終わらない悲しみ
私はその日から基地内で生活することになったのだが、不自由はなかった。
兵舎の部屋をひとつ貸してもらった。
ただ、部屋には鍵がかけられ、そのただ1つの鍵を持っていたのは兄だった。
木の的に向けPPKの射撃練習をしたり、隊員と話したり、基地内を散歩したり...
とりあえず自由だった。
そんな生活を送っていたある日のこと。
「そうだ、君は聞いたかな?」
「何をですか...?」
「君の母さん、死んだよ。」
その言葉はあまりに無情に放たれたた。
「えっ...!?」
「あはは、情報収集の能力はまだまだだねっ」
「うそ...いつですか!?」
「この間、自爆テロで。」
そう、兄の友人が死んだあのテロだ。
「いつ聞いたんですか?!」
「あの翌日。」
「何で言わなかったんですかっ!!」
私は激怒して、机を叩いて勢いよく立ち上がった。
「おお、怖い怖い。いやぁ、いつ気づくかな~、って思って。案外遅かったね?」
「黙って下さい!やっぱり貴方は最低の人間です!」
「あ、よかった。人間なんだ。一応。」
「人間以下ですっ!!」
そう言って私は右の腰にあるホルスターに入ったPPKに手をかける。
「いくら射撃の腕が上がろうが、君の銃弾は僕に致命傷を負わせることは出来ないよ。」
「何でそう言い切れるんですか....」
今にも銃を兄に向けんとする感情を抑えつつ聞く。
「君がまだ弱いから。」
「っ....!」
「試しにほら、撃ってごらん?」
「でも...」
「君が撃たないなら、撃っちゃうよ?」
そう言いながら兄はあのベレッタM98と私のと同じモデル、ワルサーPPKを取り出した。
「動かないで下さいっ...!」
「ん~?」
笑いながらM98を自分の頭に、PPKを私の方に向けた。
「さあ、撃っちゃうよ?」
そういうと兄は引き金を引き始めた。
「ほら、撃ってみなよ。」
もう撃つしかなかった。
火を吹いたPPKから発射された弾は兄のM98を飛ばした。
「ん?そこじゃないだろ?」
もう一発。次は外れた。
続けざまに3発目。これは兄のワルサーに命中。
呆れたように兄が放った。
「僕は君の親を殺した。そんな人間を生かしておくのか?君は。」
その時少女が頭の中に浮かんだ。
彼女もまた、今の私と同じ心境だったのだろうか。
しかし一つだけ違う点がある。
私は、一度この人を好きになった。
そしてきっといつか、またあの日の笑顔を見られると信じている。
だから私はこの人を撃てない。
「何があった!開けろ!」
外から兵達の声がする。
「ちょっと待とうよ、そう焦らなくても。」
兄はそう言って扉を開ける。
「今銃声がしたぞっ!」
「ああ、これをメンテナンスしてたら安全装置が外れて吹っ飛んでね...」
「まったく...気をつけろ!」
「はいはい、僕だって何も好きでそんなサプライズしないよ。」
「ふぅ...」
ため息をつくと兵士達は出て行った。
「何で今私が撃ったと言わなかったのですか?」
「ん?いや...」
「何でですか?」
「しつこいなぁ、君は。」
そう言って床に落ちたベレッタM98とワルサーPPKを拾い上げた。
「そら、やるよ。」
2丁の拳銃が私目掛けて投げられた。
「うわっ!?何するんですかっ!?」
「はは、次からはサイレンサーを着けて使え。」
「次なんてないですっ!」
兄は手を振りながら部屋を出て行った。
私は渡された2丁の拳銃を見た。
兄のM98は相当使いこまれたのであろう、ちょっとだけトリガーが柔らかい。
銃身には「F.S」の文字が。兄の名のイニシャルだ。
その銃は兄と共に歩んできた。
そして刻み込まれた無数の傷は、どれほど過酷な戦場を戦い抜いてきたかを物語っていた。
そのうちの1つが今の騒ぎのものであろうが、どれかは分からなかった。
そしてPPKのほうを見ると...
「L.I」の文字があった。私の名のイニシャルだ。
比較的新しく、恐らく新品だったのであろう。
そのイニシャルの横には傷が1つ。
この傷を最初に、これから私はこの銃と共に歩むことになるんだなぁ...
そう思った瞬間。
「それで、君母さんの様子見に行かなくていいの?」
ドアの向こうから声が。
「あっ!」
慌ててドアを開け、走って出て行こうとしたとき。
「甘い。」
兄が立っていた。
「どいてくださいっ!」
「君はどこの遺体安置所にいると思っている。」
「家の最寄のです...」
「違う、あの病院だ。」
「えっ....?」
「あの何も無い病院に、今君の母はいる。」
「何でですかっ!?」
「僕が運んだ...と言ったら?」
「どうしてですかっ!いいからどいてくださいっ!」
「あはは、好きにするといいよ。」
そう言って兄は私を通してくれた。
私は走った。
病院に向かう途中、あの道で少女が見えた気がした。
それ以外は特に何も考えず、病院に向かった。
病院に入った途端、私の足は止まった。
そこは廃墟だった。
恐る恐る奥へ。
そこで背中側から声がした。
「君、部屋はわかってるのかな?」
驚いて後ろを向く。
いない。
「おーい、聞いてるかー」
背中に触れてみる。
無線機だ...
「何でもいいんですけどね、勝手に無線機をつけないで下さい。」
「あはは、どうせ迷うだろうと思ってさ。」
兄なりの気遣いだったのだろう、私は少し嬉しく思った。
「迷いました。」
「2階の216号の奥のベッド。」
「...ありがとうございます」
ぼそっと呟いた。
「ん?今何て?」
「いいんですっ!」
そう言って無線機の電池を抜くと、言われた部屋に向かった。
「216号室...ここだ...」
ゆっくりとドアを開ける。
鼻を突く強烈な臭い。
その部屋の奥にいたのは確かに母だった。
私は横たわった母に抱きついた。
「母さん、ありがとう。そして...安らかに。」
そう言って私は母をその場で焼いた。
悲しさなんてなかった。
私はもうこの人に執着してはいけない。
前を向いていなければならない。
母の死を乗り越えるのは容易だった。
しかしこの先、私にはさらなる試練が待ち受けていた。