「友屋さんの家」 その1
道屋になって道を作っても、「自分自身の帰り道」だけは作ることができない。
そのことを知らされた友也は、がっくりと地面に膝を突き。そこからさらに、両の手の平も地面に付けて。頭を下げて、流れるように土下座の体勢へと移行した。
「道屋さん。このたびは、本当にご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。……心から反省してますんで、かっぱらいのこと、どうか、トガカリさんには訴えないでいただけたらありがたいと――」
まことに図々しいお願いではあるが。でも、これだけは頼んでおかないと。
トガカリさん。日替わりで町の規則を決める、おまわりさん、兼、裁判官、兼、刑の執行人。
本日の日替わり規則と刑罰が、かっぱらいに関係するものであるかどうかは、掲示板の貼り紙を確認していないのでわからない。けれど、こういう、この町以外でも普通に逮捕案件になる犯罪行為の場合、トガカリさんがどう出るか、定かではない。
もちろん、かっぱらいの罪で逮捕されたとしても、それは自業自得であるわけだし。本来なら、大人しく警察に突き出されることを受け入れるのが、人の道というものだろう。――ただ、そうはいっても。それは、突き出される先が警察であれば、の話だ。
警察でないトガカリさんの課す刑罰は、万引きで128年の磔の刑とか、ごみのポイ捨てで39年の逆さ吊りの刑とか、そういうのが相場のようだから。それはさすがに、人道を守ることと引き換えにしてでも逃れたかった。
そんな必死な、友也の土下座と謝罪と頼みを受けて。
道屋さんは、ふう、と溜め息をついて言った。
「まあ、別にいいさ。鞄も商品も、こうして無事に戻ってきたわけだしな」
「そ、それじゃあ……」
「この話は、これで終わりにしてやるよ。……またいつか、何かの『道』が必要になったら、今回のことは気にせず、俺のところに買いに来ればいい」
そう告げる道屋さんの声からは、完全に怒りが消えているわけではない。それでもこうやって寛大な態度を示してくれた道屋さんに、友也は心から感謝した。
マント風のコートを翻し、立ち去ろうとする道屋さんの背中に、「ありがとうございます!」と、友也は、これまでの人生を総合した中でもかなり本気度の高い礼を述べる。
道屋さんは、振り向いて、友也をじろりと睨み、
「――ただし、次はないからな!」
と、低い声でそれだけ吐き捨て、去っていった。
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そんなこんなで、道屋さんと別れたあと。
友也はしょんぼりとした気持ちで、とぼとぼと道を歩き出した。
道屋さんからすれば、しょんぼりされる筋合いもクソもない話だろうが。なんか、すごく心にダメージを負ってしまった。悪いことして人に怒られるって、かなり久しぶりのことだ。そうそう、こういう感覚になるんだよな、真面目に怒られると。
ちょっと泣きそうになり、だから、道屋さんからしたら泣かれる筋合いはないのだと、友也は、涙がこぼれないうちに慌てて上を向く。
そうしてしばらく歩きながら。
友也は、今夜の宿のことを考える。
(町役場に寝泊まりするのは「あまりよくない」って、トガカリさんに言われちゃったしなあ……。けど、それならもう、野宿くらいしか方法ないじゃないか。宿屋もなんの店もないこの町じゃ……。くそお。民家ばっかり無駄に建ちやがって、この町め……)
新興住宅地風な町並みの真ん中で、友也は、恨みがましく周りの家々を睨みつけた。
だって。家、と言っても、だ。この町に建ってる家のほとんどは、人の住んでいない、空っぽの建物に違いないのだから。何せ、狭いとも言えそうにないこの町に密集する、民家の数に対しての、かコよヶ駅前町の住民の人数は、友也を含め、わずか三十一人。どう考えても、家、余りまくっている。
家として使われていない家。そんなものが、この町には、どうしてこんなにたくさんあるのだろう。もしかすると、それは、この町の景色を「町」らしくするためにディスプレイされた、ただの飾りなのかもしれなかった。
(……とはいえ。見たところ、ただの張りぼてってわけでもなさそうなんだよなあ)
町を歩いていると、カーテンが開いていたりして、室内の様子を覗き見ることのできる家を、そこそこ見かける。そんな家の中は、まったくもって変わったところのない、普通に人が住んでいそうな――あるいは住んでいなくとも、今すぐにでも人が住み始めることのできそうな、家具やら調度品やらがちゃんと揃っている、ただの民家にしか見えないのだ。
でも、そういった家の中にも、人の姿だけはあったためしがない(宮ノ宮さんを除けば、だけれども)。試しに、何軒かの家でチャイムを押してみても、やっぱり住人が出てくる気配はないのである。
人が住めそうなのに、誰も住んでいない家。
住民の数に対して、多すぎる家。
その二つを踏まえて考えていると――。
「余ってる家……勝手に使っちゃ、だめなのかなあ」
と、まあどうしても、そんなことを思ってしまうわけで。
正直な話、帰宅しあぐねていたこの数日の間に、その考えがちらっと頭をよぎったのは、一度や二度のことではない。そして、どうやら本当に帰宅が不可能だと悟った今、「誰も使ってない家なら自分が住んでもいいのでは?」という思いは、いよいよ大きくなっていた。
「――……」
友也は、ぴたりと立ち止まる。
道の脇を振り向いて、そこにある民家の、玄関の扉に視線を注ぐ。
この扉。この扉が、もしもこの手で開いたなら――。
その家は、たまたま門扉も庭もなく、玄関の扉はほとんど道路に剥き出しになっていた。それゆえ、数歩でたどり着くことのできるその扉に、友也はゆっくり近づいていく。
扉の前で、再び足を止めて。
まずは、一応、チャイムを押してみる。……一回。……二回、三回。鳴らして待つが、やっぱり、家の中には人のいる気配すらない。ノックをしてみても、同じことだった。
深呼吸して、友也は、玄関の扉のドアノブに手を掛けた。
ぐっとドアノブを握って、力を込める。
ガチリ、と。ノブはほとんど動くことなく、ただ、硬い手応えを友也に伝えた。
「…………だめか」
ふう、と肩の力を抜いて、友也はうなだれた。
そのとき。
「おい」
と。背後から、まだ記憶に新しい声がした。
友也はギクリとして振り返る。
そこにいたのは、やはり、つい数分前に別れたばかりの道屋さん、その人だった。
「あっ……。どっ、どうも! 今さっきぶりですね……。な、何してるんですか? こんなところで」
「ん。いや。言ったと思うが、俺は、地図の木を探してるところだよ。早く地図の種を採って、『道』を作りたいんでな」
「あ、ああ……そういえば」
うなずいて、友也はうつむきがちに、おそるおそる道屋さんの顔色をうかがう。
大丈夫だろうか、この状況。自分が今、この家の扉を勝手に開けようとしていたこと、たぶんきっと、道屋さんには気づかれていると思うのだが。扉が開かなかったから不法侵入にこそならなかったものの、やっぱり、咎められるだろうか。この町で、空き家とおぼしき家に無断で入ろうとする行為に対しては、何かペナルティがあるんだろうか――。
胸中で不安を渦巻かせる友也のもとへ、道屋さんが歩み寄る。
道屋さんは、友也の横から、玄関の扉を覗き込んで。
そして、こう言った。
「ここは、開かないだろ。あきらめて、別の家を探したほうがいいぞ」
「……へ?」
思いもよらない言葉に、友也はぽかんと口を開けた。
「え。え? あの……。別の家、って……」
戸惑いながら、友也は問い返す。
「えっと、それって。あの、もしかして……。もし、玄関の開いてる家があったら、その家には、誰でも勝手に入っちゃっていい……とか?」
「うん、まあな。玄関の開いてる家、ってのは、ちょっと違うが」
なんでもないことのように、道屋さんは、そう答えた。
「見てのとおり、この町では、宮ノ宮さんの作った家がいくらでも余ってる。そういう空き家の中には、ときどき、玄関の扉に鍵の挿さってる家があるんだ。鍵の挿さってる家を見つけた者は、その鍵を手に入れて、その家の主になることができる――というのが、この町での暗黙の了解でな」
「……そ」
そ、れ、を、は、や、く、言、っ、て、く、れ。
心の中の叫びが、思わず等間隔に切り分けられる。
鍵が挿さってたら自由に使ってもいいって、なんだその自転車泥棒みたいなシステムは。つくづく、この町のローカル文化には付いていけない。
(とはいえ、ありがたい話があるもんだ。もし今日中に「鍵の挿さった家」が見つかれば……今夜からは、誰にも気兼ねせずに、ちゃんと屋根のある場所で眠れるんだ!)
胸に灯されたその希望に、我知らず涙が滲んだ。
一昨日の夜。友也は、一夜を越すつもりだった町役場を追われて、行く当ても帰る当てもなく、真夜中の町をさまよい歩いていた。
あんな心細い思いは、もうたくさんだ。
日が暮れたらここに帰ればいい、という目的地。今だけの、この町にいる間だけの、帰り道の臨時終着点。それを手に入れることができたなら、どんなにか心安らかになることだろう。
「道屋さん」
ぐっと拳を握って、友也は尋ねる。
「その、鍵の挿さった家っていうのは、すぐに見つかるものなんですか?」
「ああ、そうだな。見つけるのは、たぶん、そんなに難しいことじゃないだろう。……ただ」
道屋さんは、顎に指を当てて、何やら考え込むように口をつぐんだ。
そして、ややあってから、その顔に意味ありげな笑みを浮かべて言った。
「俺も、いっしょに探そう。友屋さんだけじゃ、鍵の挿さった家は見つけられても、その中から『いい家』を見つけるのは、ちょっと難しいかもしれないからな……」




