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5. 村人たちの揉め事

(……のどかだわぁ……)


 屋敷はオンボロだけど、一歩外に出ればとても気持ちがいい。王宮や王都とは全く違う、静かで澄み渡った空気。草の匂いを含んだ風が、ゆるやかに私の頬を撫でていく。

 遠くに広がる麦畑は金色の波のように揺れ、牛がのんびりと草をはんでいた。

 そこかしこにぽつぽつと見える、近隣の村の人々。

 静かで素朴で、時間がゆったりと流れている。そんな感じがした。

 小川のせせらぎが聞こえ、私は無意識にそちらの方へと歩いていく。


(まるで勉強と仕事ずくめだった私の人生に与えられた、初めての休息の時間って感じね。考えようによっては貴重な経験よ。……この後どんな悲惨な人生になるかは分からないけれど)


 そんなことを考えながら、景色を眺め、人気のない細い小道を歩く。するとしばらくして、数人の男性らしき人たちの言い争うような声が聞こえてきた。


(……? 何かしら……)


 少し怖くなる。もしも盗賊だったりしたら、どうしよう……。見つかる前に引き返すべき……?

 逡巡していると、大きな声が耳に届いた。


「水を返せ! あんたたちが上流を塞いだから、こっちの田畑が干上がったんだ!」


(……田畑……?)


 どうやら盗賊などではなく、村人たちの間で揉め事が起こっているらしい。そのことに気付き、私の足は自然とそちらの方に向いた。


「ふざけるな! 森の伐採で川底が崩れて濁ったのは、そっちのせいだろうが!」

「人のせいにするな! 大体イルガルド側の人間はいつも……!」


(イルガルド……)


 口論している人たちの姿が見えてきた。

 私が今滞在しているこの村は、アルーシア王国の南東の端に位置し、隣の小国、イルガルド王国との国境沿い。川や森を含むこのあたりの領土は線引きが曖昧で、互いの生活圏が重なっていたりする。どうやらその二国間の村人たちの間で揉めているようだ。ぱっと見たところ、どちらの民も十人前後はいる。


「皆さん、落ち着いてください。何事ですか?」


 私は彼らのもとへと歩み寄り、尋ねた。

 突然現れた見慣れぬ娘に、男たちは怪訝な顔をする。


「誰だ、あんた」


 アルーシア側の村人と思われる男性に問われる。


「この土地の領主の娘です」

「……領主の娘ぇ?」


 このあたりの村人たちは、私の顔を知らない。私は王宮に上がるまでほとんどの期間を王都で暮らしていたし、王子妃となってからもここまで足を運んだことはまだなかった。

 怪訝そうな彼らに、私は記憶の中の知識を手繰り寄せながら言葉を紡いだ。


「ここの川は十五年ほど前の水源協定により、両国の民が等しく利用すると定められていたはずです。伐採の影響で濁流が出たのは間違いないかもしれませんが、問題はそういったことを、互いに報告し合っていなかったことでしょう。まずはきちんと話し合いましょう」


 ざわついていた空気が、ほんの一瞬静まる。けれど両国の民たちは、再び不満を口にした。


「いや、あのねお嬢さん。話し合いで水は戻って来ねぇんだよ」

「そんな悠長なことを言ってる暇はねぇよ! 作物が全部ダメになったらどうするんだ! 事情の分からねぇ貴族のお嬢さんは引っ込んでな!」


 激昂する彼らを前に、私は解決の糸口を見つけようと頭を回転させた。


「……まずは水源の状況をきちんと確認しましょう。王都から調査官を呼ばなければならないわ。そうね……一週間以内にここへ来てくれるよう、私が手配します。その間、仮の用水路を作りましょう。水が戻れば田畑は守れるわ」


 川の上流から、水が濁っていない部分を選んで流れを分ける。土嚢や木の板を使えば、一時的な水の道は作れるはずだ。

 ここに来るのは初めてだけれど、メロウ侯爵邸にあった領地の地図や過去の報告書は何度も読んだことがある。地形や川の流れ、耕作地の分布などは、頭に入っていた。


「……あの林の手前に、小さな窪地があったわね」


 私は川沿いを指差し、独り言のように呟く。村人たちはいぶかしげに顔を見合わせ、そちらを見る。


「ああ、まぁ。あるけど……」

「あそこから水を引いて、この畑の裏を回して流せたら……ここ一帯に水が届くわ。距離も短いし、地形の高低差も、たぶん問題ないわよね」

「そんなこと、わかるのかよ……?」

「ええ。何度も地図を見てきましたから」


 私はワンピースの裾を持ち上げ草むらをかき分けながら歩き、後ろで見ている彼らに声をかけた。


「ここから水を引けそうよ。まずここを少し掘って……うん、そこに板を立てて、水の流れを変えましょう」


 まるで奇妙な人間を見るような目でこちらを見ている両国の村人たちに、私はにっこりと笑ってみせた。


「さぁ、皆で用水路を作りましょう。協力すれば、明日には水が通るわよ。私も手伝うわ!」


 どうせ社交の場に出ることもなければ、誰かが訪ねてくることもない。そう思いシンプルなワンピース姿でいたのだが、かえってよかった。

 水利についての知識は持っていたけれど、実際に自分が作業をしたことなど、もちろんない。……なんだかわくわくしてきた。


「そこの道具、少し貸していただける?」


 この場にいる全員が、まだこちらをぽかんと見つめている。けれど私は手鍬を取り、地面に膝をついた。そして置いてあった手袋をはめ、近くの土を掘りはじめる。

 その時だった。


 後方から、馬の蹄の音が聞こえてきた。

 しゃがみ込んで手を汚したばかりの私は、そのままの姿勢で振り返った。





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