3. 結婚生活の終わり
「……あら、そんなこと誰も言っていないわ。ヒューゴ様とお義姉様との間に赤ちゃんができないのは、お義姉様のお体に問題があるからでしょう?」
「……何ですって?」
突然何を言い出すのか。今していた話とまるで違う。
愕然とする私を見つめるリリエッタの瞳が、三日月のように弧を描き細められる。
「皆知ってるわよ。社交界の方々もね。あたしがいろいろな方に相談しておいたから。お義姉様は赤ちゃんができない体みたいで、ヒューゴ第二王子殿下がとてもお困りなんですぅって。それに、メロウ侯爵家に来て以来、あたしがずっとお義姉様に虐められてきたこともね。いろんな人に話しておいたわ」
「……な……」
この子は一体何を言っているの。
まさか、そんな根も葉もない嘘を、社交界で触れ回っているというの?
私が開く茶会に集まる女性たちの数がどんどん減っていたことも、貴族や王宮の者たちの態度が、目に見えて冷たくなっていっていたのも……そんな話が広まっているからだったのか。
屈辱と怒りで、腹の底にまで震えが走る。
これまで可愛がってきた義妹と目の前で勝ち誇ったような笑みを浮かべるこの子が、同一人物だなんて。信じられない思いだった。
「……なぜ……あなたたち母娘がメロウ侯爵家に来て以来、私は一度もあなたを虐めたことなんかなかったわ。私の持ち物であなたが欲しいとねだったものは、母の形見の品以外は何でもあげた。あなたが買ってほしいというものは買ってあげたし、社交場でのマナーもお勉強も、できる限り見てあげたつもりよ。高位貴族のご婦人やご令嬢方への紹介だって……」
「やぁだぁ! ほら、ね? ヒューゴ様。いつも言っているとおりでしょう? すぐに怒りだすって。私と二人きりでいる時と、皆様の前にいる時とは別人なんです、お義姉様って。だからあたし、余計に怖かったの……裏表のあるお義姉さまの性格が……」
私の言葉を遮るようにそう声を上げると、リリエッタはくるりと振り返り、ヒューゴ殿下の胸に飛び込んだ。
呆然とした青い顔で目を泳がせていた彼は、はっとしたようにリリエッタを抱きとめ、そして私を強く睨みつけた。
「き、君という人は……! これ以上リリエッタを怯えさせるな! この結婚の破綻は君のせいだ! どう取り繕っても無駄だぞ。僕は全てを父に報告する!」
まるで宿敵を見るかのような目で睨みつけられ、私の心が急速に冷えていく。
「……本当に、義妹の言葉を信じていらっしゃるのですか? 殿下。あなた様はこの十数年間……いえ、婚約していた約十年間は、私のことを見てくださっていたはずです。私の努力も、あなたへの誠意も。それでも、義妹のその言葉を信じると……?」
ほんの一瞬、ヒューゴ様の翡翠色の瞳に動揺が走る。けれどその時、リリエッタが彼の胸に埋めていた顔を上げ、その目に涙を湛えて懇願した。
「ヒューゴ様ぁ、あたしを信じてくださってるわよね……? ずっとずっと辛かったの……。お願い、あたしをお義姉さまから助けてぇ」
「……リリエッタ……。もう何も言うな、セレステ! 君とは離縁する! 原因は全て君にある。今すぐここから去れ。これ以上リリエッタを怯えさせるな!」
抱き合う二人の姿とその言葉に、私の心はついに温度を失った。
表情を取り繕う気力もなく、私は殿下を見据える。
「──承知いたしました。では、事実を全て私の口から国王陛下にご報告し、この結婚を解消していただきます」
そう言うと私はすぐさま身を翻し、その場から立ち去ったのだった。
数日後。お会いした国王陛下の表情は固かった。
こちらから謁見の申し込みをしたというのに、まるでこちらが切り捨てられるかのような雰囲気だった。
「そなたのこのアルーシア王国と王家への貢献は理解しておる。……だが、子を授からぬまま、時は過ぎた。妃にとって、世継ぎをなすことは最たる責務。王家の未来のため、そなたを妃の座から解くことを正式に検討せねばならぬ」
「恐れながら陛下、そもそも私はこの三年間、妃としての務めを果たす機会すら、与えられることはございませんでした。ヒューゴ殿下はただの一度たりとも、夫婦の寝室でお休みにはなりませんでしたので」
駄目で元々という気持ちで、私はそれを打ち明けた。もうどうにでもなれだ。どうせ状況は、これ以上悪くなることはないのだから。
王宮を去るなら去るで、せめてこの結末が私の責任ではないことを知っていただきたい。
この結婚生活が私のせいで破綻したかのような誤解をされたまま去ることは、あまりにも心外だった。
年老いた陛下は口元を引き結んだままご自分の顎をゆっくりと撫で、その後低い声で呟いた。
「三年間も共に過ごしながら、ただの一夜もなかったと? ……いささか無理がある話だな」
謁見室に待機する従者たちからの冷たい視線が肌に刺さる。誰も私のことを信じてくれてはいない。国王陛下さえも。
陛下のこの反応を見るに、ヒューゴ殿下が先に何かを吹き込んでいるのは明白だった。おそらくは、自分とリリエッタにとって都合のいい情報を。ご自分がリリエッタから吹き込まれ、信じたそれらを。
さっさと立ち去れという圧を感じ取り、私は最後に進言する。
「大変恐れ多いことではございますが、申し上げます。……陛下、我が義妹のリリエッタをヒューゴ殿下の次なる妃にとお考えでしたら、どうか慎重にご検討くださいませ。彼女には王子妃としての責務を果たす教養も資質も、そして覚悟も、残念ながら備わってはおりません」
それはあの子がメロウ侯爵家に来て以来半年間、間近で見てきた私なりの率直な意見だった。甘えた話し方、ねだれば何でも周りがどうにかしてくれるという他力本願な考え。そして、教えても教えても頭に入らない様々な知識、それ以前のやる気のなさ。
陛下は曖昧に返事をして私から目を逸らし、私はその後謁見室を去った。