‐○○です。」

「OKです。控えました。」

「ありがとうございます、定岡さん。瑠香、目白通りでUターンする際、追跡してくる車がないか確認してくれ。」

「どういうことですか、麗人さん。」

(おい、今度は〈麗人さん〉かよ。呼び捨てしたり、さん付けしたり、どっちでもいいから統一してくれよ)

「その車は病院から病院からずっと尾行している可能性が高い。俺の車に盗聴器を仕掛けたんだ。陣華は見張りがいなかったと言ったが、奴らがそう簡単に紀伊さんを連れ出させるはずがない。だとすれば、わざと連れ出させて後をつけていると考えるのが自然だ。」

流川の読みどおり、黒いセダンが陣華たちの乗った車の後をつけてきていた。

「麗人の言った通り、尾行されてたみたい。なのに、成功したと思って浮かれてて、陣華超情けない。」

「いや、お前はよくやってくれたよ。紀伊さんが病院にいるより、今の状況のほうが数段に安全だ。ここから先は俺の仕事だ。」

「ほんと。」

「ああ。」

「じゃあ、ご褒美くれる。」

「ご褒美って何だよ。」

(どうせカッパがらみだろ。)

「流川探偵事務所をつくって、陣華を雇ってほしいの。ここ何日かの麗人を見てて、麗人絶対に探偵に向いていると思うし、そこで陣華が働けば、私はニートじゃなくなれるし、一石二鳥でしょ。」

(なに~。カッパじゃねぇのか。この要求は無理そうだな。にしても、こいつさっきの慣用句の件、根にもってるのか。〈一石二鳥〉だって。)

「それはちょっと無理かな。俺、江口商事辞める気ないし。社長、脳天は薄くなってきてるけど、あれでもまだまだ現役だ。社長が引退するまで働くよ。社長には世話になってるし。」

「あんな脳天ハゲに気つかって才能を棒にふることないよ、麗人。」

(今度は〈棒にふる〉か。やっぱこいつ意識してしゃべってるな。こいつと知識勝負でもしてみるか。おっと、その前に瑠香に指示を出さないと。)

「陣華、ちょっと待ってな。瑠香、俺らは今、目白駅の近くに路駐してる。俺の車が見えたらスピードを上げてくれ。お前らの車と尾行してる車の間に入り込むから。それで俺は尾行車を足止めするから、その隙に陣華のマンションへ向かってくれ。で、俺はそれを巻いてから陣華のマンションへ行く。」

「わかりました。」

「じゃあ、陣華。さっきの話の続きだ。お前が俺の才能を評価してくれてるのはありがたいけど、生兵法は大怪我のもとって言うだろ。中途半端な知識じゃ本業として成り立たねえよ。俺には湯沸かし器の販売がお似合いだよ。」

「そんなのやってみなきゃわかんないじゃん。犬も歩けば棒にあたるって言うでしょ。やってみようよ。江口商事は続けて、副業でやればいいじゃん。」

「そんな二足のわらじをはくようなまねできねぇよ。」

「だって、江口商事の仕事って、フラフラして、パチンコやって帰るだけでしょ。悪銭身につかずよ。」

「何でお前そのこと知ってるんだよ。まさに壁に耳あり障子に目ありだな。」

「里緒奈から聞いたの。江口社長が知ったらどうなるかな。知らぬが仏ってやつね。知ったらクビになっちゃうかもね。」

(里緒奈も知ってたのか。)

「お前、それ江口さんに密告(チク)るつもりかよ。まあ、言いたきゃ言えよ。後は野となれ山となれだ。」

「いつまでも江口商事なんてちっぽけな会社にいたってしょうがないでしょ。井の中の蛙大海を知らずよ。」

「いや、蛙の子は蛙だ。うちの親父だってずっと中小企業でがんばってたし。」

(なんかおもしろくなってきたぞ。江口商事なんて正直どうでもいい。里緒奈の件さえ片づけば、後はどうでもいいと思ってた。でもどうでもよくないことが一つ見つかったぞ。この知識勝負絶対に負けたくねぇ。)

そのとき、陣華たちの乗ったハイエースがルームミラー越しに見えた。

「陣華、中断だ。そっちの車、もうすぐ目白駅だろ。瑠香、スピードを上げろ。」

「わかりました。」

瑠香はアクセルを踏み込んだ。後をつけていた黒いセダンもスピードを上げ始めた。二台の車の間には3~4mのスペースしかない。流川は後輪をホイールスピンさせながら二台の車の間に無理矢理入り込んだ。

「よし、なんとか入り込んだぞ。瑠香、そのまま陣華のマンションへ向かってくれ。」

「わかりました。麗人さんはどうするんですか。」

「後ろの黒いセダンとカーチェイスだ。陣華、運転に集中したいから、勝負・・・じゃなかった話の続きはあとだ。電話切るな。

「わかった。陣華、負けないから。」

(〈負けないから〉だと。やっぱり奴も意識してしゃべってたか。よし、正当な手段で高校を出た俺と、不正な手段で大学まで出た陣華のどっちがお勉強できるか、後ではっきりさせてやる。さて、後ろの車はどうしたもんかな。)

「ところで、定岡さん。」

「はい。」

「ジェットコースターとか好き?」

「いえ、どちらかというと苦手です。」

「じゃあ、乗り物酔いとかする人?」

「車の揺れが激しかったりすると酔います。」

(ゲッ、車ん中でゲロされたら嫌だな。)

「これから、かなりスピードも出しますし、かなり揺れもします。怖かったら目をつぶっててください。」

定岡は首を振り、

「私のせいでこんなことになって、私のために流川くん動いてくれてるんだもん。しっかりみてなきゃ。」

(いや、お前のために動いてるんじゃなくて、里緒奈のために動いてるんだけど・・・。)

「わかりました。じゃあ、どこかにつかまっててください。」

「はい。」

「って、どこつかんでんですか。」

定岡は流川の左手をつかんでいた。

(期待した読者のみなさん。残念でした。下ネタにはもっていきませんよ。)

「えっ、だってどこかにつかまってって・・・。」

「左手をつかまれたらシフトチェンジできないでしょ。左上かドアの手摺につかまってください。」

「あっ、そうなの。それならそうといえばいいのに・・・。」

「普通わかるでしょ。」

「ごめんなさい。」

(不思議なもんだ。さっきまでふてぶてしく思えた定岡が、今では健気に思える。やっぱ、これからの調査に先入観は禁物だな。無口だと思っていた古畑も悪者だったわけだし。しかし、古畑が無口なフリをしていたのが気になる。定岡をボスと思わせるためか、それとも盗聴器の俺らの声を拾いやすくするためか。いや、どちらも違う。とにかく、今は運転に集中するか。)

 陣華たちの乗った車はもう姿が見えない。

「陣華のマンションへ向かうなら左へ曲がるはずだから、右に曲がってみるか。」

流川は独り言のようにそう呟いてハンドルを右へ切った。黒いセダンも後を追ってくる。

「どこで仕掛けるか。」

またまた流川は独り言のように呟いた。

「とりあえず奴の運転(ドラ)技術(テク)を試してみるか。」

流川はそう言うと、ハンドルを右へ切りサイドブレーキを引いて180度ターンして来た道を戻った。後ろの車もついてはきたが、ターンの際にフロントバンパーの左端を縁石に擦った。

「定岡さん。」

「はい。」

「今くらいの揺れはOKですか。」

「はい、大丈夫です。」

「それから、あんまりスピード出さなくて済みそうですよ。後ろの奴ら運転下手糞ですから、簡単に撒けます。」

「流川くん運転上手なの?」

「定岡さんギャンブルやります?」

「いいえ、宝くじを買うくらいです。」

「じゃあ、賭けてみませんか。僕が奴らを撒いて、陣華たちより先に着けなかったら、定岡さんの言うこと何でも聞きますよ。その代わり、もし陣華たちより早く辿り着いたら、僕らに協力して、里緒奈を殺した犯人を捜すのを手伝ってください。たぶん定岡さんの持ってる古畑情報は役に立つ。」

「いいですよ。流川くんを私の言いなりにできるのか。楽しみ。」

「そういう台詞は、賭けに勝ってから言ってください。じゃあ、行きますよ。次の交差点を右折したら、しばらくスピードを緩めます。その後タイミングを見計らってスピードを上げます。スピードを上げてすぐ急ブレーキを踏みます。そのあと、車が横になってGがかかりますから、身体を左に傾けてください。」

「何をする気なのかわからないけど、おもしろそう。楽しみ。」

 その後、流川は交差点を左折してスピードを緩めた。その先の信号が黄色になった瞬間流川はアクセルを深く踏み込んだ。後ろの車も急いでアクセルを踏んだ。その瞬間、流川は急ブレーキを踏んだ。荷重が前に移動し、後輪がロックした瞬間、流川はハンドルを左に切り、アクセルを入れた。後ろの車は急ブレーキを踏んだまま止まってしまった。流川の車はきれいに半円を描くように左折した。後ろの車が走り出そうとしたときには、、逆の信号が青になり、他の車が走り出していたので、流川たちを追うことはできなかった。

流川が(よし、この勝負俺の勝ちだ。)と思った瞬間、パトカーのサイレンが聞こえた。パトカーは流川の後ろにつけて、

「赤いセフィーロの運転手さん。左に車を寄せて止まってください。」

と流川の車を止めた。

「くそ、何でこんなタイミングよくおまわりがいるんだ。」

流川は悔しそうに言った。定岡は助手席で笑っている。警官は、流川に窓を開けるよう促した。流川は窓を開け、

「おまわりさん。僕何で止められたんですか。信号はギリセーフだったと思うんですけど。」

流川はすっとぼけた。

「いやあ、きれいなドリフトだったね。理想的なラインだったよ。結構やってるね。」

警官はフレンドリーに話してきた。ドリフトがバレてるなら仕方ないと思った流川は、

「違反切符切るなら、早くしてくんない。急いでるんだけど。」

と開き直った。

「では、エンジンを切って免許証と車検証を出してください。」

警官の口調は事務的なものに変わった。そして、流川から免許証と車検証を受け取ると、違反切符に必要事項を書き始めた。その間、流川は黒いセダンの様子をうかがっていたが、こちらへ曲がってきた様子はない。警官が流川の車を止めたのに気づき、そのまま直進したのであろう。

 違反切符の記入が終わり、警官は流川にサインと捺印を要求した。

「印鑑をお持ちですか、お持ちでなければ拇印・・・。」

「持ってるよ。」

流川は警官の話を遮って、感じ悪く言った。

(こんなところで拇印を押して、警察に指紋をとられてたまるか。これから俺には重要な任務が待ってるんだ。)

流川は違反切符に雑にサインし、印鑑を押した。警官は違反切符の控えを流川に渡し、

「安全運転でお願いしますね。」

と言ってパトカーへ戻った。警察のせいで15分ロスした。

(どうするか。もう数分で陣華たちはマンションに着くだろうし、今から高速に乗っても10分以上かかるだろう。負けたら定岡の言いなりか。こいつ俺に何させる気だろう。俺、こいつのことよく知らねぇから、予想つかねぇな。陣華だったら予想がつくんだけどな。あ~あ、瞬間移動とかできねぇかな。)

「ねぇ、定岡さん。向こうの状況を電話で確認するのはアリ? この勝負ルール決めてなかったから。」

「構わないですよ。」

「じゃあ、その電話で回り道するように誘導するのは?」

「あれぇ~、流川くんこの勝負始める前は自信満々だったよね。怖気づいちゃったかな。好きにしていいわよ。」

(何だこいつ。自分だって古畑の仕掛けた盗聴器に気づいたときはビビッてたくせに。調子に乗り出しやがった。俺のこと〈流川さん〉って呼んでたのに、いつの間にか〈流川くん〉になってるし・・・。セコイ手を使うのは俺のプライドが許さねぇ。こうなったら、正々堂々と勝負して、負けたら、こいつの言いなりになってやろうじゃねぇか。)

流川は裏道に入ってスピードを上げた。

「あれぇ、陣華さんに電話するんじゃなかったの?」

「やめた。汚ねぇ手を使って勝ってもおもしろくねぇし・・・。でも絶対に最後まで諦めねぇ。」

定岡は、流川が意外に真面目で、芯の強い男だと感心した。というより、それは流川に対する恋心であったのかもしれない。しかし、このとき定岡は自分の感情がそのどちらなのか自分でもよくわからなかった。

 裏道に入ってしばらくすると、流川の携帯に陣華から電話が入った。

「あっ、もしもし麗人。今着いたんだけどさぁ、マンションの近くに車停めておいたらヤバくない。油断も隙もならないわよ。」

(〈油断も隙もならない〉? ああ、そんな勝負もあったね。でも今こっちはそれどころじゃねぇんだ。お前の電話で俺の負けが確定したんだ。定岡に何要求されんだろ。とりあえず陣華の方は適当にあしらっとくか。)

「そうだな。じゃあ、すぐ近くのセブンイレブンで待っててくれ。こっちも飛ばせば10分もかからないんだけど、奴らが近くを走ってるかもしれないから様子を見ながら行くから。急がば回れってやつだ。」

(本当はお前の電話で負けが確定したから飛ばす気にならないからだけどね。)

「わかった。じゃあ、首を長くして待ってるね。」

「ああ、待てば回路の日和ありだ。じゃあ切るな。」

流川はそう言って電話を切った。

 「定岡さん。聞いての通りです。僕の負けです。何でも言ってください。」

「そうねえ、じゃあ流川くんが言ったように、私をあなたたちの仲間にして、私のことを守ってちょうだい。」

「えっ、そんなんでいいの。」

「ダメに決まってるじゃない。それじゃあ罰ゲームにならないもの。」

「じゃあ何をすればいいんだよ。」

「そうねえ、これからは私のことを〈定岡さん〉じゃなく、〈美姫お嬢様〉って呼んでもらおうかな。」

「え~、陣華たちの前でもそう呼ぶの?」

「そんなのあたりまえじゃない。」

(こいつメチャクチャ性格悪いな。陣華のほうが感じ悪くないじゃないか。)

「はい、じゃあ練習してみましょうか。〈美姫お嬢様〉とお呼び。」

「み、みき・・・お嬢様。」

「ダメよ。そんな棒読みじゃ。もっと感情を込めて。」

「みきおじょうさま。」

「さっきよりは少し良くなったけど、まだまだ感情がこもってない。はい、もう一回。」

「美姫おじょうさま。」

「ん~、今のは感情こもってたけど、お嬢様を呼ぶときの感情じゃない。もう一回呼んでくれる。」

(何なんだこいつは。今のはどんな感情がこもってたんだよ。だいたいお嬢様を呼ぶときの感情ってどんな感情だよ。俺、執事じゃねえからわかんねえぞ。そう考えるからいけねぇのか。定岡をお嬢様だと思って・・・。)

流川は定岡を見つめた。

「なによぉ。人の顔ジロジロ見て。」

そう言って定岡は顔を赤くした。

(やっぱこいつはお嬢様って感じじゃねぇよ。里緒奈だったらイメージぴったりなんだけどな。そうか、里緒奈を思い浮かべて呼んでみりゃあいいのか。)

「美姫お嬢様。」

「そう、それでいいのよ。合格。これからはそうやって呼んでちょうだい。」

(え~、これからこいつを呼ぶたびに里緒奈を思い浮かべんの。ってさっきから俺は何をやってるんだ。バカかよ。)

 流川と定岡がこんなくだらないやりとりをしているうちに、セブンイレブンが見えてきた。陣華たちの車の右隣りが空いていたので、流川はそこに車を停めた。

「定岡さん、みんなの分の飲み物を買って来るので、向こうの車に乗って待っててください。」

定岡は黙ったまま答えない。

(こいつ古畑の真似でもしようってのか? ああ、そうか。〈美姫お嬢様〉って呼ぶんだったな。アホくさ。でも勝負に負けたわけだし、約束は約束だ。)

「美姫お嬢様。飲み物を買ってまいりますので、あちらの車でお待ちいただけますか。」

「いいね今の、流川くん。だんだん板についてきたじゃん。執事っぽくなってきたよ。」

(〈板につく〉? こいつも俺に知識勝負を挑んでるのか。勝ったらお嬢様の件なんとかなるかな。後で話をもちかけてみよう。)

 流川は適当に飲み物を見繕って、陣華たちの車に乗り込んだ。

「さあ、どうするか。とりあえず、この車は返してしまおう。紀伊さんと陣華と、定・・・、美姫お嬢様は、俺とこの車で陣華のマンションへ向かう。」

「ねえ、美姫お嬢様って?」

陣華が真っ先に突っ込んだ。

「美姫お嬢様は美姫お嬢様だよ。大事の中に小事なし。細かい詮索は後だ。とにかく動けない紀伊さんをマンションに連れて行って、その後俺と陣華でレンタカーを返しに行く。亜由と瑠香は俺の車を少し離れたパーキングに停めてきてくれ。」

流川がしゃべっている間、陣華は定岡を指差し、〈美姫お嬢様ってこいつのこと〉と言わんばかりの素振りをしていたが、流川は無視して話を続けた。

「あの~、私の免許オートマ限定なので、麗人さんの車運転できないんですけど。」

瑠香がそう言うと、陣華は

「お前役に立たねぇじゃん。だったら麗人をファーストネームで呼ぶな。」

と啖呵を切った。

「陣華。好きに呼ばせればいい。さっきの黒いセダンがうろついてるかもしれないから、善は急げだ。瑠香が俺の車を運転できないのなら仕方がない。二台で陣華のマンションへ向かって、紀伊さんを陣華の部屋へ連れて行ったら、俺と瑠香の二人で車を返しに行ってくる。」

流川がそう言うと、陣華は、

「そうは問屋が卸さねぇんだよ。麗人と瑠香の二人きりで行かせるわけねぇじゃん。」

と言った。今度は瑠香も黙ってない。

「あんた運転できないんだから、来てもしょうがないでしょ。お留守番しときなさい。」

「お互い火花を散らし合ってても仕方ないだろ。急いでるんだ。車は三人で返しに行けばいい。とにかく陣華のマンションへ行くぞ。」

流川はそう言って二人のバトルを遮り、一同は陣華のマンションへ向かった。

 マンションに着き、やはり定岡と紀伊はその豪華さに驚いた。

「陣華さん、ここに独りで住んでるんですか。」

定岡は興味津々といった感じだ。

(そういえばこいつお嬢様志望だったな。実は陣華は超お嬢様なんだぞ。人は見かけによらないだろ。恐れ入ったか定岡!)

と流川は心の中で言った。

当の陣華は、

「そうだけど。」

とあっさり答え、さらに、

「なんだったら、定岡さんここに住む」

と言った。

定岡は目を輝かせて、

「本当ですか。是非。」

と言った。

「まあ、しばらくはここにいる全員がここで暮らさなくちゃなんないから、事件が片づいたら、自由にここを使いな。」

陣華がそう言うと、定岡は、

「ありがとうございます。陣華様。」

と陣華に礼を言った。

(陣華様だと! 定岡をお嬢様と呼ぶ俺は、陣華を何と呼べばいいんだ。おっと、今はこんなアホなこと考えてる場合じゃなかった。急いで車を返して来ないと。奴らに見つかったらマズイしな。)

「陣華、瑠香。とっとと車を返しに行くぞ。こんな車を残しておいても隣の宝を数えるようなもんだ。亜由、美姫お嬢様、紀伊さんを頼むな。」

「さっきから何なの。美姫お嬢様って何。お茶を濁さないできちんと説明して。」

陣華はなぜ流川が定岡をそう呼ぶのか気になって仕方がない様子だ。

「言わぬが花って言うだろ。どうしても知りたいなら、美姫お嬢様本人に聞けよ。俺に聞くのはお門違いだ。それよりとっとと行くぞ。」

そう言って流川は陣華のマンションを飛び出していった。陣華と瑠香は仕方なくそれに続いた。

 流川は一足先に下へ降り、自分の車に乗り込んで二人を待っていた。二人が流川の車へ向かって歩いてくるのがわかると、流川はエンジンをかけ、窓を開けた。二人が近づいてくると、流川は、

「早くしろ。いつまでもここに車を停めておいて、近所の奴に通報でもされたら厄介だ。念には念を入れよ。用心に越したことはない。」

と言って二人を急がせた。

「瑠香、二台連なって走るぞ。もし途中でさっきの黒いセダンに遭遇したらまずいから。」

「わかりました。」

「で、大は小を兼ねると言いますんで、そちらの大きな車で行かれますか、陣華お嬢様。」

「なんかその言い方癇に障る。杓子は耳掻きにはならないのよ。麗人の車で行くに決まってるでしょ。」

そう言って陣華は流川の車の助手席に座った。

「だそうだ、瑠香。悪いけど、独りで乗って行ってくれ。それから、さっきみたいに携帯を無線代わりに使おう。あっ、あと瑠香が前を走ってくれ。瑠香に後ろを走らせて、他の車に間に入られたら困るから。後ろは気にせず、自分のペースで走っていいぞ。必ずついていくから。」

「わかりました。」

「じゃあ、電話かけるから、車に乗ったら出てくれ。そのまま繋ぎっぱなしにしておこう。」

「はい。」

 こうして三人はレンタカー屋へ向かった。レンタカー屋までは何事もなく、無事に辿り着いた。ただ、陣華は〈美姫お嬢様〉の件が気になって仕方がないらしく、流川に執拗に迫った。また、瑠香もそれが気になるらしく、それとなく流川から聞き出そうとしていた。しかし、流川はかたくなに口を閉ざしていた。

 レンタカーを返すと、流川は定岡に電話した。短い時間とはいえ、陣華のマンションの近くに車を停めていたので、向こうの様子が気になったからだ。

「あっ、美姫お嬢様でいらっしゃいますか。」

陣華があまりに気にするので、流川は面白がって続けた。

「執事の流川でございます。」

「執事って?」

と陣華が横から突っ込んだが、流川はそれを無視して続けた。

「こちらの方は無事終了いたしました。ところで、そちらのご様子はいかがですか。」

「別に変わったことはなくてよ。それより麗人、早く帰って私の世話をなさい。」

定岡も調子に乗ってそう答えた。そのとき、

「ちょっと貸して。」

と言って陣華は流川から携帯を取り上げ、定岡に尋ねた。

「ちょっと美姫さん。お嬢様とか執事ってどういうわけ。」

「あっ、陣華さん。実は・・・。」

その後定岡は、一切の事情を陣華に話した。

「そういうことか。麗人、あんた最近運が落ちてきてるんじゃないの。このまま負けグセがついたら大変よ。もうパチンコはやめなさいよ。一文惜しみの百知らずっていうでしょ。先のこと、将来のことを常に考えて行動しなくちゃ。だから将来のことを考えたら、探偵事務所の設立しかないって。」

陣華がそう言うと、流川は、

「それこそ絵に描いた餅だって。だいたい、こんな事件がそうしょっちゅう起こるわけないだろ。それにたとえ起こったとしても、普通探偵事務所じゃなくて、警察に相談するだろ。探偵の仕事なんて、浮気調査とかが関の山だ。俺、他人の恋路に興味ねぇし。お前、マンガやドラマの見すぎなんだよ。」

と答えた。

(でも、確かに陣華の言うとおり、俺の運落ちてきてるかもな。付き合い始めて半日足らずで、里緒奈を失って、伊古瀬みたいなバカ刑事には出会ってしまうし、大嫌いな警察に車止められるし・・・。〈負けグセ〉がつくだと。陣華との勝負は絶対負けねぇ。そして、勝った暁には、その台詞そのままそっくりお前に返してやる。)

「あっ、それより定・・・、美姫お嬢様。すぐに戻りますので、たとえ誰が来ても鍵は開けないでください。それと、帰ってからうかがいたいことがいくつかあるのですが、今日はもう遅いですから明日にしましょう。」

流川は陣華から携帯を取り返し、定岡にそう伝えた。〈うかがいたいこと〉というのは当然古畑のことで、流川はすぐにでも聞きだしたかったが、疲れがたまっているので、聞き出したことを頭の中で整理できないだろうと思い、〈明日にしよう〉と提案したのである。

「わかった、麗人くん。早く帰ってらっしゃい。」

(〈麗人くん〉だぁ。また火種が増えたぞ。陣華の前でそう呼んだら、奴は黙ってないだろ。)

「わかりました。ではまた後で。」

 一同は陣華のマンションに着くとすぐに床に就いた。さすがにいろいろあって全員が疲れていた。既存の陣華のベッドは安静にしていなければならない紀伊が使い、瑠香の店から買い取ったキングサイズのベッドを組み立てて残りの女子4人が占拠し、流川はあいかわらずソファーで寝る羽目になった。だが、流川の家のソファーと違い、陣華の家のソファーはフカフカで、流川は4日ぶりに熟睡できた。




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